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襲撃

「そういえば、華枝には話したことがなかったな。僕は大学で(つる)植物の研究をしているんだ」

 縁側でそっぽを向いて、(とう)で編んだ椅子に座っている妹に兄が声をかける。話を変えようという魂胆が見え見えだが、兄が園芸学科で何の研究をしているかなど、聞いたことが無かった華枝は思わず振り向いた。

「蔓植物? (つた)とか?」

「ああ、最近は日よけになるとブームが来ているが、虫が来たり家を傷めたりいろいろな弊害も出ている。品種改良で、何等かの付加価値をつけたり、虫が来ないような品種を作ったりするのが僕らの研究なんだ」

「ふうん」妹の気のない返事には構わず、兄の熱弁は続く。

「僕らの名字、藤も(つる)植物の一種なんだ。藤というと垂れ下がった可憐な紫の花を思うが、蔓の部分は古代には紐の材料として使われたりして、割と強いんだよ、あ、ここに写真があった。見る?」

 どこから取り出したか、兄は植物図鑑で藤のページを広げて見せた。

 たわわに花を垂らす見事な藤。

「こんな、藤棚を作ってみたいものだわ」

 不純な動機での入部だが、さすがに園芸部だけあって華枝の顔が次第に兄の方に向いてくる。

「蔓植物は全体的になんかひょろひょろしたイメージがあるけど、猛毒を持つものや、ほかの植物を絞め殺す物騒な奴もいるんだ」

「怖いわね」

「そうだな。でも蔓植物だけに限らず、植物の世界は動物以上に熾烈な生存競争を戦っている、問答無用の仁義なき世界だよ。でも、そういうのがまた研究者にとってはロマンチックなんだなあ」

 それは何となく解る。華枝は大きく頷いた。

「だから、お願い。今日のロマンあふれるゼミの集まりには……」

「ダメ」

 その手にはのらじと華枝は不機嫌そうに鼻を膨らませて一言のもとに却下した。

「お前、あんまり鼻を膨らませると、目立つぞ」

 妹の許可を取り付けることをあきらめたのか、今度は兄が攻勢に出る。

 どだだだだ、っ。

 兄の言葉に返事もせず、妹は片手で鼻を隠して洗面所に走った。 



 鏡に向かって鼻を膨らませたり、顎を上げて、鼻腔をチェックしたりする華枝。美少女華枝の唯一の欠点。それは、鼻毛が濃く、成長が早いことだった。数日間放置すると、鼻の穴から1ミリほどの鼻毛が顔を覗かせる。

 自らがきれいであることを自覚し、完璧主義な華枝にはそれが許せない。

「痛っ」

 目立つ一本を毛抜きで引っ張り、そのあまりの痛さで華枝は抜くのを止めた。

 他人には決して見せられないこの姿。わずか数か月でミス新川東高校の異名をとった自分がなんて無様な……。

 今まで出口付近の鼻毛を抜いてやろうかと何度も思ったが、鼻毛を抜くと今のような頭まで響く激痛が走るので、華枝はもっぱら鼻毛切りで対処している。

「朝、チェックしたのに、もう伸びてる」

 鼻毛の伸びが早いときには、病気とか、何か悪いことが起きることが多い。

 朝のバラ女といい、華枝は漠然とした妙な胸騒ぎを感じていた。



 あと、5分、九時で退屈な塾の授業が終わる。

 兄の事を思えば、家に居座って監視するべきなのだが、この塾には鳳先輩のファンが多く、(ライバル)の動向や、鳳先輩の噂を集めるには最適な場所だった。周到な華枝は3日後の夏祭りのためにできるだけ鳳先輩の嗜好やら、情報をここで集めておく必要があると判断したのである。

 一匹オオカミで、友達を作らない(というか、寄ってこない)華枝は、塾で女の子たちが輪になってする噂話をこっそり漏れ聞くしか情報収集の手立てが無かった。女の子特有の話のキャッチボールが苦手、つまらない話題は一刀両断する話し方と神経質で妙に計算高いところのある華枝は、その美貌もかえって逆効果で同性にあまり好かれていない。

 講師が次までの宿題の説明をして、終わりの合図をすると、生徒たちは一斉に立ち上がる。教壇に行って質問するもの、帰りながら雑談するもの。教室は急にざわめきで満たされる。

 生徒の話題に耳をそばだてていた華枝だったが、鳳先輩に関して聞くべきものは無いと判断し、彼女は一人で夜道を歩き始めた。兄の監視を止めてまで出席した塾だが、それだけの価値はあった、鳳先輩が完全にフリーであるという情報をつかんだのである。

 家から、塾まで15分。途中少し暗いところもあるが、ほとんどが電気もついて人通りもある道である。今まで華枝は一人で歩いて帰って怖い思いをしたことが無かった。

 唯一、両脇を塀で囲まれたこの細い道だけが、壊れかけた街灯と両脇の家からわずかに漏れくる光を頼りに歩く、やや治安の悪い場所であった。ただ、短距離走に自信がある華枝はこの短い距離をあまり怖いと思ったことが無い。

 しかし、今日は違った。

 途中の公園を過ぎたあたりから、背後に何となく気配がするのである。

 振り返っても誰もいない。だけどまとわりつくような気配は消えず、走れば、音も無くついてくる。

 近くに交番もなく、民家に飛び込んで助けを求めるほどの不審者の確証もない。歩きながら、兄に携帯しても、なんと「電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないか……」と繰り返すばかり。

 妹の一大事になんてことなの!

 悔しさと、恐怖で体が震える。と、同時に鼻が激しくつーんと痛んだ。

 こんな日に限って、同じ方向に帰ってくる同期生も居ない。

 引き返そうか、いやあんな気配は思い過ごしだ、と迷っているうちにいよいよ暗い道に入ってしまった。周りを見ても、怪しい人影は無い。

 なんてことない、走ればすぐよ。

 華枝が走り出そうと、足が土を蹴ったその瞬間。

 いきなり何かが、足に絡みついた。

 足をすくわれ、小さな叫びをあげて腹部から地面にたたきつけられる。

「たすけ……」

 恐怖で頭の芯まで真っ白になる華枝。

 出ない声を振り絞って叫ぼうとした時、足に絡んだと同じ縄のようなものが、なにかペタペタとした感触とともにいきなり華枝の身体を這い上がった。それは一気に頭部まで到達すると猿ぐつわのように口に巻きつき、抵抗する間もなくぐいぐいと締め上げる。みるみるうちに華枝の体全体が、縄のようなもので縛め(いましめ)られていった。

 首に巻きついた縄が、獲物をもて遊ぶようにゆっくりと締まっていく。

 必死で華枝が縄のようなものに爪を立てると、くい込んだ部分から汁が滲み、汗臭さと青臭さが入り混じった匂いが立ち昇る。縄の周囲に何か、がさがさとしたものが触れた。

 植物の(つる)

 喘ぎながら、絡みつく縄の先に視線を移した華枝は、信じられない光景に目を丸くした。

 なに、この変態。いや、怪物、それとも、妖怪?

 街灯の薄い光の下、ランニングにトレパンの若い男がまるでグリコのマークのように万歳しながら姿を現した。

 彼の脇の下から黒いわき毛がもさもさと伸びている。その先端が蔓植物になって華枝をがんじがらめにしているのであった。

 いやああああああっ。

 華枝の絶叫は、口にまで入り込んだ縄のようなものに(さえぎ)られた。



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