保与
「お、おまえは」
華枝は眼前に現れた女を睨み付けた。
あの、陽炎が立つスクランブル交差点。思えば、この女に会ったことがすべての始まりだった。
「すでに名前はご存じかもしれないな、私は冠咲保与。貴女の力を借りたい」
「何のために、どのように」
ここ数日のひどい経験の元凶を前に、華枝は怒りからくる体の震えを抑えられない。
「植物が語りかえてくることはないか? 彼らは、自力で動くこともできず、生態系の底辺に近い。だが人類は感ずることをできないが、彼らにも意志はあるのだ。昨今の人類による自然破壊、森林の消失、勝手な遺伝子の組み換え。度を過ぎた干渉に華化族である私は植物の怒りが増すのを常々感知していた。だから、彼らにこう伝えたのだ。手を結ぼうとな」
華枝も、確かに植物の意志を感じることがある。例えば、温室での水遣りの時、知らず知らずのうちに 彼らと会話をしている気分になったり、枯れかけた花の悲しげな声が聞こえたり。
「彼らの歴史は人間など問題にならない。ジュラ紀の昔から続く、長い命のバトンを渡してきた彼らも、そろそろ堪忍袋の緒が切れたようだ。だから、私はこう伝えた。人類に反乱を起こせと、華化族はお前たちに人類のテクノロジーを使ってこの地球を与えよう。その代り、私達華化族には、人類を統べる力を与えてくれ、とな」
「最後は不要だわ。結局自分の私利私欲を満たすためじゃない」華枝はあきれかえる。「私はこの地上の秩序を気に入っているの。無理に大きな変化を起こす必要はないわ」
「華化族たちは、多分に植物的だ。臆病で、受動的で、緩慢な変化を望む。しかし、私はそんな劣った華化族ではない」
「私は世界征服なんてしたくないけど、劣っているわけではないわ」
大きな目をぎょろりと華枝のほうに動かし、保与は頷いた。
「確かに、お前は劣っていない。華化族としては最高の力を持っている。だから、お前と生殖力旺盛な我らが首領の花が受粉しあい、最強のアトモスができれば、それは植物達に人類に対する反乱の狼煙を上げることになる」
保与はにやりと笑って華枝を見た。
「私は髪の毛が華化変化するためか、脳に刺激がいくらしい。頭蓋骨に邪魔されてその影響はわずかだが、私はこと勉学についてはこれまで苦労を感じたことが無い。それよりも、私はいつも普通の人間たちよりも優位であることを感じ、世界を統べたいという気持ちに支配されていた。権力はいいぞ、我々とともに、高みから世界を見下ろさないか」
「断るわ」
「姫、と呼ばれているようだな。確かにお前はそう呼ばれてもおかしくない能力を秘めている。ただ、それはまだ開花していないようだ」
髪の毛が変化した蔓バラが不気味に逆立って揺れる。「私とともに来ればその能力はすぐ開花するぞ」
「私の平穏な人生を無茶苦茶にしないで。巻き込まないでほしいのよ」
華枝が唇をかみしめる。
「世界征服だのなんだの、関係ないわ。私は自分のために戦う」
鼻毛の先端に藤蔓が飛び出した。
がしっ。
迎え撃つ蔓バラと藤蔓が絡まる。
同時に華枝の筋肉が盛り上がった。華枝は眼前の藤蔓を握ると、砲丸のようにぐるりと回した。
ぐらりと身体のバランスを崩す保与、遠心力のため身体がふわりと浮きあがり円弧を描いて回り始める。もがくが、華枝のパワーはそれをものともせず、敵の身体を空に浮かし続けた。
5周めで華枝の藤蔓がふっ、と消え、長身の身体は公園の隅にある大きな木の幹にたたきつけられる。
ずるずると幹伝いに崩れ落ちる保与。
「ふん、口ほどもない」
華枝は手をはたきながら、目をつぶる保与に近づく。
が、保与はやにわ目を開けると、髪を全方位に伸ばし、華枝の周りに籠をつくるかのように、包んだ。蔓バラの檻の中に閉じ込められる華枝。バラの檻は狭くなり華枝に棘が容赦なく突き刺さる。
「きゃあっ」 顔を腕で覆い、目と鼻をブロックする華枝。
「大人しく我々と来い」保与は口元をゆがめてもがく華枝を楽しそうに見ている。
「うるさい」
掛け声とともに、華枝の腕の筋肉がさらに盛り上がる。
「今日の私は怒りのパワー全開なのよ」
痛みを感じないかのように保与の蔓バラの檻を難なく掴むと、華枝はめりめりと引き裂きそこから飛び出した。
目にもとまらぬ跳躍から、保与の顔面を蹴りあげる……。
しかし、蔓バラの髪は瞬時に盾を作って、華枝の足から顔面を守る。
地上に降りた華枝は藤蔓を出して、蔓バラの盾に巻きつきはがそうとする。手がぐいっと藤蔓を引っ張った。
「力勝負ならあたしの勝ちよ」
バリアーが華枝のパワーに負けてべりりと保与の顔面からまさに外れる、その時。
「鳳先輩がどうなってもいいのか」
保与の言葉に、華枝の動きが止まった。この女なら、先輩に何をするかわからない。
「その凶暴な藤蔓をしまえ」
夢のような夜市の情景が華枝の頭に浮かぶ。自分を女の子に戻してくれた大好きな先輩。自分のために連れ去られた先輩に何か起こったらと思うと、華枝は鳩尾がきりきりと痛んだ。
激しく動いていた藤蔓の動きが一瞬止まる。
メデューサはそれを見逃さなかった。
後ろ髪が、ぶありと逆立ち、そこに現れた鳥の巣のような植物から種子らしき粒が飛び散った。
動きの止まった藤の蔓に付着した粒は見る見るうちに鳥の巣のような円形に育つ。
「あ……」華枝の目が大きく見開かれた。
藤の蔓が萎び、筋肉がみるみるうちに落ちていく。
華枝の表情が凍る。彼女は身体をぐにゃりとさせて、膝をついた。
「どうだ、我が寄生木の威力は」
満面の笑みを浮かべて保与が近づいて来る。
すでに、エネルギーを吸い取られた華枝は声を出す力もなく、顔から地面に倒れこんだ。
「どうせこうなるなら、あんまり手間を取らせないでほしかったな、姫」
保与が意識を無くした華枝の身体をこともなげに抱き上げ、歩み去ろうとしたその時。
「まてっ」
ひまわりの種が保与の顔面をかすった。
「姫を返せっ」
ジョーと凛がそこに立っていた。
「雑魚はひっこんでいろ、姫に何があってもいいのか」
硬直する二人。
「私が以前から出していたアトモスがもう全世界に届いているはずだ。姫と我が首領が契って最強のアトモスが出れば、狼煙が上がる。植物達に反乱の狼煙がな」
足を踏み出そうとする、凛。
しかし。華枝を横抱きにした保与が手にした小刀を見て、身体を硬直させる。
「少々なら、傷つけても支障はない。このきれいな顔に一生残る向う傷をつけてほしいか?」
楽しそうに言い捨てると、保与は路地に入り込んできた車の後部座席に滑り込む。凛とジョーは悔しげにそれを見送った。
「うまくついた?」
凛が呟く。
「ああ、この耳毛を引っ付き虫のオナモミに変化させて、ひまわりの種に混ぜて飛ばしておいた。今からこのオナモミを通し特徴的な音を探知して、後を追うぞ」
ひまわりがせわしなく、くるくると顔を回している。
「ええっと、約5分50秒で、ブレーキ。信号待ちのようだ。ここは、電車の音がする。高架の近くか、この音は競急電鉄だな。ここから……」
ジョーの分析を凛がメモする。二人は、何か頷きながら、地図を片手に自転車に飛び乗った。