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夏祭

「ダメです、絶対にダメ」

 凛が玄関で仁王立ちになっている。

 酸欠によるダメージはすっかり無くなったようだ。

「昨日のようなことがあってはいけないから今後は水遣りを変わってもらうように言った時には素直に別の方に頼まれていたのに。なんでまたそんな危険なことをするんです」

「お、ど、き」

 夕日で染まる玄関に華枝のどすの利いた声が響いた。

 アップにして赤い(かんざし)で飾った頭、白地に橙色や朱色の金魚があしらわれた、涼やかな浴衣に緑の帯。

 頭のてっぺんからつま先までこれ以上ない位可愛く決めた華枝の白い足はすでに赤い草履に滑り込んでいる。

「夜に、たった一人でデートに行くなんて、絶対にダメです」

「坊やにはわかんないかもしれないけど、デートは一人で行くもんなの」

 右手に持った、藤色と薄緑のグラデーションの巾着袋をぶん、と凛のほうに振り上げる。

「ついてこないでよ」

 眉を吊り上げて申し渡す華枝。

「もし、襲われたらどうするんです」凛がおろおろしながら尋ねる。

「逃げるわよ、もしくはおとなしくついて行ってもいいわ。だって危害は加えられないみたいだし」

 華枝は澄まして答える。

「縛られて連れて行かれそうになって、何が危害が無いですか」

 凛が半泣きで止める。

「でも、そういえばあんた達、夜は華化族はパワーが弱まるから出てこないって言ってたじゃない」

「長時間の戦闘は無理ですが、脇坂のような、夜でもある程度のパワーを出せる奴もいます。それにパワーは無くても多人数で来れば強敵となります。姫、自重してください」

「うるさいっての」

 華枝は凛の頬をひっぱたいた。

「何なさるんですか」さすがの凛も顔を紅潮させている。

「止めないで。どうしても行くの」

 実は華枝も自分で感情がコントロールできないのを感じていた。彼女にとって鳳先輩は現実とは別次元の問題、何はともあれ最優先なのだ。俗にいう盛りがつくというのはこんな感情の事を言うのだろうか、いやもしかすると老いらくの恋、というのもこんな感じなのかもしれない。頭の中に吹き荒れる激情の嵐をどうすることもできずに華枝は口を尖らせて無言で立ちすくんだ。

「姫、僕ら華化族の命運はあなたにかかって……」

「うるさいわね、じゃあ私は何をすればいいの。一日家に閉じこもって、世界征服を狙う一味とやらに怯えて頭を抱えていればいいの?」

 凛が口ごもる。

「単純なジョーはあんたに意気を感じて仲間になったのかもしれないけれど、私は正直どうだっていいの。身に降りかかる火の粉と思って戦っていたけど、別にあのバラ女に世界征服されたって、好きな人と一緒にいれば幸せなのよ、華化族が世界史で悪役になろうが関係ないわ」

 どん、うなだれる凛の肩を華枝が突いた。華枝の言葉がショックだったのか、力なく後退する凛。

「姫、あなたに尽くしている凛にあまりな所業。一人でなんでもできるとお考えか?」

 ジョーが華枝の傍らに来た。

「カッコばかりつける臆病者、中身は空っぽのあんたに言われたくないわね」

 華枝は爆発を押さえようとでもするように、大きく息を吸い込む。

「ええ、一人で戦い抜いてきましたとも。援軍が頼りになるもんでね」

 鼻を膨らませて、顎をあげ、華枝お得意の相手を見下すポーズを決める。

「特にジョー、あんた無様にもほどがあるわよ。武士だのなんだの言っておきながら、ここぞという場面でいつも外してばかり、敵が来たらおねえ言葉になって退散したりはっきり言ってキモいんですけど」

 ジョーの濃い眉毛がピクリと動く。

「役に立たないよれよれのひまわりを引っ提げて、凛の腰巾着でもしてなさい」

 うっ、うっ、うっ、凛の嗚咽が響く。

「悪いけど、そういう泣き声うざいの」容赦ない姫の言葉。

「すみません」凛がか細い声で答えた。「姫を、巻き込むつもりではなくて、お守りしたいだけだったんです。きれいで強い、あなたが、姫で居ていただけるだけで、うれしかったんです」

「わかった、もう出ていく。勝手に世界征服でもなんでもするがいい」

 ジョーが荒々しく戸を開けた。「行こう、凛。こんな冷酷な女、姫じゃない」

「うるさいわね。ひまわりのジョーじゃなくて、あんたなんか空回りのジョーよっ」

 ジョーに襟首を掴まれ、涙でぐしょぐしょになった凛は、ずるずると戸の外に引きずられていった。

「今度会うときは敵と味方かもな」ジョーが呟く。

「ええ、あんた達が敵なら楽勝よ」

 華枝は家の中に引き返すと、狭い庭に彼らの荷物を抛り出した。

「二度と来ないで」言葉とともに二人に塩が降り注ぐ。

「俺たちはナメクジじゃないぞ」

「ナメクジに失礼よ」

 華枝の言葉を背に受けながら塩まみれのカバンを引っ提げて二人は去って行った。

「ああ、せいせいした」

 華枝は乱れた浴衣を姿見で直して呟く。

 華枝だってここ数日の華化達による襲撃は正直怖い。だが、すでに理性を麻痺させる説明のつかない感情が彼女を支配していた。

 世間では、それを恋煩いという。華枝のそれは極めて重症だった。




 新川の夏祭りは華枝の家から少し離れた神社の境内で開催される。いつもは参内する人もまばらな神社だが、この日ばかりは境内を埋め尽くす露店の明かりで、神社全体がオレンジ色に浮かび上がる。

「浴衣の人はたくさんいるけど、工藤さんみたいにみんなの注目を集める人はいないな」

 青い浴衣をさらりと着こなした、(おおとり)が照れたように微笑む。

「浴衣、これほど似合う人も珍しいよ」

 ああ、幸せにとろけそう。心の中が甘い水飴に満たされていくよう。

 華枝は、先輩に寄り添って歩きながら常日頃絶対に見せない恥じらいの笑みを見せた。

「花好きのこんな美人が入部したんだから、来年の園芸部には男子部員の希望が殺到するな」

 男に冷たい華枝の評判を知らないのか、鳳は嬉しそうに呟く。

「これは、早く摘み取らなきゃあまずいかな」

「えっ」

 華枝の頬が熱に浮かされたように赤くなる。

 もしかして、私を、摘み取る!

 水飴に満たされた胸が、急に疼く。

 でも、その疼きは、強い快感を伴う甘い疼きだった。

「わ、わ、わた……」

「綿あめを買おうか」

 華枝の手には、桃色の綿あめが渡された。

「僕は、女性とこんなところに来るのは初めてなんだ」

 鳳先輩が華枝の目をじっと見る。

 慌てて目をそらし、俯く(うつむく)華枝。

「なぜだろう、君とは夏祭りに行きたいと思った」

「わ、わ、わた…………し、し、し」

 華枝の手には白い綿あめがもう一本渡された。

「いや、工藤さんがこんなに綿あめが好きだとは思わなかったな」

 神社の隣の小さな公園のベンチに座る二人。鳳先輩がせっかく買ってくれたのだから、と思い綿あめを頬張る華枝。口元には、糸状の飴がまとわりついている。鳳はそんな華枝を愛おしそうに眺めていた。

 神社の周りは人がいっぱいだが、ここは暗いこともあって、人影はまばらだ。

 まばらな人影は皆カップルばかり。

 綿あめを攻略しながら、華枝は胸の動悸を押さえられない。

 あ、あのカップル、キスしてる。あ、このカップルは……。

 華枝は思わず息を弾ませる。

 ふと、見上げると、華枝と先輩の目があった。

 先輩の目が、なんだか自分を包み込むように優しい。

 雲の上で散歩って、こんな気分の事を言うのだろうか。夢見たことが次から次へと現実になる。幸せを通り越した、得も言われぬ高揚感に華枝の心は躍っていた。

「工藤さん、口元に飴がついているよ。取ってあげたいけど、いいかな」

「え、えっ……」

 うろたえる暇もなく、先輩の顔が風のように近づいてきて……。

 甘い、甘い瞬間。

 男嫌いは、もう完全に卒業、華枝の心は未知の世界へ飛び込む覚悟を決めていた。

 うっとりと目を閉じようとした、その時。

 ずざざざざざざざっ。

 華枝の綿あめが何かにはじかれ、虚空を舞った。

 見開かれた華枝の目に映ったのは。

 あの禍々しい(つた)

 その蔦は茂みの中に繋がっており、茂みの中に影に白いランニング姿の男が万歳している姿が見えた。

 閉じかけた目を血走らせ、真ん丸に開ける華枝。

「どうしたの?」

 先輩の声が耳を上滑りしていく。

 来た。来てしまった。

 想定内とはいえ、華枝の頭は混乱していた。

 逃げるか、それとも、降伏してついていくか。デートに行きたい一心で凛たちには売り言葉に買い言葉で虚勢を張ったが、本当は怖くないわけがない。

 想定内の事態だが、想定したくなかったため策はない。華枝の頭の中は真っ白になる。

――姫、反撃です

 その時、頭の中に聞きなれた声が響いた。

「うるさいわね」思わず声に出す華枝

「えっ」鳳がひるむ。

「あ、独り言です」

 華枝は両手をぶんぶん振って慌てて否定すると、周囲に目を配る。

――あなたの右手に北路の一番上の姉、多花恵。

 右手に、セーラー服が見える。

――左手に……

 華枝の目には能面を付けた男の姿が飛び込む。

 後ろは茂み、その後ろは柵になっている。どうやら背にしている柵のほうには敵は居ないらしい。

 メロドラマのヒロインは終了、華枝は大きくため息をついた。

――何しているんです姫、逃げるなら早く、戦うなら先手必勝です。

 凛の焦った声が頭全体に響く。

――さあ、早く、姫。

 いやーっ。

 フリーズしている姫に、凛の焦った声が響く。

――何をしてるんですかっ。

 華枝は両の拳をぎゅっと握りしめる。

 先輩の前で鼻毛を垂らすなんて、絶対にいやっ。

 でも、このままだと、関係のない先輩まで巻き込んでしまう。

 華枝はすっくと立ち上がろうとした。

「え、まだ、綿あめが残っているよ」

 先輩がやさしく華枝の肩を抱く。

「口元に……」

 華枝に覆いかぶさるように再び近づく顔。

 心なしか、肩を抱く手の力が強い。華枝にかすかな動揺が走る。

 本当なら、本当なら、人生の中の桜色の1ページになるはずの一瞬。

 しかし、その前に華枝の目にははっきりと先輩には見えない蔦が華枝に向かって飛んでくるのが見えた。

「先輩また今度」「工藤さん」

 目を丸くして狼狽する鳳を押しのけると、華枝は蔦をかわし、茂みの方へと走り込んだ。先輩の何か叫ぶ声が聞こえるが、それどころではない。

 三人は華枝を包囲するようにじわじわと向かってくる。

 まだ、ダメ。華枝は胸の内で自戒の言葉を発する。

 今、ここで鼻毛を出して戦ったら、鳳先輩に見つかるかも。

 華化族の姫は闇へ闇へと走った。

――ひめーっ、こちらにも敵が現れました。北路の妹ですっ。

 凛の叫びが聞こえる。

「逃げなさい、遠くに」華枝は凛に届けとばかりに頭の中で強く念じた。

 短距離走が得意な華枝。しかし今夜は勝手が違った。走りにくい草履、締め付けた帯、歩幅が稼げない裾。

 包囲された華枝は、木立の暗闇の中に逃げ込んだ。ここにはちょうど街灯の光が届かず、真っ暗闇になっている。しかし、追っ手に見つかるのは時間の問題だ。

 どうしよう。

 もう、鼻毛を出して戦ってもいいかしら。

 でも、先輩が捜しに来たら、鼻毛を見られてしまう。

 いっそ、投降して、奴らの話を聞いてみようか。

 でも投降して悪事に加担させられたら、鳳先輩にもう会えないかもしれない。

 華枝の頭はこそかしこで爆発を起こすかのようにさまざまな思いがスパークしては消えた。

 もうだめだ。思考が回りすぎてまともに考えられない。

 助けて、お兄ちゃん。

 助けて、お兄ちゃん。

 助けには来ないと思いつつ、華枝は心の中で何度も兄を呼んだ。

 今、どこにいるの、何してるの。ごはん、それとも、勉強? デート? 読書?

 あ。

 華枝の目が急に光り、鼻毛が待ってましたとばかりにするすると伸びてきた。

「なんだか、光が見えたぞ、あの茂みの中」

 宗家が指をさす、その方向に集まる追っ手達。

「逃げられやしないわよ」

 暗闇に向かってホクロ毛の女、多花恵が叫ぶ。

 警戒しながら三人は一斉に踏み込んだ。

「居ない」

 皆、懐中電灯を向けて、呆然として暗闇のあった場所を見つめる。

「しかし、ここから誰も出て来てはいないぞ」脇坂が呟く。

「あっ」

 多花恵が投げ出された巾着袋を拾い上げる。ライトがその先を照らすと、光の中に華枝が着ていた浴衣と下着と草履が浮かび上がった。

「脱ぎ捨ててある」

「変装したのか」

「しかし、誰も出ていくようには見えなかったぞ」

 公園で三人は首をかしげて立ちすくんだ。


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