花
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一人暮らしの買い物にしては、多かった。
ずっしりとする買い物袋の中に、肉や魚はない。
レタスにキュウリにトマトに豆腐に。
孝太が、食べられるものばかりだ。
彼は、ちょくちょく出かけるようになったが、ウェイトコントロールはしっかりしているので、トレーナーに怒られることもない。
ただ。
美奈子は、ちょっと細すぎな気がして心配だった。
腰なんか、折れそうだ。
自分が、じっと彼女の腰を見ていることに気づき、はっと彼は視線をそらす。
いかんいかん、と。
『男』計画は、頓挫したわけではない。
孝太がやれることは、まずはチャンピオンだ。
チャンピオンになれば、名前も売れるし新聞にも載る。
社会的に、認められる気がしたのだ。
ファイトマネーも跳ね上がるし。
とりあえず、そのくらいにならないと、美奈子に男として見てもらえない気がしたのだ。
元々、彼女がいようがいまいが、チャンピオンに挑戦する気だった。
その目標に、ひとつ大きなオマケがくっついただけだ。
問題は。
それまでに、美奈子に他の大人の男が現れないか。
そこだけだ。
台所の彼女が、ふふふっと思い出し笑いをする。
上機嫌のようだ。
「「今日ね、大好きな作家の翻訳を新しく依頼されたの。そんな嬉しい時に、孝太くんが来てくれたから、二倍に嬉しいわ」」
そう、彼女は大人で、孝太の知らない人間関係も持っているのだから。
「そ、そうなんですか、おめでとうございます! な、何かお祝いしなきゃ!?」
しかし、いまは自分も嬉しい種に混ぜてもらえて、彼は舞い上がっていた。
「「いいのよ、仕事のことだから…でも、ありがとう。嬉しい時に、一緒に喜んでくれる人がいると、もっと嬉しいわ」」
大きな、木のサラダボウルが運ばれてくる。
いつの間に、これはこの家に増えたのだろうか。
二つ、それが並ぶ。
へへ。
これは、きっと──オレのなんだ。
そう思うと、彼はとても幸せになった。
※
「「孝太くん、危ない仕事してるんでしょう?」」
すっと差し出されたのは、紺色の袋に入っている──お守りだった。
「「この間、神社に行った時に買ってたの…若い子は、こんなの好きじゃないかもだけど…」」
恥ずかしそうに、彼女ははにかむ。
孝太は、首をぶんぶんと左右に振った。
「あ、あ、ありがとうございまっす! だ、大事にします!」
危ない仕事とまで、既に美奈子には読まれていたわけだ。
それもそうだろう。
彼は、しょっちゅう顔を腫らしたまま遊びに来るのだから。
それでも、自分のことを心配して、こうしてお守りを買って来てくれたのだ。
ジーーンと、孝太は感動してそれを握り締めた。
この世のどこかで、自分を案じてくれている人がいる。
勿論、親も案じてくれる。
トレーナーも先輩もみんな、孝太の心配をしてくれる。
だが、自分の好きだと思う女性に心配されるのは、また格別なのだと、彼は強くかみ締めたのだ。
そして、このお守りは、まるでこれからの自分の進むべき道を、暗示しているかのように思えた。
「あの、美奈子さん」
改めて、彼女に向かって座り直す。
「その仕事で、しばらくここには来られなくなります…すみません」
これから。
ランキング最上位を巡る戦いが組まれていた。
チャンピオンとの指名試合の話も、通るかもしれない。
孝太のランキングは、現在2位。
彼をKOした、1位の野郎をぶっとばして、挑戦権を手に入れるのだ。
「「そう…大変ね。身体に気をつけて頑張ってね」」
優しい微笑みは、少し寂しげだ。
彼の心を、かき乱すには十分なほど。
「し、仕事が終わったら、ま、真っ先に来ていいですか?」
そんな自分の心を打ち砕くように、孝太は声を張り上げた。
「「勿論よ…楽しみにしているわ」」
花が咲く。
彼女が笑うと──花が咲く。