一族の巫女は看板だ
もともと世間における一族の知名度といえば、古くから高い霊力を誇る巫女を輩出してきたことで知られていた。
この手の生業に身を置くなら、知らない者はいないだろう。
業界というのもおかしな気がするが、まあ興味を引く人間においても知らない者はないと思う。
ではこの手の生業に関わらず、業界に興味もない人間においてはどうかというと、それはそれで知られていた。
高い霊力を誇るからこそ世間から受ける差別、迫害……。
いくらでも予想がつくその手の事態に対処すべく、一族ではいざという時の手段、あるいは軍資金を得る手段として、企業経営にもたずさわっていた。
すると皮肉なことに、現在では資産家としての顔の方が強くなってきていた。
要は不便なことだが、資産の有る無しに関わらず、一族の者は全員量販店のスーツを身にまとい、携帯電話を操作しながらせかせかと出勤するわけにはいかなくなってしまい……。
「これはお嬢様。おはようございます」
「おはようございます」
資産家一族による優雅な朝の演出。
一族の人間に会うのも面倒だが、一族以外の地元の人に会うのも面倒な事態になりはてていた。
声をかけてきたのは初老の女性。5~60代の主婦といったところか。
ほうきとチリトリを手にしているところを見ると、自宅の玄関先あたりを掃いていたのかもしれない。
私としては是非とも作業に戻っていただきたいところだが、身内が一族の経営する会社に勤めているのだろう、彼女の挨拶は止まらなかった。
「本日も素敵なお召し物ですね。さすが本家のお嬢様ともなりますと、私どもとは違いますねえ」
「とんでもない。私など祖母のすねかじりのようなもの。お恥ずかしい限りです」
モットーは謙遜と謙虚。血筋が濃くもなければ資産も無い者など、一族に属せどこの二言に尽きる。
まあ、挨拶というよりも、正確にはちくりとした嫌味というべきか。
しかし嫌味と言ってもかわいいものだし、第一相手に私のような下っぱを選ぶあたりも好感が持てる。
よって私の返す言葉も正真正銘本音だった。
5~60代主婦における「素敵なお召し物」と評された上下のスーツは、いわゆるブランド物だった。
私のような年代が持つには、高価な部類に入るだろう。
おそらく彼女はこのスーツを「お嬢様」が親などから与えられた「お小遣い」で手にしたものと判断し、上記の発言にいたったのだが、半分が正解。半分は間違っていたりする。
一族の巫女は看板だ。巫女としても、一族の娘としても。
よって一族の外に出れば、その時点から注目を浴びる。
どのような衣服を身にまとうのか。どんな言葉を発し、どう振る舞うのか。
その一挙手一投足で一族の全てが判断される。
一族は盛衰いずれか。その盛衰を影から支える巫女は、どのような扱いを受け、それをどう思っているのか。
繁栄するならいつまでか。衰えるならそれはいつか。
巫女の扱いが良いと見られば商売敵の妨害工作が強まるし、扱いが悪い、または不満を抱えていると判断されれば懐柔策の火花が切られる。
そんなわけで一族では外部へ隙を見せないよう、私のように実家からの支援がない巫女を対象とした衣服などへの補助制度を導入しれていた。
一族が経営する会社を通して最低限の数を無料で支給。その後も社内販売と同じ価格での購入が許されていた。
巫女になれば文字通り、生涯衣食住に困ることがない。
昔懐かし終身雇用制にのっとったのかもしれない巫女の制度を、時代遅れと言う人間が一族内でも上がってきている。
また常に一族内の目が光ることに、不自由さを訴える巫女たちも少なくはない。
私は、一族の他の世界を知らない。
通勤ラッシュで揉まれたことも、本当の意味で一人暮らしを経験したことも。
世間でいう「社会経験」を積むことはないし、これからもないだろう。
学校生活で得た数少ない友人たちから、「甘やかされている」と評されても、反論せずに誤魔化し続けるだろう。
しかし私は一族の巫女になって良かったと思う。
そして巫女たちを、一族を支える祖母の助けに、どんなにわずかでもなりたいと願う。
だからくだらない茶番劇も甘んじて続けるし、他の世界へ出ようとも思わない。
「それではこれにて失礼いたします」
「あらあら。こちらこそお引止めしてしまって。いってらっしゃい」
羨望や嫉妬、好奇の視線を受けながら、私は彼女へ頭を下げて、足を進めた。
今や町内で鎮守の森とも称される、本家の屋敷へ向かって。