「おかえり」
この部屋は一族から巫女へ与えられる部屋だった。
一族の土地に建てられた、巫女のためのマンション。
よって部屋は全て高層階に用意され、広さのほうもユニットバスとは無縁のダイニングキッチン、リビング、寝室の他に客間が二間と到底独身者用とは思えない作りになっている。
けれど世の中そううまい話ばかりがあるわけではない。
一族の土地に建てられたということは同時に職場でもある本家から近い。通勤に便利といえば便利。しかし逆にいえば近すぎるのだ。
例えば休みの日だからとぼんやりしながら歩いたとしよう。すると翌日には一族全体にその様子が触れ回られ、
「何かあったの? 気が抜けた顔で歩いていたって聞いたけど……」
などと様子を探られるはめになっていたりする。
また当然のことながら公務員などのように火急時には本家からの召集が即座にかかるため、嫌な話ではあるが着の身着のまま、一人逃げ出すという芸当は到底出来ないわけだ。
……まあ、しないけど。
むしろ平時においてはこのド田舎のような環境が鬱陶しくはあるものの、それでも通勤時間徒歩3分内という便利さの前に目をつぶり、通勤ラッシュなるものを聞いて「いいなあ」という感想を迂闊に述べて「この世間知らず!」と日々揉まれ続ける友人たちに罵られたりしている。
平和っていいなあ。
などとリビングからダイニングで電気ポットがお湯を沸かす音をぼんやり聞いていると、先ほど私を起こしてくれた私の式神がちぃ、ちぃと鳴きながらくちばしでガラス戸を叩いてきた。
「おかえり」
私は立ち上がりながらそう言ってガラス戸を開けると、2、3度訴えかけるように鳴きながら旋回し、式神は自ら鳥かごの中へ戻ると元の置物へと戻った。
「さて、じゃあ行きますか」
剥製のような姿を尻目に閉めた戸の鍵を掛け、自室へ戻るとクローゼットの中からいつもの着替えセットを取り出し玄関に向かった。
目的は最上階。住民専用のプールである。