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僕の家族、知りませんか?

作者: りんたろ
掲載日:2026/10/14

ここは、安寧葬儀場。

式場の正面には、にこやかに笑う少年の遺影が飾られていた。写真の中の少年は、今にも声を上げて笑い出しそうなほど生き生きとしている。それなのに、参列者の誰1人として、その笑顔に笑い返すことはできなかった。

15歳。あまりにも早すぎる死だった。


「貴之......貴之......お願い、もう1度目を覚まして!」


棺にすがりつき、母親が何度も息子の名を呼ぶ。

木倉貴美子、45歳。声は悲鳴に近く、すがる指先は白くなるほど棺を握りしめていた。見かねた親族が、泣き叫ぶ彼女をそっと引き離す。それでも彼女は、息子のもとへ戻ろうと手を伸ばし続けた。


15歳の少年、木倉貴之は交通事故で命を落とした。

あまりにも突然の別れだった。

この場に集まった人々は、少年の魂が安らかに眠れるよう祈りを捧げていた。貴之のクラスメイトたちも、その中にいる。

うつむき、声を殺して泣く者。

悲しみに耐え、毅然と前を向こうとする者。

現実を受け入れられず、ただ呆然と立ち尽くす者。

同じ死を前にしても、悲しみの形は人それぞれだった。誰もが、あまりにも早く訪れた別れを、どうにかして受け止めようとしていた。


――あのとき、好きだって伝えておけばよかった。


由貴は、胸の奥で何度も同じ言葉を繰り返していた。

不思議なことに、涙は出なかった。

悲しくないわけがない。目の前の棺に眠っているのは、ずっと想い続けてきた人なのだから。

それなのに、心のどこかで現実を拒んでいる。

まだ、生きているんじゃないか。

今にも棺の蓋が開いて、いつもの笑顔でひょっこり顔を出すんじゃないか。

そんな、あり得るはずのない願いにすがりつくことでしか、由貴は自分の心を保てなかった。



≫

貴之に恋をしたのは、中学2年生の夏だった。

きっかけは、彼がバレーボールをしている姿を見たことだった。

清明高校のバレー部は、県内でも名の知れた強豪校だ。練習は苛烈を極め、夏の体育館には熱気がこもっていた。

茹だるような暑さの中、部員たちはコーチの怒声に追い立てられ、必死に身体を動かしている。床を蹴る音、ボールを打ちつける音、荒い息遣い。それらが入り混じり、体育館の外にまで響いていた。


「こんな日に、あんなに運動しなくてもいいのに......」


クーラーの効いた図書室から、由貴はその光景を遠巻きに眺めていた。

きっと、彼らにとっては、あれも青春の1ページなのだろう。

自分には縁のない世界だ。

読んでいた本にも少し飽きてきた。由貴は頬杖をつき、ぼんやりと体育館へ目を向けた。

そのとき、1人の少年が目に留まった。

少年は、コーチの打ち込むスパイクに何度も食らいついていた。

1球、また1球。

床に身体を投げ出し、転がり、すぐさま立ち上がる。息を切らし、汗を滴らせながら、それでもボールを追い続けていた。

何本受けるつもりなのだろう。

何気なく数えてみる。

30本......40本......

とうに50本を超えていた。

それでも少年は、少しも嫌そうな顔をしなかった。まるで、新しいおもちゃを見つけた子どものように、目を輝かせて次のボールを待っている。


――何が、そんなに楽しいんだろう。


由貴が不思議に思った、その瞬間だった。

鋭い音とともに、ボールが少年の顔面を直撃した。

少年の身体がぐらりと傾き、そのまま床に倒れ込む。

由貴は思わず息を呑んだ。

やがて少年は起き上がった。鼻から血が流れ、顔をしかめている。コーチが何かを指示すると、少年は素直にうなずき、体育館を後にした。

保健室だ。

そう気づいたときには、由貴は席を立っていた。

どうして気になったのか、自分でもよくわからない。ただ、あの少年がどうなったのか、確かめずにはいられなかった。



≫

保健室の前まで来ると、由貴は1度だけ深呼吸をした。それから、恐る恐るドアをノックする。


「どうぞ」


中から聞こえてきたのは、まだ声変わりの余韻が残る、少年らしい声だった。

由貴はゆっくりとドアを開けた。

保健室の椅子に、1人の少年が座っていた。鼻には丸めた綿が詰められ、顔を少し上に向けている。


「どうしたの? 気分でも悪い?」


先に声をかけてきたのは、少年のほうだった。

小柄な身体に、スポーツ刈りの頭。Tシャツとショートパンツという、飾り気のない格好だった。Tシャツには、うっすらと血の跡が残っている。

特別、目を引くほど整った顔立ちというわけではない。けれど、すっと通った鼻筋と、こちらをまっすぐに見つめる瞳には、どこか人を惹きつけるものがあった。

汗の匂いが、ふわりと漂ってくる。

それなのに、少しも不快ではなかった。


「いや......私は大丈夫なんだけど。君が倒れるのが見えたから......」


自分でも情けなくなるほど、言葉がうまく出てこない。

由貴は視線を泳がせた。

ふと目に入ったのは、ショートパンツから伸びる脚だった。細くしなやかなのに、鍛え上げられたふくらはぎには、確かな力強さがある。

気づけば、由貴はその脚に見入っていた。


「ただの鼻血だよ。でも、心配してくれてありがとう!」


少年は屈託なく笑った。

その笑顔がやけに眩しかった。

自分とは正反対の人間だ。

人と話すのが苦手で、いつも本の中に逃げ込んでいる自分とは違う。彼は、誰に対してもこんな風に笑いかけるのだろうか。

そう考えると、胸の奥がほんの少しだけ痛んだ。


「オレ、貴之。君は?」


「......由貴」


「由貴か。よろしく!」


名前を呼ばれただけなのに、心臓が小さく跳ねた。


「血が止まるまで動けないからさ。よかったら、話し相手になってよ」


貴之は、由貴の返事を待つより先に話し始めた。

小学校で初めてバレーボールに触れたこと。ボールが手のひらで弾む感覚が楽しくて、何度でも触っていたくなったこと。中学に入ってからは厳しいコーチのもとで、毎日ハードな練習をこなしていること。

練習はきつい。それでも、終わったあとのご飯は格別にうまいのだという。


話している間、貴之は何度も笑った。

好きなことを語る彼の声には、少しも迷いがなかった。言葉のひとつひとつから、バレーボールが本当に好きなのだということが伝わってくる。

由貴が生きている世界とは、まるで違う。

眩しくて、まっすぐで、自分には手の届かない場所。

それなのに、不思議と居心地は悪くなかった。

由貴は相づちを打ちながら、彼の話に耳を傾けた。

気づけば、窓から差し込む光の角度が変わっていた。

1時間が過ぎていた。


「やべっ、早く戻らないとコーチに怒られる!話聞いてくれてありがとね!」


貴之は慌ただしく立ち上がると、手を振りながら保健室を飛び出していった。

残された由貴は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

さっきまで退屈だったはずの午後が、いつの間にか忘れられない時間に変わっていた。

これが、2人の出会いだった。


それからというもの、由貴は無意識に貴之の姿を目で追うようになった。

図書室へ通う理由も、いつしか変わっていた。

本を読むためだけではない。窓の向こうに彼の姿を見つけるためだった。

体育館で跳び上がる姿。仲間と笑い合う姿。練習の合間に、額の汗を腕で拭う仕草。

遠くから眺めているだけなのに、彼を見つけるたび、胸がそわそわした。

どうして、こんな気持ちになるのだろう。

由貴は、これまで読んできた小説の中から、自分の感情に当てはまる言葉を探した。

そして、ようやく1つの答えにたどり着いた。


――きっと、恋なのだ。


その恋心をとうとう本人に伝えることはできなかった。

そして今、彼は冷たくなり、2度と目を覚まさない存在になってしまった。

あのとき伝えておけばよかった。

好きだと。

たとえ振られたとしてもよかったのだ。

もう一度、あの笑顔を見ることができるのなら。

けれど、そんな願いが叶うことはない。

由貴の初恋は、あまりにも突然訪れた別れによって、行き場を失ったまま終わろうとしていた。



≫

葬儀が終わり、貴之の遺体は別室に安置されていた。

人の気配が消えた室内には、線香の香りが静かに立ち込めている。ろうそくの炎が、かすかな風に揺れた。

その薄暗がりに、1人の男が姿を現した。

男は周囲を一瞥すると、手にしていた丈夫な大袋を広げた。

そして、何のためらいもなく、貴之の遺体を袋の中へ詰め込んだ。

袋の口を閉じる。

男は一息ついてから、それを肩に担ぎ上げた。

重さを確かめるように肩を揺らすと、何事もなかったかのように歩き出した。

ろうそくの炎が、再び揺れた。

その場には、線香の煙だけが残された。



≫

「……そろそろ起きたらどうですか?」


男が、袋の中の少年に声をかけた。

しばらくして、陶器のように青白かった肌に、じわじわと血の気が戻り始める。

胸元に刻まれていた深い傷も、何事もなかったかのように塞がっていった。

やがて、少年のまぶたが開いた。


「おはよー」


まるで昼寝から目覚めたばかりのような、気の抜けた声だった。

少年は大きく伸びをすると、どっかりと革張りのソファーに腰を下ろした。

つい先ほどまで、15年の生涯を終えたはずの少年とは思えない。


「今回もだめでしたか」


男が尋ねる。

少年は死装束のまま、差し出された葉巻を受け取った。男が火をつけると、先端が赤く灯る。

紫煙を吸い込む。

久しぶりの味だった。

少年は煙をすぐには吐き出さず、ゆっくりと口の中で転がした。舌に残る苦みを確かめるように味わってから、ようやく深く吐き出す。


「普通の家庭ってやつ? 母親の作る料理はおいしかったけど、それくらいかな」


傍らのグラスを手に取り、注がれていた20年物のウイスキーを飲み干す。

葉巻とウイスキー。

やはり、この組み合わせは最高だ。

少年は満足げに息を吐き、ラウンジの中を見回した。

ここに来るのも、10年ぶりくらいだろうか。

木目のわずかな変化に時の流れを感じる。けれど、静寂と情緒に満ちたこの空間は、昔と何も変わっていないように思えた。

居心地のいい場所だ。

だからこそ、ここにいる間だけは余計なことを考えずに済む。

少年は空になったグラスをテーブルに置いた。


「......次は?」


男はすぐさま、そばに置いていたスーツケースを開いた。


「色々と取り揃えております」


男の身なりには、一分の隙もなかった。

柔らかな生地を使い、毛芯で仕立てられたジャケット。しわひとつない、艶やかなパンツ。足元には、丁寧に磨き上げられたペニーローファーが光っている。

男はスーツケースから、束になった資料を取り出した。

木彫りのテーブルに写真や書類が次々と並べられていく。

少年はそれらを手に取り、雑にめくっていった。

数秒ほど目を留めるものもあったが、すぐに興味を失い、床へ放り投げる。

1枚。また1枚。

紙が床に落ちる乾いた音だけが、静かなラウンジに響いた。


どれも平凡だった。

少年は退屈そうに頬杖をつく。


資料をめくっていた、そのときだった。

ふと、1枚の写真に目が留まった。

少年の指が止まる。

それまでの気だるげな表情が、ほんのわずかに変化した。


「次はここにしよう」


少年は写真を手に取り、口元にかすかな笑みを浮かべた。


――木下家――


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