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残響異譚  作者:
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人の営み。

東雲とルーエは、休止を終えて再び歩き出した。

川を遡り、森のさらに奥へと。


時刻は午後一時か、二時か。そのあたりだろう。

日はまだ高く、木々の影は短い。視界は良好で、あたりの景色もよく見える。


そんな中、東雲の目は落ち着かなかった。

当然、景色を楽しんでいるわけではない。そんな殊勝な趣味は持ち合わせていない。


この森は、何かがおかしい。喉に刺さった魚の骨のような違和感が、いつからか東雲の中に生まれていた。

見慣れぬ植物や、奇妙な動物のせいではない。そんなものは、異国に来れば珍しくもない。


入り口付近よりも随分と木々が高いからか。いや違う。

では、このルーエという女に警戒すべき点があるのか。それも違う。


鳥は囀り、木漏れ日は温かく、風は穏やかだ。

時間そのものが緩慢に流れているような、平和な昼下がり。


――せわしないのは、東雲の思考だけだった。


答えに辿り着くまで、そう時間はかからなかった。

道だ。


妙に、歩きやすい。

先ほどまでと比べて、あまりにも。


歩きやすい道など、本来なら歓迎すべきことだろう。

だが、東雲の胸の奥には、わだかまるものがあった。

巧妙に誘導されている。そんな感覚が、しつこくまとわりつく。


そして、周囲を見回して、ようやく得心がいった。

樹木の配置が整いすぎているのだ。

等間隔に並んだ木々。上から見下ろせば、この道がどれほど“綺麗”に見えることか。


嫌悪感はしばらく消えなかった。

ハチの巣か、山嵐。そんな未来も頭をよぎったが、結局、何も起こらない。


気づかなければ、なんてことはない。

人がよく通るから自然と整った――そう結論づけて終わる話だろう。

だが自分は、たかが道一本で疑い、わざわざ目立たぬ場所を探して歩いている。


東雲は、思考の根本に染みついたその精神を改めて自覚した。

だからと言って悲観するわけでもない。

ただ、残酷なほど客観的に、自らのことを「鼠か、あるいは虫のような男だ」と嘲笑しているのだ。


東雲の警戒も無駄に終わり、矢が飛んでくることはなかった。

代わりに、森の奥から甘い匂いが流れてきた。


焦げでも腐臭でもない。

どこか懐かしいような、かすかな煙の匂い。


そして、木々の隙間に、淡い光が揺れる。

ルーエが緩やかな斜面を登っていく。東雲も続いた。


登った先、二本の木の間に立つと、瞬間、視界が開けた。


――村だ。


カルデラのように窪んだ地形の中に、それはあった。


白い巨木が円を描いて立ち並び、その幹に絡みつくように小屋が築かれている。

一本につき二つ、三つ。

樹皮で葺かれた屋根は緩やかな曲線を描き、壁は苔に覆われていた。


木々を繋ぐ橋には、獣骨や得体の知れぬ草が吊るされている。

奇妙に見えそうなその飾りも、この中に在っては不気味なほどに美しい。


これほどのことをして、木は朽ちないのか。

そんな疑問も浮かんだが、枝先の葉は青々としている。

森の奥にひっそりと染み入るような、幻想的な光景だった。


村は木の塀で囲まれている。

外側には溝が巡り、水がさらさらと流れていた。

防衛としては心許ない。

だが、苔があれほどに生えているのだから、戦火とは無縁なのだろうと察せられる。


近づくと、門の前にいた者たちが一斉にこちらを見た。

皮の鎧に弓、背には槍と矢筒。

時代錯誤も甚だしい装いだが、その視線はいたってまじめで鋭い。


ルーエが門番に短く言葉を告げる。

風が流れるような抑揚。意味は分からないが、不思議と耳障りは良い。


彼らは顔を見合わせ、やがて道を開けた。


東雲は息を一つ吸い、村の中へ足を踏み入れた。


中央には、ひときわ巨大な樹が立っている。

幹は家ほどもあり、白い表皮が光を反射していた。

枝先からは薄緑の粒子が舞い、空気そのものが生きているように見える。


ルーエはその前を素通りし、ある木の根元へと東雲を導く。

その木の上には小屋が一つ。他の建物とは橋で繋がれていない、孤立した家だった。


彼女はハシゴに飛び乗る。

木でできたハシゴは踏まれるたびにギィギィと鳴いて東雲の不安を煽った。

しかし、乗ってみると思いの外丈夫で折れる様子はなかった。


出入り口には布が一枚かかっているだけ。

家の中も質素なもので、机、椅子、寝床がそれぞれ一つずつある。

人が住んでいる形跡はない。


部屋に入るやいなや、ルーエは何か言い残して、その場を去ろうとした。

しかし、出入り口まで来て、その足が止まる。


そうだ、言葉が通じないのだ。

何も言ってはいないが、そう思っていることだけは東雲にもわかった。


彼女は困った顔で少しの間黙り込むと、ふと顔を上げた。

そして出入り口の布を押し上げ、身を乗り出す。

次いで手をひらひらと動かした。


東雲はあの仕草を知っている。

ついてこい、という意味だ。


東雲はルーエのそばへと寄り、同じく身を乗り出す。

すると彼女は長い指で空を指して見せる。

指の先を追う東雲の顔は酷くゆがむ。


そこには太陽があった。

視界の端の指がすっと横へ流れる。


そこで東雲はなんとなく理解した。

時間が経ったら。もしくは日が落ちる頃。

つまり先の言葉はここで待てと言う意味ではないか、と。


ルーエもそれを察してか、先ほどと同じ言葉を口にした。

東雲は頷いた。

彼女もまた満足そうに頷くと笑顔をひとつ残して梯子を下って行った。


縛り上げられて牢の中へ放り込まれるくらいのことを想像していた東雲にとって、この待遇は不可解そのものであった。

雨風をしのげる個室。持ち物も奪われていない。それどころか扉の脇には預けた刀が律儀に置かれている。

出入り口の布には当然鍵もない。


不用心が過ぎる。

東雲は彼女の笑顔を思い返して、こめかみにわずかな痛みを覚える。

そして、自分にまだ人を心配する程度の心が残っていたのかとひどく白々しい皮肉が胸に浮かんだ。


今更逃げる意味もない。

東雲は抜き身の刀身を鞘に納め、椅子に腰を掛けた。


深く息を吸う。そして吐く。

木の匂いが、どこか遠い記憶を掠めていく。

全身の力が抜ける。


何をしているわけでもないのに、今この瞬間が無性に懐かしい。

外からは、忘れかけていた人の営みというものが微かに響いてくる。


――ああ、自分は人間だった。

そんな当たり前のことが、不思議と胸の内で反響した。


重くなる瞼をそのまま落とし、東雲は静かに眠りへと沈んだ。

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