『塞翁が馬――転落が授けた御曹司の哲学』
転落の先にあったのは、檻ではなく「哲学」だった。
本作は、華やかな御曹司として生まれ、栄光と転落を味わった一人の男が、自らの愚かさと運命を受け入れながら哲学を紡いでいくヒューマンドラマです。
「塞翁が馬」という故事を基調に、不幸が幸福に、幸福が不幸に変わる数奇な人生を描きます。
努力は条件、運が結果――不幸を笑い飛ばす男の哲学。
「世の中そんなもんじゃん」――転落から生まれた一言が、あなたを救うかもしれない。
実在の企業や人物をモデルにしたものではなく、あくまでフィクションとしてお楽しみください。
プロローグ
電話が鳴ったのは、夕立の気配が街から熱を奪いはじめた薄暮のころだった。短く、間を置かず、同じ音が三度。相手は名乗らない。だが、言葉の選び方と沈黙の長さで、こちらが次に取るべき行動は十分に伝わってくる。「次回は――〇月〇日」。それだけ。逮捕という語はどこにも無い。私は大きなスーツケースを引っ張り出し、必要最小限の身の回り品を詰めた。歯ブラシ、文庫本、薄いノート。堅牢な世界は、案外やわらかなものから崩れる。
祖父がよく言っていた。「人生、塞翁が馬」。私が幼いころ、祖父は馬の寓話を何度も繰り返した。馬が逃げた。だが更に良い馬を連れて戻った。息子が落馬して足を折った。けれど、そのおかげで戦に取られず命拾いした――。当時は退屈だった。だが今は、あの単純な繰り返しの中に、世界の襞が隠れているのだと知っている。幸福と不幸は縄のように撚り合わさり、どちらの手元にもたぐり寄せられる。
私は名家に生まれた。創業者の肖像が会議室の奥からこちらを見下ろし、あらゆる机に数字と責任が並んだ。祝杯と舌打ちが同じフロアに混ざり合い、勝者の微笑みは敗者の汗を踏んで立っている。そんな場所で、私はいつからか心のどこかを冷やして生きる術を覚えた。「人間なんて五十歩百歩」。誰かを崇めないための言葉ではなく、誰かを見下さないための呪文として、胸ポケットにしまっておく言い方だ。
それでも、やりたくない仕事というものは、理屈では動かない。朝、鏡に映る顔が少しずつ他人になっていく。肩書きは重く、日付印は冷たい。私はその重さを、立派さの代わりに支えるような日々を過ごしていた。愚かさはいつも、合理と正当化の衣をまとってやってくる。気づけば、私は線を踏み越え、その足跡がやがて地図に残ることになる。
スーツケースのキャスターが廊下で鳴る音は、夜更けのビルに遠慮がなく響いた。玄関の扉を閉めると、世界の気圧がわずかに上がった気がした。私は息を吸い、肩の位置を少し下げる。奇妙なことに、そのとき胸の内に広がったのは、恐怖ではなく解放に近い感覚だった。やっと降りられる。やっと、誰かの期待と誰かの失望が作る鉄の秤から離れられる。そう思えた自分を、私は少しだけ嫌いになって、同時に少しだけ好きになった。
車窓の外で、街は黙って見送っていた。私は窓に額を寄せ、祖父のもうひとつの口癖を思い出す。「禍福は糾える縄の如し」。縄は引っ張れば締まるし、緩めれば解ける。同じ素材から、縛るものも、結ぶものも作れる。ならば――この先に待つ鉄格子が、もしも檻であり、同時に扉でもあるのだとしたら。私はどちらとしてそれを受け取るのか。
明滅する蛍光灯の下で、名前を呼ばれ、指先ひとつで行き先が変わる。ここから先は、ルールと分類が支配する世界だと、私は後で知ることになる。手紙の回数、おやつの値段、テレビのチャンネル。それらの些細な差異が、自由の密度を測るものさしに変わる世界だ。しかし、この夜の私はまだ知らない。知らないまま、心のどこかで薄く笑っている。幸福が不幸の原因になり、不幸が幸福の原因になる――言葉の上では、何度も繰り返してきたことだ。
努力についても、折り合いのつかない考えがあった。努力は必要条件、でも十分条件ではない。宝くじは、買わなければ当たらない。だが、買っても当たらないことがほとんどだ。その冷たさを恨まずに握りしめる手を、人はいつ覚えるのだろう。祖父は「今日を作るのは苦労だ」と言い、父は「それでも進め」と背中を押した。私は二人の声に、ほんの少しだけ自分の声を足す。「世の中そんなもんじゃん」。嘆きにしないための、軽口の形をした祈りだ。
扉の向こうに、私の知らない次の自分が立っている気がした。たぶん、その自分は笑っている。檻の中で覚える笑い方を、檻の外の私に教えるために。あるいは、檻が扉になる瞬間を、先回りして待っているだけかもしれない。どちらにせよ、私は向かう。生まれつき与えられた重さも、途中で拾った愚かさも、これから織り直す縄の一本として。
スーツケースの持ち手を握り直す。金属の感触が掌にひやりと伝わる。私は背筋を伸ばし、ゆっくりと一歩を踏み出した。禍福の綱は、たぶん目に見えない。だが、引けば確かに動く。私はその感覚を信じることにした。たとえ次に来るのが、どちら側の重みであっても。
第1章 血統の重み
第1節 祖父の眼差し
私がまだ背丈も机に届かぬ頃から、祖父の視線は常に鋭かった。小柄な身体に、不釣り合いなほどの威圧感をまとっていた。祖父は白峰と呼ばれた会社の創業者であり、家の者たちはみな、その眼差しを避けるように暮らしていた。だが幼い私にとっては、怖いよりも先に「どうしてこんな小さな人間が、こんなに大きな空気を纏えるのだろう」という不思議の方が勝っていた。
祖父は決まって夜になると、私を膝に乗せて昔話を語った。「赤貧洗うが如し」――祖父が繰り返した言葉の意味を、私は当時うまく理解できなかった。ただ、その言葉を口にするたび、祖父の瞳がどこか遠くを見つめ、火鉢の赤が映るように熱を帯びるのを覚えている。
祖父は貧困の中から立ち上がり、一度は倒産の淵に立たされながら、若い息子――つまり私の父――と共に会社を立て直した。その過程は、私の想像を超える苦難に満ちていたはずだ。だが祖父は決して「苦しい」とは言わなかった。ただ「正しいと思うことを曲げるな」とだけ教え続けた。
私が一番よく覚えているのは、祖父の背の低さと気性の激しさの結びつきだった。祖父は自らの小さな体を嘆くことはなく、むしろ誇るように語った。「背が低いからこそ、誰にも負けぬ気概を持てる」。その言葉は父にも受け継がれ、家の中は常に烈しい気配に満ちていた。怒声が飛ぶことも、机を叩く音が響くことも珍しくなかった。幼い私は、その騒がしさの中で「人は皆、何かと戦っているのだ」と感じるようになった。
祖父の口癖は二つあった。ひとつは「人生、塞翁が馬」。もうひとつは「禍福は糾える縄の如し」。
それらは、ただの故事成語ではなく、祖父が己の血と汗で証明してきた真実だった。貧しさは強靭な意志を生み、挫折は新たな立ち上がりのきっかけとなる。幸福は慢心を呼び、不幸は思わぬ幸運を連れてくる。祖父はそう語りながら、私の肩を力強く叩いた。「お前もいつか、この言葉の意味を骨で知る時が来るだろう」と。
その眼差しは、ただ厳しいだけではなかった。未来を託すような温かさも同時に含んでいた。
私は祖父を尊敬していた。だが同時に、どこか距離を置くような感覚もあった。尊敬は、盲信ではない。祖父の眼差しの奥に、どうしようもなく人間的な脆さが潜んでいることを、子どもながらに感じ取っていたからだ。背の低さを気にしていた父と同じように、祖父もまた何かに追われていた。そう思うと、私は人を過剰に崇めることをやめた。「みんな五十歩百歩」。その後の私の人生を支える冷めた哲学は、この時期に芽を出し始めていた。
火鉢の火が静かに揺れる夜、祖父の声が耳に残る。
「幸も不幸も、同じ縄の中にある。お前はそれをどう手繰るかだけだ」
私は頷きながらも、その言葉の重さを理解してはいなかった。ただ、その声が、これから長く続く私の人生を見透かしていたことだけは、今ならはっきりわかる。
第2節 父の影
祖父の背を追いかけるように、父もまた常に激しさを纏っていた。家の中に響く怒声は、幼い私にとって雷鳴のようだった。机を叩く音、書類が床に散る音、そして沈黙の後に吐き出される溜息。その一つ一つが、この家には逃げ場がないことを示していた。
父は身長こそ祖父よりわずかに高かったが、決して恵まれた体格ではなかった。けれども、その小さな体に不釣り合いなほどの闘争心が宿っていた。父は常に「負けてはいけない」と言い続けた。仕事でも、家庭でも、親族との会合でも。彼にとって勝つことは呼吸のように自然で、譲ることは死と同義だったのだろう。
私はその姿を眺めながら、次第に理解するようになった。父にとって「負けず嫌い」とは単なる性格ではなく、生き延びるための本能に近かったのだ。財閥に生まれた者であっても、競争から逃れられない。むしろ逃げ場のない檻の中で、常に誰かに睨まれている。父の烈しさは、そうした生存の証だったのかもしれない。
しかし、その影響は家族にも及んだ。食卓はしばしば戦場になった。母が用意した料理に箸をつけながらも、父の話題は会社の数字と人間関係に終始した。弟子や部下の愚痴、親族の裏切り、取引先の駆け引き――。私の耳はまだ幼かったが、その言葉の一つ一つが重く、心に沈殿していった。やがて私は悟った。「大人の会話は、勝ち負けの話でしかないのか」と。
父は私に厳しかった。だが祖父のように物語で諭すのではなく、拳のような言葉で叩きつけた。「お前は跡取りなんだ」「誰にも負けるな」「数字がすべてを語る」。その言葉は一見合理的で、裏打ちされた強さを持っていた。けれども私には、それが呪縛のように思えた。数字に囚われる生き方は、息苦しさを増すばかりだった。
私は次第に、父を尊敬することができなくなった。むしろ、父を鏡にして「こうはなるまい」と心に誓った。だがその一方で、父から逃れられないことも理解していた。家の名、財産、社会の目――すべてが父を通して私に降りかかってきた。
ある晩、父が珍しく酒に酔っていた。赤らんだ顔で、祖父の名を何度も呼びながら、「あの人の正しさに追いつけない」とつぶやいた。普段の烈しさはそこにはなく、ただ一人の息子としての脆さがにじんでいた。その姿を見た瞬間、私は奇妙な安堵を覚えた。強い父もまた、不安に揺れるただの人間なのだと知ったからだ。
それから私は「みんな五十歩百歩」という言葉を胸に刻むようになった。尊敬も軽蔑も、勝ちも負けも、大差などない。人はそれぞれに檻を背負い、逃げ場のない中であがいているだけなのだ。父の影は私を押し潰したが、同時に冷静な視点を育てる種にもなった。
父の背中を見つめながら、私は気づいた。
――この家に生まれたことそのものが、すでに一つの「縄」なのだ。幸福と不幸が交互に絡みつき、ほどけることはない。ならば、私はその縄をどう手繰るのか。まだ答えは無かったが、父の影がその問いを投げかけていたことだけは確かだった。
第3節 家業という檻
家の中には、常に数字の匂いが漂っていた。帳簿に並ぶ桁数、取引先との契約、親族会議で飛び交う株の比率――。子どものころから、それらはまるで壁紙の模様のように日常に貼りついていた。家族の会話には季節の話題よりも利益率が多く、誕生日の食卓でさえ「次の四半期」の言葉が挟まった。私は自然に学んだ。ここでは、人の価値は名前ではなく数字で測られるのだと。
その空気に、私はいつも少し身を引いていた。祖父の正義や父の烈しさは理解できても、心から共感することはできなかった。数字が生む重圧に押し潰される姿を間近に見ていたからだ。会議室で額に汗を浮かべる親族の姿、取引の失敗で顔を紅潮させる父。どれも「勝者の家」に見えて、実際は常に追い詰められていた。私はその矛盾に耐えきれず、胸の奥で小さな反発を育てていた。
「人間なんて五十歩百歩だ」――そう口にするようになったのは、この頃だった。立派な肩書きを背負う者も、そうでない者も、本質的には変わらない。祖父も父も、誰よりも強いように見えて、結局は見えない檻の中であがいている。ならば自分もまた、同じ檻の中にいるにすぎない。そう考えることでしか、私は家業の重みに耐えられなかった。
だが、檻は逃れようとすればするほど重くなる。親族の集まりでは「次はお前の番だ」と目で告げられる。学校でも、教師や友人たちは「跡取り」という言葉を無邪気に口にした。未来は既に用意されている。私に残された自由は、どう生きるかではなく、どんな顔をして生きるかだけだった。
夜、ひとりで天井を見上げるとき、祖父の声がよみがえる。
「幸も不幸も、同じ縄の中にある」
その言葉を信じようとするたび、胸に重く絡みつく縄の存在を強く意識した。幸福と不幸は撚り合わされ、ほどけない。けれども、その縄を握る手を自分で選ぶことはできる。そう思い直すことで、かろうじて息をつなぐことができた。
私は、家業を背負う自分と、距離を置きたい自分との間で揺れていた。尊敬と嫌悪、誇りと諦め、義務と自由。相反する感情が胸の中で縄のように絡まり合い、ほどけることなく日々を縛っていた。
――家に生まれること。それは既に一つの運命であり、同時に一つの檻だった。
私はその檻を壊すことも、逃げ出すこともできなかった。ただ、その中で「どう生きるか」を選ぶしかなかった。
それが、私の人生における最初の「塞翁の馬」だったのかもしれない。
第2章 栄光と転落
第1節 頂点の孤独
私は気づけば、巨大な椅子に座っていた。
会議室の奥、革張りの椅子はやけに広く、背中が余るほどだった。机の上には、無数の書類と判子、そして「決定」の二文字が積み重なっていた。売上五千億円を超える企業のトップ――三代目の社長であり、会長。人々は私を羨望の眼差しで見つめ、「成功者」と呼んだ。だが、私の胸に宿っていたのは誇りよりも、ひりつくような孤独だった。
数字の羅列はいつしか血の巡りのように日常となり、株主の声、役員の視線、社員の不安が私の背中を押し続けた。逃げ場はどこにもない。だが私は、祖父や父と同じく「負けてはいけない」という言葉に縛られていた。正しさよりも早さ、誠実さよりも結果。そこに感情を差し挟む余地はなく、私は人間であることを忘れかけていた。
だが、やりたくない仕事を続ける日々は、心を蝕む。朝の鏡に映る顔は、日に日に自分ではない他人へと変わっていった。肩書きに押し潰され、数字に囚われた自分。会議室で笑うときでさえ、心は冷え切っていた。
――これは私の人生なのか? それとも「家」という名の縄が操る傀儡劇なのか?
その問いは、やがて愚かな答えを導き出す。ほんの少し、線を踏み越えてしまえば、重さから解放されるのではないか。会社の資金を借り入れ、別の世界へと足を踏み入れた瞬間、私は自由の錯覚を得た。
しかしその錯覚は、やがて冷たい現実へと変わる。東京地検特捜部――その名を聞いたとき、私は笑うしかなかった。
「やっと終わるのかもしれない」
頂点は、檻と同じだった。栄光という名の鉄格子の中で、私は息苦しく笑っていた。
第2節 愚かな選択
会社の定款には、事業目的が細かく記されている。だが、その文字は私にとって、ただの形式にすぎなかった。三代目の肩書きを持ち、誰もが「会長」と呼ぶ。その立場が、私を錯覚させた。「少しくらいなら構わない」「自分の判断が正しいはずだ」――そう思い込むことで、私は重い鎖を外したつもりでいた。
金は容易に動いた。借り入れ、流用、数字の操作。やりたくない仕事を続ける日々よりも、よほど生きている実感を得られた。私は会議室での窒息を、別の危うい呼吸で誤魔化していたのだ。だが、幸福の顔をした自由は、すぐに災いの牙を剥く。
ある日、顧問弁護士を通じて耳にした。「金融商品取引法の改正で、会社と借入先の関係が人的連結になるらしい」。その瞬間、背筋を冷たいものが走った。逃げ場のない縄が、また一つ首に巻きついたことを悟った。
やがて届いたのは、曖昧で無言の合図だった。検察は直接「逮捕」とは告げない。ただ「次回は十一月二十二日に」と、さりげなく予定を告げるだけだった。私はその意図を理解した。白峰女子ゴルフトーナメントが終わるのを待っているのだ。会社の大きなイベントを壊さぬように――その配慮すら、奇妙に滑稽だった。
その夜、私は大きなスーツケースを広げた。必要な物を詰め込む作業は、まるで遠い国へ旅立つ支度のようだった。歯ブラシ、下着、読みかけの文庫本。だが行き先は、鉄格子の向こうだ。スーツケースの持ち手を握ったとき、心は不思議なほど静かだった。恐怖ではなく、安堵に近い感覚があった。「やっと終わる。やっと、重さから解放される」。
逮捕の瞬間もまた、私は笑っていた。検察庁の冷たい空気の中で、私は繰り返した。「悪かった。悪かった。運が悪かった」。それ以上の言葉は要らなかった。塞翁が馬――祖父の声が遠くで響く。幸福が災いに変わり、災いが幸福に変わる。ならば、これから先の不幸も、やがては新しい幸運を連れてくるのだろうか。
愚かな選択。それは確かに私を檻へと導いた。だが同時に、檻の中にしかない「別の風景」へと、私を連れていく入口でもあった。
第3節 転落の受容
取調室の机は、思った以上に小さかった。硬い蛍光灯が書類の白さを照らし、ペン先が紙を走る音だけが響く。検察官は淡々としていた。怒鳴るでも、説得するでもない。ただ、「ここにサインを」と促す。その静けさこそが、私を追い詰めた。
私は終始、同じ言葉を繰り返した。「悪かった。悪かった。運が悪かった」。責任を逃れようとは思わなかった。弁解の余地もなかった。むしろ、こうして言葉にすることで、肩に積もった重石が少しずつ削れていくのを感じていた。
新聞には「名門財閥三代目、逮捕」と大きく踊った。世間は一斉に私を嘲笑し、ある者は溜飲を下げ、ある者は「やっぱり」と冷めた目で見た。だが、私は奇妙な安堵を覚えていた。トップの椅子から引きずり降ろされた瞬間、重圧の秤から解放されたのだから。
裁判の日、法廷に立つ自分を俯瞰しているような感覚があった。黒い法服の裁判官、無機質な木槌、冷静に並ぶ検察官と弁護士。すべてが演劇の舞台のようで、私はただ台本どおりの台詞を口にする役者だった。「認めます」「申し訳ありません」。その言葉を重ねるごとに、私の肩書きは剥がれ落ち、人としての素顔が露わになっていった。
判決が下ったとき、不思議と胸は凪いでいた。重いはずの刑期も、私には新しい呼吸の始まりのように思えた。祖父の言葉が、耳元で囁く。「禍福は糾える縄の如し」。不幸の縄は確かに絡みついている。だが、それはいつか別の幸福を連れてくる。そう信じることで、鉄格子の向こうに広がる未来を、私はかろうじて受け入れることができた。
栄光の絶頂から、転落の底まで。ほんの一歩の違いで人の立場は変わる。だが、その落差こそが、私の人生にとって必要な揺さぶりだったのだろう。
私は胸の奥で静かに呟いた。
――これもまた、塞翁の馬。
第3章 鉄格子の内側
第1節 分類という秩序
刑務所の門をくぐったとき、世界の空気が急に変わった。背後で鉄の扉が閉じる音は、まるで永遠に戻れないことを告げる鐘の音のようだった。だが、不思議と心は静かだった。ここから先は、別の規則が支配する世界――私はその未知に、どこか好奇心すら覚えていた。
最初に告げられたのは、「類」と「種」という二つの分類制度だった。
「類」は受刑者の行動を制限し、段階的に解放していく仕組みだ。五類から始まり、問題を起こさなければ三類、二類、やがて一類へと昇格する。手紙の回数、面会の頻度、買えるおやつの値段――その小さな違いが、ここでは人生を決定づける。三類になると月に一度五百円分のおやつを買える。二類なら月二度。一類に上がれば、カップラーメンやアイスクリームにまで手が届く。自由とは、ここでは五百円の値札に換算されるのだ。
一方の「種」は、作業の分類だった。三種から始まり、長い時間をかけて二種、そして一種へと昇る。作業の熟練度が上がるにつれ、塔の中を自由に動けるようになり、部屋のドアを開けられる時間も増える。閉ざされた檻の中で、わずかな解放を得るためには、手を動かし、汗を流すしかない。
初めての夜、硬い布団に横たわり、天井のシミを数えながら思った。人はここまで細かく分類される存在なのか。自由の度合いが、おやつの種類や歩ける範囲で測られる。滑稽でありながら、妙に納得できる秩序だった。外の世界でも同じだ。肩書きや収入、住む街の名前――すべて人間を見えないランクに分けていた。ただ、それが数字や契約ではなく、ここでは甘い菓子や即席麺に置き換わっているだけだった。
私は鉄格子に囲まれたこの世界で、初めて「公平」に触れた気がした。外では財閥の名も、三代目の肩書きも、私を別格に扱った。だが、ここでは誰もが同じ制服を着て、同じ布団に寝る。差を生むのは、今この瞬間の行いだけ。祖父の言葉が蘇る。「幸も不幸も、同じ縄の中にある」。ならば、この縄をどう手繰るかは、私自身が決めるしかない。
鉄格子の向こうで、私はかすかに笑った。檻に閉じ込められたのではなく、ようやく同じ土俵に立ったのだ。幸福も不幸も、ここから再び編み直せる――そう思えた瞬間だった。
第2節 檻の中の日常
朝は鐘の音で始まる。まだ外が薄暗い時間に布団を畳み、整列し、号令の声に従って動く。時計を持たない生活では、鐘と笛と号令だけが時間の目印だった。外の世界では会議の予定表と数字に追われていた私が、ここでは「起床」「点呼」「作業」という単純な言葉で一日を区切られている。その単純さが、かえって心を軽くしていた。
作業場では木箱を組み立て、紙を折り、ひたすら同じ動作を繰り返す。最初は無意味に思えたが、次第にその単調さに安らぎを見出した。汗を流し、手を動かし、余計なことを考えずに済む。外の世界では数字と肩書きが私を支配したが、ここでは一つの釘、一枚の紙が支配者だった。単純な労働は、奇妙な自由をもたらした。
夜になると、テレビの前に集まる時間が訪れる。各部屋にあるテレビは、あらかじめ録画された二つの番組しか映らない。NHKのニュースと、どこか退屈な教養番組。チャンネルを変えることはできない。だが、二種以上の受刑者が使える共同スペースには一台だけ、自由にチャンネルを変えられるテレビがあると聞いた。そこに到達するためには、長い時間をかけて「種」を上げなければならない。アイスクリームやカップラーメンと同じように、テレビのチャンネルもまた「自由の象徴」として人々の目に映っていた。
小さな差異に、ここでは大きな意味が宿る。誰がより早く二類に上がるか。誰が面会で何を差し入れられたか。五百円のおやつをどのタイミングで買うか。その些細な違いが、会話の種となり、笑いや羨望を生んでいく。外の世界では莫大な金が動いた。だが、ここでの価値は、袋菓子一つ、即席麺一つに凝縮される。私はそれを滑稽だと思う一方で、「本質的にはこちらの方が正しいのかもしれない」と感じていた。
就寝の時間が近づくと、薄暗い廊下に足音が響く。鉄格子の向こうで、看守の懐中電灯が淡く揺れる。その光に照らされる自分の影は、思いのほか穏やかだった。
――ここでは誰もが同じ。名も肩書きも剥がれ落ち、残るのはただの「人間」。
私は布団に身を沈めながら思った。転落だと世間が呼ぶ場所で、私は初めて人としての「水平線」に立っているのかもしれない、と。
第3節 塞翁の再確認
刑務作業の賃金は驚くほど低かった。時給に換算すれば五百円台。初めはその額に苦笑したが、やがて数字はどうでもよくなった。紙を折り、木箱を組み、ただ黙って汗を流す。月六千円程度の工賃を受け取る頃には、その半分が強制的に積み立てられる仕組みにも慣れていた。出所後の生活費として支給されるというが、今の私には先の生活よりも、この小さなリズムの方がはるかに現実味を帯びていた。
受刑者同士の関係は単純だが、意外に繊細だった。誰がどんな作業を任されているか、誰がどの類に上がったか――そうした些細な差異が序列を生んだ。だが、外で見てきた熾烈な競争とは違い、ここにはどこか温度の低い諦念があった。ある者は静かに笑い、ある者はひたすら手を動かし、またある者は毎夜布団の中で泣いていた。肩書きも財産も無い世界で、人はただ「人」として裸にされる。私はその光景に、不思議な安らぎを覚えた。
ある日、同室の男がぼそりと呟いた。
「ここで得た不幸が、出た後の幸運になるかもしれないな」
その言葉を聞いた瞬間、祖父の声が蘇った。「人生、塞翁が馬」。まさにその通りだと私は頷いた。不幸は幸福の種であり、幸福は不幸の芽を宿す。檻の中でしか見られない風景、檻にいなければ気づけなかった言葉。それらが私の胸に新しい縄を編み上げていく。
夜、薄暗い灯りの下で、日弁連の小冊子「受刑者の皆さんへ」を読み返した。面会や手紙、懲罰の規則が淡々と書かれている。乾いた言葉の羅列なのに、妙に心を落ち着かせた。規則に従ってさえいれば、ここでは時間が穏やかに流れる。外の世界で追い立てられた焦燥とは無縁の、透明な時間だった。
私は天井を見つめながら、胸の奥で静かに思った。
――不幸の只中にあるとき、人は幸福の入口に立っているのかもしれない。
転落だと世間は言う。だが私にとっては、むしろ「再確認」だった。祖父が繰り返し語った物語は、いま確かに現実の中で息づいていた。塞翁の馬は、鉄格子の内側にも駆けていたのだ。
第4章 再生
第1節 檻を出た日
鉄の門が開いた瞬間、空気の色が違って見えた。長い拘束から解き放たれたというのに、胸の奥に湧いたのは歓喜ではなく、静かな戸惑いだった。空の青さも、街のざわめきも、どこか作り物のように感じられる。檻の中の均質な日常に慣れすぎたせいか、外の世界はやけにざらついていた。
出所の日、手渡されたのは積み立てられた数万円と、最低限の身の回り品だった。かつて数百億円単位の金を動かしていた私が、今は小さな札束を大切に握りしめている。その滑稽さに、私は思わず笑った。だが、笑いの奥には確かな実感があった。――ここからが本当の始まりだ、と。
世間の視線は冷たかった。新聞や週刊誌が繰り返し報じた「転落」の烙印は容易に消えない。すれ違う人々が、どこか探るような目を向けてくる。だが、私はそれを恐れなかった。むしろ、その視線こそが私を自由にした。すでに私は「失墜した会長」という物語を演じ切ったのだ。これ以上失うものはない。
出所して間もなく、出版社から声がかかった。「体験を本にしませんか」。かつての私なら、そんな依頼は鼻で笑っただろう。だが、今は違った。檻の中で見た風景、祖父の言葉の真実、数字に縛られない時間――それらを文字にすることは、自分を確かめ直す作業のように思えた。
本を出すと、思いがけない反響があった。「リアルだ」「考えさせられる」と、多くの読者が声を寄せてくれた。そこからさらに、YouTubeやSNSの世界に誘われた。初めてカメラの前に立ったとき、緊張よりも好奇心が勝った。檻の中で培った冷静さが、レンズの向こうの無数の視線を恐れさせなかったのだ。
「過去の転落を笑い飛ばす男」。そう名付けられたキャラクターは、やがて現実の私と重なり合っていった。動画を撮り、配信を重ねるたびに、檻の記憶は別の形で生き直す。視聴者のコメントは、数字や株価よりも温かく、率直だった。そこには利害も計算もなく、ただ「人と人」の反応があった。
気づけば、私は心から楽しいと感じていた。かつての栄光も、転落も、すべてを笑いに変えて発信する。それが誰かの慰めになり、誰かの力になっている。檻を出たその日から、私は確かに再生していた。
第2節 幸せの再定義
カメラの前に座り、赤いランプが点灯する。かつて会議室で百人の役員を前にしても心を動かされなかった私が、今は小さなレンズに向かって言葉を紡いでいる。最初は奇妙な感覚だった。だが配信を重ねるうち、コメント欄に並ぶ声が、いつしか会議の拍手や怒号よりもずっと重く、温かいものに感じられるようになった。
「勇気をもらいました」
「笑いながら泣きました」
「転んでも立ち上がれることを知った」
数字に換算できない反応が、私を満たしていく。かつては売上高や利益率が唯一の評価基準だった。だが今は、見知らぬ誰かの一行のコメントが、どんな数字よりも心を動かす。檻を出て初めて、私は「生きている」と実感した。
振り返れば、あの事件がなければ、私はまだ「衰退産業の四位の会社の元会長」を続けていただろう。すでに赤字に沈んでいるその会社で、数字に押し潰され、心を失ったまま椅子に座り続けていたはずだ。そう考えると、転落はむしろ救いだった。幸福の顔をした不幸、不幸の顔をした幸福――祖父の言葉は、やはり真実だったのだ。
SNSでの活動は収入にもつながった。だが、金額以上に大きかったのは、自分の声が直接届くことの実感だった。企業の看板も、財閥の名も、肩書きも要らない。ひとりの人間として発した言葉が、誰かの心に届く。それが、私の新しい「幸せ」だった。
私は気づいた。幸せとは地位や数字にあるのではなく、自分の物語を自分の声で語れることにあるのだ、と。かつては檻を恐れた。だが今は、その檻の経験すらも、私の物語の一部になっている。塞翁の馬は、再び私の前に姿を現した。
――幸福と不幸は縄のように撚り合わさり、どちらがどちらを生むのか誰にも分からない。
ならば私は、この手でその縄を手繰り寄せ、自分の幸せを編み直していけばいい。
カメラの赤いランプを見つめながら、私は深く息を吸い、静かに微笑んだ。
第3節 努力と運の哲学
配信の合間、ふと祖父や父の言葉を思い出すことがある。
「苦労したから今日がある」――二人が口を揃えて語った教えだ。確かに、努力なしに何かを掴むことはできない。だが私は、檻をくぐり抜けた今だからこそ、別の真実を強く感じている。
人生は努力だけでは説明できない。むしろ、運という不可視の力が大半を握っている。努力は必要条件だ。だが、それが十分条件になることは滅多にない。努力は、毎週宝くじを買うようなものだ。買わなければ当たりようがないが、買ったからといって必ず当たるわけではない。ビートたけしがそう語ったとき、私は心底うなずいた。
かつて私は、莫大な資金と肩書きを得ても、転落を免れなかった。努力を積み上げた者としてではなく、運のめぐり合わせによって「愚かな選択」を晒したにすぎない。だが同時に、その転落があったからこそ、檻の内側で新しい視点を獲得できた。もし順調に経営を続けていたら、私は決して「人生は運だ」と声を上げることはなかっただろう。
努力を重ねても報われないことはある。だが、その事実を恨む必要はない。「世の中そんなもんじゃん」――私はその言葉を口癖のように使う。軽口に聞こえるかもしれないが、そこには確かな祈りが込められている。恨まないこと、諦めないこと、それこそが再生の力になるからだ。
私はカメラの前で、時に真面目に、時に笑いを交えて語る。
「努力は無駄じゃない。ただ、報われないこともある。けれど、報われなかった努力が、別の幸福を呼ぶことだってあるんだ」
その言葉に頷いてくれる視聴者がいる。コメント欄に「救われた」「気が楽になった」と書かれるたび、私は祖父の声を思い出す。「幸も不幸も、同じ縄の中にある」。あの言葉が、今は確かに私の口を通して受け継がれている。
努力と運。そのどちらが欠けても人は生きられない。だが、いずれも自分の思い通りにはならない。だからこそ、私は笑う。檻の内側でも、檻の外側でも。笑いは、縄をほどくための唯一の力なのだ。
――こうして私は、転落の先で「再生」を手に入れた。
第5章 運命の哲学
第1節 縄の比喩
夜、ひとり机に向かいながら、私は祖父の言葉を何度も反芻していた。
「禍福は糾える縄の如し」――。
檻の中でも外でも、この言葉は常に私を支えてきた。不幸が幸福の芽を宿し、幸福が不幸を連れてくる。人生は撚り合わされた縄のように、善悪や成否が分かちがたく結ばれている。
私は何度も転んだ。会長としての椅子に座りながら、愚かさに足を取られた。転落の底に沈んだとき、初めて見えた風景がある。五百円のおやつに群がる受刑者の笑顔。数千円の工賃を大切に積み立てる手。人が人であることの重さを、数字の外側で知った。
いま私は、SNSのカメラの前で語る。「塞翁が馬」の寓話を、まるで自分の物語のように。だがそれは嘘ではない。馬が逃げた日も、良馬が戻った日も、息子が落馬した日も、戦に徴兵されなかった日も――そのすべてを私は実際に体験したように思える。幸福と不幸は、交互に姿を変え、同じ縄に絡みついていた。
かつての私は、その縄を断ち切ろうとした。会長職から逃げるために、金を流用し、別の世界へ足を踏み出した。だが、縄は切れなかった。むしろ、より強く私を縛り、檻へと引きずり込んだ。
――だが、そこで気づいたのだ。縄は縛るだけではない。手繰り寄せれば、未来を結ぶこともできるのだと。
私は再び、自分の人生を縄として見直すことにした。父の烈しさも、祖父の正義も、私の愚かさも。すべてが撚り合わされ、一本の縄になっている。その縄をどう握るか、どう結ぶか――それこそが「運命の哲学」だ。
夜風が窓を揺らす。私は静かに微笑み、ペンを走らせた。
――塞翁の檻は、私を縛るのではなく、私に哲学を与えていたのだ。
第2節 努力と運の均衡
祖父も父も、口癖のように言っていた。
「苦労したから今日がある」――。
幼い頃はその言葉を誇らしく思った。だが、経営の渦に巻き込まれ、転落し、檻をくぐり抜けた今の私には、別の響きを持って届く。努力は確かに必要だ。だが、それは成功の切符ではない。せいぜい抽選券にすぎない。
努力は宝くじの購入と同じだ。買わなければ当たらない。だが、買ったからといって当たるとは限らない。私自身がそれを証明してしまった。数えきれぬ会議をこなし、幾度となく数字と向き合った。だが結果は「栄光と転落」という両極端だった。努力はした。けれど、その努力は報われることもあれば、裏切られることもあった。
檻の中で、私は作業に没頭した。木箱を組み立て、紙を折り、黙々と時間を積み重ねた。その努力は、昇格やわずかな賃金に結びついた。だが、それ以上に価値があったのは「心が整う」感覚だった。努力の成果は数字ではなく、私自身の中に静かに蓄えられていった。
外に出てからも同じだ。YouTubeに動画を一本上げたところで、すぐに反応が返るとは限らない。十本、二十本と積み重ね、ようやく誰かの目に届く。だが、その過程で私は「運」を知る。偶然拡散される一本があり、偶然目にとまる瞬間がある。努力と運、その両輪が初めて回り出したときに、人は前へ進むのだ。
祖父が言った「正義を曲げるな」という言葉も、父が言った「誰にも負けるな」という言葉も、いまなら理解できる。二人はそれぞれ、努力の意味を信じていた。だが私は、その上にもう一つ、自分なりの哲学を重ねる。「努力は運を呼ぶ条件にすぎない」。その冷めた事実を受け入れることで、かえって心は自由になった。
世の中は思い通りにはならない。だが、それを恨む必要はない。むしろ「そんなもんだ」と笑い飛ばせば、不思議と心は軽くなる。努力と運の均衡――それこそが、私が檻の中で掴み、外の世界で確かめ直した哲学だった。
第3節 哲学の継承
夜更けの机に、静かにペンを走らせていると、不意に祖父の声がよみがえる。火鉢の赤い光を背に語っていた、あの低く張りのある声だ。
「幸も不幸も、同じ縄の中にある。結ぶも縛るも、自分次第だ」
あの言葉は、幼い頃の私にはただの物語に過ぎなかった。だが今は違う。栄光の椅子に座り、愚かさに足をすくわれ、鉄格子に閉ざされた日々を経た私には、その一語一句が骨に染みている。縄とは血筋であり、環境であり、偶然であり、そして努力と運の結び目そのものだ。ほどけそうでほどけず、引けば食い込み、緩めれば解ける。その実感を、私は自らの人生で刻みつけられた。
かつて私は、祖父や父の教えを素直に受け入れることができなかった。父の烈しさは呪縛に思え、祖父の正義は重荷に感じた。だが今になって思う。二人が必死に守ろうとしたのは「自分を信じる力」そのものだったのだ、と。私が転落を経てなお立ち上がれたのは、二人の言葉が心の奥底に残っていたからにほかならない。
今、私は自分の言葉をカメラ越しに語っている。誰に頼まれたわけでもなく、誰かの承認を求めてでもない。ただ、自分の歩んだ道を物語に変える。その言葉が、見知らぬ誰かの胸に届き、コメント欄に残される。「救われた」「楽になった」「笑えた」。それらはかつての私が数字で計ったどんな成果よりも重い報酬だ。
この声が、次の世代に届くなら、それでいい。財閥の家に生まれるかどうかは運だ。努力しても報われないことも運だ。だが、その事実を恨まず、受け入れ、笑い飛ばすこと――それは誰にでもできるはずだ。塞翁の馬は、誰の人生にも現れる。逃げた馬も、連れ帰った良馬も、落馬も、戦を免れた幸運も、すべてが「同じ縄」の中に編み込まれている。
私が今、次世代に伝えたいのはこうだ。
――努力はしろ、だが努力に縋るな。
――運を信じろ、だが運を恨むな。
――幸福も不幸も、どちらも自分の物語の一部に過ぎない。
私はかつて「転落者」と呼ばれた。だが、その烙印があったからこそ、こうして新しい物語を語れる自分がいる。檻は私を閉じ込めたのではなく、哲学を与えてくれた。ならば、この哲学を次へ手渡すことが、私の役割だろう。
祖父の声、父の影、そして自らの愚かさを抱えたうえで、私は静かに笑う。
「世の中そんなもんじゃん」――その軽口は、私が次の世代に贈る祈りでもある。
窓の外、夜が明けようとしていた。縄は解けない。だが、撚り合わせれば新しい結び目を作ることができる。私の物語もまた、誰かの縄に結ばれ、知らぬ未来へと手繰られていくだろう。
エピローグ 塞翁の檻を越えて
夜明け前の静けさの中、机に向かっていると、不意に思うことがある。
もし、あの時逮捕されていなければ。もし、会社の資金を流用しなければ。もし、父や祖父の教えを素直に守っていたなら。――私の人生は、まるで違うものになっていたかもしれない。だが、そうした「もし」はすべて過去の亡霊にすぎない。私が立っているのは、いま、ここでしかない。
栄光の椅子に座りながら孤独に震えた日々。愚かな選択の末に鉄格子に閉ざされた夜。そこで目にした、五百円のおやつに心を躍らせる受刑者たちの笑顔。すべてが私の中に刻まれ、いまでは一つの物語として語り直すことができる。幸福と不幸は交互に姿を変えながら、私をここまで連れてきた。塞翁の馬――祖父が繰り返し語った寓話は、とうとう私自身の歩みに溶け込んだ。
外の世界に戻った私は、本を出し、YouTubeで語り、SNSで笑いを共有するようになった。かつて「失墜者」と呼ばれた私が、いまは「再生した人間」として誰かの希望になっている。人々のコメントは、数字や肩書きでは測れない価値を私に教えてくれた。「あなたの言葉に救われた」「転んでも立ち上がれることを知った」。それらは、赤字に沈んでいった会社の決算書よりも、はるかに意味のある報告だった。
私は考える。幸せとは何か。かつては金や地位だと信じていた。だが、檻を経た今の私にとっての幸せは、もっと単純なものだ。自分の物語を、自分の声で語れること。誰かに届き、共鳴を生むこと。笑い飛ばしながらも、心のどこかで真実を分かち合えること。そこにしか本当の幸福はない。
努力と運。その均衡をどう捉えるかは、人によって違うだろう。努力は確かに必要だ。だが、それだけで成功は約束されない。運は確かに大きな力だ。だが、それにすがれば必ず失望する。だからこそ、私はこう言い続ける。「努力は条件であり、運は結果を決める。だが、恨むな。笑って受け入れろ」。それが、檻を越えた私が得た哲学であり、次の世代に託したい言葉だ。
今も、夜更けの窓を開ければ、風が縄のように絡まりながら吹き込んでくる。人生はほどけない縄だ。だが、結び目を工夫すれば、違う形に織り直すことができる。祖父の声、父の影、そして自分自身の愚かさをすべて抱えながら、私はその縄を手繰ってきた。
振り返れば、塞翁の檻は決して私を閉じ込めなかった。むしろ、その檻こそが、自由の意味を教えてくれたのだ。
――不幸が幸福の入口になり、幸福が不幸の種を宿す。
その真実を、私は身をもって知った。
だから、私はこれからも語り続けるだろう。カメラの前で、あるいは小さな文章の中で。転落を恐れず、檻を恨まず、笑いながら。なぜなら、塞翁の馬はまだ私の前を駆けているからだ。
赤いランプの灯るカメラを見つめ、私は深く息を吸う。
「世の中そんなもんじゃん」――その軽やかな言葉とともに、私は自分の物語を次の誰かへ手渡す。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
本作は、転落を単なる破滅ではなく、再生と思想の源泉として描くことを目指しました。もし皆さまの心に「自分ならどう生きるか」という問いを残せたなら幸いです。今後も続けて投稿いたしますので、応援いただけると嬉しいです。