第90話 ストラトスによるイクリス聖歴史学⑥「竜神ゼダ」
空中庭園──聖講堂。
ストラトス先生によれば、賢者ギルバート様は魔族の侵攻への対応会議のため、現在この空中庭園を離れている……か。
ノアが「賢者様から直接、話を聞きたい」と思うのも、無理はない。
そもそも、ここまで私たちを導いたのは、ほかでもないその人なのだ。
ならば──本人の口から“真相”を聞きたいと思うのは、当然のこと。
……私だって、そう思っている。
でも、それが叶わない今は、まず手元の情報を整理するしかない。
授業を通して、この世界の歴史と、今自分たちが直面している現実が、少しずつ見えてきた気がする。
種族の構造、そして“竜族”という存在。
今は封印されているからこそ、竜族は直接の脅威にはなっていない。
ひとまずは、大きな問題にはならない……はず。
けれど、本当に問題なのは──
なぜ、“勇者”が再び現れないのか。
そして、なぜ“魔王”が存在していないのか。
魔王がいないから勇者が現れないのか?
それとも、勇者がいないから魔王も現れないのか?
……卵が先か、鶏が先か──。
いや、違う。
一番の問題は、きっとこの“対になる仕組み”が、どこかで破綻──
あるいは、“バグった”ということ。
女神様が「この世界を頼んだ」と言っていたのは……
この“仕組みの修復”も、含めてということだったのかもしれない。
……うーん。
ノアが、何時になく真剣な表情で口を開いた。
「……では、ストラトス先生に、いくつか質問があります」
その顔には、幼さの中に──複雑な思いが、確かに滲んでいた。
無理もない。
ノアはこれまで、自分が“勇者”であることを疑うことすらせず、
その道を信じて、真っ直ぐに努力してきた。
周囲もまた、彼をそういう目で見ていた。
称賛し、期待し、応援してくれていたのだ。
……何なら、大人の私でさえ、そう思っていたくらい。
ノアこそが正真正銘の“勇者”で、私の役目はそれを“支えるための転生者”だと──当然のように、信じていた。
だから──
こんな現実を突きつけられたら、立ち直れなくなる子だっている。
しばらく口もきけなくなって、部屋にこもってしまうような子だって……きっと、いる。
私が、そっと「ノア」と声をかけると──
彼は、小さく首を振ってみせた。
そして、誰にも聞こえないほど小さく、「だいじょうぶだよ」と口を動かす。
その姿を見て、思わず胸の奥がじんとした。
……私にとっては、それだけで十分。
あの子は、少なくとも私にとって“勇敢なる者”だって、そう思った。
「……まず最初に、聞きたいことがあります」
ノアが、真剣な眼差しでストラトスを見つめながら、問いかけた。
「……勇者と魔族の王が力を合わせても倒せなかった“竜神”や、“源竜種”って……それほどに、強大な存在だったんですか?」
教室に、一瞬の静寂が満ちる。
生徒たちは皆、息をひそめてノアの問いの行方を見守っていた。
「……彼らの牙、爪、そして吹息が、どれほどの破壊力を持っていたかを言葉で説明するのは、難しくはないが──これを見せた方が早いだろう」
そう言って、再び《映写ゴーレム》に指を走らせる。
魔力が反応し、空中に立体的な大陸図が浮かび上がった。
映し出された大陸は、左右のちょうど中央付近で分断されるように構成されていた。
巨大な大渓谷が東西を隔て、その間には、十数キロにわたって連なる巨大な橋──“大陸間大橋”が架けられている。
両端の大地は明らかに他種族からなる文明圏の様相を呈しており、それぞれが対照的な地形と都市構造を持っていた。
ストラトスは、映像を見つめる生徒たちに向き直りながら口を開いた。
「──さて。この大陸が、どこかわかる者はおるかね?」
一拍の静寂ののち──リーリャが、すっと静かに手を挙げた。
「……ローネアン連合国、です」
「正解だ。さすがリーリャ君、見事な観察力だ」
ストラトスの口元に、ほんのわずかに笑みが浮かぶ。
他の生徒たちが感心したようにリーリャを見やる中、映像の中の大陸図は、静かに回転を始めていた。
──ローネアン連合国。
たしか、“神盾”と“神弓”の聖印を持つハーフエルフの兄弟がいた、多種族国家だったはず。
でも、魔大陸に最も近かったがために、七魔星の襲撃を真っ先に受けて他国よりもずっと早く、国としての機能を奪われた。
……正直、やりきれない。
「君たちも、直接訪れたたことはないだろうが……名前は聞いているはずだ」
ストラトスは、ゆっくりと大陸図を見渡しながら、重みのある声で語り始めた。
「ローネアン連合国は、先日の魔族による一斉襲撃の際に西側にある首都が陥落し、自ら“大陸間大橋”を崩落させることで、東側への侵略をなんとか防いだ。その地形こそが、この映像に映っているものだ」
生徒たちは、浮かび上がった大橋と渓谷を、改めて息を呑むように見つめる。
「……私も、つい先日まで現地の監視塔にいたからな。あの光景は、忘れられるものではない」
ストラトスの表情の奥に見えたのは──
国が崩れ落ちる様を、遠くから見届けることしかできなかった無念。
誇り高く戦った人々が、意志も尊厳も奪われ、“屍人”として七魔星ザヴォルドゥの配下になっていく絶望。
そして何より……希望とされたはずの“ハーフエルフの双子”までもが、あの忌まわしき七魔星の手に堕ちたという現実。
そのすべてが彼に深い影を落としていた。
私は、思わず拳を握っていたことに気づく。
映像で見ているだけでも、これだけ胸が苦しくなるのに──
ストラトス先生は、実際にその場にいたのだ。
「……だが、私が本当に伝えたかったのは、そこではない」
ストラトスはゆっくりと歩を進め、立体映像の前で立ち止まると、静かに言葉を継いだ。
「ローネアン連合国の大地は、今でこそ東西に分断されているが、本来この大陸は、一続きの大地だったのだ」
教室が、ひときわ静まり返る。
「中央を裂くように走る大渓谷。そして十数キロに及ぶ巨大な橋梁。これらは“最初から存在した地形”ではない。」
ストラトスの語りに、講義室の空気が思わず張り詰める。
「大戦時、勇者と魔王に追い詰められ怒りに狂った竜神が放った──《竜吹息》。それは、ほんの十数秒間だったとされる」
教室全体が、まるで“息を止めた”かのような静寂に包まれた。
私の隣でノアが、気づかぬうちに息を呑んでいる。
記録によれば、竜神はその放射の直前、
体内に蓄積した膨大な魔力のみならず、吸い込んだ空気と共に大気中の“全魔素”すら取り込み、
瞬時に自らを“魔力の極限”へと引き上げたという。
その気配だけで、空中にいた敵も味方も、意識を保てなかった──
あまりの魔力圧に、ただ気を失うしかなかったとさえ語られている。
そして放たれたのは、もはや炎でも氷でもない。
あらゆる属性を超えた、“破壊の光線”そのものだった。
海は裂け、空は震え、大地は震源のように軋んで割れた。
それはまさに、世界そのものを“崩壊させる”ような竜息吹。
「──それは、ただの一撃だったにもかかわらず」
ストラトスが静かに繰り返す。
「ローネアン大陸の最北端から最南端に至るまで、直線距離にして約三千二百キロ。その全域を、貫くようにして破壊の痕跡を残した。大陸が東西に分かたれたのは、ただ“力”による結果だったのだ」
私は、その言葉を聞いた瞬間、思わず黙り込んでしまっていた。
──嫌だなぁ。封印されているから、もう危険はない……そう思ってたつもりだけど。
なぜだろう、どうしても“今後まったく関係ない存在”とは思えない。
こういうときのカン、外れてくれたら助かるんだけどな。
それに、少し気になる。
ストラトス先生──さっきから“竜神”って呼び方、なんとなく違和感がある。
私はふと、胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。
「……あの、ストラトス先生。その“竜神”って……名前があるんじゃないんですか?」
その瞬間、先生の肩が、わずかに──本当にわずかに、ピクリと揺れた。
思わず息を呑む。
……明らかに動揺を隠せていない──。
沈黙が教室を包み、場の空気がひんやりと冷えていく。
そのとき。
隣から、マルシス先生の静かな声が、空気を断ち切るように響いた。
「……それは、“禁断の真名”です」
マルシスの声はいつものように淡々としていた。
けれど、その奥底には、確かに──“恐れ”が滲んでいた。
「その竜神の真名は──女神の民からも、魔族からも、決して語られてはならない。かつて、禁忌領域に封じられた、“最も恐れられし存在”……」
ストラトスはしばらく沈黙を保ったのち──
重く、静かに、口を開いた。
「……マルシス。いい。私が話そう。この子らには、知るべき“権利”がある」
マルシスは何も言わず、目を伏せたまま頷いた。
そして、ストラトスの声音が一段階深くなる。
それはまるで、言葉を発することそのものが“禁忌”であるかのように──
慎重に、そしてはっきりと、彼は名を告げた。
「……竜神ゼダ」
「正式名称──ゼダ=ネザーラ」
その名が告げられた瞬間、教室全体の空気が──まるで一瞬、止まったかのようだった。
「惑星イクリスが生誕してから、最古にして最強の存在。あらゆる生物の頂点に立つ竜だ」
静かに言葉を区切ると、ストラトスはわずかに視線を落とす。
「そして今もなお──禁忌領域の最奥で、“復活の時”を待ち続けているとされている」
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