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第89話 ストラトスによるイクリス聖歴史学⑤「聖骸」

 今思えば。そう思うと、これまでの記憶の断片が、ざわざわと浮かび上がる。


 ──聖環の儀の時、記録官が口にした“勇者候補”という言葉。

 ──教会の人たちが、書簡や式典で使っていた、あの言い回し。

 ──ルルエさんとリーリャさんが出迎えた時も勇者候補様という呼び名。


 あれは本当に、“勇者”として讃えてくれていたわけじゃなかった。文字通り"候補"


 ……私たちは、“勇者として期待されている”って、勝手に思い込んでいた。

 言葉の端々に含まれていた“候補”という文字も、あのときの私は深く考えようとしなかった。


 バカみたい。

 悔しいし……正直、もっと早く言ってほしかったって思う。

 でも、感傷に飲まれている時間はない。


 新しい事実を知った今、まずは状況を正しく整理しなきゃいけない。

 そうしなきゃ、前にも進めない。


(──勇者と、魔王。その存在が確かにあったのなら……)


 脳裏に、ストラトスの言葉が反響する。


 “君たちは皆、勇者候補にすぎない”

 “正式には、“勇者”と呼ばれる存在ではないのだよ”


 (だったら……今、“本物の勇者”は……?)


 まだ聞いていない、けれど、たしかめなければならない問いが胸に浮かぶ。

 それは、勇者候補としてこの場にいる自分自身にも、深く関わる疑問だった。


 ──カナリアは息を整え、まっすぐに講義台を見据えて口を開いた。


「ストラトス先生。……私とノアを含め、“勇者候補”を集めているってことは……

 今、“勇者の聖印”を持つ人が、世界のどこにもいないってことですか?」


 カナリアの問いに、ストラトスは静かに目を閉じ──そして、ゆっくりと深く頷いた。


「……カナリア君の言う通りだ」


 その声音には、偽りのない真実だけが宿っていた。


「“勇者”は、本来、“勇者の聖印”を持って生まれてくる存在。そして──先代の勇者が命を落としてからというもの、その聖印を新たに持つ者は記録されていない。それは……今の世も同じだよ」


 講堂の空気が、ひときわ静まり返る。


 (……現存する“勇者”が、いない)


 その事実が、はっきりと突きつけられた今──

 カナリアの思考は、自然とその“対”となる存在へと向かっていた。


 静かに息を呑み、講義台を見つめたまま口を開く。


「……じゃあ、“魔王”も、存在していないってことですか?」


 その一言に、場の空気が再びぴんと張り詰めた。


 ストラトスは、ほんの一瞬だけ驚いたように眉を上げ──そして、ふっと感嘆を漏らす。


「……君は本当に、七歳なのかね?」


 思わず漏れた言葉のあと、彼は少しだけ間を置き、目を細めながら語り出した。


「正確には、わからない。だが──少なくとも、聖教国としては“いない”と見ている」


「“人魔結界”というものは、本来、女神・勇者・魔王──三者の力が揃わなければ干渉できないものだ

。今回の魔族の侵攻は、あの結界を“破る”のではなく、“飛び越える”という異常な手段だった」


 ──本来の三者の力が揃っていない証拠。


「……本来、“勇者”と“魔王”は、対となる存在だ。一方が現れなければ、もう一方も現れない。言い換えれば、“勇者がいない”という事実こそが、魔王もまた不在であることの証と考えられる」


 すると、ノアがゆっくりと口を開く。

 その表情には、いつもの明るさはなかった。

 何かを真剣に受け止めようとするように、ほんの少しだけ眉をひそめながら──


「……このこと、賢者様もご存知なんですよね?できれば……賢者様とも話をしたいのですが……今、この空中庭園には……?」


 ストラトスはノアの方を向き、柔らかくも重みのある声で答えた。


「……うむ。ギルバート殿とアデルは、今まさに――“この四大種族”の代表者たちと、魔族との対応について協議するため、星セレスティア聖教国に滞在しておる頃だ」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 星セレスティア聖教国の某所。

 聖域と禁忌が交錯する、その“封印領域”には、外の光も届かない沈黙が満ちていた。


 ──星セレスティア聖教国 封印されし聖墓セインツ・セメタリー入口


 分厚い聖石の扉の前に、ひときわ目を引く異形の騎士が静かに立っていた。


 銀に近い白鱗を全身にまとい、研ぎ澄まされた気配を纏う蜥蜴人リザードマン

 無言のまま佇んでいるというのに、空気の緊張感が肌を刺すように高まっている。


 ――蜥蜴人リザードマン

 本来、粗暴で恐れられ、忌避されることの多い、獣性と蛮力の種族。

 しかし、目の前のその姿は──あまりに静かで、崇高だった。


 鍛え抜かれた肉体には、儀礼と戦闘の双方に備えた重厚な純白の鎧が刻まれ、

 背には聖印を織り込んだ長マントが静かにたなびいている。


 鱗の光沢すら、どこか清廉で、神聖結界の光をまとって輝いていた。

 その一切が“光の従者”を思わせた。


 荒々しい蜥蜴人リザードマンの姿はどこにもなく、そこに立っていたのは──

 まるで天より遣わされた、聖域の守護者そのものだった。


 ギルバートは、その厳然たる姿の前で足を止め、わずかに眉をひそめて言葉を投げた。


「……守護神たるお前がついていながら、一人で行かせたのか?」


 蜥蜴人リザードマンの騎士は静かに目を細め、軽く顎を引く。


「賢者よ。みなまで言うな。わかっている」


 その声音には、苦笑とも悔しさともつかぬ響きがにじむ。


「私も最初は止めたのだ。」


 小さく息を吐き、肩をすくめる。


「しかし──どうしても、と懇願されてな。“二人きりで話したい”と……根負けしたというわけだ」


 そのまま扉へと向かいながら、蜥蜴人リザードマンの騎士はふとギルバートを見やった。


「……お前が来たということは、各種族の主要な者たちも集まりつつある、ということか?」


 ギルバートは短く頷く。


「……ああ。迎えに来た。入らせてもらうぞ」


 蜥蜴人リザードマンは無言で、聖石扉の中心──女神の紋章が刻まれた円盤状の封印面へと掌をかざした。


 すると、静かに魔力が流れ込んでいく。

 蜥蜴人リザードマンの掌から伝わる淡い光が、封印の回路をなぞるように螺旋を描き──


 重厚な扉が、音もなく開き始めた。


 ギルバートは、ゆっくりと聖墓の中へと歩を進めていく。

 内部は、荘厳と静寂に包まれていた。


 通路は、磨き抜かれた神聖な古石で作られており、歩くたびに微かな魔力が脈動し、時折、星屑のような光が足元でちらつく。


 その道の左右には──


 重厚な鎧に身を包んだ巨像の兵士たちが、等間隔で沈黙を守っていた。

 その両腕は魔力の鎖で封じられているが、瞳にはわずかな光が宿っており、今にも動き出しそうな気配を放っている。


 この聖墓に、許されざる者が踏み入れば──

 彼らは即座に“目覚め”、形ある者を滅するまで止まらぬ“粛清兵”と化すのだろう。


 また、天井近くの壁面には、幾重にも重ねられた結界術式が刻まれていた。

 侵入者であれば──その存在の“痕跡”すら、この空間には残らない。

 それほどの防衛機構が、無言のまま張り巡らされていた。


 だがギルバートは、足を止めない。

 静かに、確かな歩調で聖墓の最奥に歩みを進めていく。


 通路の終着には──ぽっかりと口を開けた、大穴が待ち構えていた


 光すら届かぬほど深いその大穴は、まるでこの世をすべてを飲み込むような、異様な静けさを湛えている。


 部屋の最奥の壁に──《翠玉すいぎょくの封印石》が、静かに浮かんでいた。


 ふと、封印石の中央に宿る宝玉が、淡く緑の光を灯す。


 ギルバートが一歩進み出ると、それに反応するように、封印石から一本の光線が走った。

 それは胸元へ向けて伸び、賢者の聖印を“読み取る”ように、静かに撫でていく。


 ──ズズ……ン。


 鈍い共鳴音が、地の底から響いた。

 直後、大穴の奥深くから、ひとつの“浮遊石”が姿を現す。


 滑らかな文様と、幾何学的な装飾が施されたその石板は、聖墓の最深部に到達するために設けられた、移動手段である。


 ギルバートは一度、静かに息を吐き──その中央へと、迷いなく立つ。


 直後、音もなく。

 賢者を乗せた浮遊石は、ゆっくりと降下を始めた。

 重力を感じさせぬ滑らかさで、聖なる沈黙の中を真下へと滑り落ちていく。


 その先にあるのは、地の底。

 誰も触れてはならぬ、封じられし聖域だった。



「……やはり、ここにいたのですか」


 静寂を破るように、背後からかけられた声。

 振り返ることなく、銀髪の男は小さく笑った。


「ジファードの奴め……誰も通すなと言ったのだがな」


「ベネリウス星教皇。ここは、聖墓地下最奥の“禁域”……護衛もなしにお一人で来るなど、あまりに不用心ですぞ」


 ベネリウスは振り向かず、静かに応じる。


「……旧友に、会いに来ただけだ。心配なぞ無用だ」


 そこは、聖墓最下層に設けられた、静かな封印の間だった。


 室内は薄暗く、壁に取り付けられた聖火の松明が、ゆらゆらと頼りない明かりを灯している。

 床や柱には苔のような魔力結晶が浮かび、静けさの中にわずかな息づかいを残していた。


 だが──部屋の中心だけが、まるで別の空間だった。


 天井へと向かって真っすぐに伸びる、透明な円柱状の“封印領域”。

 外界とつながっているかのように、上部の封印面からは柔らかな光が差し込んでいた。


 その内部には一本の樹が立っている。


 太く、ゆるやかに枝を伸ばすその神樹は、ただそこにあるだけで空間全体を浄化しているようだった。

 根元の地面には、美しく小さな花々が咲きそろっていた。白や青の、控えめだがどこか祝福を思わせる花たちが、まるく優しく広がっている。


 その中に、ひとりの“むくろ”が、神樹にもたれかかるようにして座っていた。


 白銀の光鎧こうがいをまとい、まるで安らかな眠りについているようなその姿は、

 もはや“骸”と呼ぶには神々しすぎる、

 それは、まさに“聖骸セイガイ”。


 穏やかな表情をたたえたその聖骸せいがいは、むくろであるはずなのに、不思議と生の気配を帯びていた。

 まるで今もなお、誰かを守ろうとしているかのように。


 ──ふわりと、一羽の蝶が舞い降りる。


 光の粒のように羽ばたきながら、静かに止まったその蝶は、

 この静けさの中で唯一の“動き”として、封印の奥に潜む“奇跡”をそっと物語っていた。


 ギルバートは円柱の中に眠るその姿を見つめながら、静かに口を開いた。


「……聖印が、消えるどころか──魔族の侵攻以降、より一層、強く輝いている」


 神樹の根元に、穏やかに横たわるその聖骸。

 その頭蓋に刻まれた聖印が、まるで心臓のように脈打ち、淡く光を放っていた。


「肉体はとうに朽ち……魂すら浄化された今なお、その聖印だけは他者に受け継がれることなく、早――四百年」


 ベネリウスは目を閉じ、ひとつ、深く息を吐く。

 そしてそっと、神樹のほうへ視線を向けた。


「……今もなお、魔の脅威を感じ取り、戦おうというのか……アレックスよ」


 その声には、かすかに震える響きがあった。


「いや……違うな。そう呼ぶべきではない」


 まっすぐに神樹の根元を見据えながら、ベネリウスは言葉を正す。


「かつて世界を救い、今なお戦い続ける者……真の“勇者”、アレクサンダー=クロスブライト」


 ……四百年の時を超えてなお、輝きを放つ聖印は、その存在が勇者であることを誰よりも証明し続けている。

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