第88話 ストラトスによるイクリス聖歴史学④「真実」
ストラトスは、手元の聖経典をそっと閉じると──
静かに、しかし重みのある声で語り始めた。
「……かつてこの星に、“人と魔の間に結界”など存在しなかった時代がある。その頃──我ら女神の民と魔族は、互いに行き来し、時に争い、時に協力していたのだ」
聖堂全体が、ぴたりと静まり返る。
まるで空気そのものが止まったかのように、誰もが息をひそめるように耳を傾けていた。
カナリアもまた、小さく息を呑む。
(……本当に、そんな時代が……?)
「もちろん、“友好”とはほど遠かった。だがそれでも、この星に生きる者として──互いを“異なる隣人”として認識し、ある種の均衡を保っていた時代が、たしかに存在したのだ」
その言葉を重ねるたびに、ストラトスの眼差しは静かな鋭さを帯びていく。
聖堂の光すら、わずかに陰を含んだように見えた。
「しかし──事態が一変したのだ。最も強力で、そして最も傲慢な種族……“竜族”の出現によって」
ストラトスは、講義台に置かれた聖経典の表紙をそっと撫でながら、重々しく口を開いた。
「遥か昔──この星がまだ若く、属性の理すら揺らいでいた時代。女神と、“魔の意志”と呼ばれる存在は、互いに相反しながらも……ひとつの“理想”を共有していた」
その瞬間、ゴーレムが映し出す《女神の大地》と《魔大陸》が、まるで呼応するように淡く輝き始める。
それはまるで、長く忘れられていた“対話”の記憶が、映像として浮かび上がったかのようだった。
「──女神も、魔の属性神も、“イクリスをより良き星にする”という理想だけは、同じだったのだ」
ストラトスは一度、言葉を置くように静かに目を閉じ──
そして、再びゆっくりと語り始めた。
「両者は手を取り合い、“ある存在”を創り出した。それこそが──“竜族”である」
生徒たちの間に、小さな動揺が走った。
「竜族は当初、人と魔の双方を守護する存在として創られた。圧倒的な力と、深き叡智を備え──いかなる脅威からも、星の民を護る“盾”としての役割を担っていたのだ」
ストラトスの語りが、徐々に低く、重くなっていく。
「しかし……その力は、あまりに強大すぎた。やがて竜たちは、自らの力に酔い始める。人にも魔にも従わず、そればかりか──女神にも、闇の属性神にさえも、牙を剥いたのだ」
ここで、講義台の横に設置されたゴーレムが、新たな幻像を投影する。
講堂の光がふっと落ち、天井から床にかけて投影された映像がゆっくりと広がっていく。
漆黒の空を裂いて現れた巨大な竜の影──
漆黒の翼を広げ、宙を睥睨する竜神。
その背後には、六体の異なる姿を持つ古き竜たちが、空を覆うように浮かび上がった。
「筆頭たる“竜神”に率いられた六体の“原種”──後に“エルダードラゴン”と呼ばれる存在たちもまた、神々に背を向け、この星を征服せんとしたのだ」
講堂の空気が、一気に張りつめる。
「そしてついには……竜族は自らをこう名乗った。“この星の真なる支配者”──と」
「かくして──女神の民、魔族、そして竜神。三つの力が激突する、“戦乱の時代”が幕を開けたのだ」
争いが激化するなか、女神の民に肩入れする竜もいれば、魔族と取引して地位を得ようとする竜もいた。
人間も魔族も、強き竜を引き入れんと裏で工作を仕掛け、争いはさらに複雑さを増していく。
種族の垣根すら意味を失い、星は血と策謀の混沌へと沈んでいった。
「だが──その混迷の最中、ひとつの“奇跡”が起きた」
「勇者と魔王が、竜神討伐のために手を取り合ったのだ」
──その言葉に、カナリアの胸がかすかにざわついた。
思考が、知らず内側に沈み込んでいく。
(勇者……今でいうノアみたいな存在。そして……魔王。魔大帝や、七魔星たちが……勇者と“手を取り合った”ってことか)
(……魔王。勇者……)
(なんだろう──この胸に残る、妙な違和感は)
だが、ストラトスの語りは止まらない。
「暴れ狂う竜神と、その配下である原種の竜──“エルダードラゴン”たちは、幾多の戦いを経て、いくつかは討ち滅ぼされた。しかし……ついに、竜神そのものを“倒す”ことは叶わなかった」
その言葉と同時に、ゴーレムが映し出すイクリスの映像が赤黒く染まり、
まるで禁忌の記憶を喚起するかのように、講堂の空気がひやりと冷たくなる。
「最後に残された選択肢──それは“封印”である」
「女神、そして当時の魔王と勇者によって、竜神は本拠地としていた大陸ごと別次元《禁忌領域》へと封じられたのだ」
映像が静かに切り替わり、荒れ果てた大陸が黒い楔で閉じられていくような光景が浮かぶ。
「その後、女神の民と魔族は、ふたたび同じ過ちを繰り返さぬよう──互いの大陸を定め、領域を分かち合い、今後かかわることが無いよう“不可侵の結界”を敷くことで、ようやく納得の上で休戦に至ったのである」
静寂が、講堂を満たしていた。
まるで長き歴史の重みが、今になって押し寄せてくるかのように。
カナリアの中に、言葉では整理しきれない“何か”がうずを巻き始めていた。
“勇者”と“魔王”──その二つの言葉が、ただの称号とは思えなかった。
声を張り上げずに聞かずにはいられない。
「ちょっと、一旦待ってください!」
思わず声が出ていた。気づけば、私は身を乗り出すようにして立ち上がっていた。
「……“魔王”がいたんですか?でも、それって──魔大帝や、七魔星のことじゃないんですか?」
講堂に、一瞬ざわめきが走る。
ノアも驚いたように私を見ていた。目をぱちくりさせながら、口をつぐんでいる。
(だって──“魔王”なんて言葉、私が知る限りの歴史にも、みんなとの会話にだって一度も出てこなかったはずなのに)
「……実はその事を伝えるための授業でもあったのだよ。」
ストラトスはゆるやかに頷き、再び語り始めた。
「確かに今の世では、“魔大帝”や“七魔星”こそが魔族の中心とされておる。だが、あれらは──かつて存在した《二人の魔王》の、それぞれの幹部配下たちを指すのだ」
講堂の空気が、さらに一段階、張り詰めていく。
「つまり、“魔大帝ヴァトラス”と“七魔星”は、それぞれ二柱の魔王の遺志を継いだ存在にすぎぬ。本来、“魔王”とは──それを生み出した星の理、すなわち“闇そのもの”と直結する存在であった」
(ちょっと待って……)
カナリアの思考が、一瞬で熱を帯びる。
(ずっと……ずっと、私も──たぶんノアも……)
(魔大帝と七魔星こそが、“魔族の本丸”だって。そう信じて疑わなかった)
でも今、はっきりと言われた。
(魔王が……別にいた?)
(魔王……)
それは、どこか物語の中だけに存在するもの。
異世界にはお決まりの“ラスボス”みたいな存在──
その程度で、この世界には現実味のない認識だった。
(私……勘違いしてたんだ……)
心臓の音が強くなる。
(ということは……)
(まさか……そんな……ありえない……魔王と勇者が……)
……ダメだ。
今の話を聞いて、一つの仮説が頭に浮かんだ。
でも、それが正しいとしたら――
私がこれまで信じてきたもの、考えてきた前提……全部が崩れてしまう。
そんなはずないって、言い聞かせたいのに。
なのに、この胸に残った違和感は……むしろ、確信に近づいていく気がしていた。
真実を目の前にして、自分を誤魔化すなんてできない!
そう思ったとたん、気づけば──言葉が、口からこぼれていた。
「……ということはまさか……“勇者の聖印”を持つ者がいるんですか?」
カナリアがそう問うた瞬間、講堂の空気がぴたりと止まった。
誰もが呼吸を飲み込み、微かな椅子の軋みさえ耳につくほどの静寂が訪れる。
天井に差し込む光すら、どこか色を失ったように思えた。
その中で──静かに、しかし確かな声が響く。
「アナタは本当に察しが良いですね。カナリアさん」
それまで沈黙を守っていたマルシスが、横からぽつりと呟く。
その声は無表情なまま、だが確かに――一種の答えとして重く落ちてきた。
「その通り──名実ともに“勇者”とは、“勇者の聖印”を持つ者のことだ」
ストラトスの声が、静かに講堂へと落ちる。
だが、次の言葉はさらに重く、鋭く、全員の胸を突いた。
「つまり──君も、ノア君も。帝国の兄弟も、ガイアスで生き残ったあの一人も。君たちは皆、“勇者候補”にすぎない」
重く落とされたその言葉に、場の空気がわずかに揺れた。
張り詰めた沈黙の中、誰もが続きを待っている。
「確かに、“神の聖印”を持つという点で、君たちは特別だ。だが──正式には、“勇者”と呼ばれる存在ではないのだよ」
心の奥で、何かが静かに崩れていく。
それはカナリアだけではなく、ノアの横顔にも影を落としていた。
「“勇者”とは、本来──“勇者の聖印”を持つ者のこと。君たちの“神の聖印”は、その可能性を示す“兆し”にすぎぬ」
ストラトスの言葉に、自分の中の常識が、音を立てて崩れていくのがわかった。
けれど──それでも、知りたいと思った。真実のすべてを、自分の手で確かめたいと。
ふと隣を見ると、ノアがわずかにうつむいていた。
その顔には、隠しきれない動揺がにじんでいる。
(ノア……)
胸の奥に、静かに熱が灯る。
そうだ。私は、この子を守るためにここにいる。
私は転生者。常識なんて、とうに覆してここに立っている。
なら──この先に何が待っていようと、最後まで見届ける覚悟くらい、とっくにできていた。
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