第85話 ストラトスによるイクリス聖歴史学①「ルルエとリーリャの正体」
「失礼しまーす!」
カナリアとノアが声を揃えて扉を押し開けると、視界いっぱいに大理石の柱が天へと伸び、壮麗な空間が広がった。
淡く差し込む光がステンドグラスを通して床に模様を描き出す。そこに映っていたのは──女神の姿。静かに祈りを捧げるようなその影像は、神聖さをいっそう際立たせていた。
建物そのものは、まさしく聖堂。
祈りと知識が融合したような、静かで清らかな空間である。
空中庭園ギルバートレアーにあるこの“聖堂”は、教会としての役割と、講義の場の両方を可能としている。
カナリアは小さく息を呑んだ。
(……たしか今日の先生は、初めて会う先生だったっけ)
建物の荘厳さもそうだが、何より──その中央、祭壇の前に立つ“ふたり”の姿が目を引いた。
「……え?」
一歩、堂内へ足を踏み入れたカナリアの声が漏れる。
ルルエとリーリャ。
いつもは元気いっぱい、明るくメイド服で立ち働いている彼女たちが──今日はまるで別人だった。
ふたりは、修道女の装束を身にまとっていた。
同じ修道服ながら、装飾にはそれぞれ差異がある。
ルルエの裾には聖地派を象徴する白狼の刺繍があしらわれ、胸元には聖石を模した十字架が光っている。
リーリャの装いには聖水派を示す水流を模した刺繍が走り、胸元には聖水を象徴する十字架がきらめいていた。
(……メイド姿じゃない……?)
まっすぐこちらを見つめるふたりの姿に、なぜか背筋が伸びた。
普段とのギャップに驚きつつも、思わず見惚れてしまいそうになる。
しかもその立ち居振る舞いは、まるで初めて袖を通したとは思えないほど自然で、着こなし感があった。
まっすぐこちらを見つめていたふたりのうち、リーリャが一歩前へ出て、小さく会釈する。
「ようこそ、カナリアちゃん。ノアくんも」
リーリャの落ち着いた声が、聖堂にやさしく響いた。
カナリアは一瞬、目をぱちくりさせる。
声も態度もあまりに丁寧で、一瞬誰だかわからなかった。
隣のノアも小声でつぶやく。
「……ルルエさんと、リーリャさん……だよね?」
ふたりの変貌ぶりに、思わず確認したくなっていた。
その直後──ルルエが一歩進み出て、優雅にローブの裾を持ち上げる。
「カナリア様、ノア様。ごきげんよう」
普段とはまるで違う、気品に満ちた表情と声色。
その姿に、双子は思わず同時に顔を引きつらせる。
「え、ええっ!?」
あまりのギャップに、声が裏返った。
いつもの“おふざけルルエ”とは、まるで別人だった。
その所作は、ただの冗談では済まされないほど完成されていた。
まるで──長年、教会で儀礼の場に立ち続けてきた修道女のような、洗練された動きだった。
――声色まで違う。
穏やかで気品に満ちた声音。
「本日は、勇者候補であらせられるお二方の授業に参加できますこと──このルルエ、まことに光栄に存じます」
完璧な仕草、完璧な笑み。
その瞬間、講堂の空気すら張り詰めたような錯覚すら覚える。
カナリアとノアはあっけに取られたまま、言葉が出てこなかった。
ノアも、隣で目をまるくして固まっていた。
しかし次の瞬間──
突然、うつむきながら肩を揺らして吹き出すルルエ。
「……く、くくっ……ぷふっ……あっはっはっは!」
くるりとターンしながら、いつもの調子に戻った彼女は、両手を腰に当てて満面の笑みを浮かべる。
ピコピコと揺れる獣耳。ぶんぶん振られるしっぽ。
見れば見るほど“おふざけ全開”なのに、どこか憎めない。
「どう? 様になってたでしょ?」
その横で、リーリャが少しだけ胸元に手を添え、静かに口を開く。
「私達、本来はメイドさんじゃなくて、聖教国の修道女なのです」
「そうだったんだ! ……って、からかわないでよ!」
ノアが素直に声を上げる。驚きと納得が混ざったような表情で、ルルエたちを見つめていた。
その横で、カナリアの脳裏には──ふと、あの出来事がよみがえった。
(……そういえば、大浴場で……)
たしか、全裸で突撃してきたルルエさんに「洗い終わったらタオル巻いてください!」って思わず注意した時──
「修道女の院長みたいに言うな~!」って、にこにこ笑いながら返してきたんだっけ。
(……いや、本当に修道女で合ってたんかい)
──今になって全部、腑に落ちた。
いつものリーリャとルルエの雰囲気に、場の空気が自然とゆるんでいく。
そんな中、今度はリーリャが一歩前へ出て、丁寧に言葉を継いだ。
「修道院内で、募集があったんです」
「“集え!勇者候補生のお世話係!”って……私は志願しました。倍率も、かなり高かったんですよ」
真面目な声色で淡々と語るリーリャ。
その口調には、どこか誇りのようなものが滲んでいた。
するとすかさず、ルルエが顔の前で両手をぱんっと合わせる。
「そ・れ・に! なんといっても! お給金がいいのと、内申点も特別にもらえるので──おいしい話だったんです~」
(……即ぶっちゃけた)
「こらこら。修道女たるものが煩悩で動いてはいけませんよ」
背後から、冷ややかでどこか飄々とした声が響いた。
「マルシス先生!?」
カナリアとノアが振り返る。
そこには、紅のショートカットをなびかせながら、手にクッキーの袋を持ったマルシスの姿があった。
ノアがひそっと耳打ちしてくる。
「……あれ、お母さんが作ったクッキーだよね?」
(……またこっそりもらってるな。先生も十分、煩悩で動いてるじゃん)
と、カナリアは皮肉のきいたツッコミを口まで出して──飲み込んだ。
「もしかして……先生もよばれたんですか?」
エルフの女性は、ふっと表情を緩める。
「察しがいいですね」
「そうです。私も《ストラトス》に呼ばれたのです。講義に参加するように──と」
そのとき──
カーン……コーン……
高く澄んだ鐘の音色が、講堂全体に響き渡った。
その聖音を聞くだけで、空気が変わるのを感じる。
「あっ、配置につかなきゃ!」
「時間です~!」
ルルエとリーリャが声を揃え、ぱっと顔を見合わせたかと思うと──
「では、お三方は祭壇前の机にお座りください~!」
「すぐに始まりますから!」
軽やかにローブを揺らしながら、ふたりは小走りで講堂の奥へ駆けていった。
その姿が視界から消えた直後──
パチン。
小さな音を合図に、講堂全体の照明がふっと落ちた。
まるで舞台の幕が下りるかのように、色と空気が吸い込まれていく。
空気が沈み、世界が静寂に包まれていく。
(……停電?)
明かりが落ち、講堂がすべての色を失う。
静寂とともに、空間が──暗転した。
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