第76話 超極薄カットパイ
ふと、まぶたが開く。
ぼんやりとした光が視界を満たし、瞳がじわじわと焦点を結んでいく。
「……はっ」
ノアが目を覚ますと、真っ先に視界に入ったのは、ひとりの金髪のメイドだった。
柔らかな笑みを浮かべながら、彼の顔をのぞき込んでいる。
「お目覚めですか、ノア君。ふふ……寝顔も可愛らしかったですよ」
「リーリャさん? っ……ここは……」
寝ぼけた頭をゆっくりと巡らせながら、周囲を見回す。
見覚えのある家具と、差し込む陽の光――午前中に案内された、僕たちの部屋だ。
その窓際の丸椅子には、ひとりの片手に本を持つ青年が腰かけていた。
青を基調とした服装、そして鍛えられた体に自然と馴染む剣士の佇まい。
「目覚めたかい?」
「……アデルさん……」
ノアは手をつき、ゆっくりと上体を起こす。
「そっか……俺、途中で気絶したんだ……ってことは、立会いは負け――」
「負けてないよ。君の勝ちだ、ノア君」
アデルは穏やかな笑みを浮かべたまま、ノアの発言を遮るように断言した。
「あのとき、君の氷の魔剣技があまりに強烈でね。……僕、状態異常解除の魔法を使ったんだよ」
アデルは苦笑しながら、ゆっくりと肩を回す。
「本来、回復系の魔法はこの試合のルールでは“使用禁止”。つまり――その瞬間、僕の負けが確定したってわけさ」
「……姉さんが教えてくれました。こういうのを――“試合に勝って、勝負に負けた”って言うんですよね」
「なるほど。確かにそういう考え方もあるね。」
アデルは小さく笑いながら、軽く頷いた。
「剣の腕では、まだ僕は敵いません。でも……“剣聖”と戦えたなんて、ちょっと自慢です!」
ノアは照れくさそうに笑いながら、頭をかく。
「……そう言ってもらえると、素直に嬉しいよ。ありがとう、ノア君」
ふと、アデルの瞳が揺れる。
誰にも聞こえない心の声が、静かに胸の内に響いた。
(これから名を馳せるのは、君の方だ。僕よりもずっとね)
「そういえば……アデルさん、肩の傷は大丈夫でしたか!?」
ノアはふと身を乗り出し、不安そうにアデルの肩を見つめる。
「あのとき、思いきり斬ったので……けっこう感触あったんですけど……」
アデルは少し驚いたように目を丸くしたあと、ふっと笑みをこぼした。
「君……心配してくれるなんて優しいな。大丈夫。ちゃんと、渾身の一撃だったよ。鎖骨にヒビ、入ったからね」
「ええっ!? もう本当に!? なんともなく見えますけど……!」
思わず目を丸くするノアの隣で、リーリャがクールな笑みを浮かべた。
「私の光属性の回復魔法は、けっこう凄いのです」
「……というわけで、見た目はもう元通り。痛みもなし」
アデルがさらりと補足すると、ノアはようやく安堵の息を漏らした。
「そっか……よかった」
そしてふと思い出したように、ノアは部屋の中を見回す。
「……姉さんは?」
ノアが辺りを見回しながら尋ねると、アデルは肩をすくめて言った。
「さあ、今ごろ――マルシスと仲良くしてるんじゃないかな?」
「――よしっ!」
アデルが勢いよく立ち上がると、ノアに向かって指をさした。
「ノア君! 一緒に風呂行こう、風呂!」
「……お風呂、ですか!?」
突然の提案に、ノアが目を瞬かせる。
「戦って汗かいただろ? 汚れたし、気分も切り替えたい。それに、裸の付き合いが距離を縮めるんだ! さあ行こう!」
ぐいっと腕を引っ張られ、ノアはバランスを崩しかけた。
(……なんかキャラ変わってない!? 立ち合いの時と違いすぎる……!)
その様子を見ながら、リーリャが微笑んで言う。
「ノア君の着物はお洗濯しておきますので、脱衣所には別のお洋服を置いておきますね。いってらっしゃいませ」
リーリャの小振りな手振りに見送られながら、
ノアは連行されるように、アデルに引っ張られていくのであった。
――マルシス研究室。
壁際には古びた錬金道具や彫金用の細工器具が並び、
奥の台には魔力で駆動する、自動式の最新実験装置が据え付けられている。
薬草の束や調剤素材、小瓶に分けられた魔導触媒までが所狭しと積み上げられているが――どれも驚くほど整然としていた。
(……この空間、地味に落ち着くけど……ちょっとコワい)
「カナリアさん、あなた……天才です!」
いつもの無表情なマルシスが、頬をうっすらと紅潮させて、目を輝かせていた。
「【聖教会式魔導演算理論】、【属性相関解析学】、【六元素魔法化学】……さらには【イクリス生物進化学】まで! 全てにおいて、アカデミッククラスの上位1%に相当する正答率です!」
「はっきり言っておきますが――私がこれまで指導してきたどの教え子たちよりも、あなたは優秀です!」
冷静沈着なはずのマルシスが、顔をわずかに紅潮させて目を輝かせている。
無表情が基本の彼女にしては、驚くほど感情が表に出ていた。
(……やばぁ。冷静なマルシスさんが、本気で興奮してる……)
そういえば、とカナリアは心の中で呟く。
(前世の知識のおかげで、たしかに私は、転生して一歳の頃にはもう本を読んでたんだよね)
(村の図書資料も、気づいたらほとんど読み尽くしてたっけ)
無意識のうちに蓄積されていた知識。
それが、まさか今になってこんな形で“露見”するとは思わなかった。
(……正に、これは“功を奏した”ってやつか)
(……いやちがうかな。この場合はめんどくさいことになった。の方が正しい)
そんなカナリアの動揺もお構いなしに、マルシスは静かに一歩、前へ出る。
わずかに微笑みながら、真っ直ぐな声で言い放った。
「……カナリアさん。あなた、研究者に向いてますよ。魔法が使えないというハンデは、頭脳でカバーすればいいんです」
「私と一緒に、研究の道を極めてみませんか?」
キラキラした眼差しで迫ってくるマルシスに、カナリアは顔を引きつらせた。
「いやいや、私、“刀神”ですから! 戦う系ですから!」
「仕方ありません……こちらを食べて、考え直してください。特別ですよ」
マルシスは棚の奥から、やけに厳重にしまい込まれていたバスケットを取り出した。
甘い香りがふわりと漂い、覗き込んだカナリアの瞳が大きく見開かれる。
「って……これ……母さんのフィンベリーパイ……!?」
カナリアが恐る恐る中を覗き込んだ、その瞬間――
「って、ホールの九割九分食べてんじゃん!!」
皿の中央にちょこんと残された、吹けば飛びそうな極薄にカットされた紙切れのような一欠片。
マルシスは皿の中央に残った一片を指差し、誇らしげに告げた。
「……私の誠意が伝わりましたか?本当は全部食べたいのを、我慢したのです」
(……本気で言ってんのかツッコミ待ちなのか、わかんないなこの人)
カナリアは、目の前の“紙切れサイズのパイ”と、マルシスの真顔を交互に見つめながら、そっと遠い目をした。
コン、コンッ。
研究室の扉がリズムよくノックされる。
それまで興奮で目を輝かせていたマルシスが、ぴたりと表情を切り替える。
一瞬で、いつもの無表情なクールフェイスへと戻った。
「どうぞ」
(……器用だな)
カナリアが思わず心の中で感心していると、その直後――
「マルシス教授~! カナリアちゃ~ん!」
ぱたぱたと入ってきたのは、黒髪のロングヘアに獣耳を揺らしたメイド――ルルエだった。
持ち前の明るい声が、研究室の空気を一気に和ませる。
……が、その姿はどこかおかしかった。
顔も服も煤まみれで、まっ黒け。まるで煙突掃除の帰りのような有様だった。
「お風呂の時間ですからね~! 今日も、みんな一緒に入っちゃってくださ~い!」
その姿にカナリアがすかさず指摘する。
「ルルエさん……どうしたの? 顔、真っ黒だよ!?」
「うふふ~、お恥ずかしいところを見られちゃいましたね」
ルルエはにっこりと笑いながら、鼻の下を指で擦る。
案の定、その指先と鼻下は髭の様に真っ黒になっていた。
「……ブレイズストーンの安定装置は、まだ修理できていないのですか?」
マルシスが冷静な声で問いかける。
「はい~! 蒸気管理室の様子を見に行ったんですけど~、ストラトス副教皇様が戻られないと、やっぱり修理は難しいみたいで~……」
と、そこで一拍おいて――
「むしろ、ちょっと悪化しちゃったかもです!」
(なぜにドヤ顔……)
カナリアは思わずひきつった笑みを浮かべた。
「と、いう事で! 当面“一斉入浴”へのご協力をお願いしま~す!」
明るく、悪びれもなく、ルルエはにっこりと告げた。
対照的に、マルシスの目がどこか遠くを見ていた。
「…………承知しました。カナリアさんと、向かいます」
マルシスは静かにそう告げると――
その場を立ち去る直前、
テーブルに残された最後の一欠片のパイを、
ひょい、とつまんで、ぱくりと口に運んだ。
(……けっきょく全部食うんかい!!)
(ていうか、私も一緒に入るの“決定事項”扱い!?)
ツッコむ間もなく話は進み、
カナリアは顔をしかめながら、静かにため息をついた。
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