第75話 双剣乱舞
アデルの目がわずかに見開かれる。
「流石に焦ったよ。これが剣神の才。でも、ここまでだ」
言葉とともに、アデルの木剣が一閃する。
下から斬り上げるような鋭い軌道――
その一撃には、水の魔力が渦を巻くように流れ込んでいた。
次の瞬間、ノアの木剣の刀身が、半ばから真っ二つに断ち切られる。
「な……っ!?」
折れた刀身が宙へと舞い、太陽の光を受けてキラリと閃いた。
「斬れるのは、君の剣も――例外じゃないよ」
観戦していたカナリアが、思わず両手を握りしめた。
「もぉおおおっ! 今のは決まったと思ったのにっ!」
アデルはノアの手元の折れた剣をチラリと見て、静かに告げた。
「さて、剣も折れたし……ここまでだね。ルールは覚えてるよね? “戦闘不能”も敗北条件だ」
わずかに肩をすくめながらも、その目はどこか温かかった。
「でも、誇っていいと思うよ。正直、ここまでやるとは思ってなかった――」
「まだだ!」
ノアの叫びが、空気を割った。
折れた木剣を握りしめたまま、ノアは大地を蹴って宙へと飛び上がる。
高く、高く――風を突き抜け、逆光を背負いながら。
その姿は、己の限界を超えようとするかのように輝いていた。
アデルは眩しそうに目を細め、呆れたように眉をひそめた。
「おいおい……空中じゃ、バランスも取れないし、回避も防御もできないよ?」
そして、軽く息を吐く。
「やけくそは見苦しいね、ノア君。――やっぱり、気絶させるしかないか」
アデルはそう呟きながら、ゆっくりと剣を構え直す。
落下してくるノアを迎え撃つように、地面を踏みしめて――
まるで“仕留めの一撃”を狙う獣のように、気配を研ぎ澄ませた。
だが――その瞬間、空の光がきらめいた。
宙に浮かぶ、折れた木剣の刀身。
それが吸い寄せられるように、ノアの左手に収まる。
右手には折れた柄。
左手には、宙を舞っていた刃の半身。
そこに奔る冷気――
氷の魔力が、破損した木剣の両端に流れ込み、
やがてそれぞれに“刃”を象るように形を成していく。
氷の刀身が静かに、しかし確かに――ふたたび“剣”として蘇った。
ノアは二本の剣を交差させ、鋭く、流れるように構えを取った。
「なっ……!」
アデルの瞳に、かすかな警戒の色が走る。
その変化を、観客たちも見逃さなかった。
「まさか……あれは……!」
ギルバートが目を見開き、隣のマルシスが息を呑む。
「……二刀流!?」
カナリアが思わず叫ぶ。
双剣が風を裂き、光を受けて閃いた。
その姿は、まるで――
未完成の“剣神”が垣間見せた、未来の幻影だった。
そしてノアが、地上のアデルへ向かって双剣を振り下ろしながら降下する!
刹那、二人の剣が激突――!
剣気が火花を散らし、交錯する魔力が空気を切り裂いた。
剣圧が空を震わせ、観戦者たちの衣を揺らす。
剣神ノアの“双剣の乱舞”が始まる。
右手の刃が、空を薙ぐように疾る。
アデルがそれを受け止めた瞬間――左手の刃が抉るように角度を変えて迫りくる。
「……くっ!」
アデルはわずかに後退し、最小限の動きでそれを躱す。
だが、ノアの連撃は止まらない。
風を纏った刃が、まるで舞うように押し寄せていく――
その姿を見たカナリアの脳裏に、ふと記憶がよみがえった。
(……そういえば。転生して、まだ二日目あの日。聖印の儀式のとき――ノアの胸に浮かんだのは、確か……)
◇ ◇ ◇
ノアの胸に現れたのは――交差する、二本の剣。
紋様は左右対称に広がり、まるで“双剣”が守り合うように刻まれていた。
◇ ◇ ◇
(……ノアの剣神の聖印は――“この本来の姿”を示してたんだ)
「くっ……なんて奴だ」
アデルは思わず歯を食いしばる。
氷の魔剣技――それ自体の破壊力もさることながら、
それが二倍の速度で侵攻してくる。
対する自分の身体のキレは、冷気に晒されるごとに鈍っていく。
(凶悪な組み合わせだ……!)
斬撃の軌道ひとつ取っても、二倍の神経を要求される。
迂闊に捌けば凍結、下手を打てば即座に致命傷。
(この動き……とても即興とは思えない。まるで“最初から”、こっちを本命にして仕上げてきたみたいだ)
アデルの額――“剣聖”の聖印が眩く輝く。
同じ瞬間、ノアの胸元に刻まれた“剣神”の聖印も、呼応するように脈動を始めた。
蒼と白の光が、激突のたびに火花を散らす。
剣がぶつかるたびに、ふたりの魂がぶつかっていた。
「うおおおおおおおおっ!!」
「はああああああああっ!!」
叫びが重なる。
踏み込みと回避、受けと払い――音を置き去りにする剣撃の応酬。
互いの限界が、刃に焼きついていく。
だが、その中でアデルの瞳がかすかに揺れた。
(まさか……僕の水の魔剣技すら凍りつく!?)
ノアの放つ氷の斬撃は、アデル自身の水属性魔力をも凍結させ始めていた。
その瞬間アデルの剣が、わずかに間に合わず――
「ぐっ……!」
ノアの双木剣が鋭く叩き込まれ、アデルの鎖骨に直撃する。
メキャッ――ッ!
湿ったような鈍い音が響く。
「……いける!」
勝機を確信しかけた、その瞬間だった。
――空気が、変わった。
「浄化の水」
短い詠唱と共に凍結していたアデルの身体が、じわりと熱を帯びる。
その気配に、もはや優しさはなかった。
そこにあったのはただひとつ――敵を屠る者の“殺気”。
風が止み、音が消える。
まるで世界が、呼吸をやめたかのような――凪。
――そして、その沈黙を断ち切る一閃。
「《水月蝕》」
刹那、放たれたのは超高速の弧を描く蒼い残光。
空気が一度、呻くように鳴いた。
ノアの背と首筋に、電撃のような衝撃が走る。
(……な、に……!?)
視界が揺れ、暗転していく。
そのわずか前――ノアは確かに見た。
アデルの背に宿る、“本物の剣聖”の風格を――。
次の瞬間――ノアの身体が、崩れ落ちた。
「ノアッ!」
すぐさまカナリアが駆け寄る。
大事な弟の健闘と、明らかに致命的だったアデルの一撃。
そのどちらもが、彼女の心を穏やかにさせてくれるものではなかった。
アデルがそっと息を吐いた。
「……一瞬でも本気にならなきゃ、彼には勝てなかった。正直、やりすぎた。ごめん、カナリアちゃん」
「――謝るなら、ノアに言ってください!」
カナリアが振り返り、睨むように声を上げた。
「……もし、もし目を覚まさなかったら……私……!」
その言葉に、アデルは苦笑しつつ首を横に振った。
「大丈夫。ちゃんと加減はしてあるよ。それに――彼の首、見てみて」
言われた通りにノアの首筋を見ると、
そこにはまるで護るように、厚い氷の層が形成されていた。
「……あの一瞬で。つまり、僕の剣速よりも早く、無意識にガードしてたってこと」
アデルは肩を押さえ、苦笑しながら小さくうめいた。
「とんでもない反応速度だよ、あれは……。きっと、直に目を覚ますさ。……いてて」
そのとき、ギルバートが静かに歩み寄ってきた。
まずは倒れたノアのそばに膝をつき、静かにその様子を観察する。
脈、呼吸、魔力の流れ――いずれも安定しており、大きな損傷は見られなかった。
「……うむ、問題なさそうだな」
安堵したように頷くと、今度はアデルの肩に手を当て、軽く触診するように確かめる。
「……鎖骨に、軽いヒビが入っているな。だが、すぐに治るだろう」
「……まったく、末恐ろしいですよ」
アデルが自嘲気味に息をつき、肩をすくめる。
「最後は……本気を出してしまいました。俺も、まだまだ未熟ですね」
「よかった……! 心配ないんだね」
リアが安堵の吐息をこぼす。
胸に手を当て、少しだけ頬を紅潮させながら――ふと、空を見上げた。
雲間から差す陽光が、白く光る氷の粒を照らしていた。
「じゃあ、しばらく休憩ってことになるよね。ノアは賢者様に任せるとして――私、なにしようかな~」
気楽な調子で言いながら振り返った、その瞬間。
ふいに、背後から肩を優しく――しかし確実に、拘束されるように抱かれた。
「……っ!?」
驚いて振り向いたリアの視線の先には、
いつもの無表情なマルシスが立っていた。
……ただし、唇の端だけが、わずかに持ち上がっている。
(い、嫌な予感がする!)
「カナリアさん。あなた……座学も得意なんですってね?村の教会学校のホフマン神父から、伺っていますよ」
その声音は妙に落ち着いていて、
けれど逆らえない“何か”を纏っていた。
「魔法が使えなくても大丈夫。た~っぷり、お勉強しましょう。……研究室で」
「い、いや~私も今日は疲れちゃったので! 休憩しようかな! お疲れ様でしたーアハハハハッ」
何事もなかったように、ギルバートの後ろを歩いていこうとするカナリア――
だが次の瞬間、その首根っこをマルシスが容赦なく掴み上げた。
「では、行きましょう」
問答無用。淡々とした声とともに、ズルズルと引きずられていく。
「い、いやぁぁぁぁあああ!? だれか~~っ!! つれていかれる~~っ!!」
マルシスに自由を奪われたカナリアの叫び声は、
そのまま研究室の奥へと、静かに――だが確実に消えていった。