第68話 出発前夜
教会学校の裏で、幼き日のメリンダがひとり、膝を抱えて泣いていた。
「ひっく……どうして私だけ、魔力をうまく制御できないの……」
「おーい、メリンダ!」
現れたのは、若き日のギャンバスだった。
「まーた魔法、上手くできなかったんだって? ほら、これやるよ」
「これ……腕輪?」
「“封魔の腕輪”。魔力を抑えられる……はず! 魔封樹の木で作ったんだ、俺が!」
胸を張るギャンバスは、得意げに腕輪を差し出した。
「貴重な木なんだぞ? 感謝しろよ!」
と、その直後。
木こり衆の親方の怒声が、すぐそこまで響いてきた。
「ギャンバスー! 魔封樹の木材、どこに隠したー!」
「やっべ!」
ギャンバスは舌を出し、豪快に笑いながら逃げていった。
涙をぬぐいながら、幼いメリンダは腕輪を胸に抱きしめる。
「……ありがとう、ギャンバス!」
――「メリンダばあちゃん?」
メリンダは小さくハッと瞬きをして、現実に戻る。
静かに息を吐きながら、少し笑って言った。
「ノア、確かに受け取ったよ……。さてと、悪いけど今日は店じまいだ。そろそろ帰っとくれ」
そう言いながら立ち上がり、入口のカーテンを引き、棚にかけられた“営業中”の札を裏返す。
手慣れた所作で、店じまいの準備を淡々と始めていく。
ノアが出口の扉を開けると、上につけられた小さな鈴がカラン……と静かに鳴いた。
その音を背に、ノアはひとこと「ありがとう、ばあちゃん」と告げて、そっと扉を閉めていく。
やがて、鈴の余韻だけが店内に残された。
残された店内は、いつもよりも深く、静寂に包まれていた。
慣れ親しんだはずの空間が、今日ばかりはやけに広く感じる。
長く生きていれば、生まれる出会いもある。
けれど同じだけ、別れもある。
気づけば、かつて肩を並べて笑い合っていた者たちは一人、また一人と、記憶の中だけの存在になっていく。
ぽたり――
静けさを破るように、カウンターに一粒の涙が落ちた。
メリンダはそれを拭おうともせず、そっと目を細めた。
「……まったく、この歳になると涙もろくなって嫌だねぇ」
その顔は悲しみに負けまいと必死に笑顔を作ろうとしていたが、押し寄せる涙を止める術はなかった。
「……孫を、しっかり守ったんだね。……ほんとに、立派だったよ、ギャンバス。あんたのこと、心から誇りに思うよ」
閉じた扉の向こうで、ノアは老婆の嗚咽を聞きながら、唇を噛みしめていた。
その目に、迷いはなかった。
ノアは一つの想いを胸に、夕焼けの村道を駆け出す。
──そして、ハースベル家の玄関の扉が勢いよく開かれた。
「僕、決めたよ!」
振り返る家族たちに向かって、ノアは真っ直ぐに叫ぶ。
その声は、全身の奥底から熱を込めて放たれたものだった。
「戦う! “勇者だから”じゃない。僕が、守りたいから戦うんだ!
魔族のせいで死んでいく人も、悲しむ人も……もう見たくない!」
リビングにいた家族と、領主町カドゥランで出会った“あの男”が、静かに振り返った。
「……それを聞いて、安心したよ」
「けっ……賢者様!? ……と、お連れの二人まで!? なんでうちに!?」
ノアの声に、賢者の側近、剣士アデルがやや照れたように肩をすくめる。
「約五日ぶり、くらいかな? 改めて、ご両親とカナリアと話をさせてもらっていたんだ」
「……やっぱり、シンシアは反対か?」
夫エルドの問いかけに、シンシアはうつむいたまま、ぽつりと口を開いた。
「……ううん。あのあと、ずっと考えてたの。お父さんが、命をかけて二人を守った本当の意味――それはきっと、リアとノアが、もっとたくさんの人を救うからなんじゃないかって」
シンシアは顔を上げ、わずかに潤んだ瞳で子どもたちを見つめた。
「だから、完全に納得したわけじゃないけど……私も、お父さんみたいに、二人を信じたい」
そして、賢者ギルバートに向き直る。
「……でも、あんまり無茶はさせないでくださいね、賢者様」
その一言には、母親としての優しさと強さ、そして覚悟が込められていた。
賢者ギルバートと父エルドが、静かにその言葉を受け取った。
「リア、お前はどうしたいんだ?」
カナリアは、手に抱えたクマのぬいぐるみをぎゅっと握りしめ、小さくうなずいた。
(……正直、ここで断るって選択肢は、ないかな)
(ノアはもう覚悟を決めたみたいだし、魔族の再侵攻も――ほぼ決定事項とみるのが妥当な筋。だったら、どこにも逃げ道なんてない。戦うしかない。ノアが“正真正銘の勇者”なら、守るべき存在がいる。そしてそれが、転生者としての私の役目なら――)
ゆっくりと顔を上げて、まっすぐに告げる。
「……私、自分が“無属性”だってわかって、すごく悲しかった。何もできないんだって思ってた……でも、ノアを守れた。大切な人を、ちゃんと守れたんだ」
その瞳に、確かな光が宿る。
「だから、これからも守りたい! ノアだけじゃなくて、大切な人たち全部!ノアと二人なら、きっとできるって信じてる! ……ほら、剣の腕なら、私のほうが上だし!」
「リア……」
両親が目頭を押さえながら、しっかりと娘の姿を見つめた。
その時、剣士アデルが一歩前に出て、穏やかな口調で告げる。
「ご安心ください。明日すぐに旅立つわけではありません。お二人には、まず勉学と修練を積んでいただく予定です」
続いて、魔法使いマルシスが胸を張って言う。
「朝に迎え、夕方には返す。それを繰り返しながら、成人まで――つまり十五歳まで鍛えていく形になります」
そしてギルバートが、静かに締めくくった。
「……よろしいでしょうか、ご両親」
短い沈黙ののち、エルドとシンシアは互いに顔を見合わせ、深く頷いた。
「……リア、ノア。本当に、それでいいの?」
「うん!」
二人は力強く、同時に頷いた。
「僕たちがやらなくても、魔族は攻めてくる。……だから、覚悟はできてる」
「そうか……わかった」
エルドは娘と息子を見つめ、賢者たちの方へと向き直る。
「賢者様、どうか娘と息子を……よろしくお願いします」
そう言って、夫婦は深々と頭を下げた。
その夜。
カナリアとノアは、それぞれパジャマ姿で、自室の一角――二人で使う共用の部屋で過ごしていた。
窓の外には虫の声。村の夜はゆっくりと平和そのものに、静まっていく。
そんな時間の中、カナリアはベッドの上で膝を抱えながら、ぼんやりと考え事をしていた。
(……いよいよ本格的な修行が始まる、って感じかな)
成人する十五歳まで――あと約八年。
その期間中に、再び魔族が攻めてくる心配はないのか。
それが今、彼女の心に小さく引っかかっている疑問だった。
(何か、こっち側に“策”があるのかな……。魔族側の結界突破の仕組みを理解したとか? それとも、封印的な処置をしたとか……)
考えても答えは出ない。
けれど今日のギルバートたちの言動から察するに、
「今すぐ何かが起こる」という切迫した空気はなかった。
(……ま、まずは聞きながら進めるしかないか)
そのとき、隣の布団から声がした。
「ねえさん、ねえさん」
小声だったが、眠気に引き込まれる寸前の、甘えたような響きが混ざっていた。
「ん、なに?」
カナリアが顔を向けると、ノアは布団に潜ったまま、声だけで返してきた。
「……ちょっと、耳かして」
カナリアは目を瞬かせて、少し怪訝そうに首を傾けた。
「えぇ~……なにそれ本気? まぁ……いいけど」
ーーコンコンコン。
夫婦の寝室の扉が、控えめにノックされた。
「おとーさん、おかーさん……今日は、一緒に寝たい。だめ?」
パジャマ姿のノアとカナリアが、扉の前に立っていた。
「まあ……私のかわいい勇者様たち」
シンシアはやさしく微笑み、両手を広げる。
「いいわ、一緒に寝ましょう」
「おかーさんっ!」
ノアはすぐさまシンシアに飛び込んだ。
カナリアは扉の前で、口を尖らせながら、少しうつむいている。
(この精神年齢で親と寝るのは……ちょっとね、恥ずかしいんでございます)
そんな娘の様子を見て、シンシアはふっと目を細めた。
「……リアはちっちゃいときから自立が早くて、甘えられたことのほうが少ないくらい。お母さん寂しかったんだからね~今日は逃がさないわよ~?」
そう言って、やさしく抱き寄せられる。
あたたかくて、少しくすぐったい。
けれど、なんともいえない温かい感情が胸に広がって――
(……まぁ、悪くないかもね、それに……ちゃんと私この人の娘だし!)
布団の中にいたエルドはすでに寝息を立てていたが、気配に気づいてうっすらと目を開けた。
静かに振り返ると、3人のぬくもりがそこにある。
彼は静かに、やわらかく微笑み、そっと目を閉じた。
――まもなく始まる、修練の日々。
その夜、家族四人に訪れたのは、ささやかで温かい、かけがえのない幸せの時間だった。
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