第63話 私は約束を守る女
診察室には、薬草と焦げた匂いがまだほのかに漂っていた。
窓から差し込む光が、並べられた簡易ベッドと白布を柔らかく照らしている。
医師は静かに片手をかざし、光の魔力を集中させる。
淡い輝きが手のひらから広がり、カナリアの腕と肩をやさしく包んだ。
治癒と同時に体内の状態を探る魔法で、関節や神経の働きまで読み取っていく。
「……これは、まさか……いや、しかし……」
眉間に皺を寄せ、小さく息を呑む医師。
だが、すぐに小さく首を振り、表情を引き締めると診察を続けた。
さらに、小さな水晶レンズを片目に装着し、傷口を覗き込んで慎重に観察する。
淡い光が縫合跡を照らし、魔力の流れまでをも見極めるような鋭い視線だった。
やがて診察を終えると、医師は深く息を吐き、低く告げた。
「……これは驚いた。関節の動きも問題ないし、傷もほぼ塞がっている。骨や神経にも異常はなさそうだ」
「……えっ、じゃあ……!」
カナリアとノアは同時に顔を見合わせる。
ぱっと瞳が輝き、互いの表情に期待と喜びが浮かんだ。
医師はそんな二人を見て、口元をわずかにほころばせながら頷いた。
「ああ、二人とも午後からは退院していいですよ」
「ほ、本当ですか? よかった……!」
シンシアは思わず声を震わせ、隣でエルドも安堵の息を吐きながら深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、先生……助かりました」
二人の声が耳に届きながらも、カナリアは椅子の上でそっと考え込む。
やっぱり、筋力や回復速度も、特級の聖印の成長に比例してるんだろう。
普通の人間じゃ考えられない速度で、我ながらどんどん人間離れしていくのを感じる。
この世界では、星の属性による自然な回復力が働いているらしいけど、
私の場合は……ひょっとしたら異世界からエネルギーを引っ張ってきてるのかもしれない。
(――アハハ、冗談で済むといいけど)
病室に戻ると、窓辺で外の景色を眺める、見覚えのある恰幅の良い男性の姿があった。
穏やかな陽光を背に受けながら立つその後ろ姿に、ノアがすぐに気づく。
「マルセンさん!」
マルセンはゆっくりと振り返り、柔らかな笑みを浮かべて一礼した。
「グレンハースト家の皆さま……カナリアさん、ノアさんも。ご無事で本当になによりです」
「ありがとうございます……」
ふと、カナリアは周囲を見回し、小さく首をかしげた。
(マルセンさんといえば、いつも一緒にいるはずのあのメイドの姿が……)
「……あれ? シャロンさんはご一緒じゃないんですか?」
マルセンは笑みを崩さず、落ち着いた声で答えた。
「シャロンには、ちょっと別件の用事を頼んでおりましてね」
マルセンはそこで一度、ゴホンと小さく咳払いをし、表情を引き締めた。
「――今日は、合同葬儀の予定をお伝えに参りました。夕刻より、町南大門の外壁の外れ……教会関係者と騎士団が仮設した合同祭儀場にて執り行われます」
そこで、マルセンは一度言葉を切り、小さく目を伏せた。
「……本来であれば、教会で執り行う予定だったのですが、建物も屋根も聖鐘も、今回の襲撃で壊れてしまったので」
カナリアはその言葉を聞き、一瞬だけ視線を逸らす。
(……あちゃ~、あれ、私が斬り飛ばしたんだよね……。ご、ごめんなさい……)
気まずい沈黙をほんのわずかに残し、マルセンはすぐに口調を整えた。
「では、確かにお伝えしました。後ほど、お会いしましょう」
そう言って深々と一礼し、マルセンは足音も静かに部屋を後にした。
「みんな、これ見て!」
ノアの声に釣られて机の上へ目をやると、そこには大量のパンや干し肉などの日持ちする食糧、さらにはお菓子や――私の大好きなフィンベリーパイまで、山のように積まれていた。
その横には、一通の手紙がそっと添えられている。
封を切ると、丁寧な筆致でこう書かれていた。
「大したおもてなしもできず、申し訳ございません。
葬儀後は、ぜひ当宿へお戻りください。
――白銀の翼亭 支配人 マルセン」
(……うーん、こういうのを“できる男”って言うんだろうな)あえて語らず、この食糧難の中でさえ、さりげなく差し入れを置いていくとは――さすがだ、マルセンさん。
「あっ! ちょっといい?」
机の上の食料を見ていたカナリアは、思いついたように顔を上げる。
「これ、食べきれないし……少しだけ、持っていきたいところがあるんだ。大丈夫?」
シンシアは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んで頷いた。
「ええ、いいわよ」
「おう、気をつけてな」
エルドも短く返事を添える。
カナリアは「ありがと」と頷き返し、パンや干し肉、そしてフィンベリーパイを多めにバッグへと詰め込んだ。
「ちょっとだけ出かけてくる。夕方までには戻るから!」
そう言って、カナリアはバッグを抱えたまま病室を出ていった。
「姉さん、どこ行くの?」
ノアが慌てて声をかける。
ドアの外で立ち止まったカナリアは、肩から上だけを部屋に振り返り、
唇に人差し指をそっと当てながら、いたずらっぽく微笑んだ。
「ひみつ~」
ひらりと指を離し、軽い足取りで廊下を歩き去っていく。
カドゥラン領主町・西大門前居住区
瓦礫の山と、まだ焦げた匂いの残る一角に、壊れかけながらも形を保った橙色の屋根の家屋があった。
「お腹すいたよ……」
痩せた腕で母親の服を引っ張り、幼い子供が涙声で訴える。
母親は困ったように微笑み、子を抱き寄せながら小さく答えた。
「……ごめんね。町もこんな状況だから、配給もまだ少ないの。もう少しだけ、我慢してくれる?」
そして、子の髪をそっと撫でながら、優しく言葉を重ねた。
「それに……うちはまだ家が残ってるだけ、いい方なのよ。お父さんが帰ってくるまで、一緒にがんばろうね」
「……うん」
子供はしおれたようにうなずいたが、その小さな腹の虫が切なく鳴った。
気を紛らわせるために外へ出てみたが――
昨日まで当たり前にあったはずの光景は、もうどこにもない。
賑やかだった大通り、楽しげな店先、友達と走り回った広場……
すべては瓦礫と焦げ跡に飲まれ、壊れた家々と泣き声だけが風に溶けて漂っていた。
崩れた町並みを見渡すたびに、小さな胸を締めつけるような不安が、じわりと広がっていく。
数日前の夜の光景が、ふいに脳裏をよぎった。
燃え上がる家々、耳をつんざく悲鳴、そして――
魔獣よりも恐ろしい、あの“魔族”たちの姿。
――あの牛の巨人は、まだどこかにいるのかもしれない。
――また町を壊しに、戻ってくるかもしれない。
そんな恐怖が、幼い心をじわじわと押し潰していった。
うつむいて震えていたとき――
まるで恐怖を断ち切るように、やわらかな声が耳に届いた。
「ねえ、君……あの家の子?」
はっとして顔を上げると、微笑む蒼い髪の女の子が立っていた。
僕より少し年上くらいだろうか。そう思いながら少年はふと彼女の容姿を視界に入れた。
その青い瞳は、まるで澄んだ水みたいにきれいで、なんだか見ているだけで安心する。
「……うん」
「そっか。家が完全に壊れてなくてよかったよ~」
女の子はにこっと笑うと、首をかしげながら尋ねてきた。
「家の人っているかな?」
「うん。お母さんがいる。お父さんは……まだ病院なんだ」
「そっか、無事だったんだね! よかった!」
女の子は胸に手を当てるようにして、心底ほっとした表情を浮かべた。
それから、抱えていた大きめの包みをそっと差し出す。
「これね、お母さんに渡してくれる?」
少年は慌てて頷き、両手で抱えるように包みを受け取った。
ずしりとした重みが腕にかかって、あわててバランスを取る。
「じゃあね! あっ、そうそう! これも伝えてほしいな――」
女の子は笑顔で手を振ると、軽やかに走り去っていった。
転ばないよう気をつけながら玄関のドアを開けると、ちょうど心配そうに覗き込んでいた母親と目が合う。
少年が包みを差し出すと、少年の母親もそっと手を添え、二人で慎重に包みを開けていく。
中には、パンや干し肉、お菓子までぎっしりと詰まっていた。
「……これ、どうしたの?」
母親は驚きに目を見開く。
少年は包みを抱えたまま、小さな声で答えた。
「蒼い髪の女の子がくれたんだ……それでね、お母さんにこう伝えてって――」
一呼吸置き、言葉を大切に吐き出す。
「“ごちそうさまでした”って……」
母親と少年は慌てて玄関まで飛び出したが、
すでに遠くの通りの先に、小さな女の子の後ろ姿が見えるだけだった。
夕陽を背に受けたその影は、やがて角を曲がり、静かに消えていった。
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