第53話 カドゥラン領強襲⑱ 番人
私が斬り放った一撃は、
月を裂いて、空を震わせた。
町の鐘楼が、音もなく真っ二つに崩れ、
巨大な鐘が、重力に引かれて静かに落ちていく。
石畳を砕き、地を揺らす衝撃――
その直後。
ゴォォォォン……。
あれはまるで、
“魔将ダウロを討ち果たした”ことを告げる、勝利の鐘みたいだった。
ふわふわと舞っていた魔力の黒雪が、すっと掻き消える。
代わりに現れたのは、見慣れた――でも無惨に壊された町の姿。
あの鐘が鳴ったって、何も戻ってこない。
壊されたものも、失いかけたものも、すべては……。
「ノア……!」
私は、路地裏へ駆け出した。
斬撃の直前に、彼をかばって運んだあの場所へ。
急げ、急げ、お願い、生きてて。
何度も足がもつれそうになった。
けど、そんなの気にしていられない。
そして――見つけた。
「……ノア……!」
血と焦げにまみれた体。
地面に伏して、ぐったりと動かない弟の姿。
私はしゃがみこんで、その体を抱き起こす。
まだ温かい。柔らかい。
震える腕で、そっと安全そうな場所まで運んで、膝の上に寝かせる。
「……っ、お願い……」
胸に、そっと耳をあてた。
──トクン、トクン。
……聞こえる。
「……生きてる……!」
もう、何も言葉にならなかった。
胸の奥がぎゅっと痛くなって、ただ、ただ涙がこぼれる。
私はノアの体を、ぎゅっと、もっと強く抱きしめた。
「……こんなに……傷だらけになって……がんばったね……ノア……」
涙が、ぽたりと落ちて、
ノアの胸元を濡らした。
数刻前、空を引き裂くように響いた、獣の断末魔――
それは、魔将ダウロの最期の咆哮だった。
広場を中心に、町の各地に散っていた魔族たちの耳を鋭く打ち抜いた。
「な……今の声……」
「まさか……ダウロ様……?」
不穏なざわめきが、瓦礫と炎の隙間から広がっていく。
崩れかけた家屋の影、破壊された路地の奥から、ぞろぞろと姿を現す残党たち。
その目には、戸惑いと疑念、そしてわずかな恐怖が宿っていた。
広場に集まり始めた異形の群れは、目の前の光景を見て言葉を失う。
裂けた地面、沈黙する鐘楼、そして……巨大な主の亡骸。
その頭上を、魔鳥のような翼獣たちが不規則に旋回していた。
そのくちばしが、金切り声で狂ったように叫ぶ。
「ダウロサマ……シンダ……シンダ……!」
「コロス? ニゲル? ドウスル? ドウスル? コロス? コロス?」
理性なき意思が、空から地上に降り注ぐように乱反射する。
まるで思考の濁流。
魔将を失った魔族たちは、不安と混乱に揺れ、身じろぎすらできずに立ち尽くしていた。
勝者の静寂に、再びざわめきが満ちていく――
それは、まだ戦いが終わっていないことを告げる、恐ろしい兆しのように。
魔将ダウロの死は、すぐに戦線後方の魔族たちにも伝播した。
南大門前に待機していた第2陣の兵たちも、ざわめきと共に顔を上げる。
その動揺を、真っ二つに裂くように――
低く、唸るような羽音が南の空から響いた。
次の瞬間。
待機していた魔族の第2陣の南門の上空に、異形の影が降り立つ。
それは、鋭い四翼と金属質の鉤爪を備えた、空の怪物。
くちばしは剣のように尖り、紅の双眼と魔力は地上を貫くように光を放っていた。
副魔将・ズーマ。
“空中の死”の異名を持つ、空軍の指揮官。
直前、カドゥランの空戦精鋭──バードマン大隊を空中戦で壊滅させた張本人である。
その鋭い鉤爪には、まだ息のある最後の一羽が捕らえられていた。
翼をもがれ、絶叫する兵士をぶら下げたまま、ズーマは旋回しながら高く高く舞い上がる。
「ダウロ、死ス。ダガ敵戦力ハ壊滅状態。指揮権、引継グ」
軋むような金属音で発せられる声は、空気そのものを凍らせるようだった。
そして、続く命令が空から突き刺さる。
「第ニ陣──突入開始。蹂躙セヨ。破壊セヨ」
最後に、くちばしが大きく開かれる。
「主ノ敵ニ、慈悲ハ不要ダ!」
「ウオオオオオオオオオオッ!!」
咆哮が、爆発するように上がった。
地を這う魔族たちが吠え、
壁の影から顔を覗かせていた異形の兵が立ち上がる。
裂けた口から紫の煙を吹き出しながら、両腕を掲げるものもいる。
四つ足の獣型は地面をひっかき、
半死者の群れは呻き声を重ねるように、喉の奥で低くうねる音を響かせた。
――その声は、怒りか、歓喜か、あるいは単なる殺意か。
だが確かなのは、彼らがいま、
主を失った混乱から、“狩り”への欲望に切り替わったということだった。
ズーマの頭上では、翼獣たちが同調するように空を旋回し、
金切り声で吠える。
「コロス! コロス! コロス!!」
空と地が、咆哮でつながった。
町全体が魔族の鬨の声に包まれようとした、そのとき――
「……誰が誰を殺すって?」
澄んだ、しかし圧倒的な響きをもった声が、
ズーマの頭上、さらに高い空から降ってきた。
その瞬間。ズーマの紅い目が見開かれる。
風が裂けた。いや、“空そのもの”が引き裂かれた。
ズーマが気づいたときには、すでに――
彼の全身は、更なる巨大な鉤爪によって捕らえられていた。
ギリッ……
咄嗟に羽ばたく暇も、叫ぶ隙すらもなかった。
黄金の光をまとった巨大な鳥。
純白の羽毛に覆われたその神禽は、ただ無言で、
副魔将ズーマという存在を、ひとつまみの小枝のように掴み――
容赦なく、捻り潰した。
バキィ、という、骨と装甲が砕ける凄絶な音が、広場に木霊する。
それは、空の守護者。
女神の祝福を受けし大陸、その空を預かる神獣。
普段は一切人界の争いには干渉しない、“空の絶対中立者”。
だが――
そのアルコンが、ただ一羽の怪鳥を処理するためだけに姿を現したのだ。
その異常さに、咆哮していた魔族たちの喉が、ぴたりと止まる。
そして、アルコンの背に白きローブを纏った男が、ただ静かに立っていた。
「アルコン、ご苦労だったな」
柔らかな声で語りかけるのは、白きローブを纏った男。
知性と威厳を兼ね備えた老練の賢者――ギルバート・ピアソン。
神禽は、わずかに翼をたたみ、頭を垂れるように応じた。
そして、次の瞬間。広がる空気が、深く震えた。
それは、天地の境界から響くような、威厳ある声――
「……空は、争いに染めぬ。それが、我が定めであった」
「だが、魔族が破った。人と魔との“不可侵の盟約”をな」
「……我が手を貸すのは空域のみ。地上は自分達の手で解決するのだな」
ギルバートは小さく息を吐き、かすかに笑った。
賢者の横に立つのは、蒼氷を思わせる髪を風に揺らし、
鋭い眼差しをたたえた男性剣士だった。
凛とした立ち姿に、清廉な雰囲気と武人の気配が混ざる。
「……なんとか間に合いましたね」
そう言ったアデルの声は落ち着いていて、
焦りや驕りといった色はどこにもなかった。
その背には、幾多の修羅場を越えてきた者だけが持つ、揺るがぬ剣気があった。
もう一人の女性が、アルコンの背で静かに一歩、前へ出る。
風にたなびく赤みがかったショートヘア。
タイトな装束の隙間から伸びるエルフの白い指先に、淡く鋭い魔力が集束していく。
彼女が向けた視線の先――
それは、アルコンの鉤爪に握られていた、潰れたズーマの残骸。
……そして、その爪の隙間に、かろうじて息が残っていたバードマン兵士の姿があった。
マルシスは魔術式を空中に描き、指先を軽く跳ね上げる。
すると、アルコンの鉤爪がほんのわずかに開き、
その隙間から、魔力の光に包まれた兵士の身体が、
ふわりと引き上げられていく。
「……生体反応、微弱。でも助かるわ」
彼女は回復魔法を重ねながら、兵士をそっとアルコンの背に引き寄せ、
その場に横たえた。
「それにしても、大将級の姿と魔力が検知できませんね……どこへ?」
マルシス。静かに戦場を観察し続ける分析官にして、ギルバート一行の頭脳。
空に、静寂が戻った。
地上には、魔族たちの沈黙だけが残されている。
広がる静寂の中で、
ギルバートは、アルコンの背の中央からそっと前に出た。
その瞬間、風がざわめき、大気が震えた。
彼の足元から、目に見えるほどの青白い魔力が淡く立ちのぼる。
白きローブがふわりと膨らみ、
賢者の体を包む魔力が、濁りなく、しかし底知れぬ光を帯びてゆく。
尋常ではない気配――
それは、“人族という枠を超えた”何かを、魔族たちに嫌でも思い知らせた。
そして一言だけ、ぽつりと呟く。
「……先に行く」
それだけ言い残すと、彼は風をまとうように身を翻し――
上空から一人降り立った。
地上へ蔓延る悪魔たちを殲滅するために。
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