第50話 カドゥラン領強襲⑮ 禁忌能力「異世界の門」
パキィン!
門の奥から吹き出したのは、夜闇より濃く、深海の底よりも重い青黒い魔力。
それは奔流となって空へと駆け上がり、戦場の上空に巨大な渦を描いた。
渦の中心で、空間が不規則に歪む。
そこから零れ落ちたのは、黒く透き通った結晶――次元の歪みそのものが物質化した、“黒雪”。
ひとひら、またひとひらと舞い降りる黒雪が、触れた瞬間、物質の輪郭をねじ曲げる。
石は柔らかく波打ち、木は螺旋を描いて縮み、鉄は溶けたようにたわんでいく。
まるで現実の法則がその部分だけ書き換えられたかのようだった。
炎と煙に包まれた街並みが、黒雪に触れた場所から形を失い、抽象画のように崩れていく。
それは美しさと異常を併せ持つ、抗いようのない侵食だった。
街路も、瓦礫も、戦場の空気までもが黒雪に染められ、世界が静かに変質していく。
まるで少女の覚醒が、この現実そのものを別の形に作り替えているかのように。
ダウロはなおもノアを殺そうと腕に力を込めていたが、漂う空気に違和感を覚える。
焼ける血の匂いに混じる、“何か”。
そして、次の瞬間。
背筋を撫でるような、ゾクリと這い上がる冷気。
理屈でも理解でもない、本能による危険信号。
狂気に突き動かされていた魔将でさえ、思わず立ち止まるほどの“異質な気配”が、背後から迫っていた。
振り返れば、黒い粒子をまとった少女が、ゆっくりと歩みを進めてくる。
その粒子は常に形を変えながら漂い、時折、雪のように地面へと舞い降りる。
触れた石畳がわずかに波打ち、輪郭を歪ませていく。
「……なぜだ。なぜ、お前が魔法を扱える……! 無属性のはずだろうがッ!!」
ダウロの怒声に、カナリアは小さく首を振った。
「――これ、多分、魔法じゃない」
静かに、それでいて確信に満ちた声音。
カナリアはふと視線を逸らし、漂う黒の粒子――“黒雪”へと目を向けた。
その場に立ったまま、横に伸ばした左手をゆっくりと握る。
ギュウ…と指が閉じられるたび、黒雪が手の周囲へ集まっていく。
まるで重力に似た、“別の法則”に引き寄せられているかのように。
そして、ぱっ――と指を開いた。
瞬間、彼女の手元から黒雪が四方へ散り、空中で歪な軌跡を描きながら弾けた。
舞い落ちる粒は、触れた空間をぐにゃりと歪ませ、鈍くきしむ低音を残して消えていく。
「……私、勘違いしてた」
カナリアは黒雪の舞う空を見上げながら、ぽつりと呟く。
「サルフェンは言った……能力は刀に宿るって。だから、ずっと刀だけを見てた」
握った刀の感触を確かめるように、ゆっくりと視線を落とす。
「……でも、それは発動条件の一つでしかなかった。
――本当は、最初から与えられてたんだ」
瞳がゆっくりと細まり、あの日の記憶が脳裏に浮かぶ。
「私がこの世界に来た時……最初にくぐった“門”。
あれ、お決まりの異世界転移イベントだと思ってた」
握る刀に、黒雪が吸い寄せられる。
「……違った。“転移の時にくぐった、あの転移門”こそが――私の能力だったんだ」
その言葉と同時に、黒雪が一斉に渦を巻き、周囲の空間をねじ曲げる。
「な、なにを言っている……!」
ダウロの声が震えた。
苛立ちと困惑が混じるその表情。しかし、その巨体は一歩も動けない。
カナリアの放つ重圧が、筋肉の動きを根本から縛りつけていた。
カナリアはゆっくりと歩を進めながら、淡々と口を開く。
「……そりゃ、サルフェンも口をつぐむわけだよね。
“異界の門”なんて、この世界にはあっちゃいけない――禁忌だろうし」
黒雪が彼女の足元から舞い上がり、肩や髪にまとわりつく。
「合点がいったよ。この門は、異世界の魂を持った私だけが行き来できる。
魔法が使えないハンデ? そんなの、お釣りが来るくらいの能力だよ」
ほんの一瞬、表情が曇る。
「……まあ、代償がないかは分からないけどね。
まだ知らないことは、結構ありそうだし」
「貴様……何を……ッ! わけの分からんことを喚くなッ!!」
ダウロの怒声が響く。
腕に力を込め、ノアの身体をさらに締め上げながら、低く唸った。
「こいつが潰されたくなかったら、それ以上近寄るな!」
カナリアの足が止まる。
その視線は氷よりも冷たく、しかし蒼い瞳だけが鮮烈に輝いていた。
「……分からない事は、まだまだある。
でもね――」
黒雪が舞い、周囲の景色をゆがませていく。
その中で、蒼い瞳がまっすぐにダウロを射抜いた。
「――この力で、“お前を殺せる”。
それだけは……理解る」
その瞬間、ダウロの全身に、稲妻のような悪寒が走った。
背骨が氷の杭で貫かれたかのように硬直し、毛穴という毛穴が総立ちになる。
(な……んだ……こいつ……!?)
喉の奥から、獣とも人ともつかぬ呻きが漏れる。
魔でも神でもない――だが、確かに“死”を運ぶ者の気配だった。
黒雪が舞い、周囲の景色をゆがませていく。
その中で、蒼い瞳がまっすぐにダウロを射抜いた。
次の瞬間――
叫びかけたダウロの言葉を、黒い閃光が断ち切った。
一片の迷いもない斬撃。
黒銀の弧が空を裂き、まるで世界そのものを削ぎ落とすかのように静寂の中を走る。
……そして。
遅れて響く、断裂音。
ズシャッ――!!
次の瞬間、ダウロの左手首が宙を舞い、血飛沫とともに地へ落ちた。
「ぐ、がああああああああああッッ!!」
ダウロの咆哮が戦場を震わせる。
ノアの身体が、するりと抜け出すようにダウロの掌から滑り落ちる。
同時に、傍らにあった巨鉄槌の柄も、真っ二つに断ち切られていた。
カナリアの姿が視界に映った瞬間、ノアの表情から強張りが消える。
「……姉さん……」
かすかに呟いたその声とともに、意識がふっと途切れた。
小さな身体が力なく地面に横たわる――それは不安や苦痛ではなく、
姉を信じた者だけが得られる、安らぎにも似た眠りだった。
カナリアの視線が一瞬だけ、遠方の路地裏を見つめた。
(あの建物の影なら……)
黒雪が静かに舞い、指先で一粒を弾く。
空間がわずかに歪み、そこに小さな“門”が開く。
「……ノア、少しだけ待ってて」
その囁きと共に、少年の身体は黒雪の渦に包まれ、門の奥へと吸い込まれていった。
戦場からノアの気配が消えた、そのわずか一瞬で――
カナリアは再び、目の前の敵へ意識を戻す。
(ありえない……! あの女との間には、確かに距離があった!)
(それに……属性を宿せぬ奴が、魔鋼鉄以上の硬度を誇る俺の腕を切断、だと……!?)
ダウロの思考が混乱と怒りでかき乱される。
常識も経験も、いま目の前で起きている事象を説明できない。
「……見えなかったでしょ?」
カナリアは黒雪を指先で払いつつ、淡々と続けた。
「この黒雪は、一つひとつが“小さな門”なんだ。
空中に漂っているだけじゃない。――それぞれが、私と繋がる“異界への通路”」
ひとひらの黒雪が、ふっと彼女の掌に吸い込まれる。
「だから、この範囲すべてが私の領域で、私の間合い」
黒雪がふわりと舞い上がり、次の瞬間にはカナリアの姿が一瞬かき消える。
そして、まるで最初からそこにいたかのように、別の位置で現れる。
「……門を通じれば、この中ならどこへでも“瞬きひとつ”で行ける。」
「こんな風にね」
静かに告げられたその声は、すでにダウロのすぐ背後から響いていた。
ダウロの瞳が見開かれ、血の気が引く。
経験したことのない異質さに嫌な冷気が、ぞわりと這い上がる。
黒雪が渦を巻き、空間の輪郭を蝕んでいく。
消えては現れる少女の存在が、ただの敵ではないと直感させる。
その瞳に、怒りも嘲りもない。あるのは、ただ“確信”だった。
……この女は、七魔星ゼノムスの予言にいなかった。
不確定な存在。異物。運命の外側から現れた“例外”。
理解できないからこそ、最も厄介で――最も危険だ。
本能が吠える。
ここで仕留めなければならない。
このまま生かせば、魔族にとって――いや、この世界全てにとって、
取り返しのつかない脅威になる。
息が乱れ、体の奥から魔力が逆流するほどに血が煮えたぎる。
それでも、心は決まっていた。
ならば、命をくれてやる。
この身を炎に変えてでも、“この例外”をここで終わらせる。
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