第49話 カドゥラン領強襲⑭ 覚醒
才能だけでは越えられない、“経験”という名の圧倒的な壁。
積み重ねた命の数――その全てが、今の自分をねじ伏せにかかってくる。
(このままじゃ、いずれやられる……!)
打ち合うたびに腕が痺れ、足が軋む。攻めても受け流され、守れば崩される。
理屈ではない、“差”がある。
(なにか……ないか……勝負を決める、一瞬が……!)
無意識に全身の感覚を研ぎ澄ませる。
そして――見逃さなかった。わずかに揺らいだ構え。
ダウロの喉元が露わになった、明らかな“隙”。
(……ここだ!)
ノアの目が光る。
「――ッ!」
反射的に飛び込む。
剣先が一直線に喉元へ――視界が一点に絞られ、時間が伸びたように感じた。
しかし、次の瞬間。
ダウロの巨体がわずかに傾く。
「なっ……!?」
突き立てられた剣は、分厚く盛り上がった大胸筋に沈み込み――“止まった”。
刃が肉に埋まり、骨のような硬さに阻まれる。
(抜けない!?)
背筋に冷たいものが走る。視線を上げた瞬間、ダウロの眼とぶつかった。
(……違う、こいつ――)
怒りに呑まれていたわけじゃない。
ただ暴れていたわけでもない。
こいつは冷静だった。そして――計算していた。
(俺が見ていたつもりだった……のに)
逆だ。
“観察していた”のは、俺じゃない。
こいつの視線は、ずっと俺の動きを測っていた。
(……観察されてたのは、俺の方だったんだ!)
ノアの目が大きく見開かれる。
(くそっ、罠だった――!)
心臓が跳ねて。体がわずかに強張る。
ノアの動きが、一瞬止まった。ほんの刹那――だが、それは命を奪うには十分すぎる隙だった。
「ぬうぅっ!!」
咆哮と共に、ダウロの巨木のような腕が横薙ぎに振り抜かれる。風を裂く鋭い音と共に、その腕は迷いなくノアの身体を絡め取った。
「うっ……くそっ……!」
逃れようと即座に足掻く。しかし、それすらも虚しく、すでに遅かった。
分厚い掌が、まだ幼い体を包み込み――握るのではない、“潰す”ための形に変わる。
ぐぐ、と締まっていく。
骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げ、内臓が押し潰されていく感覚が鮮明に伝わる。
そこには慈悲も容赦もない。あるのはただ――
「勇者をここで絶対に殺す」という、確固たる“意思”だけだった。
ギリギリ……ギリ……ギリィッ!
骨が悲鳴を上げる嫌な音が響く。皮膚の下で血管が浮き上がり、脈動するたびにさらに締まる。
剣に纏わせていた光のエンチャントですら、その凄まじい圧力に耐えきれず、きしむように輝きを失っていく。
「くっ……が……! あ……っ、あ……!」
声にもならない喘ぎ。喉が潰され、肺が圧迫される。
吸おうとしても空気は入らず、肺は空っぽのまま。
(ダメだ……潰される……)
世界が揺らぎ、視界が滲む。
鼓動の音が遠くなり、耳鳴りが支配する。
内臓が、手のひらの中で押し潰されていく――そんな確かな“死”の感触が、体内から這い上がってきた。
痛みが、脳を焼く。恐怖が、心を蝕む。
そして――“終わり”の気配が、すぐそこまで迫っていた。
……それでも。
ノアの瞳からは、まだ光が消えていなかった。
(こんなとこで……終われるかよ……)
潰されかけた肺から、かすれるように息を吐く。
喉が震え――声を出そうとする。
「……っ……!」
だが、何も出ない。喉が塞がれ、声が押し殺される。
呼吸は細く、肺は空っぽのまま。
(……頼む……最後にこれだけ……!)
意識が霞んでいく中、心の奥底でただ一人の名を呼んだ。
何度挑んでも勝てなかった背中。
それでも、絶対に追いかけてきた。あの背中だけは、負けたくなかった。
(姉さん……!)
届かないと思った。だけど、届くと信じた。
自分には無理でも、彼女なら――きっと。
その瞬間――
ダウロの腕から、白い霜がじわりと広がっていく。
パキパキと音を立て、分厚い筋肉と皮膚を凍らせていく。
ノアの肩口から、蒼白の魔力が噴き出した。
氷が絡み合い、鋭い爪を持つ“竜の腕”を形作る。
「……ぐぬぅっ!?」
竜腕がダウロの巨腕を押し返し、わずかに締め付けが緩む。
喉に空気が戻り、声帯が震えた。
「…ねえ……さん……」
微かに震える唇から、か細い声が漏れる。
視界が揺れ、輪郭が滲み、世界が遠のいていく。
――だが、次の瞬間。
「カナリア姉さあああああああんッ!!!」
限界まで潰された喉から迸る、魂の絶叫。
全身を裂かれながら、それでも――双子の姉の名を、叫んだ。
カナリアは震えるまなざしで、祖父の亡骸を見つめた。
温もりはもう、どこにもない。
あれほど頼もしかった背中が、今はただ静かに横たわっている。
嗚咽が込み上げる――それだけではなかった。
視界の端、崩れた家の隙間から、小さな子供が泣き叫んでいるのが見えた。
その隣では、肩を寄せ合って震える夫婦。
さらに遠く、炎に包まれた建物の中からも声が――
「……助けて……誰か……!」
燃える街。
崩れる家。
怯える人々。
その時、聞こえた。
「カナリア姉さあああああああんッ!!!」
焼け落ちる空に、懸命な叫びが突き刺さる。
あの声――あたしの、大切な弟の声だ。
「ノア!!」
ハッとして声が裏返った。
叫んだ瞬間、脚が前へ出ようとする――が、情けなく崩れる。
(足が……まだ動かない……!)
叩きつけられた衝撃が、体の芯まで痺れさせている。
それでも見える。
ノアの顔。私を信じて呼ぶ声。
そして押し潰そうとする――あの魔物の巨腕。
(あたしが……今、動かないでどうするの……!)
体は痛みで言うことを聞かない。
それでも、目を背けたら――一生、後悔する。
頭の奥で、あの声が蘇る。
――ノアを護れ。
祖父と交わした、最期の約束。
(……おじいちゃんと……約束したんだ……!)
(あたしが守るんだ。あたしが!)
「わたしがノアを助ける!!
無属性だろうと、無能だろうと、そんなの関係ない!!
“私は私”の道を――この刀神で切り開く!!」
ピシ……ピシ……ピシ……ビシシシ……ッ!バリッ!!
カナリアが決意と共に刀に力を込めた瞬間、彼女の周囲の空間が歪み、亀裂が入る。
同時に、カナリアの左肩が灼けるように熱を帯びた。
刻まれた《刀神の核印》が脈動し、その周囲に淡く浮かび上がるはずの“聖環”が――歪な形を描く。
それは本来の属性を示す輪ではなかった。……"門"だ。
――ギギギ、と世界の骨組みそのものが軋む音。
聖核印が“門”そのものへと変じ、ゆっくりと、抗えぬ力で開いていく。
開き始めたその奥には、光すら届かぬ深淵が口を開けていた。
そこから溢れ出したのは、黒く、歪んだ光――。
女神に祝福され、世界を託されたはずの少女。
だが、その背に広がった気配は――女神ではなく、死神のそれだった。
その覚醒に呼応するように、夜空に浮かぶ“三つの月”が強く輝きを放つ。
まるで――ふたりの運命を、空の瞳が静かに見届けているかのように。
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