第40話 カドゥラン領強襲⑤ くっ……こ、ころせ!
女騎士なら一度は言わせたい!
「……姉さんに、ひどいこと言っちゃった。
だから――僕が、迎えに行かなきゃ!」
「よく言った!それでこそグレンハースト家の跡取りだ」
祖父ギャンバスの声は、厳しくも温かい。
ノアの小さな肩を力強く叩くと、自らも隅にあった伐採用の愛斧を手に取った。
マルセンが、深く息をつきながら言う。
「どうやら、私は止めることがかなわないようですね……。わかりました。ご家族の避難は、必ずや成し遂げます」
その言葉に応えるように、マルセンが一声かけた。
「シャロン」
すると、メイド服を脱ぎ、軽装備に身を包んだシャロンが現れる。
しなやかにして鋭い瞳を持つ、隠密の才覚を備えた者。
「かしこまりました。
私の《察知》の才覚で危険を回避し、エルド様とシンシア様を必ずや安全な場所までお連れします」
シンシアが、震える声で叫んだ。
「リアを……お願い! 二人とも、必ず……必ず生きて帰ってきて!」
足の痛みに耐えながら、それでも母は、懸命に祈っていた。
ノアは頷き、まっすぐに母を見つめる。
「……うん。行ってくる。
姉さんを、ちゃんと連れて帰ってくるよ!」
その言葉は短くとも、瞳には確かな覚悟が宿っていた。
ふと、机の端に置かれた一本の刀が目に入る。
カナリアが、慌ただしく出ていくときに置き忘れたものだ。
ノアは静かにそれを手に取り、鞘越しに刀身へと視線を落とした。
(姉さんに必ず届ける――)
そんな言葉が喉まで出かかったが、代わりに小さく息を吐くと、
刀を背にくくりつけ、しっかりと紐を結んだ。
祖父と共に、宿舎の扉を開く。
冷たい外気が、肌を刺した。
崩れた瓦礫。立ち上る煙。遠くで鳴る悲鳴と爆音。
戦場の音が、“生と死を分かつ現実”として容赦なく、押し寄せてくる。
宿舎を飛び出したノアは、焦げた空気を切り裂くように走った。目指すリアが走り去った方向しかし、そこに広がっていたのは地獄そのものだった。
崩れ落ちた家屋。噴き上がる炎。あちこちから、「誰か!」「お願い、助けて!」という叫びが飛び交っていた。
「……ひどい……」
立ち尽くしたノアが、唇を噛む。拳に力がこもり、指先が白くなる。
そのとき、背後から低く、穏やかな声が届いた。
「ノア……気持ちはわかる。だが今は、リアを追うんだ確か西門へ向かったはずだ」
ギャンバスだった。瓦礫の陰に立ち、手にはいつもの斧を携えている。その顔は土と煤で汚れていたが、目元には本来の目的であるカナリアを迎えに行く意志が宿っていた。
二人は、瓦礫の中を駆け抜ける。その視界に、動かぬ人影がいくつも転がっていた。血に染まり、呻きもない。すでに遅かった命ばかりだ。
そんな中、ふと目を引いた光景があった。魔族。爛れた皮膚と血塗れの牙をもつ異形が、泣き叫ぶ母子を襲おうとしている。
ノアは、見覚えのあるその顔に、足が勝手に駆け出した。
(「ママ! あのお兄ちゃんとお姉さん、勇者かもしれないの?」)
(あの人たち……生還の儀の時に教会にいた親子だ!)
「やめろッ!!」
叫んだ瞬間、ノアの中で何かが弾けた。脳裏に熱が走り、視界の奥が灼けつくように赤く染まる。
――穢れた魔族を殺せ。滅ぼせ。女神の大地に、その存在を許すな。
理性とは違う場所から、頭の奥に、獣のような声が響きノアの目が、光る。
「うおおおおおおおっ!!」
怒りと、救いの願いが乗った斬撃が、一閃。
冷気の残滓を引きながら、魔族の身体が斜めに裂ける。断末魔を残して崩れ落ちた。
「おにいちゃん、ありがとう……!」
「勇者様……ほんとうに……っ!」
泣き崩れる母と子が、ノアの前で頭を下げる。ノアは、深く息を吐き、小さく頷いた。
握るのは、父からもらった霊樹《アーバン樫》から削り出された、鋼鉄並の強度を持つ木剣。
魔力との親和性が極めて高い希少な霊材だ。
ノアの怒りと本能に呼応するように、剣身が淡く蒼く輝き始める。空気が凍てつくように冷え、剣からは霧のような冷気が立ちのぼる。
(宿舎の時感じた……邪悪な魔力の正体は、やっぱり魔族だったんだ)
それにただの魔族じゃない。だが、確かに感じていた。
この町のどこかに、言葉では言い表せないほどの“巨大な魔”が潜んでいる。
根拠はなかった。それでも確信していた。
この先に、“圧倒的な悪”がいる。
「……じいちゃん、ごめん。姉さんを探す前に」
その瞳に、煙の奥、さらなる闇が映る。
「……倒さなきゃいけない“何か”が、いる」
鼓動が速くなる。胸の奥の“勇者の因子”が、ざわめいていた。
町の中央広場、かつて市が開かれ、子どもたちの笑い声が響いていた場所に、今はただ重々しい足音が響いていた。
鉄槌を肩に担ぎ、全身から禍々しい魔気を放ちながら歩いてくる巨躯の魔将、圧壊のダウロだ。
だが、その前を歩く一つの人影があった。
副騎士団長レオナ。
美しい銀髪は乱れ、血と煤に汚れた鎧は半ば崩れ、はだけている。
その姿は凛然としたかつての副団長ではなく、何かに操られた哀れな人形のようだった。
虚ろな瞳。表情はまるで感情を失ったかのように空白で、よろめくように歩いてはいるが、まるで“先導する”ようにダウロの前を進んでいる。
そして、その後頭部には、おぞましい“脈打つ瘤”が張り付いていた。
赤黒く蠢くそれは、生き物のようにうねり、無数の細い触手をレオナの首筋や耳の奥へと侵入させている。
理性も、誇りも、記憶さえも……すべてを侵されている。
それでもなお、副騎士団長としての鍛え上げられた肉体は、魔族の盾となるように前を歩き続けていた。
ダウロが、ゆっくりと歩を進めながら呟いた。
「……町の中心は、あの噴水か?」
「あががが……はは、はは……いい、いい……。あの、ふう……ふふっ、噴水が……まちの、ちゅ、中心……」
歪んだ声を漏らしながら、操られたレオナが応える。その指さす先、噴水の中央には水瓶を高く掲げる女神の彫像があった。
それを見たダウロの目が細められる。
「……不快だな」
視線をレオナに戻したダウロがさらに問いかける。
「……ガキの特徴を言え」
「あ、あ、あ……わ、わわたしも……ちょ、直接見たわけでは……な、な、な、ない……」
喉を詰まらせるように声を出しながら、レオナが続ける。
「……き、ききき……きん髪……氷の、うででで……腕……き、きき、奇跡の……うでででで……」
ダウロの赤黒い眼がギラリと光る。
「水冷属性……ということか!? お前らでいう“才覚”はなんだッ!?」
吐き捨てるような怒声。レオナはぴくりともせず、ぎこちなく口を開いた。
「さささ才覚……わわわわたしは……重騎士わ、わたしは……私は……!」
その声がふと震え、瞬間、レオナの表情に“人間”としての意志の光が宿る。
「私は……“私”だッ!! 操られてたまるかああああああッ!!」
叫ぶようにして唇を噛み、腰のナイフに手を伸ばす。その動きは無駄のない一瞬であった。
シュッ――
抜き放った銀の刃が、迷いなく自らの後頭部――そこに貼りついた魔の塊に向かって振るわれた。
グシャッ!!
ナイフの切っ先が肉と異形を貫き、脈動する魔塊に深々と突き刺さる。
「ピギャアアアアアアアッ!!」
耳を裂くような、金属を引き裂いたような甲高い悲鳴が、あたりの空気を震わせた。
ブチンッ、ズルッ。
異形の触手が引き抜かれ、頭皮にこびりついた魔塊が剥がれ落ちる。体を貫いていた異質な支配が霧散し、レオナの瞳に再び光が戻る。
「……はぁ、はぁ……っ!」
荒く息をつきながら、よろけるように立ち上がる副騎士団長レオナ。その手には、なおも血塗れのナイフ。
「……侵略者め……ここは……通さない……」
呟きながら、フラつきつつもナイフを構え、ダウロに正面から向かおうと――
「……ぬうん」
ガシッ!!
次の瞬間、鈍い衝撃音と共に、レオナの全身が宙に浮いた。
ダウロの巨腕が、まるで木の枝でも摘むように、レオナの体を片手で掴み上げていた。
「ほう……強靭な意志だな」
ダウロの手に握られ、レオナの足が宙をばたつかせる。握力だけで、彼女の全身から骨が軋む音が鳴っていた。
「くっ……こ、ころせ……!」
鋭い目で睨みつけながら、ナイフを握り全身の力を振り絞る。
その様子を見下ろしながら、ダウロが低く笑う。
「もう用済みだ。失せろ」
その声とともに、巨腕が振り抜かれる。
「ふんッ!!」
咆哮とともに振り抜かれた巨腕。
副騎士団長レオナの身体が、抵抗すら許されず宙を舞った。
飛ばされた先には、街の中心。
人々が祈り、集い、平穏を象徴する女神の噴水広場。
ドゴォンッ!!
レオナの体が女神像に叩きつけられる。
鈍い衝撃音とともに、噴水が大きくしぶきを上げ、
女神像は傾き、水瓶ごと噴水を跳ねながら地面を転がる。
そのままレオナの体は、濡れた石畳を滑り、
隣接する建物の内壁面に
ズガァンッ!
と音を立てて突っ込んだ。
石と水、そして沈黙。
レオナの身体は瓦礫の中に埋もれ、ピクリとだけ動いた。
「かっ……あ……っ……」
かすれた声が漏れた。
僅かに震えた指先。次の瞬間、ガクンと力なく首が垂れる。
その姿を、誰も確認できる者はいない。
気高く、美しく最後まで抗った彼女の生死は、誰にもわからない。
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