第35話 ぶつかる想い、夜を駆ける
「姉さんっ!!」
勢いよく扉が開かれ、ノアが風のように飛び込んでくる。
顔を少し赤くさせて、息を弾ませながら、私の姿を見つけてぱっと笑う。
「よかった、無事だったんだね……!」
後ろからゆっくりと入ってきたエルドが、娘の無事を確認して、ほっと息を吐く。
「……リア、心配したんだぞ」
その声に、私がちらりと視線を向けると、エルドは照れたように笑いながらも、いつもの父の眼差しでこちらを見ていた。
それだけで、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
続いて、ノアが興奮気味に無邪気に言った。
「ねえ、ねぇ!聞いてよ! 領主様とか、すっごい人たちがさ、“女神の子”だって! ほめてくれて……!勇者かもしれないんだって、僕!えへへー」
その笑顔に、私は一瞬だけ胸がチクリと痛んだ。でも、笑ってみせた。
「そっか、よかったね」
そうだよね。まだ七歳。嬉しいことがあったら、つい自慢したくなる。
わかってる。頭では、ちゃんとわかってるんだ。
でも。
「姉さんも、せっかく呼ばれてたのに、勝手にいなくなっちゃうんだもん。
ちょっと心配したけど……恥ずかしかったよ」
ああ、それは――
ノアの無邪気な笑顔。
それは、まるで――
……“呼ばれて当然”だった。そんな風に私には聞こえてしまった。
(カチン)
心のどこかで、何かが弾けた。
(あーまずい、わたし、ちょっとキてるかも)
わずかに眉が動く。胸の奥で、“静かに”怒りの火が灯る。
いつもなら流せたかもしれない。
でも今は、無理だった。
(……ダメだ、落ち着け私!落ち着いて……相手はノア、私の、大事な……双子の弟)
けれど、口がもう言葉を結びはじめていた。
「……そりゃ、全部もってる人には……わかんないよね」
(違う、今のは言いたかったんじゃない……! やだやだ、落ち着いて!)
「……ずるいよ!」
小さく震える声だった。けれど、はっきりとした口調で、ノアの言葉を真っ向から遮っていた。
(止めて、お願い……こんなの、言いたくないのに……!)
「ノアはずるいよ! 全部持ってるくせに!みんなに好かれて、動物にもモンスターにも懐かれて、剣神の才覚まであって……!」
怒鳴るように、まくし立てるように、感情の濁流が口から溢れ出していく。
「それに、全属性持ちって、なにそれ!?一つや二つじゃ足りなかったの? 欲張りすぎだよ……っ!」
その瞬間、張りつめていたものがぷつりと切れた。
ぽろり、と。
こらえていた涙が、頬を伝って落ちた。
「私は……私は、なにも持ってないのに……っ」
震える声。握りしめた拳。唇を噛んで、でも抑えられなかった。
「……私へのあてつけみたいに、しないでよ……!」
息を飲むように、ノアが立ちすくむ。目を見開き、何も言えないまま、リアを見つめていた。
自分の何気ない言葉が、姉をどれだけ傷つけていたのか――
そのとき、はじめて気づいたような顔だった。
けれど、それと同時に。
胸の奥に積もっていた、別の思いがこみ上げてくる。
自分だって、ずっと比べられてきた。
家でも、村でも、誰もが「お姉ちゃんみたいに」と言った。
頑張っても、追いつけなくて、悔しくて
それでも必死に走ってきたんだ。
今だけは、その気持ちを、言いたかった。
「なっ……! 姉さんなんて、みんなから憧れられてるじゃないか! 勉強もできるし、剣だって強くて……僕、何度挑んでも一回も勝てたことがないんだよ!ずっと、追いかけてたんだ!」
拳を握るノア。幼さの残る小さな手が、悔しさと誇りを握り締めていた。
「やっと僕にも、“すごいでしょ”って言えるものができたのに……!姉さんに、初めて自慢できると思ったのに……!」
ノアの声が震える。ノアの瞳に、涙がにじんでいた。
「やっと僕の番だ!って思ったのに……!」
その叫びは、怒りではなく、泣きたいような声だった。
「……気持ちを分かってないのは、姉さんのほうじゃないか!」
そして最後に、感情があふれた一言をぶつける。
「ひどいよ……!」
「おいおい、こらこら、ちょいと落ち着きなさい」
普段は喧嘩なんてしたことがない二人の剣幕に止めに入ろとする父祖ギャンバス。
――「おじいちゃんは黙ってて!!」
二人の声がハモった。
ギャンバスは一瞬ぽかんと目を見開きすぐに「おぉ、スマン」と呟いてそのまま、椅子に腰を下ろして、肩をすくめるようにして、どこか寂しそうに目を細めて黙り込む。
私はノアに言い返されるなんて、思ってもいなかった。
しかも、言ってることは……ちゃんと筋が通ってる。
でも、私だって……
大人だって、どうしようもない時って、あるんだよ!
肩が震えて、唇がわなわなと震えるのが、自分でもわかった。
ノアの言葉を、何度も何度も、心の中でなぞる。
それが、ノアの気持ちなんだって解る。でも。
私は静かに俯き、そして、絞り出すように呟いた。
「もう……知らない……ノアなんて、大っ嫌い!!」
次の瞬間、私は駆け出していた。
廊下を抜け、玄関の扉を開け放ち、外へと飛び出す。
すれ違いざまにシャロンさんが何か言っていた気がする。
「……あれ、カナリア様? 今度は、お出かけですか?」
でも、頭に入らなかった。立ち止まる余裕なんて、なかった。
走り去ろうとする私に、母が手を伸ばし追いかけようとする。
「リアっ……待って! お願い、戻って!」
後を追おうとするシンシアの肩を、父が支えるように押し出す。
「リア! 待ちなさい!」
二人の叫びも、夜の風にかき消されていく。
カナリアの姿は、夜の街道へと暗がりの中へ、どんどん小さくなっていく。
その背中を、ノアが黙って見つめた。
しばらくして、ぽつりと、ひとこと。
「……無駄だよ、父さん。僕(剣神)でも追いつけないんだ。姉さん、走るのすごく速いから……」
その声は、どこか悔しさを滲ませて、どこか寂しげだった。
「……ひどいこと、言っちゃったな……」
ノアの呟きだけが、夜中でも明るい街道に落ちる。
ふと、ノアは思い返す。
今思えば、姉さんと兄弟げんかをしたことって一度もなかった。
僕と姉さんは双子で、同じ日に生まれて、ずっと一緒に育ってきたけど……それでも、姉さんはいつだって“大人”だった。
小さい頃は、よく「リア」って呼んでた気がする。
でも、気づいたときには「姉さん」って呼んでた。
何でもできる姉さん。
僕がわがままを言っても、「いいよ、ノア」って笑って僕を優先してくれた姉さん。
優しくて、強くて、かっこよくて、ちょっと不器用で。
(そんな姉さんを……僕、傷つけてしまったんだよね……)
胸の奥に、きゅうっと痛みが走った。
ほんの少しでも、姉さんが僕の言葉で泣いていたとしたら――そう思うだけで、心が重たくなる。
窓の外からは、町の賑わいがかすかに届く。
祝福に沸く声。全属性の勇者候補を讃える祭の気配。
なのに、この家だけが、まるで切り離されたように、ひどく静かだった。
私は走っていた。
わけもわからず、とにかく足が止まらなかった。
心の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられなかった。
このまま、どこか遠くへ行きたかった。
気づけば、宿も、城下町の通りも通り過ぎ、西大門の手前にいた。
門の前には、大柄な衛兵たちが十数人、警戒の様子で立っている。
知るもんか!外に出たい!
そう思った瞬間、門番の一人が私に気づいて、鋭い声を飛ばした。
「そこの子! 止まりなさい!」
「夜間の外出は禁止だ、引き返しなさい! 今夜は警戒態勢中だぞ!」
ひとりが手を伸ばして制止しようとする。
けれど、そんな声も、動きも、全部が遅れて見えた。
――遅い。
私は息を吸い、地を蹴った。
風が髪を撫でる。
門兵たちの手が迫る――けれど、私の身体はそのわずかな隙間を縫うようにすり抜けた。
「ま、待てっ、待ちなさい!」
追いつけない。
それは、相手が子供だからではない。
明らかに、“違う”。
私の足は迷いなく、闇に向かって走っていた。
夜の空気が冷たくて、頬が少しだけ痛かった。
でも、それすらも気持ちよかった。
どこまででも行ける気がした――このまま、世界の果てまででも。
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