第34話 異質な力の片鱗
つい先程までノアとカナリアの《聖環の儀》が行われていた聖堂も、騒ぎを終えて、まるであの熱気が嘘のように静まり返っていた。
ノアの“全属性”という空前の結果に加えて、カナリアの“無属性”という前代未聞の事態。驚きとざわつきに包まれた空間だったが、儀式が終わった今は人もまばらになり、あれほど騒がしかった聖堂が嘘のように落ち着いている。
聖堂内。荘厳な空気が漂う一室で、聖印記録員が書類を手に静かに口を開いた。
「本来であれば、姉カナリアにも領主殿とお会いいただきたかったのだが……ご様子を伺うに、今は難しそうだ。せめて弟ノアだけでも、お目通り願えればと」
父・エルドが一瞬だけ考え込む。だが、すぐにその迷いを断ち切るように小さく頷いた。
「……わかりました。俺がノアを連れて行きます」
ノアが驚いたように父を見上げたが、すぐに引き締まった表情に戻った。
「うん。大丈夫。行くよ、お父さん」
そのとき、記録員のもとに宿からの伝令が駆け込んでくる。
「報告いたします。白銀の翼亭のメイドより連絡がはいっておりまして、カナリア様、先ほど宿へお戻りとのことです」
「……そうか。なら、あの子のことは私たちに任せて」
「あなた、ノアのことお願い。リアには、私とお父さんが向かうから」
「ふむ。あの子、きっとすごい顔して拗ねとるぞ……」
ギャンバスが苦笑しながら立ち上がる。
ノアはそれを見て、ほんの少しだけ笑った。
「もし姉さんが大丈夫なら、領主様と一緒に面会しようって伝えて」
ノアと父・エルドは、聖印記録官とともに聖堂をあとにした。これから、北側にそびえる領主の城へ向かうために。
一方、母のシンシアと祖父ギャンバスは、カナリアの様子を見るために一足先に宿へ戻ることに。
聖教の司祭たちも、儀式の片付けがひと段落したら、後ほど城へ向かうと記録官に伝えていた。
聖堂の隅、片付けの手を止めた司教は、呆然と呟いた。
「全属性など、あるはずがない……いやあってはならぬ」
複数属性持ちは、まれに確認されている。だが、それはせいぜい二つ、賢者ギルバート殿が最多で三つまで。
問題は光と闇。この二極を同時に宿すなど、本来、魂の構造的にありえぬこと。
(……いや、例外が、ただ一つだけある)
司教の脳裏に、ノアの顕現させた“氷の竜腕”がよぎる。
相反する属性を、奇跡のように共存させていた、あの存在。
(……できるのは、竜族。星の神に抗いし、最古にして最強の種族)
だとすれば、あの少年は――。
――ドゴッ!
鈍い衝撃音が、静まり返った聖堂に響いた。
「……っ!?」
司教はハッと顔を上げ、反射的に音のした方へと歩みを進める。
片付けをしていた神官たちも動きを止め、ただならぬ気配に戸惑いを見せていた。
祭壇奥中央。そこに安置されていたはずの《神聖石》――
女神の祝福を測る“属性の鏡”とも言われる神具が、縦に、真っ二つに割れ地面に横たわっていた。
「な、何事だ……!? これは……っ」
慌てて近づき、砕けた破片を手に取る司教。
かすかに残る魔力の波動を、その手で感じ取る。
「……ノアではない。違う。これは……この魔力は……」
目を見開く。
「カナリア・グレンハースト……!? だが、彼女は“無属性”と……!」
言い知れぬ違和感と共に、冷たい戦慄が背筋を走る。
魔力の残滓は、確かに“属性”を持たない。それなのに、神具を破壊するほどの干渉を果たした。
(無属性だけではない……“属性を拒絶する”何かだ。世界の理すら歪めかねぬ、異質)
司教は思わず息を呑む。
――この双子、いったい何者なのだ。
夜の帳が降りた、白銀の翼亭――
グレンハースト家が領主に案内された高級宿の一室。
その奥にある小さな荷物部屋。その扉の前で、家族の声が響いていた。
「リア! ドアをあけるんだ! なんの心配もいらん! きっと、何かの手違いだ!」
祖父ギャンバスの、強くも優しい声。
「んんー……なんかうるさい……」
その声に、私は薄く目を開けた。
ぐっと眉を寄せて、上体を起こす。
(……なんか音がする……誰か騒いでる……?)
扉の向こうから、さらに声が響いてくる。
「リア……聖環が顕れなかったからって、それが何だというの?」
それは、聞きなれた母の声だった。
(はっ……そうだ! 私、儀式を飛び出して宿に戻ってそのまま、不貞寝しちゃったんだ……)
寝ぼけていた頭に、ぐるぐると現実が戻ってくる。
(……ママと、おじいちゃんの声……?)
(や、やばい……)
私は目をこすりながら身を起こす。
(絶対これ、私がショックで閉じこもってるって勘違いされてるやつじゃん……)
いや、最初はほんとに落ち込んでたんだけど……
(どうしよう……なんかこう、“それなりに立ち直りました感”出す感じでいこうかな。その方が角立たないよね……)
私は小さく深呼吸して、ちょっとだけ眉尻を下げる練習をしてから、そっと扉に手を伸ばす。
カチャリ。
沈黙の底に沈んでいた空気が、わずかに動いた。
その音は、心の鍵までも外してしまうかのように、痛々しく静かだった。
続けて、扉が軋む音を立てながら、ゆっくりと開いていく。
中から姿を現したのは、目を腫らした少女――私だよ。
「……ママ、おじいちゃん……ごめんなさい」
そのか細い声が届いた瞬間、ママとおじいちゃんは衝動のように動いていた。
母シンシアが駆け寄り、しゃがみ込んで私を力いっぱい抱きしめる。
「リア……リアぁ……っ!! 不安だったよね、怖かったよね……もう大丈夫よ、もう全部大丈夫だから……!」
涙があふれて止まらず、言葉にならない嗚咽が喉を震わせる。
ギャンバスおじいちゃんも膝をついて、私とママを丸ごと優しく抱きしめた。
「よう出てきてくれたな……リア……」
いつもは朗らかなおじいちゃんの声が、今日はちょっとだけかすれていた。
(……うう、だましてるわけじゃないけど……良心が痛む……)
あれ……?そういえば、父とノアがいない。
私はそっと顔を上げ、あたりを見回す。
あのあと何かあったのかな。そう思って、目に映る部屋のすみずみまでを探すように見渡した。
まるで、ふたりがどこかに隠れているんじゃないかとでも思ったかのように。
「パパと……ノアは?」
私の問いに、ママがすぐに応えてくれた。
そっと頬に手を添えながら優しく、でもどこか安心させようとするように語る。
「ノアはね、儀式のあとに聖印官様と司教様に連れられて、領主様とお話してるの。お父さんも、付き添ってるわ。すぐ戻ってくるはずよ」
「……そう、なんだ」
なるほど……特級の聖印核に加えて全属性。そりゃあ呼ばれるよね。でも私は? 私は、呼ばれなかった。……そうだったのかな今では判らない。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
わかってる。比べることじゃないって。
でも、ノアは選ばれて、私は選ばれなかった。
それを思うたびに、心の奥に冷たい空気が入り込んでくるような気がした。
――そのときだった。
外から、車輪が止まる音が聞こえた。
それは馬車のブレーキをかける音。続いて、蹄の音が静まり、扉の外から軽快な足音が響いてきた。
タタタタ――
バンッ!!
「姉さんっ!!」
勢いよく扉が開かれ、ノアが風のように飛び込んでくる。
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