第30話 嵐の前夜はスイートルームで宿泊を
石畳の広場に入る手前で、御者が手綱を止める。
「少々お待ちください。通行証の確認がございます」
そう言って御者は軽く会釈し、門番のもとへ歩いていった。
私は目の前の鉄門を見上げた。
(……でっかい)
十数メートルはあろうかという巨大な扉。厚みも相当ある。
門の表面には打ち出し鋲と装飾が施され、重厚という言葉では足りないほどの威圧感があった。
「すごい門と防壁だろ?」
隣から、付き添いの兵士が声をかけてきた。
「この領主町、いまだかつて敵に落とされたことはないんだ。うちの兵団の自慢さ。もし気が向いたら……兵団に入ってみないか? 君なら大歓迎だよ」
「もう少し大きくなったら考えてみますね」
軽口めかしたその誘いに、私は苦笑しながら目をそらした。
それにしても……。
私はふと、門の周囲に立つ兵の数に違和感を覚えた。
門衛だけでなく、弓兵に魔法職らしき装備の兵士までちらほらと立っている。
(戦争中でもないはずなのに。やけに兵士の数が多いな……なんでこんなに警備が物々しいの?)
気になって、兵士に声をかけようと一歩踏み出したそのとき――
「お待たせいたしました! グレンハースト家ご一行、到着でございます!」
御者の朗々とした声が響き、鉄門がゆっくりと開かれた。
馬車がそのまま門を通されると、すぐ内側にはすでに人の列ができていた。
宿泊施設の従業員らしき人々が、ずらりと並んでこちらに頭を下げている。
その手には花束。しかも、一人ひとり違う種類の花が整然と抱えられていた。
(……え、なにこれ?ウェルカムサプライズってより来賓レベルの歓迎じゃん)
目を瞬かせていると、その中のひとり――代表らしき小太りな正装の男性が一歩前に出た。
「女神の祝福たるお二人様、そしてご家族の皆様をお迎えできますこと、宿の名誉にございます。領主ルグイ様よりすでにお話は賜っております。どうぞ、こちらへ」
男は丁寧に一礼すると、ふくよかな笑みを浮かべながら続けた。
「私は皆様が宿泊いたしまし《白銀の翼亭》を預かっております、支配人のマルセンと申します。ささやかではございますが、心を込めておもてなしいたします」
(こんな経験前世ではあったのかな?いや、ないか。でも歓迎されるのは悪くないかも)
代表者の言葉とともに、私たちは馬車から順に降りていく。
足元に敷かれた絨毯と、香るように漂う花の香りに、どうしても落ち着かない気分になる。
そんな中、御者が手綱を軽く引きながらこちらを振り返った。
「それでは、帰りの際はまたこちらにお迎えに参ります。グレンハースト家の皆様、どうぞカドゥラン領主町を心ゆくまでご堪能くださいませ」
「……それと、お二人のご活躍により命を救われたこと、領主ルグイ様にもきちんとお伝えさせていただきますね」
目を伏せるように頭を下げると、御者は馬車を静かに走らせ、石畳の道をゆっくりと去っていった。
残された私たちは、まだ状況を飲み込めないまま、広がる石畳の通りと壮麗な街並みに目を奪われていた。
私たちは案内されるままに石畳の路地を進み、宿泊先の建物へと足を踏み入れた。
指定された客室は、どう見てもこの宿の最上級。
豪奢な調度品にふかふかの絨毯、金糸のカーテンに、外には街を一望できる広々としたバルコニーまである。
俗にいうVIPルームとかスウィートルーム的な部屋だと思う。
「こ、これはまた……貴族の屋敷みたいだな……」
「わぁ……! ちょっと、こんなところ泊まっていいのかしら……私たち」
「ほう、贅沢なつくりだ……なかなか良い樹を使っておるのう」
大人たち3人の反応からみても豪勢な部屋だったらしい。役得役得!今回は贅沢させてもらっちゃおう。
中央のテーブルには、果物やスイーツがぎっしりと並んでいた。
部屋に入るなり、ノアが歓声を上げて駆け寄る。
「わあーっ! いただきまーす!」
そしてナモリの実を皮ごとかぶりつく。果汁がぴゅっと飛び、ノアのほっぺがふくらむ。
(……ふ。所詮は子供よのう)
私は腕を組み、やや見下ろすようにその姿を眺めていた。
大人の余裕――そう思った、まさにそのとき。
「……あっ、フィンベリーパイだ!」
ノアの手が、とあるスイーツに向かって伸びていく。
(……なにっ!? フィンベリーパイだと!?)
私の中で何かが弾けた。
次の瞬間には床を蹴り、刀神由来の過剰な身体能力を駆使して空間を跳ぶ。
風を切って一直線。ノアの指先が届く直前――
奪取成功。
着地と同時に、私は静かに皿を胸に抱いた。
「……これだけは私のモノ」
扉がノックされ、やがて控えめな声が続いた。
「失礼いたします。当宿のメイドのシャロンと申します。お食事のご案内に参りました~」
現れたのは、落ち着いた雰囲気の若いメイド。
所作は丁寧ながら、どこか親しみやすい笑顔をたたえている。
「夕食の準備が整っておりますので、よろしければご案内いたします。
それと、明日の“聖環の儀”について、少しだけご説明を!」
そう言って、手早く館内の案内と儀式の詳細を説明してくれた。
「儀式は明日の午前十一時から、町の中央にございます大聖堂にて執り行われます。
本日はご無理をなさらず、お部屋でごゆっくりお休みくださいね」
「……いよいよ明日か~! 緊張する~……」
私は大きく背伸びをしながら、ベッドの端に腰を下ろす。
「え? 僕は楽しみだけど!」
ノアはすでに別のフルーツをつまみながら、ごきげんに笑っている。
ふと、メイドが思い出したように言った。
「あっ! そうそう、今の季節夜になると、防壁の外の小川に“蛍”が現れるんですよ。
この時期にしか見られない幻想的な光景でして……領主町でもちょっとした名所なんです。
ご希望があれば、案内もできますので、ぜひどうぞ」
「へぇ~、蛍かぁ……」
私は興味を惹かれながらも、ちらりとノアと目を合わせる。
すると、その隣からすかさず声が飛んだ。
「今日はダメよ~。明日は大事な儀式なんだから、早く寝ないと」
シンシアが、にこやかに釘を刺してくる。言葉は柔らかいのに、説得力だけは抜群だった。
その後ろで、ギャンバスが懐かしそうにひげを撫でる。
「確か、“霊幻蛍”じゃな……。昔ばあさんと一緒に見たことがある。
夜の川辺に、白く光るのがふわぁ~っと浮かんで……あれは、よう忘れん」
その言葉に、ノアがぱっと顔を輝かせる。
「じゃあ、明日儀式が終わったら全員で見に行こうか!」
父のその提案に、家族みんなが自然と頷いていた。
聖なる日を迎える前の、静かで、あたたかな夜だった。
──その頃、領主町の外壁。高くそびえる門楼の上では、警備隊が持ち場についていた。
空はすっかり夕焼けに染まり、街の屋根と外郭の山々が赤く縁取られている。
防具を身につけた男が、風にたなびくマントを手で押さえながら、門の上を見回る兵士に声をかけた。
「異常はないか?」
「はい、特にありません。外壁周辺、現在も平穏です」
頷いた男――警備隊長は、首にぶら下げた通信石に手をかざす。
「上空班、状況を報告せよ」
石が淡く光り、しばらくして空から澄んだ声が返ってきた。
『こちら鳥人第二班、上空異常なし。町の上は見渡す限り青空で、風も穏やかです。……気持ちいいくらいですよ』
静かに通信を切り、警備隊長は遠くを見つめるように目を細めた。
「……このまま、明日も何も起きなければいいのだがな」
夕暮れの風が、城壁の上を静かに通り過ぎていった。
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