第26話 禁忌の力と自分の力
真っ白な毛並みは夜気にふわりと揺れ、黄色い瞳は静かに私を見つめている。
間違いない。名前は……サルフェン。
――女神の使い。
異世界に転生する際、この白狼と私の頭がぶつかった衝撃で記憶喪失になったんだ。
衝撃の耳鳴りで半分しか話を聞けなかったけど、それでもこの狼だけは、はっきり覚えていた。
「えっ……あ、あなた……どうしてここに……?」
言葉がうまく出てこなかった。
驚きと困惑と――胸に突き上げてくる懐かしさ。
気づけば、涙が溢れていた。
この世界で、私が転生者だと知っているのは――女神と、この白狼だけ。
だから、きっと私は……
ひどく懐かしい旧友に会ったような気持ちで、気がつけばサルフェンにしがみついていた。
子どもみたいに、声も立てずに泣きながら。
「……魂は大人だが、それなりに苦労しているみたいだな」
穏やかな声に、思わず胸が熱くなった。
わかってくれている。その言葉が、こんなにも嬉しいなんて。
だけど――。
サルフェンの白い身体が、月明かりの中でふわりと淡い光に包まれ、
少しずつ、輪郭を失っていくのが見えた。
「……えっ、どうしたの……!? 消えちゃうの……?」
私の声が、夜空に溶けて震えた。
サルフェンはゆっくりと首を振る。
「安心しろ。死ぬわけではない。本体が“ある者”と戦い、力を使い果たしてしまってな。しばらくはこの世界に顕現できなくなった」
“ある者”――
その言葉に、どこか深い戦いの気配を感じた。
「……セレスティア様のもとへ還る前に、ちょうどお前の声が聞こえてな。
懐かしくて、少し立ち寄っただけだ。……ほんの、ひとときだがな」
優しい声が、風のように静かに響く。
その一言で、胸がきゅっとなった。
私は言葉を返せなかった。
ただ、どうか消えないでと願うように、そっと手を伸ばした。
消えかける光の中で、私は叫んでいた。
「そうだ! サルフェン、待って!! お願い、まだ――!」
声が震える。気持ちが溢れて、制御できない。
「……聞きたいことがあるの!」
狼の姿がわずかにこちらを振り返る。けれど、その身体は確実に薄くなっていた。
焦るな、落ち着け、一番大事な事を聞くんだと自分に言い聞かせる。
(私には……属性があるの? いや、それは10日後にわかる。冷静になれ私……!)
今じゃなきゃ、今しか聞けないことがある。
「サルフェン! 私が転生したとき――あの女神様は、私に“なにか”を託したはずなの!」
言葉が、感情が、止まらなかった。
「……でも、その力の名前も、使い方も……なにもわからないの!
ただ“特別だ”ってことだけ、うすぼんやりと感じるだけで……」
風が、さらりと吹き抜けた。
涙と一緒に髪が頬を滑り、私は懇願するように叫んだ。
「教えてよ……お願い、サルフェン……! 私、知りたいんだ。
“何者として”ここにいるのかを……!」
サルフェンは一呼吸おいてから口を動かした。
「その力の名は《■■》だ」
確かに言ったはずだった。けれど――
その瞬間、音が“弾けた”。
耳の奥がビリビリと痺れ、空気が歪んで軋むような異音が鳴り響く。
「えっ……? なに、いまの……」
サルフェンの口は確かに動いていた。
でも、音にならなかった。まるで発音そのものが、この世界に拒絶されたように。
白狼の瞳が、ほんの一瞬だけ見開かれた。
「……なるほど。やはりその力は、“こちら”には属さぬものか」
静かに、けれど確かに――驚いていた。
サルフェンのような存在ですら、その名前を「発する」ことができない。
ならばその力とは、いったい……。
「説明は……できない。いや、“できぬ”のだ。私のような、この世界に属する神の使いにはな」
サルフェンの輪郭が、さらに淡くなる。
指先が、毛並みが、月光に溶けるように消えていく。
「待って……! そんな、何もまだ分かってないのに……! まだ、いかないで……!」
私は叫んでいた。
泣きながら、必死でこの“繋がり”を手繰ろうとしていた。
サルフェンは、そんな私を見つめながら微かに笑った。
「……その手、刀神としての才に溺れず、毎日、黙々と磨いてきたな?」
その声は、深く、あたたかかった。
「お前のその禁忌の力は、“刀”に宿る。時が来れば、お前自身がその意味を理解するだろう。お前がしてきた努力は決して、間違ってなどいなかった」
私は――声も出せなかった。
胸が、張り裂けそうだった。
「……あの時、痛い思いをして頭を打った甲斐があったよ。カナリア」
皮肉とも、冗談ともつかぬ口調。
でも、それがたまらなく嬉しかった。
サルフェンが、私のことを見てくれていたことが。
「……時間だ。必ずまた会おう」
最後の言葉とともに、
白狼は、やさしい微笑みだけを残して、
月光の中に――静かに、消えた。
私は――小さく、小刻みに震えていた。
……た。……った。
「やったあああああああああああああっ!!」
夜空に響くほどの声で叫んでいた。涙で滲む視界の中、満点の星空がきらきらと笑っているように見えた。
何もわからなかった。ただ、“信じるしかなかった”。最初からずっと、私は剣を握ってきた。
天から与えられたように手に馴染むあの刀を、何度も振って、毎日毎日、自分なりに磨いてきた。
根拠もない。特別な祝詞も、派手な魔法もない。それでも信じてきた。自分の手で、自分の剣で、前に進むって決めてたから。
それが、いま。“神の使い”が認めてくれたんだ。間違ってなかったって、言ってくれたんだ!
嬉しくて、たまらなかった。胸の奥で、ずっと凍っていたなにかが、溶けた気がした。
「……結局、力の正体はわかんなかったけどさ。でも、確かに“ある”。それだけはわかった。しかも、それは“剣”とつながってる。私がずっと、信じてきた道の先に待ってる。」
私は月を見上げ、小さく拳を握った。この“何も見えなかった異世界ハードモード”に、ようやく一筋の光が、灯った気がした。
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