第25話 月下の再会
「――“グレンハースト家ご一同様へ。星セレスティアの祝福のもと、貴家の聖環の儀を領主町にて執り行うことが決定されました。期日は十日後。会場はカドゥラン大聖堂にて。8日後、従者を向かわせるので、準備を”」
声の調子は穏やかだったが、その言葉の一つひとつがカナリアの胸に静かに落ちていく。
やはり、もう引き返せない。
横でシンシアが指を折って数えながら、軽くつぶやいた。
「移動には、確か最短でも一日はかかるわ……宿泊の準備をしないと」
荷造りも、心構えも、それまでに済ませておかなければならないって事だよね。気が引き締まる。
読み終えた父エルドが顔を上げ、少しだけ笑みを浮かべる。
「それと――“グレンハースト家を歓迎し、宿泊施設を数日間ご自由に利用いただいて構わない”ってさ!」
ノアが「わーい!」と手を挙げて喜ぶのを見て、私も小さく笑ってしまった。
緊張していたのが少しだけ緩んだ気がする。
書状の余韻が残る中、静かに立ち上がったのは、祖父ギャンバスだった。
椅子がぎしりと音を立て、続いて父エルドもゆっくりと腰を上げる。
「よし……出発前に、やっておかないといけない大仕事があるからな」
「とりかかるとするか! いくぞ、エルド!」
ギャンバスが言いながら拳を軽く握ると、父は「了解」と力強く頷いた。
そのとき――
父がふいに私とノアの前にしゃがみ込み、二人をぐっと腕に抱き寄せた。
あたたかな体温と、木の香りが混じった懐かしい匂いがふわりと鼻をくすぐる。
「……二人も、いよいよだな」
父の声はどこか誇らしげで、少しだけ寂しそうだった。
「風邪なんてひかないように、ちゃんと健康的に過ごすんだぞ。夜も早く寝るんだ」
おどけるような口調なのに、目元が少し潤んでいるのがわかった。
私はただ「うん」と頷き、父の背中にそっと手を回した。
ノアも黙って頷きながら、いつもより真面目な表情を浮かべていた。
やがて、父は私たちの頭をぽんぽんと優しく叩くと、祖父とともに家の奥へと歩き去っていった。
残された食卓に、ひとときの静寂が落ちた――と思った、その瞬間。
「リア~? ノア~?」
優しい声が背後から響いた。
振り返ると、そこには微笑む母――シンシアの姿。けれどその笑顔の奥に、背筋を撫でるような“気配”があった。
(あれ……? 空気が……ひんやりしてる……?)
「これからの十日間は――くれぐれも、魔獣退治なんて、ぜぇ~~~~ったいに! 許しませんからね?」
声は静か。語尾だけが妙に伸びて、やけに耳に残る。
「お母さんね……今までのこと、全~~~部! 知ってますからね?」
ゴゴゴゴゴ……と幻聴のように後ろに黒いオーラが立ち昇る気がした。
「は、はいっ!!」
私とノアは、反射で声を揃えて立ち上がった。姿勢は直立不動になっていたと思う。
あの岩犀よりも、この人の圧のほうが絶対に強いと思う。どの世界でも母は強しという事なんだろう。
「お父さんも言ってけど、夜更かし厳禁! 肌荒れの原因になるんだからね!」
はい、と即答したが……ママのこのパターンは長いやつだと覚悟を決める。
「剣の修行も! 激しいのは禁止です! 転んだりして顔に傷でもついたらどうするの! 」
はいぃぃ……!
「領主様にお会いするんですからね? 礼儀の勉強もしっかりやるのよ! 背筋ピン! 挨拶は口角を上げて、はきはき! 」
ううっ……それ、たぶん私よりノアのほうが言われてる。
「あとそれから――着ていく服の準備も明日からちゃんとします! 当日になって“あれがいいこれがいい”なんてワガママ言ったら許しませんからね! 」
うっ……それは私だ……お洒落は大事なんだよママン!
「そしてそしてそして――」
終わらない。
止まらぬ母の“説教気を帯びた優しさ”に、私とノアは壁にめり込まんばかりに背筋を伸ばし続けた。
準備や確認、心構えの話に、母の長〜い説教。
そうして、気がつけば外はもうすっかり暗くなっていた。
朝に届いた召喚状をきっかけに、何だかんだで一日があっという間に過ぎていた気がする。
満点の星空と三つの満月が、夜空に浮かんでいた。
ノアはぐっすり眠っている。普段と変わらない。
白、蒼、そして紅――それぞれが違う輝きを放ちながら、まるでこの星の運命を見下ろしているかのように。
私は屋根裏の小窓から外へ出て、静かに屋根に腰を下ろす。
「……綺麗だなぁ」
思わず、月を掴める気がして手を伸ばし、ぽつりとつぶやいた。
いよいよ十日後。
“聖環の儀”で私にも属性が与えられる。何になるかは、その時のお楽しみ――だけど。
「属性……あるといいなぁ。最強魔法とか無限魔力とか、贅沢言わないからさ……」
風がすこし冷たくて、髪がふわりと舞った。
「ただ……自分の力で空を飛んでみたい。あの月に手が届きそうなくらい、自由にさ」
異世界転生したんだもん。ちょっとくらい、我がまま言ったっていいよね。
そうだ!……もしかして、もしかして。
雲が月を隠した瞬間、私は屋根の上で両手を組んで、そっと祈るように呟いてみた。
「女神様、聞こえますか? あなたが導いたカナリアです。……返事、ください」
しばらく沈黙。風の音だけが答えだった。
髪が頬に触れるくらいの風が吹いて、月が雲の切れ間から覗き再び私を照らす。
「……はいはい、知ってましたよー。ちょっと試しただけですよー」
気恥ずかしくなって、私は笑って屋根にゴロンと寝転がろうとして――
「……ん?」
背中に“ボフン”と妙な感触。
硬くもなく、柔らかすぎもせず、でも確実に屋根とは違う。
私はゆっくりと体を起こし、恐る恐る背後を振り返った。
背中に感じた違和感――
それは、懐かしさとともに私の胸を貫いた。
「……久しぶりだな」
その声は、私の中の“前世”を呼び覚ます。
振り返ると、月光の下には私が異世界転生した時にいた、女神の使い。白い狼がいた。
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