第24話 領主町へご招待
私とノアが七歳を迎えて、もう半年が過ぎた。
けれど《聖環の儀》は、いまだに執り行われていない。
本来なら、誕生月のいずれかの日に村の教会で行われるはずだった。
でも、誕生日のひと月前。ホフマン神父が家を訪れ、こう告げたんだ。
「君たちの聖環の儀は、別日になります。……特別な場所で、特別な形で」
そのとき、ノアは思いきり不満そうに「えぇ~っ!」と声をあげていた。
でも、私は、なにも言えなかった。
ホッとしたような、怖いような。
ずっと心のどこかで、引っかかっているんだ。
私は、今のところ魔法が使えない。
いや、正確には魔力そのものは、ある。
でも魔法を使えるかどうかは、“才能”によるのだと聞かされた。
聖印核があっても、魔法の才能がなければ発動は難しい、と。
刀神の才覚を授かったとき、正直私は“選ばれた”と思って正直浮かれてたと思う。
転生後は安泰が約束されてるんだって。
……でも、現実はそんなに甘くなかったな。
魔法が使える兆しがないまま、時間だけが過ぎていく。
そんな中での“特別扱い”は、ただの期待なのか。
女神様から世界を託されて、早七年。
たしかに、いろいろなことはあった。
でも、人生が急に動き出すような“イベント”。
そんな大げさな出来事は、まだ起きていない。
もし、それがあるとすれば。
多分それは、未だ執り行われていない《聖環の儀》のはず?
うーん……考えすぎ、なのかな。
たしかに異世界転生はしたけれど、確実に何かが起こるって明言されたわけでもないし。
それに、もし魔法がちゃんと使えたなら私は“神の才覚”を持った勇者候補だ。
「なんでも来いや」って胸を張れたんだけど。
でも、ステータス画面さえ存在しないこの世界ではそうはならなかった。
心境的には、期待半分、不安半分。
……いまはただ、やるべきことをやって、静かに待つしかない。
――って、この考察、何回やったんだろう。
なんだかんだで、私はやっぱり……気になってるんだな。
「姉さーん! こんなところで何してんの?」
肩をバンッと叩かれ、思わず声を上げた。
「きゃあっ!?」
玄関の木椅子に腰かけていた私は後ろに倒れかけ、
咄嗟に身をひねり、足を振り上げる。
……なんとか転ばずに済んだけど、心臓のドキドキはまだ止まらない。
ノアはその前で、まったく悪びれた様子もなく、へらっと笑った。
「あはは、ごめんごめん!」
でも、すぐに肩をすくめて言い返す。
「でもさ――片手で逆立ちして受け身とる人に、心配はしないって」
私は片手で地面を突き、逆立ちの姿勢で着地していた。
蒼い髪が逆さに垂れ、陽の光を受けてふわりと揺れる。
「それとこれとは別!」
……ああ、まったく。あの調子だ。
結局、ノアは私の中では“転生者判定:白”ってところかな。
七年間、一緒に暮らしてきたけど、
前世の記憶があるとか、世界の仕組みを知ってる風なそぶりは一度もない。
ほんとに、まごうことなき“7歳”。
食べすぎてお腹こわすし、寝坊するし、すぐくすぐってくるし。
その一方で、“神の才覚”は、しっかり持ってる。
ノアの才覚は《剣神》。
おまけに、魔力量も規格外で、おそらく全属性適性ありの可能性大。
つまり、正真正銘の“勇者候補”。
……むしろ、何か重大なイベントが起こるとしたら。
それは、ノアのほうかもしれない。
だから、私はせめて、自身の力くらいは、自分の足で見つけなきゃって思う。
その想いだけは、ずっと変わらずにある。
……ちなみに。
剣の腕だけは、いまだに一度もノアに負けたことがない。姉の意地ってやつなのだ。
逆さのままジト目で睨み返す私に、ノアは「はいはい」と笑いながら肩をすくめた。
そして私は、ひとつ大きく息をつき――
片手を地面についたまま、軽やかに跳ねるように回転し、くるりと身体を起こす。
その瞬間、私は違和感に気づいた。
「……ん?」
足元の影が、不自然にちらついている。
まるで太陽の光が、上空で断続的に遮られているようだった。
ノアもすぐに気づいたらしく、私の隣に立ち、眉をひそめる。
私は手を額の上にかざして、まぶしい光を遮りながら、空を仰いだ。
何かがくる。
澄んだ青空に、黒い影がひとつ、ゆっくりと旋回しながら近づいていた。
羽ばたく音が風に混じり、じわじわと存在感を増していく。
二人は、反射的に剣を構えていた。
空から音もなく舞い降りた影――それは、翼を持った人型の存在だった。
鷲のような鋭い嘴と、羽毛に覆われた手足。そして礼装のような制服に身を包み、片目にはモノクルを装着している。
その異形の者は、ふわりと着地すると、胸に手を当てて丁寧に一礼した。
「お騒がせして申し訳ありません。わたくしはこのハースベル村を統治する領地、カドゥランの正式文書を届ける任を仰せつかった、黎報官でございます」
――鳥人。
カナリアの脳裏に、過去に読んだ図鑑の挿絵が浮かんだ。
鋭い眼光と空を駆ける翼、遠距離通信と使令に長けた空族の亜人種。
(本で見たことがある。間違いない……たしか、バードマンって呼ばれてた)
緊張を解くように、彼女はそっと木刀を腰に戻した。
ノアも少し遅れて剣を下ろし、目を丸くして相手を見つめる。
「グレンハースト家の――カナリア様、ノア様でお間違いありませんね?」
鳥人の使者はモノクル越しに二人を見渡し、改めて一礼した。
「わたくし、カドゥラン領主ルグイ様と星聖教会より連名の文書をお預かりしております。どうかお父様とお母様にお渡しください。――それでは、お受け取りを」
そう言うと、鳥人は腰の小さな鞄から羽根のペンを一本取り出し、ふわりとノアの前に差し出す。
「魔力を込めて、宙にお名前をご記入くださいませ。受け取りの証となります」
「え、ここに?」
ノアは少し戸惑いながらも、羽根ペンを持ち、空中へと名前をなぞる。
すると――
浮かび上がる淡い光の文字。
“ノア・グレンハースト”と輝くそれは、まるで風に吸い込まれるように、バードマンの手元の書類へと収束していった。
「……おぉ」
思わずノアが感嘆の声を漏らす。
「それでは、確かに受理が完了いたしました。ごきげんよう――!」
ピシィンと翼を広げたその体は、眩しい朝陽を背に受け、風を切るように一気に空へと舞い上がった。
数度旋回したのち、南の空へ飛び去っていく。
残された風が、かすかに髪を揺らした。
ノアの手の中にある、丁寧に封を施された巻物。
(……おそらく、これが“聖環の儀”に関する正式な通達だ)
やはり、ようやく来たんだ――そう思う反面、胸の奥にわずかなざわつきが広がる。
そんな彼女の心境も知らず、ノアは手紙を軽く掲げてにこりと笑った。
「ま、家ん中には父さんと母さんと、じいちゃんもいるしさ。とりあえず持ってこー!」
ノアは軽やかに踵を返し、巻物を振って玄関へ向かっていく。
「うん……行こうか」
私も小さく頷いて、その背を追いかけた。
二人で家の中に駆け戻ると、ちょうど祖父と父と母が揃っていた。
ノアと顔を見合わせ、書状を手渡す。
受け取った祖父――ギャンバスが、片眉を持ち上げながら巻物をくるりと回した。
「……おや、こりゃあ領主様の封蝋だ。正式なやつじゃなぁ」
重たい声が室内に響く。
ほんの一瞬、空気が変わったのを感じ取った。
父・エルドは黙ったまま自分の書状を見つめると、ゆっくりと短く息をついた。
「ついに来たか……」
そのつぶやきに、母のシンシアが続く。
わずかに眉を下げ、でも予想していたかのように。
「やっぱり、領主町で執り行われるのね……」
その言葉に、聞かずにはいられず、口早に尋ねる。
「……知ってたの?」
問いかけると、父がほんの少しだけ視線を逸らしてから頷く。
「確定じゃなかったけどな。ホフマン神父から、“その可能性が高い”って話は事前に聞いてたんだ」
なるほど、と私は無言でうなずき納得した。
わかってたなら、もうちょっと早く言ってよ――と思ったけど、ぐっと飲み込む。
きっと、簡単に話せることじゃなかったんだろう。
恐らく、こうなった経緯には、最近続いていた村での魔獣討伐も関係している。
でも、一番の要因は、私とノアの“神の名”を冠した聖印核だろう。
たしか、特別な聖印核を持つ者は、速やかに国と教会に報告する義務があるって、神父様が言ってたっけ。
――つまりは、避けられない展開だったわけね。
頭の片隅で納得していたその時、横からノアの声が飛んできた。
「やったー! 僕、領主町って行ったことないから楽しみー!」
弟君? 緊張感って言葉知ってる? でも正直その性格が羨ましい
でも、まあ……ノアらしいか。
カナリアは小さく肩をすくめた。
「……で、いつやるの? 中身、確認してみて」
そう促しながら、視線を封蝋された書状へと向けた。
どんな内容が書かれていても、もう覚悟はできていた。
エルドは椅子の背にもたれながら、慎重に封蝋に指をかけた。
私は無意識に喉を鳴らした。これで、すべてが正式に動き出すんだもん、緊張くらいするよね。
エルドは丁寧に書状を広げると、視線を走らせ、すぐに読み上げを始めた。
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