第207話 ミラーマッチ
「――《破光撃》」
先に動いたのはルーダだった。背後に展開した転移陣が一斉に白く輝き、その中心から八本の光が解き放たれる。
直線ではない。わずかに軌道をずらし、逃げ道を消し去るように空間を走る殺意の光。
一閃、二閃、三閃、四閃。
カナリアは最小限の体捌きだけで光を掠めさせる。頬を焼く熱、切り裂かれる空気。それでも瞳は一度も閉じない。
視力と反射神経だけで、瞬きの一瞬で到達する軌道を“見て”躱しきる。
「魔法を肉体反射だけで避けるとは、なんと出鱈目な……!」
だが五閃、六閃、七閃、八閃目は違った。光が途中で歪み、空中に開いた転移陣へ吸い込まれた。
次の瞬間、カナリアを囲むように四つの魔法陣が展開し、包囲陣の内側へ向けて再び光が吐き出され完全な檻を形成する。
上下左右に展開された光に退路はなく、通常ならただ焼き尽くされるのを待つのみ。
だが、次の瞬間、光で囲われていたカナリアに黒い雪が舞う。
「私には、あたらないよ!」
カナリアの身体が足元に散っていた黒雪へと吸い込まれ、光が交差する直前に姿を消す。空を裂いた閃光が虚しくぶつかり合い、爆ぜる。
直後、ルーダの頭上に黒雪が凝縮し、人影を成す。
「速い……あなたの転移には、予兆がまるでないのですね」
振り下ろされる一刀。空気ごと断ち割る落下斬が、一直線にルーダへ迫った。
「もはや転移というよりも、瞬間移動と呼ぶべきでしょう。近距離戦の転移対決では勝てそうにもありませんね……」
そこまで言うと、ルーダは白銀の錫杖の石突きを、足元の石床へと勢いよく打ち下ろした。
――バシン。硬質な音が円盤状の修練場に響き、巨大な転移陣が姿を現す。
「場所を変えるといたしましょう」
修練場一帯が白い閃光で、覆われる。
空間がねじれる。上下の感覚が一瞬で反転し、重力の向きすら曖昧になる。黒雪が舞い、カナリアの身体が光の奔流に飲み込まれた。
「どこに、連れて行く気!?」
次の瞬間。眼下に広がっていたのは、赤黒く煮えたぎる溶岩の大河。視界いっぱいに流れゆく灼熱の川がうねり、爆ぜ、黒煙を噴き上げている。
先ほどまで立っていた円盤状の修練場は影も形もなく、足場はところどころ隆起した黒い岩盤だけ。空気は熱で歪み、肺を焼くような熱風が吹きつけている。
そこは、火山の火口付近の地形であった。
(火山帯へ転移させられた? てか、落ちる――!)
一瞬の戸惑いすら、命取りになる環境だった。
火口へと落下するその寸前、カナリアの身体が黒雪の中へ消える。
次の瞬間にはわずかに残った岩盤の上へと吐き出された。
足裏に伝わるのは焼けるような熱。靴底越しですら焦げそうな高温だ。
「はぁ……はぁ……熱っ……なにここ……!」
熱風が髪を煽り、肌を刺す。肺に入る空気すら熱い。視界の端で溶岩が爆ぜ、額には自然に汗がにじむ。
その上空に、風にも揺れず浮かぶルーダ。
「おや、転移すれば、その厄介な黒い雪も置き去りにできるかと思いましたが……どうやら“魔法”ではなく、あなたの一部のようですね」
閉じた瞳のまま、淡々と告げる。
「ここはレグナント南部、カラバンナ火山。常に火山活動を続ける、火のマナに満ちた土地です」
ルーダは白銀の錫杖に魔力を宿し頭上へと掲げた。
「当たれば火傷では済みませんよ?……こんな風にね!」
錫杖が空をなぞると、煮えたぎる溶岩がぐにゃりと持ち上がった。まるで意思を持つかのように赤黒い塊が球体へと収束し、空中に次々と浮かび上がる。
表面はひび割れ、内側から白熱した光が漏れ出している。
次の瞬間、溶岩球が弾丸のような速度で射出されてカナリアへと迫る。
(熱だけで皮膚が焼けそうだ。直撃はもちろん論外。かすっただけでも致命傷……!)
黒雪が足元でざわりと揺れた。
「フフ……。魔法が使えれば、魔力の層で皮膚を熱から守ることもできますが……あなたにはそれができないようですね。どうします? またその黒い雪で転移しますか?」
火山の熱気の中でも、ルーダの声は涼やかだった。だがその内側では、冷静な計算がすでに組み上がっている。
――彼女は回避するために必ず、あの瞬間移動を使う。
ルーダはそう確信していた。あれは魔法ではなく、移動戦術として洗練された魔剣技に近い。
その転移速度は、魔法使いから見れば確かに脅威だが無敵ではない。
彼女は分析していた。黒雪は常にカナリアを中心に半径二十、せいぜい三十メートル圏内に漂っている。
それ以上には広がらない。つまり出現位置は“その円の内側のどこか”に限定されるということ。
転移というより、限定空間内瞬間跳躍。
ならば――その範囲ごと全て焼き尽くせばいい。
どこへ出ようと意味がない規模で覆えばいい、それだけのこと。
「逃げ場ごと、消し飛ばして差し上げます」
空間が歪む。溶岩玉が迫り、カナリアを中心に円を描くように包囲を始める。上も、横も、背後も。熱風が壁のように迫りくる。
(黒雪の範囲ごと潰す気か……!なら、風月師匠との修行の成果の見せどころ!)
「――黒刃」
低く呟いた瞬間、カナリアの左肩の異世界の空間と繋がる刻印が淡く輝く。そこから奔流のように流れ込む力が、銀色だった刀身を一気に侵食する。
ギィィン――と不協和音をたてた。
その刃は黒へと染まり、表面がひび割れるように歪む、バリバリと空間そのものを噛み砕くような揺らぎを帯びる。
刀身の周囲で空気が軋み、熱すら飲み込まれていく感覚があった。
明らかに、この世界の理から外れた異世界の力。
「その溶岩球も魔法で操ってるんだよね? しかもここは火のマナが濃い場所……なら、ちょうどいい。最高のエサだよ」
迷いなく、カナリアは黒刃を振り抜いた。
「……何を、馬鹿な! それでは刀身が溶けるだけ」
ルーダの言葉が、途中で止まる。
黒刃が溶岩に触れた瞬間、爆ぜるはずの熱が、逆に吸い込まれた。
ズズズズッ――!
刀身から伸びる黒い歪みが、溶岩球の内部へと食い込み、内部に満ちていた火のマナと魔力を凄まじい勢いで吸い上げていく。
赤く燃え盛っていた表面が、見る間に色を失い、輝きを失い、やがてただの黒ずんだ岩塊へと変わっていった。
熱を奪われた溶岩球は、ズシンと重い音を立てて地面へ落下し、砕け散った。
火山の熱風が、カナリアに恐怖するように一瞬だけ弱まる。
黒刃の周囲には、吸収された魔力が増幅するように揺らめいていた。
「無効化……いや吸収、した?」
ルーダの声に、わずかな動揺が混じる。その言葉どおり、カナリアを取り巻く黒雪の量が増え密度を増していた。
カナリアは黒刃を肩に担ぎ、にやりと笑う。
「魔法でできてるなら、だいたい斬れるよ。それがどれだけ熱くてもね」
黒い刃が、さらに深く空間を歪ませていた。
「じゃ次は、こっちの番」
二人の間に距離はあった。だが、黒雪がわずかに揺れたかと思えば、カナリアの姿がルーダの目前へと出現する。
転移陣の詠唱も、空間歪曲の予兆もない。
あるのは、すでに斬撃をくりだしている“結果”だけ。
「くっ――!」
ルーダも即座に転移術式を展開する。白銀の錫杖の先に魔法陣が走る。しかし――
「遅い!」
カナリアの斬撃が、彼女の魔法障壁ごと勢いよく叩き込まれる。
バキィッ!
展開された魔法障壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、次の瞬間、粉々に砕け散った。衝撃がそのまま左腕へと突き抜ける。骨にまで響く鈍い手応え。
「……くっ!」
ルーダの身体が横薙ぎに弾き飛ばされる。空中で一瞬体勢を崩し、そのまま火山岩の地面を弾むように転がった。砕けた岩片が飛び散り、溶岩の熱気が揺らぐ。
黒刃を携えたカナリアが、ゆっくりと一歩ずつルーダへと近づく。
火山の赤い光を背に、彼女の黒い刃が妖しく揺れた。
「その左腕折れてるね。もう降参したら?」
その声は、静かだったが確実に追い詰めている意味を持っていた。
空間の絶対的支配を誇る転移師が、今この瞬間だけは“距離”という概念で押し負けている。
それを象徴するかのようにルーダの左腕が、力の抜けたようにダラリと垂れ下がる。
戦況は、明確に傾き始めていた。
黒刃を構えたまま、カナリアは語りながら間合いを詰める。溶岩の赤い光が二人の影を揺らしていた。
「戦いながら気づいたんだけどさ、ルーダさんの転移にも“条件”があるよね」
ルーダは崩れた体勢のまま、ゆっくりと視線を上げる。
「……ほう?」
明らかに不利な状況だが彼女の目はいまだ戦意に満ちていた。




