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第206話 千景のルーダ

戦闘描写は三人称視点で展開します。

 眩い転移の光が収まった瞬間、私は反射的に息を詰めた。

 どこに飛ばされたのかわからない。まずは――と、片膝をついて地面に手を置く。


 ……硬い。確かに、地面だ。


 次に気づいたのは、空気だった。

 空中庭園ほどではないけれど、明らかに薄い。肺に入ってくる感覚が軽くて、ひんやりと冷たい。


 視界は白く霧がかかっている。

 足元は踏みしめられているはずなのに、前後の距離感がまるで掴めなかった。


(……なに、ここ。屋外なのは間違いないけど)


 そのとき――びゅうっと、強い風が吹き抜ける。

 白い靄が一気に押し流され、視界が開けた。


 そこに現れたのは――雲海を見下ろす、山の頂だった。


 正確には、切り取られたような円盤状の地面が、雲海の上に浮かんでいた。

 足元の石床は古く、だが綺麗な円形に整えられていて、まるで闘技場の中心部だけを、そのまま高空に持ち上げたみたいだった。


 視界の先には、果てしなく流れていく雲の海。

 その下に地上があるのかどうかすら、判別できないほどの高度。


 私は、見知らぬ山の頂――その中心に、たった一人で立ち尽くしていた。


(……やっぱりノアとは完全に引き離されたみたいだ……今ごろ、二人とも無事なのかな)


 皆のその後を憂い、俯いたその時、人の気配を感じた。


 円盤状の地面の上、その少し先。

 雲の流れとは別の位置で、彼女は浮かんでいた。


 私たちを転移させた張本人の女魔法使い――ルーダ。


 地面からわずかに距離を取り、風にも煽られず、長く白い髪だけが揺れている。

 その姿を視界に捉えた瞬間、私は反射的に身構えていた。


 ルーダは冷や汗をかきながら自分の喉元を押さえていた。


「いやはや……さすがの私も、寿命が縮まりました」


 その首元には、雷属性を帯びたまま焼き付いたような痕――火傷にも似た傷跡が、はっきりと残っていた。


「ライゼル閣下のスペルキリングが、戦場で数多の首を跳ね飛ばす光景は何度も見てきましたが……それが、いざ自分に向けられると、あそこまで恐ろしいものだとは……」


 私は警戒を隠さず、真っすぐに問いかけた。


「ここはどこ……? ノアは? ライゼルさんたちは……どこなの?」


 ルーダは、こちらの警戒など意に介した様子もなく、淡々と口を開く。

 隠す気も、はぐらかす気もない――そう感じさせる話し方だった。


「ここは、帝都グランサンドレアよりはるか三百キロ東。霊峰シュマリの頂に存在する拳帝の修練場です」


 彼女の足元で、雲海がゆっくりと流れていく。


「帝国初期において、最強と謳われた初代拳帝ガノウスがここで修練を積んだと伝えられています」


 そう言って、ルーダは軽く指先を動かし、視線の先を示した。


「……あちらをご覧ください。奥に見える二つの連山、その中心に大きな窪みがあるでしょう」


 風に流れる雲の切れ間から、確かに異様な地形が覗く。


「あれは、拳帝ガノウスが奥義を放った際に穿たれた大穴だと語り継がれています」


 さらりと、とんでもない由来を告げたあと、ルーダはゆっくりと視線をこちらへ戻した。

 その仕草には、先ほどまでの“案内役”の余韻がわずかに残っている。――だが、今この状況で悠長に歴史談義をしている場合ではないのよね。


「……それ、時間稼ぎのつもり?」


 私の言葉に、ルーダは一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに苦笑を浮かべた。


「おっと、これは失礼。職業柄、各地を転々とするもので……どうにも土地の由来を調べる癖がついてしまいまして」


 そう前置きしてから、今度は無駄を削ぎ落とすように、ゆっくりと言葉を選び始める。


「……ノア様は、カイロス皇帝と共に、王城内の別の場所へ転移させました」


 その言葉に胸の奥が、きゅっと縮む。

 ノアと皇帝が一緒……。皇帝は明らかにノアに興味を示していた。無事でいてくれればいいけど。


「ライゼル将軍は……ナギア大陸最北端、ドゥーアハ族の村まで転移させています」


 そこまで言って、ルーダはほんのわずかに肩をすくめた。


「もっとも、“雷の化身”と称される彼なら、三十分もあれば帝都へ戻ってしまうでしょう。ですが――」


 山頂を抜ける強い風が吹き荒れる。


「時間稼ぎとしては、十分です」


 その言葉が、やけに静かに、はっきりと胸に落ちた。


(帝都から三百キロも離れた場所に、正確に転移させるだけでも相当な技量だ。それに加え、ライゼル将軍を“別の大陸”まで飛ばした……。間違いない、この人は一級どころじゃない。帝国でも指折りの魔法使いだ)


 私は警戒を解かず、目の前に浮かぶ女魔法使いをまっすぐ見据える。


「……それで? 貴女は“私を引き離す役割”ってわけね」


 問いかけに、ルーダは少しも隠す様子なく、穏やかなまま答えた。


「正確には、そこまで細かい指示は受けておりませんでした。必須だったのは、皇帝が私を呼んだ場合、皇帝とノア様を一組で転移させること。そして、ライゼル将軍をできるだけ遠くへ送ること。それだけです」


 腕を組み、顎に指を置いて少し考え込むような仕草をルーダは見せた。


「カナリア様については“安全な場所へ”とだけ。……ですが、私の中の何かがあなたに対して警鐘を鳴らすのです。私が自ら引き離せとね」


「ふーん。そりゃ褒めてもらってるってことかな。それで、ルーダさん……でいいんだよね? 私相手に、そんなにベラベラ内情を喋っちゃって大丈夫?」


 肩を軽く回し、首を鳴らす。完全に“その気”に入らせてもらってる。


「悪いけど、力づくでも帝都に戻してもらうよ」


 軽い準備運動を始める私をよそに、ルーダは楽しそうに微笑んだ。


「ふふ……力づく、ですか?」


 穏やかな声色のまま、空中に浮いた彼女は一歩も動かない。


「カナリア様。あなたのことは、調べさせていただきました。確かに、刀神としての肉体は非常に優秀です。常人離れした筋力、反応速度、反射神経――どれも一級品」


 ルーダは瞑っていた目を少しだけ見開いて言い切った。


「ですが、あなたは無属性。転移を司る私に対しては――触れることすらできません。無駄な争いなどせずに、ここで時間が過ぎるのを一緒に待ちましょう。カナリア様」


「……悪いけど、私はノアを護らなきゃいけないし。それに、まだ帝都観光の途中なんだよね。トールガルド家のシェフの自家製パイが私を待ってるんだ」


 カナリアは立ち構えると、左肩の異世界アビスゲートの力を解放した。すると、雲海に溶け込むように、黒い雪が修練場を漂い始めた。

 風に乗って舞うそれは冷たさを感じさせず、ただ不自然に、空間を汚していく。


 異変に気づいたルーダが、わずかに眉をひそめて周囲を見回した。


「……おや。この時期のシュマリに雪とは珍しい。しかも黒い雪とは、なんと不吉な」


 次の瞬間、ルーダのすぐ耳元で響くは、カナリアの声。


「不吉で結構。あんたを倒せるならね」


「なっ!?」


 反射的に防御魔法を展開するより早く、衝撃が走る。

 視界の端を切り裂くように、カナリアの影が踏み込んだ。


「どっせーい!」


 叩き込まれたのは、ひねりを入れた容赦のないハイキック。

 空気ごと蹴り抜く一撃を、ルーダは咄嗟に創り出した魔力の障壁で受け止めた――だがその威力は完全には殺しきれない。


 衝撃に押し流され、身体が横倒しのまま弾き飛ばされる。

 背後には、修練場を縁取る巨大な岩塊。


 ――直撃すれば、ただでは済まない。


「……っ!」


 ルーダの視界が岩で埋まる、その刹那。

 空間が歪み、彼女の姿は岩の直前で掻き消えた。


 修練場の上空、雲海を背にした位置の転移陣から再び姿を現す。


 空中で体勢を立て直しながら、ルーダは目を細める。


「……なるほど。想定以上の筋力ですね、そして奇襲とは容赦の無い事で……しかし、どういうことです? 初撃の蹴りの間合いが、まるで視認できませんでしたが」


「そりゃどーも!」


 返事と同時だった。今まで地面にいたはずのカナリアの姿が消える。

 次の瞬間、ルーダの頭上、黒雪が渦を巻くように集束し、その中心からカナリアが姿を現す。


 重力を味方につけたまま、一気に踵を振り下ろす。


「ばかなっ!? どうやってそこへ!」


 ルーダは即座に対物理用の魔法障壁を再び展開する。

 障壁ごと叩き落とされ、身体が地面へと叩き落とされる。


 ――シュタッ。


 地面に激突する寸前、ルーダは辛うじて受け身を取り、膝をついた状態で着地した。


 だが、息をつく間はない。上空から、カナリアが拳を振り下ろしながら追撃に入ろうとしていた。


 それを見て、ルーダは歯を食いしばる。


「少し大人しくなさい!」


 ルーダが手で素早く印を結んだ次の瞬間、空中に四つの大型転移陣が展開される。

 四方から現れたのは、巨大な石柱。


 その圧倒的質量の石柱を、召喚と同時に中心にいるカナリアめがけ、高速で射出した。


「げぇっ!?」


 明らかに躱せない軌道と判断すると即決だった。

 カナリアは追撃を中断し、地面に落ちていた黒雪へと転移する。


 石柱が空を裂き、直前までいた空間を粉砕した。


 空中で衝突し合った石柱が地面へと降り注ぐ中、再び向かい合った二人の視線がぶつかり合う。


「……まさか。カナリア様、あなたも転移術師なのですか?」


 わずかに混じった困惑の声に、カナリアは肩をすくめる。


「意外だね。ライゼルさん、私の能力は帝国側にリークしてなかったんだ……あなたたちの魔法とは、ちょっと違うけどね。広い意味なら、転移の使い手で合ってるよ」


 想像だにしなかった展開にルーダは沈黙し、両手で口元を覆った。


「……フフ」


 低く漏れた笑いが、次第に抑えきれなくなる。


「ウフフフ……アハハハハハ!」


 それまで冷静だった彼女の声に、明確な熱が宿った。

 目が、完全に“戦闘体勢”のそれへと変わる。


「おもしろい……! ギリスの勇者候補が、まさか私と同じ転移術師だったとは!」


 その言葉と同時に、小型の転移陣が空間に浮かび上がる。

 次の瞬間、何かが射出され、鋭い音を立ててカナリアのすぐ側の地面へと突き刺さった。


「……私の刀」


 カナリアは刀を柄に手をかけながら、静かに問いかける。


「没収していたはずだけど、どういうつもり?」


「レグナント人は好戦的ですが、戦いにおいては絶対的な誇りを持っています。一対一の勝負であれば、なおさらのこと。それに武器を持たぬカナリア様を倒しても、何の意味もありません」


 言葉とともに、彼女の内側から魔力が立ち上ってくる。

 空間がわずかに震え、転移術特有の歪みが周囲に滲んだ。


 次の瞬間、空間を引き裂くようにして、白銀の錫杖が姿を現した。

 軸に刻まれた紋様が淡く輝き、ただならぬ魔力を宿している。


 ルーダはそれを空間から引き抜き、軽く地に突いた。


「最近は戦争もなく、少々暴れ足りないところでした。……ですが、勇者候補のあなたをここで完膚なきまでに打ち負かし、帝国の脅威を各国に知らしめるのもまた一興」


 それを真正面から受け止め、カナリアは一歩踏み出す。


「随分と熱が入ったみたいだね。でもギリス公国、そして賢者の空中庭園出身。カナリア・グレンハーストは、あんたには絶対に負けないから!」


 その宣言に、ルーダは白銀の錫杖を構えて、静かに口角を上げた。


「刀を構え、名乗りましたね。ならば私も、一族の名に恥じぬ結果を示させてもらいましょう」


 閉じた目を見開き、澄んだ声が修練場に響く。

 その背後の空間には、幾重もの転移術式の魔法陣が浮かび上がっている。


千景せんけいのルーダことルーダ・クインフィッド……転移師の極致、その身をもって思い知りなさい!」

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