第199話 セドリック・アルカーナ・レグナント皇子
ライゼルがその名を告げた瞬間、噴水広場の空気が一変した。
あちこちから息を呑む音と、ざわめきが重なって広がっていく。
「セ、セドリック皇子だって……?」
「俺、式典で見たことあるけど……あんな見た目じゃなかったはずだ」
「いや待て、跪いているのはライゼル将軍だ!」
疑念と驚愕が入り混じり、人々の視線が一斉に“優男”へと集まる。
当の本人――セドリックは、その様子を見回してから、やれやれと肩をすくめた。
「ライゼル将軍。身分も見た目も偽ってできたのに、ばらしてしまっては意味がないじゃないか」
軽い小言だったが、その言葉に対し、ライゼルは言い返さない。
ただ静かに、その場で片膝をついたままだ。
背筋を伸ばし、頭を垂れるその姿には、将軍としての威圧ではなく、帝国臣下としての揺るぎない敬意がみてとれる。
「然るべき場で、然るべき礼を取る。それが私の務めです」
低く落ち着いた声が響くと、ざわついていた周囲も自然と静まっていった。
ライゼルはそのまま顔を上げず、短く命じる。
「……お前たちも頭を下げろ」
その一言で、状況を理解するのに十分だった。
ノアと私は顔を見合わせ、慌ててその場に跪く。
「「わ、わかりました!」」
慌てて頭を下げ、体裁を整えているが、内心は大混乱中の大焦りである。
(ま、まじかぁぁぁ……私、皇子様に普通にタメ口きいてたよね? しかも……お金も借りてるよね? これって……不敬罪?!)
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
帝都のど真ん中で、いきなりとんでもない爆弾を踏み抜いた気分だった。
――これ、下手をしたら冗談抜きで終わるやつじゃない?
その時、騒ぎを聞きつけた警備兵たちが列を成し、噴水広場へと駆け込んできた。
黒と赤を基調とした統一装備に身を包み、動きは無駄がなく鋭い。見た瞬間に、ただの市警ではないと分かる緊張感があった。
「この人だかりは一体、何の騒ぎだ!」
張り詰めた声が響き、広場の空気が一段引き締まる。
兵士たちが状況を見渡す中、そのうちの一人が、セドリックの近くに控える二人の美女に気づき、はっと息を呑んだ。
「……っ!? 王族警護特務隊の、ラーニャ様とルネア様!?」
その視線の先で、名を呼ばれた二人――ラーニャとルネアが、無言で小さく頷いた。
二人は視線だけで隊へ合図を送ると空気が変わった。
「と、ということは……その後ろのお方は、まさか……!」
視線が、一斉にセドリックへ集まる。
セドリックは小さくため息をついた。
「やれやれ……これは、きちんとした姿で説明した方が早そうだね」
彼は軽く指をパチンと鳴らした。
次の瞬間、彼を覆っていた変装の魔法が、陽炎のように揺らいで消えていく。
地味だった黒髪は一転して、周囲の光を弾くような鮮烈な金髪へと変わり、瞳は帝国の栄華を象徴する琥珀色に、はっきりとした輝きを宿す。
現れた皇子の姿にどよめきが起き、波のように広がる。
「お前たち」
澄んだ声が、場を切り裂く。そして手を掲げ号令をかける。
「この者たちは、イベントと称して不正を行い、都民から金を巻き上げていた。秩序ある帝国帝都に混乱を招く罪深い行為だ――全員捕らえろ!」
「セ、セドリック皇子!? か、かしこまりました!」
返答と同時に、指揮官格の兵士が即座に叫ぶ。
「第一隊、捕獲開始! 第二隊、陣形を組め、一般人を下がらせろ! 第三隊はセドリック殿下の警護に当たれ!」
号令一下、兵たちは迷いなく動いた。
主催者たちは抵抗する間もなく取り押さえられ、イカサマ師たちは次々と拘束されていく。
ドノバンに至っては、気絶したまま四人がかりで荷車に載せられ、そのまま運び出されていった。
(……さすがは軍事国家レグナント帝国。兵たちの動きが、まるで違う)
無駄がなく、迷いがなく、状況判断も早い。
騒然としていた噴水広場は、あっという間に制圧され、人だかりも手際よく散らされていった。
「セドリック様、改めてご紹介します」
その中で、ライゼルが一歩前に出る。
「この二人が、本日、帝都を案内する事となった――ノアとカナリアです」
軽く背を押され、私たちは揃って前へ出た。
「カナリア・グレンハーストです……セドリック皇子におかれましては、ご機嫌麗しゅう――」
とりあえず思いつく限りの丁寧な挨拶をしてみたけれど
敬語も所作も、今さら感がすごい。
「ノア・グレンハーストです……えーっと……本日は晴天なり! ……じゃなくて、本日はお日柄もよく……!」
完全にテンパっている弟の横で、私は内心で頭を抱えた。
(うああああ……今さらご機嫌取っても、遅いですよね……? ねえ……)
静まり返った空気の中、二人分の緊張だけが、やけに浮いていた。
「あっはっはっ!」
張り詰めていた空気を切り裂くように、セドリックが声を上げて笑った。
あまりにも屈託のない笑い方に、周囲の兵士たちまで一瞬きょとんとする。
「今さらすぎるでしょ? 安心してよ。僕は父上や兄上たちとは違って、そこまで礼儀作法にうるさくないからさ」
その言葉に、胸の奥に溜まっていた緊張が、すっと抜けていくのを感じた。
「カナリアにノアね。将軍が指導してるっていう勇者候補君と、その姉――噂は聞いているよ」
「お、皇子様のお耳にまで届いているとは……光栄です」
気さくに話しかけてくるセドリックに、思わず肩の力が抜ける。
王族相手というより、少し偉い年上の人と話している感覚に近かった。
「帝都も、意外といいところでしょ?」
噴水広場や活気のある市場を見渡しながら、セドリックは続ける。
「レグナント帝国って聞くと身構える人も多いけど、軍事施設以外は君たちの国とそう変わらないのさ」
王族なのに飾らない。彼の言葉と姿勢に少し感動しながらも――思い出してしまった。
気が進まないけど仕方がない。問題ははやいとこ解決してかないと。
「あ、あの……皇子様。その~実は今、手持ちがなくて……借りたお金は、どうすれば……よろしいでしょうか?」
その言葉を発した瞬間、いつも冷静沈着なライゼル将軍の顔がひきつった。
「なっ……! カナリア! あろう事かセドリック様から、金銭を拝借したのか……!」
珍しく、低い声が裏返っている。そりゃそうだ。王族に金をかりる市民がどこの世界にいるのだろうか。
これにはライゼルさんの寿命を縮めてしまったかもしれない。
「ご、ごめんなさい。成り行き上、どうしても必要でして……」
(賞金もパアになっちゃって、返す宛もなくなってしまったんです)
しどろもどろになる私を見て、セドリックはまた腹を抱えて笑った。
「あはは。それなりの経験をしてきたけど、生まれて初めて“金を貸してくれ”って言われたよ。いい経験だった」
(お、皇子様……こ、これ以上私を追い詰めないでくださいまし……!)
「お金のことは大丈夫だよ。君のおかげで、あいつらをまとめて捕まえられたんだ。――十分すぎるくらい、いい投資だったさ」
「で、でも……さすがに、何もしないってわけには……」
(帝国の皇子様にお金の借りを作ったままなんて、絶対イヤなんだけど!)
私が必死に食い下がろうとすると、セドリックは少し考える素振りを見せ――ぱっと表情を明るくした。
「そこまで言うなら……そうだな。さっき約束したことを実行してもらおうか、君が大人になったら一回デートでチャラにしてあげるよ。それでこの話はおしまいにしよう」
そう言うや否や、両手で耳を塞いで首を振る。
「はいはい、もう決定。これ以上の異議申し立ては受け付けないよ」
(ぐっ……結局、一番面倒くさい類の借りを作ってしまった……)
私はがっくりと肩を落としていると横から、どこか楽しそうにライゼルさんが言った。
「セドリック様がそう仰っているのだ。 私から、これ以上口を挟むことではないな……よかったじゃないか、カナリア」
(どこがですか……! 他人事だと思って!)
内心で叫びつつも、もうどうしようもない。冷静に考えればこれで済むのなら平和的解決とみていいだろう。
少しして、ライゼル将軍が姿勢を正す。
「ところで、セドリック皇子。王城まで、私めが警護いたしましょうか?」
その申し出に、セドリックは苦笑いを浮かべた。
「将軍直々の申し出はありがたいんだけどね。実は……今日は古い知り合いと会う約束があってさ。抜け出してきたんだけど、まだ会えてないんだ」
そう言って、人混みの向こうへと視線を向ける。
(……なるほど。だから変装してたわけか)
帝都の喧騒の中で、皇子はまた一人の大人に戻ったように見えた。
「本当は、ひとりで来たかったんだけど――」
そこまで言いかけたところで、セドリックの言葉がふっと止まった。
彼の両脇に控えていたラーニャとルネアが、無言のままじっと睨みを利かせている。視線だけで語るその圧に、セドリックは小さく肩をすくめた。
「……はいはい。分かってるって」
軽く苦笑すると、彼は再び変装の魔法をかける。
金色の髪は落ち着いた黒へと変わり、琥珀色の瞳も人混みに紛れる茶色へと薄れていった。
そして、私とノアの前に歩み寄る。
「じゃあ、約束の時間に遅れちゃうからね。僕は行くよ」
そう言って、差し出された手。
私は一瞬だけ迷ってから、その手を握り返した。ノアも続いて、少しぎこちなく手を伸ばす。
「帝都グランサンドレアを楽しんで」
それだけ言い残し、セドリックは人波の中へと溶けていった。
黒と赤の警備兵たちが解散を命じると、次の瞬間には、その人はもうどこにいるのか分からない。
つい先ほどまで、この場を圧倒していた“皇子”は、
去り際にすら余計な痕跡を残さず、まるで最初からいなかったかのように消えていた。
(……つかみどころがない、風みたいな人だったな)




