第19話 幻の剣聖ギャリソン
朝の空気に、木の香りがふんわりと混ざっていた。
うちの庭先はいつも少しだけ、木工所のにおいがする。
父エルドは、もうひと仕事終えていたみたいで、束ねた材を物置に収めるところだった。
窓から見るエルドは額の汗をぬぐって、ふと空を見上げる父さんの後ろ姿。なんか、ちょっと絵になる。
……転生前の父親はどんな人だったんだろう?
すくなくとも、こっちの父親みたく家族思いな人がいいな。
そんなことを思いながら、私とノアは階段を下りた。
「おはよ~……ん、なんかいい天気~」
私が伸びをしながらそう言うと、ノアが私の隣で空を仰いでつぶやく。
「風が気持ちいいね。今日、先生来るんだよね?」
父さんは、私たちの頭をぽんぽんと撫でてから、にこっと笑った。
「おう、そうだ。お前たちが“聖核の儀”で立ち会った記録官から、手紙がきてな。
“あの双子の成長を、一度ちゃんと記録しておきたい”ってさ。で、剣に覚えのある達人をこちらに向かわせたらしい」
「へぇぇ~! じゃあその人、すっごい強いのかな!」
思わず声が弾む。すごい達人とか聞くと、なんかちょっとワクワクする。
台所のほうでは、母さん――シンシアが、そんな私たちを笑いながら見ていた。
ちょうど朝食の仕上げ中だったみたいで、湯気の立つ鍋の蓋を開けていたところ。
「ちょっとだけ準備運動しよっか! 本格的な先生が来るなら、ちゃんと体を動かしとかなきゃね!」
私が言うと、ノアも笑顔で頷いた。
うん、こういうときは息ぴったり。
父さんは苦笑いしつつ、でもどこか嬉しそうに私たちを見ていた。
「やりすぎるなよ。お前ら、もう“普通の子供”じゃないんだからな」
その言葉に、ちょっとだけ胸がくすぐったくなる。
「朝ご飯食べて、顔を洗って、歯も磨いてからよー!」
母さんの明るい声が台所から飛んできた。
「「はーい!!」」
ふたりで声をそろえて返事。こういうところ、やっぱり双子だなって思う。
――朝ご飯を食べて、身支度もすませて。
私とノアは再び庭へ出た。
朝の光が差し込む中、私は軽く肩を回して、木刀の感触を確かめる。
ノアは片足を草の上に乗せて、ゆっくりと体を伸ばしていた。
「じゃあ、軽く素振りからね」
「うん。これから先生来るし、ウォーミングアップだけにしとこ」
準備は、ばっちり。
あとはその“すっごい達人”ってやらを、全力で出迎えるだけ――!
……現状を冷静に判断してみても、自慢するわけじゃないけど、
たぶんこの村で一番強いの、私だと思う。
この前、警備団の兵士さんと模擬戦したときも、正直ほとんど相手にならなかったし。
あの人たちが“一般的な大人の戦力”だとするなら――
今日来る先生は、きっと“戦闘系の聖印持ち”で、
しかも私たちみたいな“イレギュラーな双子”を指導できるレベルってことになる。
……うん、つまり結構な腕前ってこと。
これは、今の私たちの“実力”を測るにはちょうどいい機会かも。
私が木刀を抜いたその瞬間、村道の方から大人たちが駆ける音が聞こえた。
砂ぼこりをあげながら、数人の村の警備団が家の前を通り過ぎようとしている。
「……あれ? ロイドさん?」
見慣れた茶髪の青年が、その先頭にいた。
「ロイドさーん!」
私が手を振ると、ロイドは私達に気づき、駆け戻ってきた。
「カナリアちゃん、ノア君。外は危険だから外出しないで家にいたほうがいい」
この慌ただしさと、この感じ。たぶんまた魔獣絡みかな。
よくあることだし、仕方ない。
だったら私たちが、なんとかするか。
「……ロックライノ数体が、下りてきてセリノスの森西側に入り込んだらしい」
「えっ!? 普段は山に住んでるモンスターだよね!?」
ノアの声が少しだけ裏返る。
「森では、地狼と魔紅熊が縄張り争いをしてたろ? そこに岩犀まで加わったら、大惨事だ!村にも被害が出るかもしれない。だから、今のうちに対処しないといけないんだ。」
「なら、あたしたちも行く!」
即答したのは私。ノアも頷いて一歩踏み出す。
「俺たち、戦えるよ!」
「だーっ! ダメダメダメ!」
ロイドはバツ印を作って、全力で否定してきた。
「君たちは子どもでしょ!? 大人に任せて、家にいなさい!」
でも、私は口元を吊り上げて、ちょっとだけ顎を上げる。
「村で一番強いの、たぶん私とノアだよ?」
「地狼は僕の友達だよ?」
「うっ……」
返す言葉に詰まるロイド。表情がピクピクしてる。
そりゃそうだ。
地狼はノアの言うことを何でも聞くし、狂暴化した魔紅熊をロイドさんの目の前で倒したのは、この私なんだから。言い返せないのも、無理はないよね。
「……と、とにかく子どもには何度も頼れません! じゃあねっ!」
そう叫ぶように言い残し、ロイドは慌てて駆けていった。
――沈黙。
しばらくして、ノアと私は顔を見合わニヤリと笑う。
「……どうする?」
「決まってるでしょ?」
私たち二人は気づかれないようにロイド達警備団の後を追跡し始めた。
俺の名はギャリソン。
元・ギリス公国騎士団所属。
そして、女神に愛されし“剣豪の聖印”を持つ男だ。
俺の剣筋を見た者は、口を揃えてこう言う。
「あんたがこの時代に生まれたことを、世界のツワモノ達が嘆いている」と。
……まあ、つまりはそれほどの男ってことだ。
今日は、古い知人の“聖印記録官”に頼まれて、ある田舎に住む双子に“剣の手ほどき”をすることになった。
正直、乗り気じゃなかったさ。
剣聖に最も近いと言われているこの俺が? 子守役? 冗談じゃない。
剣神だの刀神だの名前ばかりは豪勢だが、剣の道は遊びじゃない。
剣は命を賭ける“業”。技一つで生死を分かつ、純然たる戦の術だ。
だからこそ、剣豪を名乗るには覚悟が要る。
だが、“初心に帰ることも修行のうち”──そう自分に言い聞かせて、今日だけは真面目に“先生役”を務めるつもりだった。
と、まぁ目的の家へ向かっていたはずなのだが。
森に入ってから、どうにも道に迷っちまった。
「ふっ……どうしても女神は、俺に試練を与えたいらしいな。これも“剣聖”への道に課された鍛錬ということか……!」
木々の間で呟いたその声には、どこか誇らしげな響きがあった。
その時
「囲め!」「大蜘蛛の縄を使え!」「睡眠の矢じりは肌まで届きません!」
人の声がする。怒号と、縄を引く掛け声。それに混じって、低く唸るような魔獣の咆哮が木々の間を震わせた。
「っ……!」
ギャリソンは咄嗟に反応し、茂みをかき分けながら声の方へと駆け出した。日の光が届かりきらない薄暗い森の中、木々の隙間から視界が急にひらける。
そこはぽっかりと広がった、森の中の開けた空間だった。
数人の村の警備団が、必死に縄と槍を使い、巨獣を取り囲んでいる。
だが、その魔獣は……明らかに、彼らの手に負える相手ではなかった。
大地を踏み砕くように暴れ回る巨体。全身は岩のような殻に覆われ、その一歩ごとに地面が揺れる。額には巨大な一本角を構え、突進すれば、木も人もひとたまりもないだろう。
「あれは──岩犀……! 本物は初めて見たぞ……!」
その姿に、ギャリソンは思わず息をのむ。
──いかん。あの兵士たちではやられるだけだ。
唇を引き結ぶと、ギャリソンは背中の大剣に手をかけた。
ズシン、ズシンッ!
岩犀が吠える。振り上げた前脚が地面を砕き、警備団の一人が吹き飛ばされた。仲間が慌てて駆け寄るも、間に合わない。
その時だった。
「助太刀いたす!」
鋭く、張りのある声が森に響きわたる。
次の瞬間、巨獣の正面に、黒い影が割って入った。
大剣を構えたその男は、悠然と岩犀と向き合っている。腰の剣帯には風にたなびく装飾布、胸元には――
「騎士団の……紋章?」
「ギリス公国……まさか、あのエンブレム……!」
警備団の男たちが、驚きと安堵の入り混じった声を上げる。
ギャリソンはわざとらしく、胸元のエンブレムを風に揺らして見せた。装備のあちこちに、ギリス公国騎士団の象徴たる“銀狼と三剣”が刻まれている。
(そうだ。いいぞよく見るんだ……ふっ。やはりこの紋章の効果は絶大だな)
ちらちらとこちらを見てくる視線を感じながら、ギャリソンは一歩前へと進み出る。
その背に、風が流れた。
「あとはこの俺、未来の剣聖ギャリソン=ファーマードに任せろ!」
大仰な名乗りとともに装備した黒鉄のプレートが輝く。
広い肩幅に鍛え上げられた腕、背中には刃こぼれ一つない大剣を背負っている。
厚い胸板と逞しい体躯は、一目で只者でないと分かる風格だ。
そして、特徴的なのは耳元から顎へと流れる濃いもみあげが風になびいている
彼の妙なこだわりが自信の表れを物語っているようだった。
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