第196話 あやしいイベント発生
グリフィンの背から見下ろすと、市場の外れにぽっかりと芝生の地面が見えてきた。
建物が密集する市場とは打って変わって、そこだけは整えられた草地が広がっている。どうやら、市場専用の待機場らしい。
周囲には、すでに別の人間を乗せてきたのだろう、何匹ものグリフィンが静かに待機していた。
私たちは、その一角へと降下する。
(……なるほど。帝都の各所には、こうしてグリフィンの着陸場が用意されていて、空の動線まできちんと管理されているわけね)
地上だけじゃないく空の使い方まで含めて、帝都は最初から“大規模な都市”として設計されている――そんな印象を受けた。
「私めは、ここで皆様をお待ちしております」
執事長アルフレッドがグリフィンの手綱を引きながら、静かに告げる。
「ライゼル様。グラン・デ・バザールでの滞在は、一時間ほどでお願いいたします」
「わかった。それまでには戻ろう」
それだけの短いやり取り。
けれど、そこには長年積み重ねられてきた主従の信頼関係が、自然と滲んでいた。
そのとき、父さんが一歩前に出た。
「俺は、ここからは別行動させてもらうよ。きちんと自分の仕事をしなくちゃな」
そう言ってから、私とノアを手招きする。
「リア、ノア。ちょっとこっちに来い」
近づいた瞬間、父さんは二人まとめて、ぎゅっと抱きしめた。
(……おうふ)
完全に不意打ちだった。思わず息が詰まり、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
父さんはいつも真っすぐに愛情表現をしてくる人だ。
「明日の朝には、ライゼルさんのお屋敷に行くからな。それまで、皆様にご迷惑をおかけするなよ?」
そう言って、私たちの顔を順に見て、やさしく笑う。
「いい子にして、待っててくれ。それじゃあ、また明日な」
「お父さんも、気をつけてねー!」
ノアの明るい声に、父さんは軽く手を振って応えた。
いつもと変わらない言葉。
いつもと変わらない別れ方――のはずなのに。
ここが帝国で、一日とはいえ離れて行動すると思うと、ほんの少しだけ、その重みが違って聞こえた。
私は小さくうなずきながら、父さんの背中を見送った。
「では、二人とも行くぞ」
そう言って歩き出すライゼルさんの後ろを、私とノアは並んでついていく。
市場の通りは、想像以上だった。左右には隙間もないほど店がひしめき合い、食べ物の屋台からは香ばしい匂いが漂う。
雑貨、布、装飾品、妖しげな魔導具、さらには武器まで――ありとあらゆる品が所狭しと並び、呼び込みの声や値段交渉、笑い声が重なり合って、通り全体が一つの生き物みたいにうねっていた。
(うへー……お祭り並みに人がいるよ。私の前世も大都会出身だけど、ここは負けず劣らずだね)
改めてその人の多さに圧倒されていると、通りを抜けた先でふっと視界がひらけた。
市場の中央に据えられた、大型の噴水だ。澄んだ水が勢いよく吹き上がり、飛び散る水滴が陽光を受けてきらめいている。その周囲には待ち合わせをする人や、荷を下ろして一息つく商人たちが自然と集まっている。
「二人に、食べさせたいものがある」
噴水の前で足を止め、ライゼルさんが言う。
「私が買ってくる間、ここで待っていろ。好きに見学していてよいぞ」
「先生! 一緒に行きますよ。僕たちが荷物を持ちます!」
ノアが即座にそう言うと、ライゼルさんは鼻で笑った。
「何を言う。それでは驚きや感動が減ってしまうではないか。子供はおとなしく待っていろ」
(……将軍様、その身分でサプライズ好きとか、ちょっとギャップあっていいじゃん)
なんて内心で思いながらも、ふと現実的な疑問が浮かぶ。
「ライゼルさん。万が一、はぐれたら……私たちのこと、見つけられるんですか?」
そう聞くと、返事は即座だった。
「愚問だな。この場にいる全員の魔力を感知・判別できる私に、見失うなどという事はありえん。では、後程な」
そう言い残すと、ライゼルさんは迷いもなく人波の中へと消えていった。
(……この人、規格外ってこと忘れてたよ。千人は軽く超えてそうなのに、全員を判別できるって……普通にチートじゃない?)
でも、よく考えてみると――ライゼルさんは将軍なのに、護衛を一人も連れていない。
国にとっても重要人物のはずだし、エルフにとっては賞金首でもある。いくら国内、それも帝都とはいえ、少し無警戒すぎないだろうか。
「ノア……ライゼルさん、本当に一人で大丈夫かな? 国にとっても重要人物だし……狙われたりしない?」
人波の向こうへ消えていった背中を見送りながら、小声で尋ねる。
するとノアは、少しだけ考える素振りを見せてから、あっさりと言った。
「んー……僕だったら、どっちかっていうと、その犯人たちの方を心配するかな。雷を襲おうと思う人って、いると思う?」
(……あはは。これも、どうやら余計な心配だったみたい)
私は「確かに」と小さく息を吐き、気持ちを切り替えるように噴水のほうへ視線を戻した。
さて――自由時間、というやつをどう使おうか。
雑貨屋を見て回るのもいいし、確か本を扱っている店もあった。帝都にしかない珍しい本があるかもしれない。それとも、少し何か食べ……いや、だめだ。ライゼルさんが何か食べさせるつもりで行ったんだし。
そう考えながら、きょろきょろと視線を巡らせた、そのときだった。
少し離れた場所から、人だかりと一緒に、やけに大きな声が聞こえてきた。
「うおおおおおおっ!」
「またダメだったかぁぁ……!」
「誰か、挑戦者はいないのか!?」
「おっ、今度は子供たちか!」
そんな声が飛び交い、噴水の近くに人だかりができていた。
(……なに、あれ?)
様子をうかがっていると、ノアが私の袖をくいっと引っ張る。
「ねえさん、行ってみようよ!」
言われるまま近づいてみると、そこにはイベント会場のように特設された小さなステージがあった。
二つの台座が、およそ二メートルほどの間隔で向かい合って設置され、その下には転落しても怪我をしにくそうな、柔らかい素材が敷かれている。
台座の上では、四、五人ほどの子供たちと、ごく普通に見える一人の女性が、綱引きの要領で向かい合っていた。
(……子供とはいえ、私と同じくらいの年の男の子たちだ。さすがに大人でもあの細身の女性一人で勝てるわけが――)
誰もが、そう思った。――思ってしまった、はずだった。
「それでは、始め!」
開始の合図と同時に、両者が一斉に綱を引き合う。
「これで勝って、みんなでお菓子を買うんだ!」
「あらぁ、ぼくちゃんたち。男の子なのに、ずいぶん力がないのね?」
女性が、軽く力を込め引っ張った――その次の瞬間。
男子たちはまとめてバランスを崩し、次々と台座から転げ落ちた。
「うわあああ!」
「あらぁ! 折角みんなでお金を出し合ったのに残念でした……ウフフフ」
女性は口元を抑えこみ上げる笑みを必死に押し殺しているようにみえる。
一方、子供たちは「そんな……僕たちのお小遣いが……」と、しょんぼり肩を落としていた。
呆気に取られていると、ノアが近くで見物していた男性に声をかける。
「あれって、何してるんですか?」
「ああ、あれか。見ての通り、綱引きの見世物さ」
男性は腕を組み苦笑しながら続けた。
「主催者側が用意した人物を三人連続で台座から落とせたら、賞金は五十万レグ。参加費は一万レグだ。だから、つられる奴が後を絶たないのさ。でもな……誰も一人目にすら勝てやしない」
(……なるほど。分かりやすく搾り取る気か。それにしても、子供たちからまで金を巻き上げるなんて、ろくでもない連中だな)
「魔法や聖印の力を使ってるんじゃないんですか?」
私が思わず口を挟むと、近くで見ていた男が首を振った。
「みんな最初それを疑ったんだけど。ズルをしたら反応する腕輪をお互いつけてるんだ。不正はできない仕組みだよ」
(……ふうん。と、なると別のカラクリがあるってわけね)




