第18話 私の必要性
地面には魔力の痕跡がうっすら残り、あちこちに土くれが舞い上がったまま。
木の柵は斜めに傾き、畑の一角はもはや原型をとどめていない。
まるで小さな竜でも暴れ回ったみたいな、そんな惨状。
だけど――
「……あ、姉さん戻ってきたの?」
その中央に、ノアがいた。
服は泥だらけで、髪もボサボサ。
けれど、元気そうにこちらを見ている。
「……よかったぁ」
思わず胸をなでおろす。体の力が抜けた。
私は駆け寄り、膝をついてノアの顔をのぞきこんだ。
「大丈夫? ケガとか、ない……?」
「うん。ちょっとへばっただけ……でも、平気だよ」
ノアの声はかすかに疲れていたけど、ちゃんと笑っていた。
「……やれやれ、大騒ぎだったねぇ」
ほっとしたように笑う声に振り向くと、メリンダおばあちゃんが帽子を直しながら立っていた。
ちょっと汚れてはいたけど、元気そうで――それがまた、何よりうれしかった。
「カナリア、店の中から青いポーションを持ってきておくれ。棚のいちばん奥、光ってる瓶さ」
「あ、うん! わかった!」
私はうなずいて立ち上がると、くるっと向きを変えて家の中へ走り出した。
二人とも……無事でよかった。私は少し笑って、扉を開けた。
私は戸棚の奥から、光る青い小瓶をそっと取り出し、裏庭へと戻った。
「はい、メリンダさん。これで合ってるよね?」
「おうともさ」
受け取ったメリンダは、小瓶のふたをくいっと開けて、ノアに手渡す。
「ほら、これでも飲んどき。気休め程度だけど、マナ回復薬さ」
ノアは素直に一口、ゴクリ。
すぐに顔をしかめた。
「……あ、意外と美味しい……」
どうやら、けっこういける味だったらしい。私は思わず笑ってしまった。
「ねぇ、ノア。いったい何があったの?」
私の問いに、ノアはちょっとバツの悪そうな顔で、メリンダを見た。
すると、メリンダはふっと息をつき、肩をすくめて言った。
「んー……まぁ、ちょいと色々とね。魔力の反応、見たってだけさ」
「……?」
「思ったよりね、この子の魔力がすごくてね。ま、ケガもなかったんだし、いいじゃないか」
そう言って、メリンダはノアの頭をぽんぽんと軽くたたいた。
ノアは「へへっ」と照れくさそうに笑っていた。
私はちょっとだけ眉をひそめたけど、それ以上は何も言わなかった。
「……で、あんた、この体で歩いて帰るつもり?」
「えっと……がんばれば……」
「ムリムリ。乗んな」
そう言って、メリンダは立て掛けてあった箒を魔力で引き寄せると、箒を軽く地面に立てにやりと笑う。
「特別だよノア。カナリアも乗ってきな。ついでだよ」
「えっ、えええっ!? いいの!? 乗っていいの!?」
私は思わず目を見開いた。
箒にまたがって空を飛ぶなんて、それもう、ファンタジーの王道じゃん!ていうか原点じゃん!
内心、大興奮だったけれど、それを隠しきれず顔に出たらしい。
「……へぇ、そんな顔もするんだね。おまいさんにも子供らしいところあるじゃないか」
メリンダは口の端をクイッと上げて笑った。
皮肉っぽいけれど、どこか優しい目だった。
「いいよいいよ、今だけははしゃぎな。あたしの箒だって、そうそう人は乗せないんだからね」
「うんっ! ありがとう!」
私は思わず声を弾ませて、箒の柄をぎゅっと握った。
風が、空のほうから吹いてきた。
これはもう、絶対忘れられない時間になる――そんな予感がしていた。
ノアと私を前に乗せ、箒がふわりと浮かび上がった。
地面がすっと遠ざかり、小さな風が巻き起こる。
二人を乗せた箒は、そのままゆっくりと空へと舞い上がっていく。
「二人とも、しっかりつかまってなよ。落ちたら痛いじゃ済まないからね」
メリンダの声に、私は慌てて柄をぎゅっと握りしめた。
背中からはノアの手も、同じようにしがみついてくる気配があった。
「……すご……うそ、浮いてる……空飛んでる……!」
目の前に広がる風景に、私は思わず呟いていた。
屋根の上、木のてっぺん、鳥の視点。
どれも地上からは見えない世界。
胸が高鳴る。ほんのり涙が出そうだった。
(うう……感動した……! 魔法使えるようになったら、いつか魔法で空を飛んでみたいって……ずっと、思ってたんだよぉ……)
そんな私の横で、ノアがぽつりと口を開いた。
「メリンダばあちゃん……」
「ん?」
「楽しいから、飛び方教えて」
バシッ!
軽快な音が響いた。
メリンダの拳骨が、ノアの頭に気持ちよくヒットしていた。
「まずは反省しなっ!」
「いだー……」
ノアは頭を押さえて情けない声を出しつつも、笑っていた。
その様子を見て、私は思わず吹き出した。
「……ノア、貪欲だなぁ……」
ちょっと引き笑い気味に、そう漏らした。
けれど心の奥は、どこかあったかかった。
風が、気持ちよく頬をなでていく。
夕暮れの空の旅はあっという間だ。遠くに家の屋根が見える。
──グレンハースト家。
「ふぅ……あのババア、口は悪いが薬はよう効くから始末が悪いわ」
腰に湿布を貼りながら、ギャンバスがじじむさい顔でぼやいた。
「カナリとノア、まだ帰ってこないわね……」
シンシアが台所から顔を出し、心配そうに玄関をちらりと見る。
──そのとき、勢いよく玄関の扉が開いた。
「ただいまー!」
私――カナリアが元気に帰ってきた瞬間、家の中から別の声が飛んできた。
「やっと帰ってきたか、カナリアちゃん」
「えっ……ロイドさん!? え、なんで家にいるの!?」
リビングのほうから現れたロイドが、苦笑しながら手にバスケットを掲げる。
「ほら、パイと湿布薬。帰り際に落としてったろ? 家まで届けに来たのさ」
「う、うわああ……ごめん……!」
私は顔を真っ赤にしてうなだれた。
……どうやら、私はけっこうなあわてんぼうというか、早とちりらしい。年甲斐もなく、すっかり忘れてたなんて……。
だけどロイドは優しい笑みでいてくれる。それだけで救われる気持ちだった。
「まったく、せっかく持たせたのに。……あんなに強いカナリアちゃんもやっぱりまだ子供だね」
私の頭を撫でながら笑うロイド。ぐぬぬ。今は何も言い返せないが仕方がない。
そのとき、後ろからふらふらとノアが入ってきた。
「うう……ただいま……体中が痛い……」
その姿を見て、シンシアが心配そうに駆け寄ろうとした……が、
「それじゃあ、ちゃんと届けたからねー! じじい! 孫たちの送迎代、あとで持ってきな!」
玄関の外から、豪快な声が響いた。
メリンダの声に、ギャンバスが額に手を当ててぼやく。
「……あのババア、サービスって言葉を知らんのか……」
ノアはリビングにたどり着くと、ぺたんと床に座り込み、情けない声で言った。
「じいちゃん……俺にも湿布ちょうだい……」
その一言で、部屋の空気が一気にやわらいだ。
「ぷっ……」
「ふふっ」
「あははははっ!」
みんなが笑っていた。
今日の出来事は、こうして家族みんなで笑えるなら、それでいいのかな。
……ってそれは、そうなんだけど。
私はふと、思い出していた。
あの裏庭の惨状。まるで竜が暴れ駆け抜けたような破壊の痕。
そしてノアの腕に巻き付く見慣れない木製の腕輪。
極めつけは、空へ雲を突き抜けて駆け上がっていった、六色の魔法の柱。
もし、あの中心にいたのがノアだとしたら……。
(……剣神で、全属性の魔法使い……?)
私は内心で、じわじわと込み上げてくるある感情に襲われた。
(……ん? ちょっと待って……私、いらなくない!?)
思わずこめかみを押さえたくなる衝動に駆られながら、
私はひとり、小さくため息をついた。
そして物語は、静かに――だけど確実に、動きはじめていた。
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