第16話 魔力の根源
湿布薬の包みを胸に抱えながら、私は村道を小走りで駆けていた。午後の光が木々の合間から差し込み、足元にちらちらと影を落とす。
「カナリアちゃーん!」
突然、背後から声をかけられて、私はぴたりと足を止めた。
振り返ると、見覚えのあるような、ないような青年が手を振っていた。
「……だ、誰だっけ?」
「ええっ!? 俺だよ俺!」
彼は軽く肩を落としつつ、がんばって笑顔を作っている。私はじーっと、その顔を見つめた。
「あ、思い出した。こないだ紅魔熊にびびって腰抜かしてた警備団の兵士さんだ!」
「そ、その覚え方はやめてくれ!」
青年――ロイドさんというらしい――が、ガクッと全身でズッコケて見せる。私は首をかしげたまま笑ってしまった。
「で、私に何か用?」
「いや実は、君の家に行こうとしてたんだよ! これ、渡そうと思ってさ!」
そう言って彼は、小さなバスケットを差し出してきた。中をのぞくと、赤紫色の果実がぎっしり詰まった焼き菓子――フィンベリーパイが綺麗に包まれていた。
「えっ、これ……くれるの?」
「うん。好きって聞いたからさ。こないだのお礼も兼ねて……ほんとは家に届けようと思ったんだけど、今君に会えてからさ」
彼の笑顔はちょっと照れくさそうで、でも真っ直ぐだった。
「へえ~……ありがと! うれしい! ちゃんと弟と一緒に食べるね」
「そういえば、弟くんは? 一緒じゃないんだ?」
「ああ、ノアはね――」
その名前を口にしたとき、私の視線は、ふと来た道のほうへ向いていた。
―ハースベル村郊外 メリンダ魔法具店兼自宅裏庭―
「まず、目を閉じて力を抜きな。深く息を吸って、自分の内側を感じてごらん」
メリンダの声は、風のように優しく、けれど芯のある響きを持っていた。
ノアはこくんと頷き、ゆっくりと目を閉じる。
ひとつ、呼吸を整え――
ふたつ、心の奥へ沈んでいく。
「……なにか、感じるかい?」
そっと問いかける声が、意識の深部にすっと差し込んでくる。
ノアは静かに答えた。
「……流れる水。さらさらしてて、冷たくて……。それと、雪……みたいな感じ。ふわっと舞って、でも触れると凍りそうなくらい冷たい」
「ふむ、なるほどね。そいつはお前さんの“得意魔法”だ」
メリンダは満足げに微笑んだ。ノアの言葉から、彼の魔力がいかに“水”と“氷”に近しい性質を持っているかが、手に取るように伝わってくる。
「その調子でさ――他の属性も、感じてみな。火、土、風、光、闇……。どれかひとつくらい、水に近いイメージがあるんじゃないか?」
ノアは少し眉をひそめながらも、心を澄ませていく。
「……みんな、同じくらいに感じるよ」
メリンダは腕を組み、ふむ、と鼻を鳴らした。
「先天属性に近い“イメージ”がある子なら、望みもあるんだけどね。全部が同じ、ってことは……」
彼女の目が細くなる。
「もしかしたら結局水属性以外は、使えないかもしれないよ?」
ノアは「えっ」と小さく声を漏らしたが、メリンダは冗談っぽく肩をすくめた。
「まぁ、あくまで“可能性”の話だけどさ。実際、見てみないとわかんないね」
そう言って、彼女はふっと顔を緩め、ノアの頭にそっと手をかざした。
「よし、じゃあお前さんの“魔力の根っこ”、わしが見てあげようじゃないか」
「え……どうやって?」
「目を閉じな。リラックスはそのまま。わしも入るから」
メリンダは目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。
「……意識の深部へ。魂の海の底へ……」
その声が、ふわりと空気に溶けた瞬間──
メリンダの意識が、ノアの魔力の根源”へと沈んでいった。
──そこで見たのは、“底の見えない深海”だった。
真っ暗な水の底。いや、それは“魔力”そのものだ。
どこまでも、どこまでも深い。光さえ届かない圧倒的な深度と静寂。
(なんだいこれは……まるで“魔力の海”じゃないか。しかも……)
ズズズ、と沈んでいく。体が引きずられるように落ちていく。
そして──ただ深いだけではない。
(……重い。……濃い。……冷たい)
やはり本質は水属性か……?
そう思った瞬間、景色が変わった。
水の流れが凍りつき、精神世界が一面の氷原へと変貌する。
足元から空中にいたるまで、すべてが氷結していた。
目の前に広がっていたのは、凍てついた大地。氷に覆われたような、静寂の“氷原”。
あまりに広大で、メリンダの視界は霞みそうになる。
「……大抵は、属性の“シンボル”がぽつんと浮かぶだけなのに。なんだいここは……まるで、もう一つの世界が広がってるみたいじゃないか」
メリンダの声は、自分の耳にさえ届いているのか疑わしいほど、吸い込まれるように薄れていった。
遥か先、地平線のかなたに、五つの“何か”がそびえ立っている。どれもが天を突くように高く、氷霧の中でもなお、はっきりと存在感を放っていた。
「……あれは……山かい?」
メリンダが目を凝らした先のさらに遠くに──五つの山が見える。
それぞれの山頂から、異なる属性の魔力が立ちのぼっている。
一つは、赤々と燃え上がる火。
一つは、空を巻き上げる風。
一つは、大地を揺るがすような土。
そして、眩いばかりの光と、陰る黒い闇が……最後の二つ指を象徴していた。
「どういう事だい……山を象るほどの魔力!? それに全属性!? こんな子、今まで見たことないよ」
(女神の民であっても、ひとつの属性すら扱えきれぬ者がいるというのに……)
背筋がぞわりと震えた、そのとき。
──ズゥン。
地面が、揺れた。
とてつもない重圧。まるで世界そのものが軋んだかのような、圧倒的な“存在感”。
メリンダは反射的に振り返った。
そこに──“それ”がいた。
漆黒の影。天を覆い、地を踏みしめる巨影。
さっきまで自分が立っていたと思っていた氷原は地面ではなかった。
それは“巨大な掌”だった。
五つの山は、その指先。
(ありえない……これ、全部、“手”……!?)
影が──こちらを見た。
眼が開く。底知れぬ深淵の瞳が、まっすぐメリンダを貫いた。
声にならない声が、空間ごと震わせる。
「……去れ」
その一言だけで、精神が吹き飛びそうになる。
強制的に引き戻された意識。気づけば彼女は庭に戻っていた。
肩で荒く息をするメリンダ。その手は、わずかに震えていた。
(あんなのが、この子の中に……?)
目の前のノアは無邪気な顔で、魔力をかかげようとしていた。
笑顔すら浮かべて──
「……あ、違う力を感じる! 見てて!」
メリンダの指先から伝わってくるのは、奔流のような魔力だった。
測り知れぬ量のマナが、内奥から次々と湧き上がってくるのを感じる。
(いかん! いっきに上がってくる……制御が……!)
ノアが両手をゆっくりと掲げた、その瞬間――
ドンッ!!!!
大地がうねるような低音が響き渡り、ノアの手のひらから六色の光柱が一斉に噴き出した。
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