第152話 違和感の正体
体が、渦に引かれるように下へ下へと落ちていく。
水圧が耳を押し、視界は深く青に染まる。
(……まだ沈んでいく……一体どこまで行くの!?)
そのときだった。
暗いはずの深海の底。その下が、まるで朝日のように光り輝きはじめた。
(……海の底が……光ってる!?)
じわじわと迫ってくる光。
まぶしさに思わず目を細めた、その瞬間――
ザポンッ!!
「えっ!? 海の底が……抜けた!?」
体に伝わる感触が一気に変わる。
水の重さが一瞬で消え、肌を打つのは――風。
ビュオオオオッ!!
猛烈な風圧が身体に襲いかかる。
髪が逆立ち、服がばたつく。視界が一気に開けた。
「……えっ!? 空中!? 今度は空っ!?」
見上げれば雲。見下ろせば地平。
青空の中に、ぽつんと私だけが――いや、ノアと一緒に空を急降下していた。
「姉さんどういう事なの!? なんで海の底が空なんだよ!!」
「こっちが聞きたいよ! どうなってるの!?!?」
叫び声が空に吸い込まれる。
「ノアの魔法が使えないなら、せめて魔道具で落下を和らげる……!」
私は咄嗟に、自分の腕に目を向けた。
いつも装備している、風を操るための魔道具。そのグローブに、魔力を流し込めさえすれば!
――ない。
「……あれ?」
腕をまくって確認する。
もう一度、両腕を見直す。けれど、どこにも、いつものグローブがない。
(おかしい……常に身につけているはずなのに!)
混乱する意識のまま、今度は腰に視線を移す。
帯刀しているはずの刀がない。
それだけじゃない、ノアの双剣もどこにも、見当たらなかった。
(これって……もしかして)
そのときだった。
落下の直線上、視界の下に、黒い影がぐんぐんと広がっていくのが見えた。
ノアが叫ぶ。
「姉さんっ! 下になんか見えない!?」
「……どんどん近づいてるっぽい!」
それは、地面ではなかった。
大口を開けた、何か巨大な生物だった。
ぽっかりと開いた口。
裂けた大地のような牙の列。
その奥で、紅く燃えるようなふたつの瞳が、こちらをまっすぐ見上げていた。
「「巨竜っ!!?」」
声が重なる。ノアが叫んだ。
「うわあああっ! あれ、絶対食べる気満々だよ!? てか姉さん! なんでそんなに冷静なのさ!!?」
私は一度、深く息を吐いてから言った。
「叫んでも、状況は変わらないでしょ。今は、落ち着いて見極めてるの、色々ね」
「見極めてるって何をっ!? あーもう! 魔法が使えないって、こんなに不便だなんて知らなかった。姉さん、今までごめーん!」
風を切り裂く轟音。
私たちの身体は、そのまま一直線に、竜の口へと“吸い込まれて”いく。
ノアは手足をバタつかせて慌てふためき、私はその横で冷静に状況を整理し思考を巡らせながら。
そして、その巨大な顎が、私たちをバクンと包み込み私たちは、“巨竜の胃袋”へと呑み込まれた。
――はっ。
目を開けた瞬間、私は反射的に身を起こした。
明らかに胃袋の中の感触ではない。
(さぁて……お次は、どこ!?)
最初は海。次は、空だった。そでもって、今の場所は
「……暗い。暗すぎる……」
見渡す限り、漆黒の空間。
けれど、その“暗さ”の向こうに、大小輝く光が大量に広がっている。
「これって、もしかして星!? ここまさか宇宙空間……?」
無酸素のはずなのに呼吸はできる。けれど足場も重力も存在しない。
物理法則はバラバラで、もはや現実の延長とは思えない世界だった。
すぐ隣でノアがぐったりと漂っていた。
「ノア……っ! ノア!!」
完全に意識を失っている。浮遊する彼の身体が、重力のない空間にゆっくりと揺れている。
「起きてよノア、大丈夫!? しっかりして!」
私はノアの手を引き寄せ、腕の中に抱きかかえる。
――眩しい。
前方から、急激に光が強くなっていく。
白熱するような輝き。照りつけるような熱。
その発光源は、間違いなくあれ。全てを照らす惑星の王
「太陽!? ……接近してる!? このままじゃ、灼かれるっ!!」
けれど――(待って、あせっちゃだめ。こんなにあり得ない。必ずトリックがある)
私の脳が、思考を加速させる。
そもそも、最初に転移門である黒雪を禁書庫の内側へと転移させたとき、感じた感触は確かに「床」だった。硬くて、ひんやりとした石の床。その時点で、海なんかじゃないはず。
(それなのに、転移した先は別世界。そしてあり得ない目まぐるしい自然環境の変化――)
そのうえ、常に手元にあるはずのグローブや刀もない。
(なら答えは一つしかない!)
私は目を見開いた。
こんな環境下でも、たった一つだけ、私だけに許されたルール無視の外法的な抜け道がある。
魔法は封じられている魔道具も、武器も存在していない。
私に残された力――それは、全てを遮断する異界の力。
「――纏衣!!」
その瞬間、私の全身から黒雪がほとばしった。
星々を切り裂き、光を飲み込むようにして、暗黒の粒子が空間に広がり私を包み込む。
断界纏衣。
それは、異世界の力を纏い。あらるゆ法則を無効化する絶対結界。
(これなら……! たとえどんな弱体化や制限があろうとこの瞬間だけは、この世の法則から“除外”される!!)
パァァァァ
一瞬にして、私の視界が開け、幻を見破り現実世界へと戻す。
そこに広がっていたのは、宇宙空間なんかじゃない。
壁という壁に、びっしりと並ぶ書物の群れ。
見渡す限り、数えきれないほどの圧倒的な書物が積み重なっている。
(これが大図書庫、禁書庫の本体なんだね。)
そしてその中央、宙に浮かぶ七色に輝く巨大なオーブ。
そのオーブが私とノアに向かって、絶え間なく悪意の光を照射し続けていた。




