第151話 禁書庫
私とノアは、空中庭園の図書室、その奥――
重厚な鉄枠の扉の前に、静かに佇んでいた。
「いや~此処にくるのも久しぶりだな~」
「ノアは図書室自体あんまりこないじゃん。本読まないもんね~」
周囲の棚は整然と並び、時折ページをめくる風音だけが響いている。けれど、この扉だけは雰囲気が違った。
鈍く光る金属の縁取り、重たく閉ざされた扉、そして中央にぽつりと空いた、小さな鍵穴。
禁書庫――
この扉の前に立つのは、実のところ二度目。
はじめて、この空中庭園を訪れたあの日、アデル先生が一度だけここまで案内してくれたことがあった。
けれど、手前まで案内されたきり中へ入ったことはない。
ギルバート様からも、正式な許可は一度も下りなかった。
気づけば月日は流れ、記憶の奥に埋もれていた“禁書庫”という響き。
ノアに半ば無理やり連れてこられたとはいえ、まさか、この扉の中に入ろうとするなんて日がくるとは。
「ねえノア……やっぱやめとこ? 勝手に入ったら、絶対怒られるってば~」
私はこっそり声をひそめながら、ノアの袖を引っぱった。
「だいたい、なんで今さら入りたいわけ?」
するとノアは――
目をキラッキラに輝かせながら、堂々と言い放った。
「行ったことのない場所! 未知との遭遇! 世界の謎を解き明かす! それは、男のロマンなんだよ!」
……はぁ。
呆れてため息が出そうになるけど、どこか楽しそうなその横顔を見ると、強く言えないのがもどかしい。
(まったく……なぜ男子ってやつは、こういう生き物なんだろう)
まぁ、転生者の私としても、未知の冒険って響きはけっこう好きだし――
普通なら、こういう展開はむしろ歓迎なんだけど。
賢者ギルバートが入れないようにしている時点で、何かあるっておもってたほうが良さそう。
(それに……なんだろう、この胸のざわつきというか。な~んか嫌な感じ)
私は無意識に、禁書庫の扉へと目をやった。
固く閉ざされたその扉が、まるで、入るべきではない。と警告しているようにさえ見えた。
「それにさ、僕……最近ライゼル先生に言われて、魔獣相手に属性感知の訓練をしてるんだ」
ノアがちょっと得意げに、でも真面目な口調で続けた。
「迷宮に通ってるのも、それが理由。でね、ここ。禁書庫の奥から……ほんの時々、魔の気配を感じるんだよね」
「魔の気配?」
思わず、私は小声で聞き返す。
「うん。説明するのが難しいんだけど、たまに……ふっと、ね。」
ノアの目が、少しだけ鋭くなる。
(全属性持ちのノアがいうのだから、勘違いだけではなさそう)
彼の中に、前よりずっと魔術師としての鋭さが増しているのを感じる。
魔力感知の代名詞であるライゼルさんの指導もあるなら尚更だ。
(……魔の気配、って、まさか実は中に封印されし大悪魔でもいるんじゃないでしょうね?)
「でもさ、鍵持ってないじゃん。どうやって入るの? 無理じゃない?」
私が当然の疑問を口にすると、ノアは人差し指を振りながら得意げに言った。
「チッチッチッ。これだから魔法初心者は困るんだよね~」
そう言いながら、ノアは扉に手をかざす。
「この鍵穴、実はダミーなんだよ。見た目はただの錠穴に見えるけど、本当は、かなり複雑な魔法の封印構造になってるよ。あのマルシス先生でも一人じゃ解けないかも」
「……え、そんなに?」
思わず感心してしまった。でもその直後――
「まぁ、無属性の姉さんには一生わかんないと思うけどね~!」
「はぁ!? ちょっと待って、それどういう意味よ!」
ピシッと額に青筋が立つのを感じながら、私はジト目でノアをにらんだ。
(ノアにまで無属性イジりをされるとは! これでも最近、魔力量総量は上がってきてるってフウゲツ先生にも褒められたばっかりなんだから!)
「……ってことで、どうするの? 開けられないんでしょ? じゃあ詰みじゃん、詰み!」
わざとらしく肩をすくめて見せると、ノアはにやりと笑った。
「一人だけいるじゃん」
ノアがいたずらっぽく笑って、私を見上げた。
「僕だけを連れて、空間を飛び越えられる。世界で、たった一人の能力者がさ」
その言葉に、私の目がカッと見開かれる。
「……ええっ!? ちょ、ちょっと待って、だから私を捜してたわけ!?」
(なるほどね。私とノアだけが適応される転移門を逆手にとった手法か。でも鍵扱いなのがちょっと腑に落ちない)
「なんかさっきから、ぞんざいな対応されるし~協力するの、やめちゃおっかなぁ~」
(ここで主導権を握らせてもらうよ!)
強気にでた瞬間、ノアがニヤリと笑う。
「嫌だとは言わせないよ? ――あの日の約束、覚えてる?」
その声はどこか静かで、でも確かに胸に届いた。
「僕だけに秘密を喋らせた、あの日のこと。……ちゃんと“貸し”にするって、言ったよね」
◇◇◇
「それに、今日のこと――1個、貸しね?
僕が頼み事をしたら、ちゃんと言うこと聞くこと! わかった?」
「うん。……約束」
◇◇◇
(うっ……それを言われると、何も言えない)
胸の奥が、きゅっとなる。
忘れてたわけじゃないけど――まさか、ここでそのカードを切ってくるなんて!
ノアの方を見れば、悪びれるどころか、どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。
まったく……こういう悪知恵はすぐに働くんだから。
「姉さんだってさ新しい本、読みたいって、いつも言ってたじゃん?」
ノアがわざとらしく私の肩に手を乗せ笑顔を向けてくる。
「ちょっと覗くだけ。すぐ出るって。大丈夫だってば」
その言い方があまりに軽くて、そして悪魔の囁きチックな言い方。
でも――たしかに、新しい本には惹かれる。
“禁書庫”なんて名前がついてる場所に、どんな書物が眠ってるのか、興味がないわけじゃない。
いや、むしろ。むしろそれは、私にとっても好条件では?
(……いやいやいや、ちがうちがう! そうじゃない、そういうのに釣られて変なフラグ立てたくない!)
漫画や小説で何百回も見たような流れが、今まさに自分に降りかかろうとしている気がしてならない。
それでも本の誘惑は、正直かなり強い。
(……まあ、今回ばかりは。約束した手前もあるし――)
「ノア、手出して」
私が言うと、ノアはぱっと顔を輝かせて手を差し出した。
「! よっしゃ! そうこなくっちゃ!」
私は深呼吸をひとつしてから、刀にそっと手を添える。
そして――転移門“黒雪”を発動させた。
一つは、扉の向こうへ。
もやもやとした闇の霧が、鍵穴も関係なく、空間の“先”へと染み出していく。
(黒雪から読み取れる情報は、うん。とりあえず床に落ちた。ちゃんと部屋っぽいね。とりあえずは安心か)
もう一つは、私たちの頭上へ。
黒雪がふわりと舞い降り、空気をゆっくりと包み込んでいく。
「じゃ、行くよ」
「いつでも来い!」
ノアの声に合わせ、私は一歩、足を踏み出した。
「せーの! 転移!」
その合図とともに、
私とノアの体は“しゅっ”と黒雪に包まれ――
音もなく、秘密の扉の奥へと吸い込まれていった。
――次の瞬間。
バシャン!
水しぶきと共に全身を冷たい何かが叩きつけた。
目を開ける暇もなく、肌を刺すような水と風が襲いかかる。
(えっ……なに、これ……!? 苦しい)
体中がずぶ濡れになる。足元は不安定で、立っている感覚すらない。
目の前すべてが水と風に支配されていた。
頭上からは、視界を塞ぐ豪雨、圧し潰すようなような津波と暴風。
ここは、嵐に囲まれた“怒り狂う海”そのものだった。
「なっ……何これ!? どこ、ここっ……!?」
息をするのも難しい。転移したの先は密室だったはずなのに、こんな場所、見たことも聞いたこともない。
「ノア!? ノア、どこにいるの!?」
荒れ狂う雨風に叫び声がかき消される。
身体を必死に支え泳ぎながら、あたりを見渡したそのとき――
「姉さん! こっち!」
かすかに聞こえた声に反応して、私は手を伸ばした。
視界の端、荒波の中にノアの姿が揺れている。私達は必死に泳ぎ手を掴み、ようやく合流する。
「はあ、はあ……っ、ノア! これ、どういうこと!?」
「わからないよ! 転移先失敗しちゃったの?」
(違う。黒雪は自身の視覚におさまる範囲にしか発生できない こんな遠方と思われる場所に転移できるとは思えない)
息も絶え絶えに、必死に思考を巡らせるが、水が髪に絡まり、身体が重いパニック状態だ。
「姉さん! 大変だ! ……魔法が、使えない……!」
「そうなの!?」
ノアの目にも、初めて焦りが宿る。
何が起きているのか、どこなのか。
そしてなぜ、“禁書庫”に転移したはずが、こんな“異空間”に飛ばされたのか。
ゴゴゴゴゴ
そのときだった。揺れる海面と共に大海原のど真ん中に、突如として“巨大な渦”が現れた。
足元の水面が渦状に流れを発生させ、成す術がない私たちは一瞬でその中へ引きずり込まれていく。
「ノアっ!!」
私たちは互いに手を伸ばし合い、必死に抱き合う。
そして、そのまま渦の中心へと、のまれ消えていった。




