第150話 剣聖アデルの恋愛事情
メイド修道女のリーリャさんと、あの剣聖アデルが、物陰で、唇を交わしていた。
「!!!!」
私とノアは二人して目を見開き、慌てて顔をひっこめる。
無言のまま、私はノアの腕をひっぱり、物陰のさらに奥へ身を隠す。
「ちょっとノア、どういう事!? 二人って……そういう関係だったの!?」
私は息を殺しながら小声で囁いた。
「知らないよ! 僕が聞きたいくらいだよ!」
顔を赤くしながらも必死に声を潜めるノア。お互い動揺を隠せないまま。混乱の衝撃が押し寄せる。
「でも、アデル先生って、たしか婚約者がいたはずじゃ?」
私が眉をひそめて囁くと、ノアもうなずく。
「うん。記録晶で見せてもらったことあるけど……聖教国の聖女様だよ。しかも、すっごい美人だった」
二人して口元を手で覆いながら、ひそひそと衝撃の情報を確認し合う。
(えっ、それって……つまり浮気!? たしかにアデル先生ってイケメンだし、ちょっと軟派なところはあるけど……そういう面ではしっかりしてると思ってたのに! 女の立場からすれば、これは……許せん!)
私とノアは目と目で合図を交わし、そっともう一度、顔をのぞかせた。
(まだキスしてるんかい!)
でも……どちらかというと、唇を奪いにいったのはアデル先生の方だった。
その瞬間、リーリャさんがドンッとアデルの胸を押しのける。
「もう私のことを……弄ぶのはやめてください! 年内にはミーティア様と御成婚なされるのでしょう? 私のことは、もう忘れてください!」
張り詰めた声。その目には、涙が浮かんでいた。
「……あんな婚約も結婚も、お聖教国の上層部が勝手に決めたことだ。僕は、今でも君のことが……!」
アデル先生が、苦しげに言葉を絞り出す。
リーリャさんは、その場に立ち尽くしながら――やがて、ふるりと首を振った。
「今日のことは……忘れるように努力します」
涙を流しながら、それでも毅然とした声で続ける。
「館内では、普通通りに接するようにします。だから……だから……さようなら」
彼女はそっと涙をぬぐい、そのまま走り去っていった。
……その光景を、私とノアは完全に勢いにのまれ、隠れていることすら忘れて、ただ茫然と見つめていた。
「姉さん?」
「ん?」
「僕の傷口より、リーリャさんの傷口のほうが深そうだね」
ノアがぽつりと呟く。
(いや、上手いけど笑えないよノアさん……)
私は呆れ半分、ツッコミ半分で心の中で返した。
そのとき、階段下から視線を感じて思わず目を向けると、私達はアデル先生と目が合った。いや、目が合ってしまった。
先生は、「……見られたか」とでも言いたげに額に手をあて、深いため息をついていた。
「……全部、見てた?」
沈黙の中、先に口を開いたのはアデル先生だった。
私とノアは、階段の途中に先生を中央に挟むようにして腰を下ろしていた。言い逃れのきかないガッチリ固定配置。
「まぁ……全部とは言いませんが、ほとんどですね」
私が正直に答えると、先生は苦笑を混ぜながらもう一度ため息をついた。
「君たち子供に見せていいようなもんじゃなかったな……反省してるよ」
「先生って、婚約者の聖女様いましたよね? もしかして、これって“浮気”ってやつですか?」
すかさずノアが突っ込む。問いかけの調子は軽いが、言ってることはなかなか重たい。
「本当なんですか!? そうだとしたら私、アデル先生の事、幻滅ですよ!」
私も勢いで続ける。ノアとは違って、こちらはややムッとした本気モードだ。
(純情な乙女心を傷付けるのは許しませんよ!)
二人に責められたアデル先生は、さすがにバツが悪そうに頭をかいた。
先生はひとつ、ため息まじりに口を開いた。
「確かに婚約者はいるよ。名前は――ミーティア・クロスブライト」
一拍置いて、少しだけ口元を引き締める。
「星セレスティア聖教国の“水の聖女”……聖水派の本流さ」
さらっと言ったが、聖女ってそんな立場の人を……。
「でもね、婚約も結婚の話も、実のところは政治的な都合で進んだものなんだ。半ば、強引に決められた形でね」
アデル先生は視線を上げ、遠くを見るように言葉を続けた。
「幼いころ事故で身寄りがなかった僕は、聖教国に拾われて育てられたんだ。剣の技も礼儀も、全部そこで教わった。……その恩と義理には、鍛え上げた剣の腕で返したつもりだった。ずっと、そう思ってた」
(アデル先生にそんな過去が……。ギルバート様はたしかにアデル先生はたたき上げの苦労人とは聞いていたけど。)
私は姿勢を正して、じっと耳を傾ける。
「だけど、ギルバート様の“賢者三聖鋭”の一人として仕えると決めて、聖教国の騎士団から脱退するときに、条件が出されたんだ」
アデルがこちらを向いた瞬間、私はつい口を挟んだ。
「聖女ミーティア様との婚約と結婚、ですか」
先生は驚いたように目を見開き、すぐに口元を緩めた。
「さすがカナリアちゃん、ご明察」
「まさか、身寄りのない僕が聖女様の“婚約相手”に選ばれるなんて、最初は耳を疑ったよ。でもね……孤児だった僕が剣聖まで上り詰めたことで、上層部が目をつけたらしくてさ」
そこまで言って、アデル先生は少し悲しい目をしたのが印書深かった。
どこか他人事のように語るその口調からは、皮肉と、どこか諦めがにじんでいる。
「“不幸の孤児が、女神の恩寵によって立ち上がり、剣聖にまで昇りつめた” そんな物語を、信仰の象徴として語りたかったんだろうね。ミーティア殿との婚約は、その美しい結末として最適だった、というわけさ」
ノアが少し遠慮がちに口を開いた。
「聖女様のこと……嫌いなんですか?」
その問いに、アデル先生は少しだけ目を伏せ、苦笑を浮かべた。
「……そうだったらどんなに楽だったことか。そうじゃないのが、辛いところなんだ。」
口調は淡々としていたが、その奥にはどうしようもない迷いがにじんでいた。
「ミーティア殿は、すごくいい子だよ。僕にはもったいないくらいでさ。……自分で言うのもなんだけど、凄く僕のことを好いてくれていて」
そう言った時の先生の横顔が、なんとも言えない罪悪感の色を帯びていた。
「美人で、気立てもよくて、聖女って立場にありながらもそれを鼻にかけることもない。それに、クロスブライト家は聖教国の中でも1、2を争う名家でもあって……完璧すぎるくらい、素晴らしい女性だよ」
――なんか、聞いてるこっちが苦しくなるくらい正直なトーンだった。
(うわぁ……こういうの、一番つらいやつじゃん)
私は思わず、ノアと目を合わせた。ノアも同じ顔をしてた。
「それに……あの人に、似てるんだ。ミーティア殿は」
アデル先生がぽつりと、誰に言うでもなく呟いた。
「あの人?」
ノアが聞き返すと、先生は一瞬はっとしたように目を伏せた。
「……いや、今のは忘れてくれ」
それ以上は語らないというように、軽く首を振る。
私とノアは、互いにちらりと顔を見合わせた。明らかに何かがある様子だったけど、深く聞くのはやめておいた。
そして先生は、まっすぐ前を見据えたまま、はっきりと言った。
「でも結局一番の理由は……リーリャが好きなんだ。これに尽きる」
その一言に、空気が変わった気がした。
どこか迷いのあった声が、今だけは揺れていない。
(ああこれは……リーリャさんの事本気なんだね、アデル先生。)
思わず私は口をつぐんだ。
いろんな感情が胸に浮かんだけど、今はただ、アデル先生の気持ちが痛いほど伝わってきた。
アデル先生は、ふぅと小さく息を吐いて立ち上がる。
「さて、長話しちゃったね。これからちょっと用事があるんで、僕は行くとするよ。君たちも、その、できれば、今日のことは忘れてくれると嬉しいな」
そう言ってから、振り返りざまにニッと笑い、わざとらしく片目を細めてくる。
「とくに、ノア。君は口は堅いけど、うっかりポロッと喋っちゃうことあるから……気をつけてくれよ?」
からかうような声音に、ノアは少しだけむっとしたように胸を張った。
「大丈夫ですよ、アデル先生。僕も“キスを経験している”男として、それぐらいでは動じませんから!」
得意げに言い放つ弟に、私は思わずジト目になる。
(いやいや……アンタの場合、おでこにちゅーされただけじゃん!)
心の中でしっかりツッコミを入れながらも、少しだけ頬が緩んだ。
そして私は、最後にアデル先生の気持ちを聞いておきたくて尋ねた。
「それで、どうするんですか? リーリャさんと、ミーティア聖女様のこと」
その言葉に、アデル先生の表情がほんのわずかだけ引き締まる。
「きちんと、決着はつけるさ。近いうちに……ね」
その言葉は短く、でもまっすぐで、揺らぎがなかった。
そう告げると、アデル先生はいつもの爽やかスマイルを残して、振り返らず手をひらひら振りながら階段を下りていった。
「アデル先生にそんな事情があったなんて、思いもしなかったよね、姉さん」
「本当だよ。それでもって、真昼間からすごいの見ちゃったね」
(……それにしても、先生3人そろって“用事”とか。偶然……かな?)
そんな疑念を胸に抱いたところで、すぐ隣のノアがくいっとこちらを向いた。
「さてと……では、姉さん。僕たちも“用事”を済ませに行くとしますか」
イタズラっぽい笑みを浮かべている。その表情、小さい時から変わってない。
(あっ、この顔は完全にロクでもないこと考えてる時のやつ……!)
「実は、行きたいところがあってさ! 姉さん無しでは難しくて……だから、お願い!」
「もう仕方ないわね。用事ってなに? どこ行くわけ?」
私は承諾半分、警戒心半分で、ジト目を向けながら問いただす。
すると、ノアはにやりと笑いながら、思ってもいなかった一言を放った。
「禁書庫さ」
その一言に、不意に胸がざわついた。
別に、入ったことがないだけで知らない場所じゃない。いつも通っている図書室の一角に存在しているあの部屋。
それなのに――なぜか。
私にとって“何かが変わってしまう”ような、そんな予感がしてならなかった。




