第14話 腰痛は魔法と共に去らぬ①
水音が静かに流れる。
林の中、小川のせせらぎが涼やかな音を響かせる中で、一対の姉弟が向かい合っていた。
「いくよ、ねえさんっ!」
ノアの声と同時に、小川の水面が震え、ふわりと水流が舞い上がった。
それが空中で凍りつき、鋭利な氷柱へと変貌する。
次の瞬間――
シュバッ!
氷柱が三本、音を立てて射出された。
飛来する氷の軌道を見極めながら、カナリアはぐっと地を蹴り、木剣を握りしめた。
身体をわずかに捻り、一本を回避。
次の一本を木剣で弾き、最後の一本は、振り返りざまに打ち払う。
(反射神経と対魔法訓練にもってこいだね)
「まだくるよっ!」
ノアが叫び、両手を構える。
再び水が舞い上がり、今度は丸くうねるように広がって、ずっしりとした氷塊となる。
それがいくつも浮遊し、規則性のない軌道でカナリアに迫ってくる。
カナリアは、呼吸を整えながら動いた。
一つ、かわす。二つ目、跳躍して避ける。三つ目は――
「たっ!」
踏み込んで木剣を振るい、真っ向から叩き割る。氷塊が粉砕し、破片が陽にきらめいた。
(わたしには――いまのところ、魔法が使えない。
先日のホフマン神父との話では、この先も使えない“かもしれない”……そう、はっきり断言されたわけじゃないけど、それでも――)
足場をずらして体勢を整えると、彼女は木剣を構え直す。
氷塊の雨のような攻撃を、ひとつずつ正確に叩き落としていく。
(なら――もう、わたしには剣の道しかない!)
その思いが、迷いなき太刀筋に宿る。
木剣が空を切るたびに、氷が砕け、訓練の空間に風が巻いた。
「ねえさん、すっごいや!」
攻撃を止めたノアが、息を弾ませながら目を輝かせる。
「僕の魔法の練習にもなるし、一石二鳥ってやつだね!」
カナリアは少しだけ肩で息をしながら、微笑を浮かべた。
(おそらく、ノアの属性は“水”。それに氷も自在に操れる。才能、あるな……)
(でも、それがどうしたっていうの。――私は、私の道を行く)
「こっちはこっちで、やるだけさ。……いけるとこまで、ね」
林を吹き抜ける風が、彼女の髪をそっと揺らした。
木剣を手に立つその姿は、迷いなく、真っすぐだった。
その時だった。
「……あれ? じいちゃん?」
ノアがふと手を止め、木々の向こうを指さした。
林の奥、家の方から、小さくうずくまるようにして歩く姿が見える。ギャンバスだった。腰を押さえながら、ゆっくりと玄関へ入っていく後ろ姿が、なんだか痛々しい。
「……ちょっと、1回家戻ろうか」
私が提案すると、ノアも無言で頷いた。二人は顔を見合わせると、木剣を腰に戻し、小川を越えて家の方へ駆け出した。
「アイタタタタ……」
腰を押さえながらギャンバスが家の中へのそりと入ってくる。
毛皮の上着に木くずがちらほらと付いており、額にはうっすらと汗。
その様子を見たシンシアがすぐさま立ち上がった。
「お父さん! どうしたの? また腰?」
駆け寄る娘の声に、ギャンバスは苦笑交じりに首を振った。
「ちょいと無理してしまった。……薬屋の魔女ババアの湿布薬はまだあるか?」
「もう、またそんな呼び方して……。ちょっと待って、確かこのあたりに……」
シンシアは戸棚をごそごそと探すが、小さく首をかしげた。
「……無いわ」
その言葉に、ギャンバスは深々とため息をついた。
「そりゃちときついのぉ……わしの腰も年貢の納め時かのう……」
そんなやり取りを、カナリアとノアが聞きつけて駆け寄ってくる。
ソファに腰を沈めるギャンバスの背が、少しだけ丸まって見えた。
腰を押さえてうめく姿に、母――シンシアが心配そうに寄り添っている。
また無理したのかなぁこの前もそうだった。おじいちゃん仕事の事になると
体の事二の次になるからな。
そのとき、母の口からこぼれた言葉で、湿布薬がもう切れていることに気づいた。
(……なら、行くしかないじゃん。あたしたちが)
瞬間、ノアと目が合う。
何も言っていないのに――息ぴったりに、ふたりの手が同時に上がった。
「買ってくるよ! 箒が丘の薬屋のおばあちゃんでしょ? 任せてってば!」
「本当? 助かるわ。ありがとう。これ、お金ね。帰りにお菓子も買っていいわよ」
母が手渡してくれた銀貨を受け取りながら、ノアが満面の笑みで声を上げる。
「やったー! チョコ菓子にしよーっと!」
私はフィンベリーのジャムのパイだな。まだ見ぬ菓子に舌鼓をしながら
まるで遠足にでも行くかのようなテンションで、ふたりして玄関に駆け出す。
靴をつっかけながら、私はふと、背中越しに振り返った。
ソファには、母と祖父。
シンシアの肩にそっと寄りかかるようにして、ギャンバスが少しだけ目を細めて笑っていた。
その笑顔が、どこか子供みたいで――思わず、胸が苦しくなった。
(……早く治してあげたい。それに早くお使い終えて、剣の修行に戻らないと)
その光景を、ちゃんと胸にしまってから。
私は玄関の扉を勢いよく押し開けた。
―ハースベル村 郊外 箒が丘―
二人がたどり着いたのは、小高い丘の上にぽつんと建つ古びた薬屋だった。
木の扉にはつる草が巻き付き、屋根の上には野鳥の巣まである。
けれども、どこか温かみのあるその佇まいは、子どもたちには“魔女の家”という
より“変わったおばあちゃんの家”という印象だった。
「おばあちゃーん!」
玄関先でノアが元気よく声を張り上げるが──返事はない。
辺りに人の気配もなく、風が落ち葉をさらう音だけが寂しく響いた。
「……いないのかな?」
ふと裏手から、微かに声が聞こえた。二人は顔を見合わせ、静かに庭のほう
へまわる。
裏庭は広く、よく整えられていた。
花壇や薬草畑のほかに、ぽっかりと開けた焚き火スペースがある。
そこにいたのは、長い外套をまとった老女──薬屋の魔女・メリンダだった。
彼女は空を見上げ、すっと右手を掲げる。
「寄せ集めの風」
その声とともに、風が足元に渦を巻いた。庭中の落ち葉がふわりと宙を舞い
くるくると旋回しながら一箇所に集まっていく。
「……すご……」
思わずつぶやいた。
(ノアの魔法とはまるで違う。これは……繊細で、正確だ)
メリンダの紡ぐ呪文は静かで優雅。落ち葉が舞うように形を変え、見惚れるほどの精度で空を描いて1か所に集まる。
「ま、まぁ……あれくらいなら、僕にもできるけどねっ」
横から、少しむくれたような声。ちらりと見ると、ノアがやや焦ったように胸を張っている。
(あっ、ちょっとくやしがってる? かわいいとこあるじゃん)
そんな弟の様子に、カナリアはふっと口元をゆるめた。
「小さき焔」
次の瞬間、メリンダの指先から生まれた小さな火球が、ふわりと宙を漂い──
集められた落ち葉の山にそっと触れた。
「ボッ」と火がつき、炎がパチパチと軽やかな音を立てて揺れはじめる。
「えっ……!? さっきは風だったのに、今度は火!?」
今度は思わず声を上げたのはノアだった。
目を丸くし、メリンダをじっと見つめる。
二人の存在に気づいたメリンダは、顔をほころばせた。
「おや、木こりのじじいんとこの孫だね。どしたんだい?」
その口調はぶっきらぼうながらも、どこか優しげで、私たちは安心したように事情を説明し始めた。
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今日はあと1話投稿予定してます。