第13話 この胸のざわめきが、“始まり”だなんて
「ノアー! 今日も特訓だよーっ!」
庭先に声を響かせながら、私は木刀を肩に担いで歩き出す。
“刀神”の才覚を持つ私にとって、毎日の鍛錬はかかせない。
だけどそれは、ノアにとっても同じはずだ。
あの子は“剣神”の才覚を持つんだもの。
お互いが持っている力を、高め合う理想の関係。
双子って、きっとそういう風にできてるんだと思う。
けれど──返事はなかった。
「……あれ?」
不思議に思って庭を見渡すと、ノアは庭の真ん中で、じっと立ち尽くしていた。
小さな背中を朝の風にさらして、森の方角をただ静かに見つめている。
その姿はまるで、遠くの“なにか”と語り合っているようで……
(また……この感じ)
思わず足が止まり、私は胸の奥に、わずかなざわつきを覚えていた。
「……ノア?」
私は少し首をかしげながら歩み寄った。するとノアの瞳が、わずかに動いた。まるで、空気の揺らめきの奥に、“何か”を視ているように──。
私には、見えないものを。
「ねえってば、どうしたの?」
問いかけに、ようやくノアがこちらを振り返る。
「……なんかね、声が聞こえるんだ。あっちのほう、森の中から」
指さした先。朝霧がまだうっすらと漂い、木漏れ日が粒子みたいに揺れている。
「声って……誰の?」
私も耳を澄ませるけど──聞こえるのは、鳥のさえずりと木々を撫でる風の音だけ。
「とても小さな声……精霊かな。すごく楽しそう。笑い声がきこえる。」
(……精霊の声、ね)
私には、なにも見えない。なにも聞こえない。
「鳥の鳴き声じゃないの? ……ほら、けいこするなら今のうちだよー!」
私は木剣を片手に構えながら声を張った。だけど、ノアは振り返りもしない。
まるで──そこに“誰か”がいるように、森の気配に意識を預けてる。
その様子に、私は喉の奥が少しだけひりつくのを感じた。
(……もうノアは、“星の声”を感じ取っている。間違いない)
この星の力の源。すべての命と魔法の基盤となる、属性とのつながり。
この世界に生まれた者なら誰もが持っている、先天属性との共鳴感覚。
私にもある。ある……はずなのに。
(私は、遅れてるだけなのかな……)
焦りにも似たざわめきが、胸の奥で小さく波を立てた。
「ごめん、ねえさん。もうちょっとだけ、みんなのお話がききたいんだ!」
そう言って、ノアはまた森のほうへと意識を向けた。
私はぷいっと顔をそむけて言い返す。
「……もういいよーっだ!」
ぱたぱたと家の中へ戻りながら、胸の奥にモヤモヤが残っていた。
本棚へ向かい、お気に入りの革表紙の一冊を引き抜くと、ぽふんとクッション椅子に腰を下ろす。
ページを開く前に、少しだけ目を閉じて、頭の中を整理する。
(……現状を一旦整理しよう)
先ず、私は魔法が「見える」し、「感じる」こともできる。魔力という概念も理解できているし、
先日の紅魔熊との一戦でも野生生物が扱う魔力も実際感じ取ることができた。
それに、回復魔法を受けたこともあるし、その効果もしっかり体感している。つまり体内に魔力自体は宿っているのだと思う。
でも――属性との“つながり”星の声、だけは、わからない。それが原因なのか魔法を行使する事ができないし、できるイメージも湧かない。
この世界に生まれた人なら誰もが感じているという、あの“前兆”が、私にはどうしても見えてこない。
もしかしたら、属性との縁が薄いだけかもしれない。あるいは、本当に“ない”のかも。
でも……現段階で確かめようがない。
聖環の儀は7歳になってからでない受けられない。それに属性の声が儀のあとでやっと聞こえる子共も一定数いる。……本には、そう書いてあった。
この世界で魔法が使えないことは――ただの遅れじゃ済まされない。
学校、生活、戦闘、防衛、どれを取っても、魔法の習得が遅いのはハンデ以外の何物でもない。
(どうしよう……)
不安が、胸の奥で膨らみかけた、そのときだった。
その気持ちを振り払うかのように、母の声が私を現実へ引き戻す。
「リア、ちょっと手伝ってくれる?」
キッチンでは母――シンシアが、湯気の立ちのぼる鍋の前で料理の下準備をしていた。
振り返った彼女は、いつものように優しい笑みを浮かべている。
「うん。わたし、切るのは得意だから」
手を洗い、私はまな板の前へと立つ。
母からジャガイモを受け取ると、自然と包丁を握っていた。
どこを切るべきか。どれくらいの力で。どんな角度で。
頭で考えるよりも早く、手が動いている。
むしろ、食材のほうから「ここを切って」と語りかけてくるような――そんな感覚すらある。
(やっぱり……これは刀神の才覚の一部、なんだと思う)
この“わかる”という感覚は、転生前の記憶でも説明がつかない。
私が前世で持っていたものではなく、この世界で与えられたの力の“核”。
それだけは、はっきりとわかる。
「うふふ、やっぱり上手ね」
母が満足そうに微笑む。「刃物の扱いに関しては、私よりセンスあるかも。さすが刀神様ね」
私は照れ隠しに笑って、今度は豚肉を手に取る。
繊維の流れを感じ取りながら刃をすべらせれば、肉はまるで布のように柔らかく開いていった。
断面は驚くほど均一で、どこにも無駄がない。
「ねえ、お母さん。……ノア、さっきまた“森とお話”してたの」
自然を見つめるノアの姿が、今もまぶたに焼きついていた。
あれはただの空想なんかじゃない。きっと、本当に“何か”を感じ取っていた。
「あら、もうそんな時期なのね」
母はやさしく笑いながら、鍋のふたをそっと閉じる。
「“そんな時期”って?」
「星の神様がね、話しかけてくるの。……私も、よく風の声を聞くのよ」
「……ほんとに?」
私は思わず包丁の手を止め、母を見上げた。
「そうねぇ……たとえばお母さん、洗濯物を干す日は、だいたい雨が降らないの。ふふ、風の声で“なんとなく”お天気がわかるのよ」
シンシアはあくまで穏やかに微笑んでいたが、私の胸の奥には、別の感情がゆっくりと滲みはじめていた。
「リアはどう? なにか、感じることある?」
問いかけられた私は、玉ねぎを刻む手を止め、ゆっくりと首を横に振った。
「……わかんない」
それは、私自身でもうまく言葉にできない感情だった。
何かが、欠けている気がした。
何かが、決定的に“違う”。
「大丈夫よ。個人差があるしね。きっと、おじいちゃん似で“土の声”が聞こえたり──」
母が明るく続けようとしたその時、
胸の奥で――小さく、軋むような音がした。
焦りでも、嫉妬でもない。
もっと深くて、もっと静かな“断絶”の感覚。
この世界で、本来ならば誰もが持っているはずの“つながり”。
そこに私は、手を伸ばしても届かない。
呼びかけても、返事がない。
まるで、星そのものに“拒まれている”ようで――
(……こわい)
その言葉が、内心にひそやかに落ちた。
――だめだ、気になる。
うじうじしてるのは、私の性に合わない!
もやもやしたまま何もしないなんて、余計に落ち着かないだけだ。
「お母さん、ごめん! ちょっと出かけてくる!」
切るべき食材はすべて終えて、手もきれいに洗った。
「食材は、もう全部切っといたから!」
「え? リア、どこに行くの?」
母の声が背後から聞こえたが、振り返らずに私は一目散に庭へと駆け出す。
ちょうどそこにいたノアが、ぱっと顔を上げて声をかけてきた。
「姉さん! もうこっちは終わったから、剣の稽古できるよ!」
だけど私は、軽く手を振って通り過ぎながら言った。
「ごめんノア、今度は私が駄目なんだ! お母さんに“すぐ帰る”って伝えておいて!」
そう言い残し、私は駆け出した。
――あの人に、聞きたい。どうしても。
このざわつく気持ちの正体を。
私だけが“感じられない”理由を――!
バタンッ!
勢いよく扉が開かれ、聖堂内に風が巻き込む。ステンドグラスから差し込む光が舞い上がった埃を照らし、空気がふわりと揺れた。
私は息を切らせながら、まっすぐ祭壇へと歩みを進める。
奥で布をたたんでいたホフマン神父が、その気配に気づいて顔を上げた。年季の入ったローブに手を拭いながら、穏やかな微笑みを浮かべる。
「おや、リア。今日は学校はお休みですよ」
その声は、いつものように静かで、柔らかく耳に届いた。
だが、私の表情は硬いままだった。わずかに眉を寄せ、唇を結んだまま一礼する。
「先生……忙しいところすみません。少しだけ、お話がしたくて」
声は震えてはいなかったが、その奥にある焦りと必死さは、隠しきれていなかった。
ホフマン神父はその様子を見て、小さくうなずいた。そして布を丁寧に脇に置き、ゆっくりと祭壇の階段を降りてくる。
「もちろんですとも。さあ、こちらへ。アナタがこんな顔をして来るなんて……ただ事ではなさそうですね」
私はこくりとうなずく。けれど、胸の内はざわざわと騒がしく、言葉をまとめるのに時間がかかりそうだった。
案内されるまま、聖堂奥の小さな面談室へと入った。外よりも少しひんやりした空気。木の椅子に腰を下ろすと、背筋が自然と伸びる。
対面の椅子にホフマン神父がゆっくりと腰かけ、静かに問いかけた。
「それで……どうしました? リア」
声はやさしく、問い詰めるような色は一切なかった。
それでも私は、ぎゅっと膝の上で手を握る。俯いたまま、ぽつりぽつりと言葉をこぼし始める。
「……実は……わたし、自分が……魔法、使えないんじゃないかなって……思ってて……」
俯いた瞳の奥に、濁った不安が沈んでいた。
「ノアも、友達も……最近、少しずつ魔法を使える子が出てきてて……。でも、わたしだけ、星の声がぜんぜん聞こえなくて……。なんか……どうしようもなくて……」
不意に、鼻の奥がつんと熱くなる。けれど涙はこらえた。泣きたいわけじゃない。答えが、ほしいだけ。
(……私って、ほんと、情けない)
心の中で、そう呟く。
(前の世界では、もう立派な大人だった。こんなことで泣きそうになるような年齢じゃなかったはずなのに)
(なのに……いまの私は、魔法ひとつ使えなくて、おいていかれるのがこわくて)
(転生したはずなのに、やっぱり私は“この世界”でも何もできないのかな……)
そんなふうに考えてしまう自分が、悔しかった。
ホフマン神父は、そんなリアの姿をじっと見つめ、ゆっくりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ、リア」
その声は、深い森の奥で聞く風のように、静かで、温かかった。
「あなたの“聖核印の儀”を執り行ったのは、この私です。星の女神の祝福――《聖印核》は、確かにあなたに与えられていました」
私は顔を上げる。神父は変わらぬ穏やかな眼差しで、続ける。
「魔力も、私ははっきりと感じました。あなたの中には、ちゃんと魔力が流れている。だから、まず安心なさい」
私は唇を引き結びながら、じっとその言葉に耳を傾ける。
「勤勉なあなたのことですから、本で読んでいると思いますが……“星の声”が聞こえるようになるのは、たいてい《星環の儀》を迎えてからです」
「……でも、ノアは……」
「例外もあります。けれど、それがすべてではありません」
神父は言葉を選ぶように、少し間をおいてから続けた。
「そしてもう一つ、大切なことを。魔法というのは、誰もが使えるわけではないのです。たとえ属性神と通じる《声》が聞こえても、魔法の才能がなければ、魔法は使えません」
「えっ……」
「つまり、“星の声が聞こえる”ということと、“魔法が使える”ということは、別の事柄なのですよ」
私の胸の中で、固まっていた不安が、少しずつほどけていくのを感じた。
“ちゃんと、自分の中に、力はあるんだ”――そんな確信が、薄明かりのように差し込んでくる。
と、その時。
「ふふっ」
目の前で、神父が小さく吹き出した。
馬鹿にしたわけではない。けれど、どこか微笑ましさを含んだような、困ったような表情で、ホフマン神父は言った。
「まったく……そんなに不安そうな顔をして、ここへ来た子は初めてですよ、リア」
そう言って、神父はゆっくりと椅子にもたれ、優しく続けた。
「だって、考えてもみてください。虫にだって、草にだって、石ころにだって――この星に生まれたものすべてに、何かしらの属性は宿っているんです」
私は目を見開いた。
「逆にね、“あなただけに属性がない”と考える方が、よっぽど不思議ですよ」
笑顔は穏やかだったが、その言葉には静かな確信が込められていた。
「……そっか。そうだよね……神父様、ありがとうございました!」
ぱあっと表情が明るくなっていくのが、自分でもわかる。
なんだか、ずっと余計なことを考えてた気がする。あはは……最初からホフマン神父に相談してればよかったよ。
安心と笑顔が、ゆっくりと戻ってくる。
胸の奥に溜まっていた霧が晴れ、ようやく深く息ができた気がした。
そうか、やっぱり、わたしの考えすぎだったんだよね。
だってわたしだって――この星で生きてるんだもん。
とりあえず今は剣の修行を優先して、聖環の儀が終わってから魔法の特訓をすればいい!そう思った。
そう思ってたんだ。神父の最後の一言を聞くまでは――。
「そうですよ、リア」
ホフマン神父は、穏やかな微笑を浮かべたまま告げた。
「この星で“生まれた”魂には、必ず属性神の加護が宿ります。ですから――安心なさい」
その瞬間。
私の胸に、グサッっと鋭い棘が突き刺さったのを感じる。
神父様、上げてから落とすなんてそりゃないよ。
――私は、転生者。
確かに体はこの星から生まれた。でも
この魂は……この星のものではない。
よろしければ、ブクマかポイント評価いただけたら嬉しいです!
読者のあなたの反応が活力源です!よろしくお願いします!