第129話 刀神カナリア VS 刀仙 草叢風月 ③
その刀身に絡むのは――風の魔力。
淡くうねり、揺らぎを纏いながら、まるで“生きている”かのように息づく風。
風が刀に寄り添うように絡みつき、刃の輪郭をたゆたわせていた。
「呑み込め! 草叢流・一刃――《夜刀神》!」
振り下ろされたその一閃が、唸りを上げる。
刃から解き放たれた風は、瞬く間に膨れ上がり訓練場を丸ごと呑み込むほどの風塊へと変貌した。
ただの斬撃とは異なる、“意志”をもった獰猛な生物のように。
カナリアの目が見開かれる。
その輪郭、その螺旋――風の壁は、ただの暴風ではなかった。
「あれは……大蛇!?」
風の魔力が、大蛇の姿を象っていた。
まるで地を這う神獣のごとき風蛇が、咆哮を響かせながら突進してくる!
キシャアアアアアア――!
その巨体が近づくたび、大地が呻きながら軋み、
風の奔流に引き裂かれた空間が、まるで生き物のように悲鳴を上げる。
空気が歪み、重圧がのしかかってくる中――
カナリアの身体が、風圧に押されてわずかに浮きかけた。
(これが風月先生の魔刀技の一つ……私と同じ、“放出”系統の技!)
「大蛇の腹の中に入ったら最後! バラバラじゃあ!」
それは試すように、そして叩きつけるように――
“本気の刃”で弟子を迎え撃つ風月が、咆哮の如く響かせる。
風蛇の突進が迫る。
足場をえぐるような風圧、唸る空気、見えぬ牙が突き刺すような殺気。
「──っ、とりあえず、一度避けるしか……!」
カナリアは、刀神として鍛え上げた目と身体で、《夜刀神》の軌道を読み切った。
足を踏み込み、上体をひねり、紙一重で風蛇の顎をかわす。
その瞬間――
ズバアッ!!
地面が裂けた。
風蛇が通過した軌跡に、鋭利な鎌で抉ったような深い溝が走る。
完全に避けたはずのカナリアの身体にも異変が起きる。
髪の先、頬、腕――
刃が触れぬはずの距離――だが、髪や頬が音もなく裂け、血が滲んだ。
まるで空間そのものが、鋭利なナイフに変じたように。
「……かすってすらいないのに」
(通り過ぎた風だけで、これ……!?)
視線を地に落とすと、風蛇が直接通過した地面は抉り取られ、土煙すら残さぬほど、地形ごと吹き飛ばされていた。
(でも、躱しきった! 二回目を撃つまでには隙が生まれるはず。その間に反撃を!)
だがその刹那、希望は打ち砕かれる。
風蛇は回避された軌道を外周へと逃がし、まるで意志を持つかのように、浮かぶ闘技場の縁をぐるりと回りながら、大気中の風を貪るように喰らい始めた。
その身体はさらに膨張し、勢いを一切落とすことなく、軌道を捻じ曲げ――再び、カナリアへと迫ってくる。
「無駄じゃ、無駄じゃぁ!!」
風月の声が、咆哮とともに空へ響き渡る。
「“夜刀神”は儂の刀と一体……ワシの一挙一動と連動して、お主を追尾する! 陽の国の蛇は、執念深いぞい!」
目に見えぬ風圧だけは、どうしても読み切れない。
爆風のような衝撃がカナリアの身体を弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
そのまま空中闘技場の床を何度も転がり、端へと追いやられ――体が空へ放り出されそうになる。
足が滑り、体が浮く。
カナリアは、とっさに指先を床の縁にひっかけ、わずかに浮いた身体をなんとか止める。
片手でぶら下がるようにして、必死に耐える。
(……さっきより、戦場が狭くなってる。風蛇が、外周ごと削ってるんだ……!)
眼下には、遥か彼方の空と雲が広がる。
やがて、風を踏みしめるような重い足音が、ざり……ざり……と近づいてきた。
縁の上――見下ろす位置から、風月の声が響く。
「……ここまでのようじゃな」
その声音に怒気はない。だが、冷たさとも違う。
どこか“惜別”の色が混じるような、静かな響きだった。
「お主の“奥の手”、見たかったが……その前に決着がついてしまうのなら、仕方がない」
一拍、間を置いて。
「――ひっぱり上げてやる。手を、のばせ」
下を向きながら手を差し出す風月と、目が合うカナリア。
まっすぐに師を見つめるその瞳は、第三者の目から見ればこう映っただろう――
善戦の末に力尽き、よくここまでやった。
あの刀仙をここまで本気にさせた。それだけでも賞賛に値すると。
――だが、それは違う。
彼女の胸に灯っていたのは、満足や誇りではなかった。
それは、負けず嫌いを通り越した――執念そのものだった。
(――嫌。負けたくない。先生だからとか、相手が格上だとかそんなの関係ない。
私は――ただ、負けるのが嫌なんだ!)
「お断りします」
ニッと笑みを浮かべ、カナリアは逆に“パッ”と縁から手を放した。
その身体が、雲の渦の中へと吸い込まれていく。
――あっという間に、雲海の向こうへと姿を消した。
「なっ……何っ!? 正気か、あの娘は!!」
風月の声が、空に怒鳴り響く。
「夜刀神ッ! 絶対に引っ張り上げてこい!!」
叫ぶと同時に、風蛇へとさらなる魔力を叩き込む。
暴風の大蛇は唸りを上げ、旋回しながらカナリアを追っていった。
「とりあえず……これで、地上に落ちはせんだろう……! しかしどんな肝っ玉しとるんじゃ」
風月が、ふうっと深く息をつく。
その肩がわずかに落ちた――ほんの数秒前の緊迫から、一拍だけ空気がゆるむ。
ふと、視界の端で何かが舞っているのに気づいた。
黒い……ひらひらと、ゆっくり空中に漂う何か。
「ん……? なんじゃ、これは?」
風月は目を細め、それをひとひら、指先で受け止める。
「灰……いや、違うな。これは……」
指先で感じる感触は、ふわりと舞い、熱くも冷たくもない。ただ、形を常に変化し、歪。
どこか“異質”なもの。
「……まるで、雪のようだ」
「――やっと、隙を見せましたね。先生」
背後。いや、死角――風月の視界に入らぬ位置から届いた、静かな声。
「なにっ!? 落ちたのではないのか!?」
その瞬間。
ドガッ!
風月の右脇腹に、鈍い衝撃と激痛が走った。
あまりの痛みに、顔が歪む。
「ぐおっ……!!」
身体が一瞬よろめく。
風が乱れ、足元の空気が不規則に吹き荒れる。
風月はすかさず、右手の刀を薙ぎ払った。
だが、そこにカナリアの姿は――ない。
その斬撃が、はるか離れた岩を真っ二つに裂いた。
「……いない!?」
驚愕が走る。だが次の瞬間――
左上、空中の“死角”から――
「――ッ!」
木刀を振りかぶったカナリアが、風月の頭部めがけて急降下していた。
見上げた風月の表情に、明確な危機の色が浮かぶ。
(一体どこから!? いや、それよりも――この一撃、直撃すれば……いかにこのワシとて、戦闘不能は必至……!)
「決める!」
だが。
「風よッ!!」
刀での防御が間に合わぬと見た風月は、即座に風纏逆巻を発動。
全身を包む暴風の鎧が瞬時に展開され、カナリアの一撃を弾き返す!
「……チッ!」
風でバランスを崩したカナリアへ、反撃の斬り込みを入れる風月。
だがそこにも、彼女の姿は既になかった。
風月の視線が、空中を彷徨う。
――そして、見た。
遠方。
ひらひらと舞う黒い雪の向こうに再び現れる、カナリアの姿を。
「……お主……」
風月は、目を細める。
「この“黒い雪”を……行き来できるのか?」
「……さーて、どうでしょうね?」
カナリアは、とぼけたように口元だけで笑いながら答える。
(戦闘中に、自分の属性や能力の正体を晒すなんて死活問題ですよね。マルシス先生)
瞳は笑っていても、思考は冷静そのものだった。
そして、すっと木刀を構えなおしながら――
「それに、殺し合いだったら……さっきの胴斬りで」
わずかに声のトーンを下げ、言い放つ。
「先生の身体は、真っ二つでしたよ?」
それは先ほど、風月が自分に放った言葉の――見事な、皮肉返しだった。
「ククク……ハハハハ……ワーハッハッハッハッ!!」
風月が、腹の底から大声で笑い出す。
肩を揺らし、背を反らし、豪快に笑いながら言い放つ。
「なんと勝気で強気な娘だ! ますます気に入ったぞ!!」
そう言いながら、笑いを噛み殺すように顔を覆い、天を仰ぐ。
そして、その掌の隙間から、鋭すぎる眼光がカナリアを射抜いた。
「……だが少し、“躾”が必要じゃな」
その一言に、カナリアの背筋を冷たいものが走る。
ゾクリとした――恐怖に似た重圧が、肌を刺した。
そして。
風月が、顔を覆っていた手をゆっくりと下ろすと――
その動きに連動するように、右目の眼帯が静かに外された。
封じられていた“その眼”が、露わになる。




