第11話 紅魔熊、現る
その頃、私は友人と廊下を歩いていた。
教会の中が、なんだか騒がしい。
ふと足を止めると、修道女の一人が、慌てた様子で教室や廊下をきょろきょろと見回しながら扉を次々に開けているのが目に入った。
(……どうしたんだろう?)
胸に手を当てて深呼吸してはいるけど、明らかに焦ってる。
何かを探しているみたいだった。
やがて、その修道女は聖堂の扉を開け、祭壇の前で祈っていたホフマン神父に駆け寄っていった。
(……うーん、なんだかトラブルっぽいね))
私は、なんとなく胸の奥がざわつくのを感じ、私は彼女の後をついていくことにした。
修道女は聖堂の扉を勢いよく開け、祭壇の前で祈りを捧げていたホフマン神父に駆け寄る。
「ホフマン神父、大変です! 子供たち……男の子たちが何処にもいません!」
「なんだと!?」
女子生徒たちが後ろから聖堂に駆け込んできて、口々に叫んだ。
「せんせー! 男子たちが、宝石を見たとか言ってました……それと裏の森のこと、話してました!」
いつも穏やかな笑顔の神父は、青ざめて険しい表情となる。
ホフマン神父は修道女と女子生徒の報告を聞くなり、表情を険しくした。
「森の中で赤く光る石……? それが本当なら、考えられるのは二つ――“地狼グラウンドウルフ”か、“紅魔熊クリムゾンベア”のどちらかだ」
神父は低く唸るように続けた。
「グラウンドウルフの眼は、大地のマナが満ちた時期に赤く発光する。対してクリムゾンベアは……体内に溜まりすぎた大地のマナを、胆石のように“赤い魔石”として吐き出す習性がある。どちらにせよ、子供たちにとっては危険な存在だ」
私は、その言葉を聞いた瞬間、ポケットの中を探った。
(赤い石ね確かこのへんに――あった!)
朝、男子のひとりがくれた“赤い石”。
掌に乗せて見つめるそれは、赤というより、血のような黒ずんだ深紅。
石というには妙に熱を帯びていて、うっすらとぬめったような光沢すらある。
(これ……もしかして……)
「神父様。この石……」
私はそっとソレを差し出した。するとホフマン神父の目が見開かれる。
「……これは、クリムゾンベアの紅魔胆石……!」
息を呑むシスターと女子生徒たちに、神父は即座に命じた。
「村の警備団に連絡し、私も現地へ向かう! シスターは残っている子供たちを家に送り届けてくれ!」
その指令を聞いて間髪入れず、私は声を張った。
「私も行きます!神父様、知ってるでしょう? 私、すっごく強いから絶対に役にたつよ!」
私が神刀の聖印をもつことは誰よりもホフマン神父がわかっているはず。
神父は一瞬ためらったが頷いた。
「……わかった。行こう。ただし私から離れないでくれ、リア。」
◇――セリノスの森の奥。
ノア達の前に現れたのは、ゆらりと揺れながら現れたのは、赤く発光する瞳を持つ巨大な狼だった。
逆立つ鬣。鋭い牙と爪。そして、血のような真紅の瞳が、暗闇の中で不気味に光る。
それは、地狼グラウンドウルフ。
この時期、最も警戒すべきモンスターの一種だった。
「ひっ……!」
血に飢えた魔狼達の迫力に男子たちが息を呑む。
誰もが絶望する中、最前線に、ノアが一歩足を踏み出した。
「みんな、僕の後ろにかくれて!」
冷静に周囲の状況を確認したノアは、木々の配置や地形の高低差から、身を隠すのに最適なくぼみを即座に見抜いた。
一瞬の判断で、仲間たちをその陰へ狼達を刺激しないよう誘導する。慎重かつ的確な動き。
彼の中に芽生えつつある“守る力”の片鱗が垣間見えていた。
そして、腰に携えた木剣を構え、狼たちを目で捕捉した。
「……来るなら、来いっ!」
ガルルルルルルッ――!
ノアの声に興奮したかのように大地を蹴り上げ一匹が跳びかかってきた。
◇――セリノスの森・中腹部 結界境界付近
村の警備団二人と合流した私とホフマン神父は男子達を捜索するため森へと向かっていた。
「ホフマン神父、本当に子供達はこんな奥まで?」
「はい。目ぼしいところにはどこにも……思い当たる場所はこの森ほかはありません」
木々を通り草をかき分け、枝を踏みしめるたび、空気がぴんと張り詰めていく。
「……私の対魔結界より奥に進んでなければいいが。足跡は――こっちか」
ホフマン神父がつぶやいた、その瞬間だった。
ドサッ――
頭上から何かが落ち進路を塞ぎ目の前に転がる。血を引きずりながら横たわったそれは――
「草鹿だ……」
警備団の一人が、顔を強ばらせて確認する。鹿の上半身は抉られ、毛皮の上に深くえぐれた裂傷が走っていた。
「この爪痕……かなり大きい。そして、まだ血が温かい」
その一言で緊張が走った、その刹那――
グルルルルル……ガアアアアアァッ!!
低く、地の底から這い上がるような唸り声。そして咆哮。
右手の茂みを爆ぜるように何かが突き破る。
突進してきたのは、炎のように赤く燃える爪を携えた巨体――
紅魔熊クリムゾンベア。
その眼光が、敵意と飢えに染まっていた。
突進してきた巨体は、まるで巨岩が動き出したかのようだった。
ドガァン!!
警備隊のひとりが声をあげる暇もなく、振り抜かれた爪に直撃され――木の幹へと叩きつけられた。
「危ない!」
ホフマン神父が素早く印を切り、緊急の防御呪文を展開。
咄嗟に張られた魔法障壁が衝撃をいなし、激突した兵士は呻き声をあげつつも、致命傷には至らなかった。
「ぐ……だ、大丈夫だ…………なんとか……」
血をにじませながらも、兵士は必死に立ち上がろうとする。
一方で、残された若い兵士は恐怖に凍りついていた。剣を抜く手は震え、歯の根が合わない。
「く、来るな……っ、くるなぁぁぁああ……!」
だが紅魔熊は、その震えた刃など意に介さぬとばかりに、ギラギラと赤く燃える瞳で彼を睨み据えた。
クリムゾンベアの巨大な爪が、恐怖に固まった若い兵士へと振り下ろされる――その刹那。
風を裂く音とともに、横から細身の影が飛び出した。
「ちょっと、借りるね!」
地面に突き立てられていた警備団の剣を、まるでそれが自分の武器であるかのような自然さで掴み――
ガギィィィンッ!!
カナリアの頭上、獣の爪と剣が激しくぶつかり合い、鋭い火花が散る。
咆哮と共に振り下ろされた爪を、剣が頭部ぎりぎりの位置で受け止めていた。
重量差、筋力差は風に考えれば普通は受けきれない。だがカナリアは、一歩も退かずに持ちこたえている。
(……五歳の身体で紅魔熊と つばぜり合い可能とか、我ながらすごい体だな)
上空でせめぎ合う爪と刃――
その拮抗を破るため、カナリアはぐっと踏み込み、つま先でベアの前腕を鋭くを蹴り上げた。
「グルァッ!?」
信じられない、と言いたげにクリムゾンベアの赤い瞳が見開かれる。
巨腕が跳ね上がり、それに引っ張られるように、全身がのけぞった。
四肢のバランスが崩れ、脚がわずかに地を滑る。
(いまだ――!)
地を蹴ったカナリアの身体が、宙を駆けた。
狙いはただ一つ――紅魔熊の脳天。
空中で刃を真っすぐ突き構えに転じ、
獣の眉間めがけて一直線に踏み込む。
だが、紅魔熊もただでは終わらない。
倒れかけながらも、反対の腕を薙ぎ払うように振り抜いた。
(来るか――!)
カナリアの目がわずかに動いた。
周辺視野の端に、赤熱したもう一方の爪が迫ってくるのを捉える。
直線の突きから即座に判断を切り替え――
右手の剣を、咄嗟に左手へと切り替える。
刃をひねり、迎撃の角度に持ち替え、刃を光らせる。
ギャリッ――!
「視えてるよ!」
斬り上げた一閃が、獣の指ごと爪をまとめて切断した。
「ギィィアアアアア!!」
血飛沫と野獣の叫びが森に木霊する。
熊の腕が勢いを失い、斬撃の軌道が逸れたことで、カナリアは空中で身をひねり、後方に跳んで着地っした。
土煙が舞う中、熊は悲鳴を上げながら倒れ込み、その前に静かに剣を構える少女の姿は――
まるで生まれながらの剣鬼のようだった。
(……普通こんな化物に出くわしたら即逃げるんだけど……不思議。全然怖くないや)
わたしはゆっくりと体勢を立て直し、くるりと振り返った。
恐怖に立ちすくむ込む兵士に優しく微笑んだ。
「お兄さん、大丈夫?」
にこやかに声をかけた瞬間、兵士の一人が口をパクパクさせながら尻もちをつく。
紅魔熊は、断ち落とされた指の痛みに吼えた。
「グゥォォォアアアアア!!」
大地が震えるほどの咆哮。周りの巨木をなぎ倒し
荒れ狂う瞳が、目の前の少女――カナリアを睨みつける。
唾を飛ばし、胸を大きく膨らませ、獣の威圧が辺り一帯に満ちていく。
だが、カナリアは、少しも動じない。
手にした剣を、肩にポン、ポンと軽く乗せながら視線を向ける。
「……自然界の生き物ってさ。自分より強い奴と弱い奴、ちゃんと見分けるって聞いたけど?」
ジャリ、と。
一歩、足を踏み出す音が土を鳴らす。
「多分長く生きてきたんだよね、君。だから聞きたい」
カナリアは、まっすぐにその巨体を見上げた。
「“今の私”って……君の目に、どう映ってる?」




