第100話 賢者ギルバートによるモンスター学④ 「迷宮(ダンジョン)」
アルコンと呼ばれたこの神鳥――間違いない。
転生のとき、魂だけの状態だった私をさらに落下させてきた、あの神鳥だ。
……お互いに一瞬すれ違っただけだったし……覚えてないよね? ていうか、お願いだから、忘れていて!
白銀の神鳥が、ゆるりと頭を傾けた。
そして――その鋭い眸が、まっすぐ私を射抜く。
目が、合った……!?
「……お前は、たしか――」
心臓が止まりそうになる。
ヤバい、ヤバい、ヤバい!
私は慌てて両手で口元に人差し指を当て、「しーっ!」のポーズを取った。
お願い、黙ってて――!
神鳥がこちらを見て言葉を紡ぎかけた、その瞬間。
「……そうか。アルコン、お前は覚えていたか」
ギルバートが神鳥を見上げ、納得したように低く呟いた。
「カドゥランの地で魔将ダウロが引き起こした地震の時、その背に二人を乗せて救ったのだったな――カナリアとノアを」
ノアが目を丸くして声を上げた。
「たしか僕も姉さんも気絶しちゃってて……その時に乗せてもらってたってこと!?」
驚きの余韻が抜けきらぬまま、彼は頬をふくらませて続ける。
「えええ、ずるーい! 覚えてないからもっかい乗りたい!」
……全員、思い出している場面がちがーう!
けど――この行き違いの勘違い状態なら、なんとか切り抜けられそう……!
いや、もうやるしかない!
私は慌てて両手を合わせ、「お願い」のポーズをし、うるんだ瞳でアルコンを見つめる。
その様子を見た神鳥アルコンは、何かを悟ったように微笑んだ……ように見えた。
そして――静かな声が、空に響く。
「私は先ほどの赤竜を追ってきただけだ」
荘厳な声が、雲海に反響する。
「魔族の侵攻以降、ベルダインも呼応するようにこちら側の空域を奪おうと必死だ。……戻らせてもらう――」
そう告げると、神鳥アルコンは翼を広げ、雲海そのものを割るように飛翔した。
白銀の光が空を満たし、豪快な羽ばたきとともに、その巨影はゆるやかに大気へ溶け込んでいく。
やがて世界の彼方へと消えていった――。
つまりあの赤竜は、空中庭園を襲おうとしていたわけじゃなかったのか。
必死に、アルコンから逃げていただけ。
捕まれば最後、容赦なく丸ごと食べられてしまうものね。……ほんのちょっとだけ私は竜に同情した。
ギルバートが低く告げた。
「先ほどの赤竜も……ベルダインの眷属であろう」
そして、禁書を見やりながら続ける。
「ベルダインとその眷属は“空の暴風域”に根を張り、常に女神の領域を狙っているのだ」
「だが――アルコンがいる限り、空については安心してよい。鳥族は竜に対して強く、ベルダインでさえアルコンには、そうそう勝てぬ」
ギルバートは一拍置き、わずかに肩をすくめた。
「もっとも……裏を返せば、ベルダインが存在する限り、アルコンも地上を助ける余力はないということだ」
私はふと、胸の奥がざわめいた。
生まれてから今日まで、村で家族と過ごしてきた平穏な日々。
けれど、そのはるか遠い空の果てでは――巨大な竜と神鳥が互いに空を裂き、嵐を呼ぶような戦いを、何百と繰り広げてきたのだろう。その光景が頭に浮かんだ。
安心に思えた日々は、当たり前のものではない。
積み重ねられてきた奇跡の結果なのだと、私は、強く胸に刻み込んだ。
ギルバートが顎をさすり、深く考え込むような仕草を見せた。
ノアが不安そうに首をかしげる。
「……どうしたんですか?」
賢者はゆっくりと首を振る。
「いや……先ほど庭園に侵入したのは、竜とは違う“気配”を感じたのだが……」
そう言いながら、ギルバートは軽く指先を動かす。
ノアから没収していたフィギュアたちが、砂の中からふわりと浮かび上がった。
「それはそれとて、約束だ。返すとしよう」
言葉とともに、光をまとった小さなフィギュアが次々とノアの鞄へと収まり、静かに戻っていく。
そして最後に――ノアが一番大事にしていた“風の竜王”のフィギュアが、羽ばたくように光を散らしながら舞い降りてきた。
ふわりと両掌に収まり、ノアの胸元で小さく震える。まるで帰るべき場所を思い出したかのように。
ギルバートが口元に笑みを浮かべる。
「……おまけつきだ。魔力をその人形に込めてみろ」
「?」
半信半疑のまま、ノアは竜王のフィギュアへとそっと魔力を流し込んだ。
次の瞬間――。
「ガオオオオッ!」
凄烈な咆哮とともに、フィギュアの口から烈風のブレスが吹き出す。
突風にあおられ、ノアの金髪がふわりと舞い上がった。
ノアは顔を輝かせ、ぱああっと満面の笑みを咲かせた。
「あははっ! 僕の竜王、本当にブレスを吐いたっ! 賢者様っ! ありがとうございます!」
ギルバートが軽くゴホンと咳払いをし、場を仕切り直すように姿勢を正した。
「……では、いろいろあって話は逸れたが。魔獣の特徴と対策、そして四大災獣のこと――しっかり頭に入ったかな?」
私とノアは同時に手を挙げ、
「はいっ!」と声をそろえて元気に返事をした。
「うむ、では、私から渡すものがある」
ギルバートがそう告げると、手には革製のベルト付きポーチが握られていた。
「身につけてみるがよい」
「?」
私とノアは首をかしげつつも、言われるまま腰に装着する。
ギルバートは手にしていた禁書をぱたりと開いた。
次の瞬間、古びた頁から光が走り、そこから刀と剣が“引き抜かれる”ように現れる。
驚く間もなく、賢者はそれを勢いよく私達へ放り渡した。
予測していなかった事態に驚きつつも、持ち前の反射神経でどうにか受け止める私とノア。
私は何気なく鞘から刀を引き抜く。
そこにある光景に思わず息をのんだ。
遊びではない――鈍く光る、真剣の刃。
隣でノアも剣を抜き放ち、その刃が本物であることを理解して目を見開いていた。
「本物?……でも、なんで剣が必要なんですか?」
小首をかしげ、ノアが素朴な疑問を賢者に投げかける。
──このパターン、嫌な予感しかしない。
賢者様のその笑み……あれは絶対に“ろくでもない”何かを企んでる顔だ。
そして、これまでの他の先生たちのパターンや傾向から予想するに……
私の考えがまとまらないうちに、賢者ギルバートは無言で杖の石突きをコン、と床に突いた。
「私はこう見えても、座学派よりも実習推進派でね」
──ゴウン。
その瞬間、足元に魔法陣が浮かび上がり、床が音もなく沈み始める。
「えっ?」
「うわっ、ちょ、ちょっと! なにこれ!?」
二人が慌てる間にも、ギルバートの声は落ち着いていた。
「死と隣り合わせの場所では、剣が必要だからな」
冷や汗がにじむ。胸の奥を掴まれるような言葉に、心臓が一瞬止まりかけた。
おそらく、これから連れて行かれるのは、ただの“授業”ではない――。
「うわあああああああ! 僕たちどうなっちゃうの?!」
(やっぱりこうなるんかーーーい!)
暗闇の中へ、私達は吸い込まれていった。
視界は闇に閉ざされ、足元も天井も分からない。
ただ、終わりの見えない奈落へと引きずり込まれていくように、体がどんどん沈んでいった。
耳に届くのは風の唸りだけ。
浮遊感に胃がひっくり返り、思わず息を詰める。
「ーー灯!」
ノアが瞬時に呪文を唱える。
照明魔法の光が、二人の落下速度を追い抜くように真下へ走り、闇を切り裂いた。
ぼうっと輝く光が地面を照らした、その刹那。
私とノアは落下の勢いを殺し、見事に体勢を整えると同時に石床へと着地した。
「暗い……ここ、どこ?」
辺りはほとんど光がなく、照明魔法の明かりに照らされた足元の石畳だけが、ほのかに輝いていた。
湿った空気が肌にまとわりつき、かすかに苔の匂いが鼻をつく。
「け、賢者さまーっ!? どこーっ!?」
慌てて声を上げると、脳内に反響するようにギルバートの声が返ってきた。
『そうか。二人にとっては、これが“初めて”だったな』
──ボッ。
最初の火が小さく揺らめいた。
次いで、ぼうっ……ごうっ……と、松明に火が移り、奥へ奥へと連鎖していく。
やがて「ゴウゴウ」と炎の波が壁を駆け抜け、闇を押し返していった。
瞬く間に広間全体が明るみに包まれ、圧倒的な光景が姿を現す。
それは洞窟ではない――果てしなく続く巨大な石造りの遺跡。
天井高くそびえ、根が絡み、苔が滴り、古代の時を閉じ込めた壮大な空間だった。現れたのは、果てしなく続く石の通路。
絡みつく根と苔、どこからか滴る水音、生温かい空気がまとわりつく。
『そう、ここが──モンスター達の巣窟』
ギルバートの声が誇らしげに響いた。
『人々は、この場所を恐ろしいと知りながらも、秘宝や対価を求めて足を踏み入れる。魅了し、惑わせる禁断の地――人はこう呼ぶ』
『迷宮と』
その刹那、私とノアの間を生暖かい風が吹き抜けた。
……まるで、この迷宮そのものが“新たな獲物”を迎え入れているかのように。
このエピソードが記念すべき100話目となります。
この作品をみつけてくれて読んで頂き、ありがとうございます。
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