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解決編『イアルハラン川 ~キツネ狩りとキツネ狩り~』

 その晩。

 暗く、月は雲で隠れてわずかな光も射し込まなくなった山の鬱蒼とした森の中は、樹々の幹も地面も全て、黒い墨で塗りつぶしたように見える。その濃い暗闇の中で、十分な時間をかけて目を慣らしてようやく周りの物が陰として見えてくるようになる。山肌には下草や低木が茂り、斜面はところどころ古木の根の盛り上がりと合わせて、窪んだようになっている。

 これらの原始の窪みのうちの一つの中から、せせらぎの聞こえてくる方をのぞき見ると、太い木立の狭間に見えるのは古い防壁と、その天守閣であった廃墟である。

 そのムールヒアル線跡の瓦礫の中に足を踏み入れるのは通常、夜行性のイタチやオコジョであるとか、あるいは小型のワイバーンのうち岩場と高低差の得意な種類程度のもので、それもそばのイアルハラン川に一口の飲み水を求めた時に通り過ぎるかどうかという程度である。

 それが今、風化したレンガの向こうに、ランタンの火の灯りが一つ、怪しくゆらめている。

 屋根の落ちて壁だけが残った天守閣跡の瓦礫の中で、男が一人、ランタンを燃やしながら待っている。火を燃やして森に棲む動物達を恐れさせていなければ、男が何かの肉食獣に襲われてしまうからだ。

 光に引き寄せられてランタンに蛾が集まり、ガラスへ頭をぶつけるのを繰り返して飛び回っている。それが鬱陶しくなった男は、ランタンをわずかに振って蛾を振り払った。灯りを消せるのなら、男は消して待っていたかった。暗闇の中に光があれば目立ち、誰かに見つかりやすい。そしてもしも見つかれば、暗闇であれば輪郭だけで済むものを、ランタンの灯りで照らされた分だけ着ている服まで見られてしまう。

 男は着ているシャツの柄は水玉だった。

 首から上は頭巾で隠し、相手に顔かたちを明かさずに男は取引をしてきた。この服は取引相手に見せる代わりの顔であり、今のところ取引の時は必ず水玉柄で()()()の前に立つ事にしていた。

 その()()()の口を今晩、男は念のため永遠に封じておく事に決めていた。

 彼にとって取引相手とは猟犬ではない。キツネだ。利益のために用があっただけで、仲間ではない。逃げられて面倒を生むかもしれないのなら、巣穴に飛び込まれる前に狩ってしまうに限る。

 ランタンの火に惹かれて、今度は小さなワイバーンが飛んできて、ムールヒアル線跡の防壁の上に止まった。ワイバーンは男のランタンを遠巻きに、興味深げにじっと見つめていた。しかし男がランタンをワイバーンの顔に近づけると、ワイバーンは怖がって瞬膜をしばたかせて飛び去って行った。

 この時のランタンの灯りの動きが、遠くから山道を登ってきた()()()の目には、手を振って読んでいるように見えたらしい。

 これを見た()()()がムールヒアル線跡目指して山を登る足取りは早まった。()()()が小枝を踏み折って歩く足音が次第に聞こえ出し、近づいて来ている。

 男はランタンを持っている方とは反対側の手で「隠れていろ」という手振りを、背後に向けて小さくした。

 水玉柄の男が背にして立っている風化したレンガの壁の後ろで、別の何者かの姿がちらりと動き、そして壁の後ろに消えた。男はそれを視界の端で見届けて頷くと、何事も無かったかのように()()()の方を向いた。

 ようやくムールヒアル線跡まで現れた()()()は登山杖を突き、昨日と同じ外套を着こんでいた。男は内心で笑った。襟を立て、つばの広いシルフ帽子を被って顔を半分隠したところで、変装としては不十分だろうに。怪しい輩でござい、と自ら喧伝しているような格好だ。

 ()()()は男とは距離を取り、風化した壁越しに男の前に立った。嫌に緊張している様子だった。それもそうだろう、と男は思った。男には、()()()が言わんとしている事は分かり切っていた。どういう事だ。これ以外の言葉は最初に出てくるまい。だからこそ、コイツも昨日の今日でまたここまで来たのだろう。直接会えなければ、瓦礫の間に置き手紙を挟んで連絡を取るために。男の方も()()()がそうするだろうと思い、こうして待ち構えていたのだ。

「どういう事だ」

 ()()()が声を押し殺し、うめくような小さな声で男に尋ねた。

「お前がしわいからだよ。あの女は事故だ。お前のせいで殺さざるをえなくなっちまった」

「て事は、お前が殺したのか……?」

「出し惜しみしやがって」

 水玉柄の男は、ランタンを持っている方の手を大きく振って合図を出した。

 ()()()の背後に、見知らぬ男が立っていた。馬蹄形のブロンドの口ひげをぼさぼさに生やした、禿げ頭の、目の光が不気味なほど鋭い男だった。羽織っているケープは様々な格好の棒人間がいくつも縫われた奇抜な刺繍で、その異様さがまたただ者ならざる様相を演出している。

 棒人間のケープのひげ男は、じわりじわりと()()()との距離を縮め、間合いを詰めながら、隠し持っていた片手半剣を抜き放った。

「あっ……」

 ()()()は後ずさりして身構えていたが、突然の凶刃が目の前に現れた事に体が動かない。

 水玉柄の男はそれをにやにやしながら見ているだけだ。

 死期を悟って震える()()()の前で、棒人間のケープのひげ男は剣を八相フォム・タークに構え、刀身を不気味に寝かせて腰を落とすと、切っ先の狙いが()()()の左胸をぴたりと指し示した。

 その途端に()()()の顔は今にも叫び出しそうなほど青ざめ、怯えて吹雪ふぶかれたように震えだしている。

 しかしその時、

「そこまで!」

 という大音声だいおんじょうが彼ら三人を呼ばわった。

 ケープのひげ男の剣先が宙で止まった。

 その剣先の刃が、何やら廃墟の外から照らし出される光にさらされた。その光に()()()は眩しさの余り顔を覆っている。水玉柄の男の姿も露わになった。水玉柄の男はたまげて声のする方を見た。

「神妙にしろ、御用だ!」

 ムールヒアル線跡のそばの斜面の窪みや古木の根の陰から、大きな松明や鎖槍を何本も掲げて緑色の軍服姿のボスクーミェ辺境伯領の憲兵達が猛然と飛び出してきた。

「それっ!」

 先陣を切るアーサー・モーストン大尉が合図を出した。瞬時に憲兵達がムールヒアル線跡の廃墟を取り囲む。ムールヒアル線跡はイアルハラン川で領の内外を隔てる防壁のため、憲兵は暗中で暗殺未遂を演じていた三人を、逃げ道となりうる陸地の三方向だけ塞ぎ、後の一方向であるイアルハラン川のV字谷の断崖を背にして例の三人が立ちすくむ格好となった。

 ムールヒアル線跡の崩れた天守閣の中で、三人のうちケープのひげ男は剣を振りかぶったまま抵抗する姿勢。水玉柄の男も懐からウンディーネダガーを抜き、きょろきょろと右往左往して、憲兵の包囲網に逃走出来そうな穴が無いか必死で探している。

 ()()()はというと、二人が憲兵隊の方を見ている隙に抜き足差し足で距離を取り、帽子を目深に被り直して、こっそりと天守閣跡を抜け出しその場を離れようと試みた。

 それで逃れられる包囲ではない。すぐに()()()の目の前に、冒険者態の捕り手が立ち塞がった。詰襟に緑色のスカーフ、ミーナ・セルニャンキサである。

「いやいや、今回は気の毒な事でしたが、ご法度はご法度です。あなたの事は山賊と呼んで差し支えないのでしょうねえ、エステパーノ・ギャレット・デブナム?」

 ミーナに全てを見透かした目で見下ろされ、執事のギャレットは顔から血の気が引き、腰砕けになった。彼が瓦礫の上にへたり込んだ時、彼の頭の上に乗っていた帽子が傾いて落ちた。

 私は信じられない思いがした。隣のベレンガリアもその様子だった。

 私もベレンガリアも憲兵達に混ざって窪みの中に隠れてムールヒアル線跡を見張っていたが、最初は半信半疑だった。まさか本当に全てがミーナの描いた絵の通りに進み、そして目の前で真実が明らかになるとまでは思ってもいなかったのだ。ここに目を付けていれば必ず犯人は再び姿を現す。そう強く説得されて熱意に大尉が根負けした結果だったのだが――ギャレット・デブナムが山賊だって? ムールヒアル線の廃墟の反対側の陰から、ミーナの頼みでギャレットを尾行していたキーヴィエも姿を現した。彼女も混乱しきっている。

 ともあれ私達三人も、ミーナの後を追って廃墟へ踏み込んだ。松明を掲げると、廃墟の中で青ざめている白玉柄の男の顔がはっきりと照らされた。シャツの水玉柄は、まじまじと見るとかなり派手だ。頭を黒い頭巾のようなもので覆って顔を隠しているが、頭巾の隙間から赤毛と素顔が少し見えている。種族スピーシーズはおそらくシルフかノーム。元から色白の顔から生気が消え、真っ白になっている。

「頭巾を取りなさい。そこの水玉模様のお洋服のあなたがロン・クレイですね? 一人おまけがいるようですが、そのこけおどしみたいなケープのヒゲはあなたの手下テカですかねえ、人気者のロンくん?」

 水玉柄の男は渋々頭巾を脱ぎ捨てて地面に捨て、自らがロン・クレイである事を言外に認めた。露わになった面長の顔は、顔の目鼻立ちそのものは整っているものの、目の下はたるみ、くまもひどく、それだけで社会的にどのような立場にある身分と稼業の者なのかを示唆しているようなひどい人相だった。

 彼は悔しそうに顔を歪めたまま、ミーナを黙って憎々しげにねめつけている。

「言い逃れられると思わない事ですなあ。あなたが辺境伯家のメイドのエデラ・バリモアを殺害した事は分かり切っているのです」

「わ、私はやってない!」

 ミーナの足元でギャレット氏が今にも泣きだしそうな声で叫んだ。

「分かっていますよ、エステパーノ・デブナム。彼女の死の真相そのものは、そこのロン・クレイによる蛮行なのです」

 ミーナは、包囲網を忌々し気にねめつけ続けているロン・クレイを指さした後、その人差し指の先で頭を突いてから、空へ向けて指をピンと立てた。

「エステパーノ・ロン・クレイ、あなたは『上手く急場をしのいだ』と思っていた事でしょう。あるいは『ドジを踏んだっきり体勢を立て直せなかった』でしょうか? 

 私には今やすっかり事の次第が分かってしまいました。つまりこうです。多芸な犯罪者であるあなたは、辺境伯閣下の隠居住まいになっている古城ボスク・キープの勝手口の古臭い錠前を組織的窃盗の経験を生かしてやすやすと開けた後、ボスク・キープに侵入しました。料理人は勝手口の重い鉄扉の音を一度しか聞いていませんから、おそらくは入る際に鉄扉を閉めずに、楔代わりの何かを挟んで開けっ放しにしていたのでしょう。ところが忍び込んで早々、階段のそばにあるゴミ置き場からメイドが出てきてしまった。家人とうっかり鉢合わせして顔を見られてしまったあなたは、侵入時に手に持ったままだったその登山杖をとっさにメイドの頭に振り降ろして殴り倒し、口封じをしたのです。その後はもう盗みどころではなくなってしまい、あなたは現場から逃走してボスク・キープを出ました。しかしこの時あなたに扉が閉まる音までは気を遣う余裕はありませんでした。料理人フーゴーが厨房で耳にしたのはおそらくこの時の音です。

 犯行そのものは単純極まりない、ただの空き巣のし損ないであり、それが結果的に強盗殺人になってしまったという、突発的な犯行でした。しかし外から風のように音も無く入り込み、そして即座に通り魔のようにメイドを殺害して出て行ったため、何も知らないボスク・キープ内の者達からすれば外から誰かが入って来たとは全く思いません。閣下から調査を任された冒険者達も、当初はボスク・キープの内部犯を疑いました。

 しかしあなたはすこぶる運が悪かった。あなたがボスク・キープに侵入を試みる直前にこの私、ミーナ・セルニャンキサという魔族がザモクラツケ高地からボスク山へ降りてきていて、それが事件当時には地下牢に捕らえられていたのです」

「魔族?」

 当然反応し、彼女の言葉に耳を疑うロン・クレイ。しかしミーナは堂々としたもので、両手を広げてごく当たり前の事かのようにしれっと言ってのけた。

「訳あって実は今、人族側に与して事件の捜査に加わっているのですよ。種族はトロール、ゴラクリという魔族領より参った者でございまして。ほら――」

 と言い、ミーナが体をひと揺すりして体を大きくし、たちまち背丈が私達の倍ほどもある見上げるような大入道と化した。もうひと揺すりすると今度は子供のように小さくなる。

 この場にいた者のうち、私達以外のミーナを知らない全員の目が皿になり、何人かは不俱戴天の仇に叫び、何人かは反射的に鎖槍を構え、恐慌しかけた。ロン・クレイもひげ男も、魔族が捕り物の舞台の中央で主役を演じだしたのを前にして、驚愕の表情。しかし下手人共の中では唯一事情を知るギャレット氏が驚いていないのに気付き、二人はぎろりと一度そちらを睨んだ。

 この周囲の混乱を満足げに眺めていたミーナが、さもありなんとばかりに何度もうなずいた。

「ええ、そうでしょう。恐ろしいでしょう、私が――そうです。普通はそうなりましょう! この認識を確認する事が、実は事件の解決に最も重要な事でした。私がこのボスクーミェで出会った人族の皆様のうち、私という魔族を恐れ、敵愾心を抱き、緊張し不安を覚えない方は一人もいなかったという事を。執事のエステパーノ・ギャレット・デブナムはお膳を地下牢に運ぶのもおっかなびっくりでしたし、フォン・クラム辺境伯閣下も料理人のエステパーノ・フーゴー・ブーンも私に刃物を向けて威嚇せずにはいられませんでした。特に、料理人のエステパーノ・ブーンはこの時、人族領における魔族に対する認識を端的に表現してくれました――『人族を殺して食い、捕まえて奴隷にする、残忍な怪物』だと。そんな魔族である私が、事件当時現場の地下牢に捕らえられていました。しかも地下牢の古い錠前は私を閉じ込める機能を果たしておらず、ただ魔族わたし自身の意思によって外に出ようとしなかったので出て来ないだけでした。そうですね、エステパーノ・ギャレット・デブナム? その時あなたはその場にいて私が牢屋を抜け出るのを見ていたし、その事をすぐに辺境伯閣下に報告していましたね? 言い換えれば、普段生活している空間の床の真下に、今日だけは自分達人族を食い殺すかもしれない怪物がいて、しかもいつ逃げ出してもおかしくなく、半ば野放しに近い状態だったのです。

 ここで考えてみて下さい。ボスク・キープに住んでいる者達はそんな状況に置かれて、どんな気分になるでしょうか? もちろん恐ろしくて浮足立つでしょう。ここでキーヴィエさん、お昼のあなたの正当な誹謗中傷を引用しましょう――『人族を食い物にして下に見る事しか考えてない連中と、同じ屋根の下で一緒にいられるわけないじゃないですか』――まさにそのような心情だったはずなのです。そんな状態で、同胞の人族を殺そうなどと考えるでしょうか? そんな事を考える事が可能だとは、とても思えません! ましてや、血の匂いを漂わせて人族の死体を生むような人食いの衝動を刺激しかねない行為は、少しでも考えれば愚かな事だと分かりますし、どれだけ取り乱していたとしても感覚的なものに反します。気軽に取れる行動でもありません。死と闖入者を恐れる健康な感性の持ち主なら誰でも、私がいる中で殺しをしようなどという発想にはほとんどならないはずなのです! 私の存在を知っているならば! 

 逆に言えば、この状況で人族を殺そうと思えたとするなら、それは魔族が地下牢に収監されているというボスク・キープ内部の状況を知らない人物、つまり外部の者による犯行なのです」

 ミーナは説明しながら、ある一点を流し見した。その方角にはロン・クレイが肩をわななかせて立っている。

「私は事件発覚から三分後にはすでに、外部犯による殺しではないかと感づいていましたよ。ふふ……しかし問題は犯行動機です。いいえ、あなたがが犯人たりえる動機ではありません、エステパーノ・ロン・クレイ。次の事です――そもそもなぜ犯人はボスク・キープに忍び込もうと思い立ったのか? なぜ犯人は勝手口の鉄扉を開けっ放しにしようと考えたのか? なぜエステパーナ・エデラ・バリモアは哀れにも殺されなけばならなかったのか? 犯行がボスク・キープの階段下のゴミ置き場で起きた理由、これに説明をつけなくてはなりません」

 ここでミーナは急に私の方を振り返った。

「ところでアヴィさん、ゴミに関する不可解な出来事がもう一つあった事に気付いていますか? 一聴には自然に聞こえたけれど、よくよく考えてみると全く説明がつかない証言が一つだけあった事に?」

「それは……何でしょう?」私は首をひねった。

「書類の書き損じの反故ですよ! フォン・クラム辺境伯閣下がおっしゃっていたではありませんか。執事のギャレット氏が手紙を出しに行く前に閣下の執務室へ立ち寄って、捨てに行くと言って執務机の上から反故を持っていったと。あれはいけませんでしたねえ! 書類の反故は悪用防止のため、破るか燃やすかするのが習慣だったはずです。なのに執事はどうして保護を暖炉の火の中へ放り込まなかったのでしょう? 閣下自身が反故を割いて燃え差しに使っていたくらいだというのに! 閣下の部屋の暖炉の火は燃えていました。なぜですか、エステパーノ・ギャレット・デブナム?」

 現場を知らない大尉が口を挟んだ。「閣下が書き損じた書類の紙が、事件と関係あるのか?」

「大ありですとも! これ無しにこの事件の真相は理解できません!

 繰り返しますが、犯人はボスク・キープに侵入した際、おそらく扉を開けっぱなしにしていた可能性があります。これは妙だとは思いませんか? なぜ勝手口の扉は一度しか鳴らなかったのでしょう? 犯人は勝手口の扉が開閉時に大きな音を出す事を知っていたのでしょうか? ではどうして知りえたのでしょう? 何かの理由であらかじめ知っていたとしても、まだ変ですよ。閉める時にタオルか何か噛ませれば、音をかなり緩和出来るそうですねえ。扉の事を誰かから知ったのなら、この工夫の事も一緒に聞いているか、あるいは自力で気づきそうだと思うのですが! 閉まっているはずの扉が開いていれば怪しまれるし、開けておいたのが途中で閉まって音を立てたら目も当てられません。なのに開けっ放しにしていたのだとしたら、なぜ?

 ――それは、すぐに出るつもりだったからです。出られると踏んでいた。つまり、ボスク・キープに入ってすぐに目的を達成可能だと考えていたからです。そう、勝手口の目の前に犯人のお目当てはあったのです……ゴミの溜まった、ゴミ置き場が!」

「ゴミ――反故? まさか犯人は反故、辺境伯閣下の書き損じの書類が目的だったと?」

「その通り! これこそが全ての謎の下に一本筋に通底していた鍵! これ以外では話の筋道がきれいに通らないのですよ! これが動機だと考えて、少しの論理の飛躍も無いはずです! 

 犯人は書類の反故というゴミが、ゴミ置き場に捨てられていると踏んで、それを盗み出すつもりで勝手口から忍び込み、そして一目散にゴミ捨て場へ忍び寄ったのですよ。ゴミ置き場は勝手口の目の前にあるので、事が済めばすぐに出られる。誰かに見つかる可能性は無いはずだった。しかしゴミ置き場は階段の陰にあったので、奥にメイドがいる事に気づけず、鉢合わせてしまった。そういうわけですねえ。

 その反故を、適切に処分しない代わりに閣下の執務机から持ち出したのは執事のギャレット氏ですから、彼も当然事件の関係者。もっと言えばロン・クレイの仲間なのです。彼の役割は、辺境伯家で出た書類の紙のうち、書き損じで反故となり使われなくなったものを回収してロン・クレイへ卸す、いわば仕入れの係でした。そして、受け取ったロン・クレイはその反故の書類を使って、新たな犯罪行為に活用するのです。

 ロン・クレイ、あなたの今の違法事業の内容とは、公文書の偽造なのではありませんか? 他の詐欺師達と接触しているらしいという情報からして、おそらくあなたはギャレット・デブナムから得た反故の書類を元に、周りの詐欺師達の要望沿った偽の書類を作成し、それを周囲に提供していたのでしょう。あなたの過去の犯歴は偽札の印刷、絵画の贋作作り、等。偽の公的書類を作れるだけのノウハウは持っていそうですねえ? どうです?

 黙っていても無駄ですよ、エステパーノ・クレイ。そしてエステパーノ・ギャレット・デブナム、あなたも! 昨晩この場所である二人の男性が、ランタンを片手に密会し、何らかの小さな物品の受け渡しをしているのが目撃されています。目撃者は夜目が利き、嘘こそつきたがる一方でその才能はまるで無い愚かな野良魔族のボガード達です。もちろん彼ら自身には信憑性などの毛を突いたほどもありません。しかし、その内容はとても具体的で示唆的なものでした。彼らによれば、服装は今のあなた方二人とそっくり。一方で体つきの方は、男であるのが分かった事を除いては、これといった特徴は両方とも持っていなかったとの事です。男性のうち、山を登れる程度には脚が健康で、かつ杖の所持や出っ腹などの外見的特徴も無い人物となると、ボスク・キープの中ではエステパーノ・デブナム、あなたただ一人しかおりません。

 ただ、ただですねえ……これらの推理は、公判会議にかけるのに堪えられるほど十分な根拠に支えられているとはまだ言えませんでした。いくら筋の通る説明だろうと、証拠が足りない限りは仮説止まり。そこでもう少し直接的な証拠が欲しいと思いましてねえ。事件の込み入った構造を全て証明している時間はありませんでしたから、手っ取り早く決定的な現場だけを先に押さえる事にしたのですよ。こうしてキーヴィエさんと共にエステパーノ・デブナムを見張って尾行し、現地憲兵隊諸氏にもこのムールヒアル線跡にも張り込みをしていただき、そして我々はあなた方を捕まえました!

 山賊の正体はあなたです、エステパーノ・ギャレット・デブナム! あなたはロン・クレイと定期的に夜の山で会い、反故を受け渡していたのではありませんか? 

 ロン・クレイ、あなたには残念ですが、少なくとも片方はこのエステパーノ・ギャレット・デブナムである事は明白なのです。なぜならば、彼が王都の冒険者へ山賊退治を依頼しているからです。依頼の中での不審人物の目撃証言のうち、明確に山賊を見たと言えそうなものはエステパーノ・デブナム自身のものただ一つだそうで。ぼろぼろの服で山道を練り歩く、だんびらを引っ提げた何人もの男達ですって? いえいえ! あなたが冒険者へ依頼をする際に彼らの店で話したという内容は、野良魔族のボガード達による実際の山中の不審人物の目撃情報とは、とても似ても似つかぬ内容でしたよ。それにですねえ、もしもイアルハラン川のあたりに山賊なんかが巣食っていたら、すぐに我が国の水軍か近衛軍情報師団かがそれを察知しているはずです。しかし私がこの国に潜入する際、ブリーフィングでそのような話は全く聞かなかったどころか、この川を渡るのが最も安全で早いとまで言われましたよ。『有害な組織の活動も無いから』とねえ。ここから考えて、私にはどうしても山賊らしい山賊の存在というのはどうしても信じられなかったのです。これは大きな矛盾です。

 では冒険者の店へに訴えられた山賊とは何だったのか? それはエステパーノ・デブナム、あなたが自分の都合の良い内容をでっちあげて依頼していたのです。なぜかって? ここから先は想像になりますがねえ、あなたは仕入れ先のロン・クレイを山賊として冒険者達に捕まえさせるためではありませんか? いつ裏切って何をくるか分からない犯罪者を、自分の手は汚さずに抹殺するために! 敵対者には容赦しないロン・クレイの性格からして」この時ミーナは、剣を引っ提げたままのひげ男を指さした。「どうせ彼は冒険者相手に激しく抵抗する。だからきっと雇った冒険者達は依頼した通りに斬り捨ててくれる。こうして自分の手は汚さずに彼を永久に封殺出来るのでは、と期待したのです! エステパーノ・ギャレット・デブナム、そうなのでしょうね?」

 ほとんど言い切ってしまうようにそう問い詰める形で、ミーナの言葉は切れた。ギャレット氏は返す言葉が無かった。周囲で取り囲んでいた私達も憲兵達もこれを黙って聞いていた。

 一瞬、静寂が山林の中の廃墟を支配した。

 その静寂が突然、

「がああっ!」

 怒号にも似た喚き声によって破られた。

 次の瞬間にはすでに、ウンディーネダガーを抜いたロン・クレイが、鋭い凶刃を振りかぶってミーナかギャレットのいる方へ転がるように突進した。

「死にやがれ!」

 刃は結局ミーナの首筋へ飛ぶのを選び、ロン・クレイは長い腕でダガーを右上段に振り下ろした。

 これをミーナは、とっさに腕を突き出して相手の刃を持つ腕を受け流し、かろうじてかわした。

 躱したが、突き出した腕に刃がかすめ、血が垂れた。

「畜生!」

 悪態をつきながらロン・クレイが、突進で崩れた体勢を瞬時に元に戻しつつ怒鳴った。

「こいつらを殺して俺を逃がしたら、金貨百枚やる!」

 言われてひげ男は俄然、ミーナへ飛びかからんと剣を構え直した。

 この時すでに取り囲んでいた憲兵隊と私達は、事態の急変に瞬時に反応し一斉に廃墟へ飛び込んでいる。

 二の腕あたりがわずかに赤く染まったミーナが、突き飛ばされたような恰好からそのまま間合いを取ったのを見て取ったロン・クレイは、今度は大いに半身になって、一直線に腕を伸ばしつつ下段から風を巻く決死の突きを打ち込んだ。

 しかしその突きは途中で、横から飛び込んできた壁によって阻まれた。

「あっ……」

 壁は円形の大きな盾だ。

 重戦士であるベレンガリアがロン・クレイとがミーナの間に割って入り、幅広な盾を目一杯突き出して立ちふさがっていた。

 盾に跳ね返されたロン・クレイの体は、飛び込む先を失って一瞬宙に浮いたようになっている。

 その隙に背後からモーストン大尉が飛びかかり、彼のウンディーネダガーを持つ手にしがみついた。

「こいつめ!」

 そのまま腕を絡めて手首を捻り上げる。ロン・クレイはダガーを取り落とし、地面に組み伏せられた。

「ようやく捕まえたぞ、悪党!」

「ううっ……」

 この間、例のひげ男は剣を構えるだけ構えたにもかかわらず、結局雇い主に加勢する事は無かった。

 加勢しようにも、ひげ男の背後からキーヴィエがしがみつき、絡みついて離れず、身動きが取れなかったためだ。

「邪魔だ、離せ!」

「ぐ、ぐむむ……」

 キーヴィエはロン・クレイが怒鳴った直後に男へ真っ先に飛びついていて、冒険者の一人としてどうにかしてこの男を抑え込もうと、軽業のための細い腕を後ろから男の脇の下へ通して肩へ巻き付け、羽交い絞めにせんと顔を赤くしていた。

 あくまで野伏であって荒事は不得手なキーヴィエが、腕に覚えのある相手を取り押さえようと思ったら、遠間から投げナイフか何かで一方的に無力化するか、それが出来ない状況ではこうして必死に組み付くなりするほか無い。ひげ男の動きを封じようと死に物狂いで抵抗する。が、いかんせん体格も筋力も及ばず、筋骨の隆々としたひげ男の動きを封じるには足りない。

 ひげ男が大きな体を何度もひねって揺すった。キーヴィエの軽い体は男の体の上で跳ねた上、こけおどしの棒人間のケープの上で滑り、ひげ男の上半身からずり落ちた。

「きゃっ……」

 振り払われ、瓦礫の上に尻もちをついて無防備になったキーヴィエに、男は今までの苛立ちそのままに、剣を大上段に振りかぶった。

「このあま!」

 振り下ろそうとしたその瞬間、ひげ男の剣は凄まじい衝撃とともに真横へ弾き飛ばされた。

「うおっ……」

 なまじ手が辛うじて柄を手放さなかっために、体全体が腕の方へ持って行かれ、姿勢が崩れた。

 何かが飛んできた方を見やると、ミーナが右手で柄の後端を握って、短い槍を柄の長い片手の棍棒のように構えている。

 ゴラクリ国が誇る棍鎗ターリィカ、その一振りの腰ほどまでの長さの、片手持ちの棍棒としては長すぎるほどの柄にミーナが左手も添えて握ると、両手持ちの寸詰まりな槍としての用法へ瞬時に構え直されている。

 ミーナは槍の柄をしごきつつ、ひげ男へ向かって一歩、二歩とじりじりと間合いを詰めた。

 ひげ男は未だに手がしびれているものの、すぐに八相の構えを取り直し、この見慣れぬ奇妙な武装と相対した。

 つい先ほどまで男の剣を跳ね飛ばしたすらりとして華奢な、長すぎるほどの棍棒だったのが、こうして柄よりもわずかに太い葉巻型の穂先を前へ突き出された途端、一瞬にして変わっていた。構えも間合いも、脅威の性質が全て槍のそれに化けている。それに槍の柄としては太やかな直径が、穂先を使い手の全身を覆い隠すほどの大きさに見え、柄の短さなどとても分からなくなるほどの重々しい圧迫感を放ち出していた。

 この武術と設計の秘術に、ひげ男は幻惑された。

 打ち込む隙を見出せず、もじもじとしていたひげ男だが、そのうちに自棄になって猿叫を上げて飛び掛かった。

「たあっ!」

 その太刀筋をミーナはやすやすと捉えて飛んで来る剣先に穂先をあてがい、そのまま穂の重さでひげ男の剣を上から押さえつける。

 槍術の典型的な捌き方だが、ここでミーナが穂先と剣先の交差点を軸にして回すように、槍をひげ男の剣へ押しつけつつ、柄だけを持ち上げた。

 同時に左手を再び手放した時には、すでにミーナの体はひげ男の懐へ潜り込んでいる上に、右手で棍棒を振り被った体勢が出来上がっている。

 ひげ男が危険を察知してすぐに飛び退こうとしたが、間に合わず、それよりも早くミーナが体の前後を入れ替えつつ腰を落とした。

 ターリィカの穂先の腹が低い風切り音を立ててこめかみを捉え、その途端にひげ男は顔をへしゃげさせながら、もんどりうって土の上へどさりと崩れ落ちた。

 ロン・クレイの激しい抵抗を抑えて縄を打ちながらこれを見ていたベレンガリアが、

「見事!」

 ターリィカを右腿の異国風な剣帯の金属輪へ石突から通して掛け、提げ戻した槍の穂に上から鞘をはめるミーナへ、感嘆の声を漏らした。

 ようやく彼を拘束し終えた彼女は、ミーナの打ち倒した棒人間のケープのひげ男の方へ駆け寄った。男はミーナの足元で、糸の切れた凧のように倒れ伏し、すっかりのびている。

 こうして三人のうち、二人は無事に捕縛に至った。

 しかし私は、捕り物の喧騒から一歩引いたところであたりを見回している内に気が付いた。

「大尉! 執事のギャレット・デブナムがいません!」

 私が叫ぶと、大尉以下憲兵隊員達、加えて野伏として私達三人一党(パーティー)の中では鋭敏な感覚を活かして身辺周囲に目を見張り気を配る係のキーヴィエが直ちにムールヒアル線跡の廃墟中に散り、きょろきょろとギャレットを探し回った。

「いました!」そのうち、キーヴィエが叫んだ。「防壁の裏です!」

 ギャレットはムールヒアル線の崩れた天守閣から伸びる、イアルハラン川に沿って伸びるレンガの風化した壁の裏に隠れていた。全身を平べったくして防壁に張り付き、少しずつ横這いに移動して逃走を図っていた。 防壁は川縁ぎりぎりに立てられ、その川縁はイアルハラン川の流れるV字谷の岸壁になっている。彼が防壁の裏のわずかな空間の上で足を交互に動かすたびに、彼の足に蹴られた防壁のレンガの欠片が川縁から落ち、岸壁を転がってV字谷の底へ落ちていく。

 彼の逃走経路に気がついた全員が真っ先にギャレットを追いかけた。俊足のキーヴィエを先頭に、彼女が短剣の先で指した方向を見ていて動き始めるのが早かった私、その次にベレンガリア、モーストン大尉と続き、最後に憲兵隊と、彼らに混ざってミーナが天守閣跡を飛び出し、防壁の周りへ押しかけた。

 ところが憲兵隊員達が、風化した防壁の崩れた穴から身を乗り出して川縁を改めるも、ギャレットの姿が見当たらない。一瞬我々は戸惑った。川に飛び込んだ場合を除いてあり得ない事だった。その場合でもほとんど飛び降り自殺をするような高さだ。川下へ流されるより先に河底に頭を打って致命傷を負うのが分かり切っている。

 私も一体奴はどこへ逃げたのだろうかと首をひねった。しかしふと思い立ち、行き先ならあそこがあるのではないか、とあたりを付け、憲兵諸氏は知らないであろうあの場所が見える場所へ駆け出した。

 廃墟のそばに、吊り橋が掛かっている。ミーナと私達が初めて会ったところである。その吊り橋の真ん中に、ギャレットの姿を私は見つけた。

「あっちです!」私は声を張り上げた。「吊り橋の上です! 川の向こうに逃げる気です!」

 それを聞いた憲兵達が、怒涛の勢いで吊り橋の前に殺到した。

 しかしそれをベレンガリアが制止した。

「待て! 古い吊り橋だ、千切れる可能性がある! 乗るな! 行くな、止まれ!」

 それももっともな事で、吊り橋はぼろぼろで、しかも細い綱を渡しただけの素人拵えの代物だ。これでは、大人数で吊り橋の上に乗っては、重さで綱が切れて踏み抜いてしまうかも知れなかった。遠くから魔法を撃ったり投げナイフを投げたりするのも、流れ弾の縄に当たって傷つける可能性を考えると、やはり取り返しのつかない事態が想像出来てしまい、ためらわれる。

 ベレンガリアが吊り橋の前に立って入り口をふさぎ、捕り手の波は押しとどめられた。

 その間にも、ギャレットは吊り橋の向こう岸へ急ぎつつ、時折振り向いて血の付いたダガーをこちらへ向けて振り回して威嚇しながら、必死の形相で渡って行く。

 結局、憲兵達とベレンガリアは吊り橋の前に溜まったまま待機して、彼らよりも前を走っていたキーヴィエと私だけが、逃走するギャレットを追って吊り橋を渡り始めた。

 しかし、この時点ですでにギャレットは吊り橋をほとんど渡り切っている。

 ギャレットは捕り物の混乱の中でロン・クレイの取り落としたダガーをどさくさに紛れて拾っていたようで、吊り橋を渡り終えると彼は吊り橋の縄の端にダガーの刃をあてがって橋を落としてしまおうとした。しかし恐怖に震える手で縄に刃を押し付けたものの、存外ロン・クレイのダガーは刃が血で鈍っており、追っ手が追いついてくるまでに間に合わない事が分かり、すぐに諦めて吊り橋を離れ、向こう岸の山肌を駆け登って行った。そのままギャレットの姿は、向こう岸の山肌を覆う古い石垣をよじ登り、その上の木々の間の向こうへ吸い込まれるように紛れて、見えなくなってしまった。

 しかし直後、彼の情けない悲鳴が川の向こうから轟き渡ってきた。

 見ると、一度は向こう岸の山肌を登って逃げたはずのギャレットが、うの態で坂を転げ落ちるように坂を降りてきて、来た道を戻ってくるではないか……。

「――た、助けてくれえ……ひい、ひい、誰か助けてくれえ! 助けてえ……」

 イアルハラン川の向こう岸は、ザモクラツケ高地――魔族の領域である。もっと言えば、ゴラクリ国の版図であった。

 いやに怯えた様子で戻ってきたギャレットは、腰が抜けてしまっているのか、石垣を飛び降りた拍子に地面の上に転んでしまい、中々立ち上がる事が出来なかった。

 その後ろからぞろぞろとやって来て、彼の手をひねり上げた者達の姿を、私達は忘れる事が出来ないだろう。

 一人は首から上が黒い犬のそれだった。一人は背丈が明らかに巨人の域にあった。一人は逆に背丈が回りの半分しか無く、鞭のような細長い尻尾を揺らしていた。一人は下半身が大蜘蛛のそれだ。下半身が蛇をした者にいたっては三人もいた。三割が緑色の肌を持ち、半分以上が背中にコウモリかドラゴンかの翼を持っていた。彼らは見るからに魔族であり、しかもその恐ろしい風体を微塵も隠そうとする様子も無かった。

 一方、その魔族や彼らと共にいるにいる人族達の服装は、種族スピーシーズの多様さとは正反対に、規格的に統一されていた。いずれも焦げ茶色の、体にぴったりと合った丈夫そうな布の詰襟服に身を包んでいる。詰襟の前立ては縞模様になっていて、腰をベルトで締めている。下半身も、穿く物を穿ける者は同じようなズボンや、これまた丈夫そうな長靴を身に着けている。革の脛当てや籠手、頭には布のつばの広がった鉄の帽子を装備しているのは全員が共通していた。そして腰に佩いていたり手に構えていたりするのは、我々の腰ほどまでしか長さの無い棍棒のような槍で、まさしくミーナの物と同じゴラクリ国の兵士が使うターリィカという武器なのだ。

 驚いたのはその魔族軍に同道と対等な立場の同僚として混ざっている者達で、彼らのうち四、五人は魚のひれのような耳などを持っていて、キーヴィエと同族のウンディーネ達だった。それが魔族の兵士と対等の立場、存在として立ち並んでいる。

 彼らは脇に鉄で出来た犬、銅で出来た小鬼の形をした軍事用の武装ゴーレムを何機も連れ歩いている。その姿が、私の目に衝撃を伴って目に焼き付けられた。イアルハラン川の向こうは魔族国家、ゴラクリだという話を、私はようやく思い出していた。明らかに魔族国家の軍隊だった。

「おとなしくしろ! 血まみれの刃物なんか持って、怪しい奴だ」

 ゴラクリ国の兵士達はそう怒鳴りながら――彼らはウンディーネ語を主に用いていたが、それと等しく文語魔族語と一部分野で呼ばれているものを話していた。私はまさかこれを口語で活用する地域があるとは思いもせず、内心非常に興味深く思っていた――青息吐息でへたり込むギャレットを後ろ手にして組み伏せた。それから、彼という不審な闖入者が侵入したと思われる方角を向いた。

 もちろん吊り橋の向こう側だ。

 その向こう岸には、エシッド王国ボスクーミェ憲兵隊の憲兵達がギャレット捕縛のために臨戦態勢で、彼らの鎖槍が林のように何本も突き出している。

 突然目の前に現れた武装勢力を前に、ゴラクリ軍側も、

「何者だ! ここから先をゴラクリ国と知っての事か!」

 全員がターリィカを抜いて身構え、ボスクーミェ側の憲兵隊へ向けて川向こうをねめつけた。

 ここに、そのV字谷の岸壁に掛かる吊り橋を挟んで、ゴラクリ国とエシッド王国の兵士、人族国家と魔族国家の国軍同士が、お互いの目と鼻の先で槍を構えて睨み合う格好となった。

 妖精界で最も張り詰めた、人族の版図の端たるボスク山と魔族の領域の高度たるザモクラツケ高地とを区切るイアルハラン川――その渓谷が隔てているだけのわずかなはずの幅が、何百万尺もの大霊峰を思わせる何千年分もの積もり積もった鋭さと重苦しさを伴うと同時に、兵のうちわずか一人でもほんのわずかに踏み外せば両国間、そしてその周辺国全てを巻き込んで凄惨な混乱状態へと滑落させかねない剣ヶ峰となって、もの凄まじい緊張感を生み出し、この場にいる全員の空気を息もつかせぬほど薄くし、全身を身を切るほど寒からしめ強張らせしめた。彼此の兵、軍団同士が、人族と魔族の血で血を洗う百年がかりの新たな戦争の開戦という地獄の釜の蓋を前にして、槍の陣形を組んだまま睨み合い、そのまま百年、千年の時が経過し――そう思われるほどの尋常ならざる硬い静寂が、たかだか一本の渓流の間を確かに支配していた。

 もしもこの時、不用意にどちらか一方から、石弓が風を切る音か、拝み屋が呪文を唱える声が聞こえでもしていれば最後、張り詰めていたものが切れ、その音を嚆矢にお互い迎撃の姿勢を取り、お互いに対して応戦を始め――武力衝突、戦争の開戦となっていた事だろう。

 しかし実際に静寂を破ったのは、一人の間抜けが張り上げた呼びかけ声だった。

「お待ち下さい、お待ち下さい!」

 エシッド王国側の憲兵達の間を押しのけ、慌ただしく手を振りながら吊り橋を渡って向こう岸へ走ったのは、ゴラクリの近衛兵のミーナだった。

「水軍の国防哨戒警備隊の方々とお見受けいたします! どうか平に、穂をお立て下されませ!」

 ゴラクリ水軍側の将が不埒者を見とがめて怒鳴った。

「何者だ!」

 ゴラクリ水軍から一斉に槍を向けられたのも構わず、ミーナは槍を持った左手を後ろ手に回し、右手を開いて突き出して見せ、

「平に、平に……小官は頭座の()()()()に勤め申し上げる者、八等官の拝官を頭座より封ぜらるる者にて、姓はセルニャンキキが郎女いらつめをセルニャンキサ、名をミーナと名乗り申す者でございます。国外の任務にてゆえあって当地の陰謀の調査を任ぜられ、現地官憲に協力いたすところにございまして、貴官の取り押さえたるそこなる者はかかる陰謀のまさに下手人が一人たりと見咎め、追捕したるところでございます。いっかなご無礼とは存じまするが、どうかその者をこちらへお引渡しを願い申し上げます。まずは平に穂を立て、槍をお納め給われたく――」

「ほ、()()()だと? 近衛軍が出てくるとは、一体……」

 ゴラクリ軍の兵士達が、突然の友軍ミーナの登場と彼女の渾身にして切実な長口上に、面食らい毒気を抜かれたのか、にわかに動揺して囁き合い騒ぎだした。

 そのざわめきの落ち着かなさが、川向こうの私達エシッド王国側にも伝播した。

 このような形で国家間の焦眉の緊張が次第に薄れ、あれだけ頑迷に臨戦態勢を取っていた両国の兵士達がいつの間にか落ち着きを取り戻し始めるとは、誰が思った事だろう?

 しばらくして、双方から警戒心が十分に緩んだのを待ってから、ミーナはゆっくりと吊り橋を渡った。彼女が向こう岸のゴラクリ側の兵達の将に対して長々と何かを話すと、ゴラクリ軍のラミア兵の一人が背嚢から縄を取り出し、ギャレット・デブナムの腕を縛った。その間もミーナはゴラクリ水軍部隊の指揮官を相手にずっと何かを深刻そうに話し合っていた。しかしやがて川の向こうから、ギャレット・デブナムを引きずってエシッド王国側へ彼女が戻ってきた。

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