第四章『護送馬車 ~魔族に理性と知性はあるか~』
ボスク・キープの前に停まっていた二頭立ての護送馬車は、四輪の長い黒塗りの車体がいかにも頑健な作りで、窓には鉄格子が嵌っていた。車体の後部が両開きになっていて、囚人はそこから押し込まれて外から鞄錠で閉じ込められる事になる。
私達は冒険者として、護送馬車の御者を護衛を務める事になった。特性上馬車の中には乗り入れられないので、郵便馬車の相乗り乗車よろしく屋根の棟に腰掛けた。
護送馬車の御者は当然ながら衛視が務める。
青い稲穂が風に揺れているのが、まばらに立つ小さなレンガ造りの家々や原っぱの間からのぞいて見える。ボスクーミェの田舎町の石畳の上を、護送馬車の大きな車輪が、滑らかながらも重々しく転がっていた。その速さは絶妙で、囚人を焦らすような遅さにも、囚人を一刻も早く監獄へ叩き込まんという速さにも感じられる。屋根の上で呑気に到着を待つ身にとっては、景色を眺めるのに最適で、私達は一瞬だけまるで遊山の途中かのように錯覚したものだ。
ただ一人ミーナだけは、
「――しかしこんな、犬みたいな枷はどうにかならないものですかねえ? それに『囚人護送馬車』とはひどいではありませんか! まるで私が悪い事をしたみたいではありませんか? 裁判すら受けていないのに――」
などと檻の中でぶつくさ文句を垂れるのがなかなか止まらなかった。いくらおおらかな彼女でも、この扱いはさすがに不愉快らしい。彼女は今、人族の肉に牙を突き立てないよう口元を金網で覆うマズルガードを装着させられ、手首には手錠。胴体にも再び麻縄でぐるぐる巻き、と魔族相手にしか施されない厳重な拘束がされていた。
当然ながら武装解除の確認もした上だった。ただしこちらは、私達が最初にボスク山で出くわして捕縛した際に、辺境伯の下へ突き出すにあたってあらかじめ彼女の武器・装備・所持品は全て確かめてある。
没収したその武器のうちの一つを、ベレンガリアは馬車の屋根に腰かけたままひねくり回して眺めている。
「こんな短い槍は初めて見たぞ。役に立つのか? 魔族は変な物を作る」
ミーナの槍は、長さが私達の腰ほどまでしか無く、素人目に見ても槍としては極めて短い。穂先はスパイク状というよりは細い葉巻型で見慣れない。彼女が最初に会った時、片手剣のように佩いていた物だ。
「失礼な」馬車の屋根の下から、中のミーナが天井を叩いて抗議した。「それはターリィカといって我が国の魂の一つです。我が国は山の奥、森の中。長物は周りの木々につかえるばかりですから、短く作ってあるのです。それに、片手で持てば柄の長いメイスや刺突剣のように構えられるよう出来ていますので、ころころ持ち替えながら使うのですよ」
「確かに、横に寝かせた状態で眺めれば槍だが、立てて眺めれば棍棒そのものだな。不思議だ……」
ミーナ曰く、ターリィカという名前には「腰の物」つまり「腰ほどまでしか無い」という意味があるらしい。間近で見れば、柄の前半分が金属や麻ひもで補強されていて堅牢で、後ろ半分は持ち手としてよく磨かれた上で滑り止めも施されている。言葉に表すと槍のあり様としてはありきたりだが、その念の入れ方や設計思想や意匠など、そこかしこに文化や価値観、前提となる歴史の差異が表れているのが見て取れた。
「なんにせよ貴重な品だな。魔族独自に作られた形態の武器というのは、改造と違って案外少ないものだ。良い物を手に入れた」
「私の槍ですよ、エステパーナ! 逮捕術にも使うのですから!」
中でミーナがまた天井を叩き、それが屋根の上の私達の尻に響いた。〈エステパーナ〉はエステパーノの女性形らしい。
「逮捕術にも使うのか? 人族領でいう鎖槍のようなものか――そもそも魔族領に逮捕術があるのか」
ベレンガリアが我が国エシッド憲兵団の武器兼捕具の名を挙げて、腕を組んで首をかしげた。
逮捕術が存在するという事は、治安維持・鎮圧に国民の命を奪わない事が徹底して心がけられている事、第一にまず警察機能が軍事力から分化している事を示している。
「ゴラクリという地域は、我々の魔族領に対する認識に反して、相当文化水準が高い地域なのかも知れません」
私は顎に手を当て、これまでミーナを通して見てきた、彼女の国についての認識を改めて見返した。
まず国家というくくりになっている事が強大な魔族勢力である証だが、それに反して内情は人族の国家に極めて近いと思われる。少なくとも、私が家政婦に読まされた歴史書にあったような魔族領の支配体制――人族に対する隷属の暴力的強要――とは正反対の、秩序立てられたものであるとしか思えなかった。価値観もまた、他の魔族達も持たない彼ら独特のものを抱いているようだが、相当に人族社会と親和しうるかもしれないもののように聞こえる。目の前に押収されたターリィカは、二次産業や技術に関するその好例だ。習俗の面ではウンディーネ的な歴史的基盤の上に、これまた独自の文化を花開かせているらしい。そちらも人族から見て奇異というだけでなく、やはり魔族勢力圏の中でも特異なもののようだ。
興味を引かれる。これが私の本音だった。私は彼女の国にも価値観にも詳しくない。しかしだからこそ文句のつけようのない素晴らしい地域に聞こえるし、有用そうに見えた。
「我が国にとって大きな利益と幸福につながるかもしれません、ミーナさんが我が国に来た事は」
私は一人呟いた。
この声が、下のミーナには聞こえていたらしい。鉄格子越しに質問が返ってきた。
「あなた方こそ、どうしてここへ来たのですか? 何か仕事のようですが」
私は屋根から下を覗き込み、鉄格子の窓へ返事を投げ入れ返した。
「先ほども話しませんでしたっけ?」
「『冒険者』という言葉の意味が、私には分かっていないのですよ。いったい冒険者とは何です?」
「意外ですね、魔族なら一番接点がありそうなのに……冒険者というのは、金で危険な面倒ごとを請け負って解決する職業ですよ。遺跡を調査したり、野良魔族共をやっつけたりね」
「それは確かに、浮浪する放浪賊共――ここでは『野良魔族』と呼ぶのですか――連中にとっては一番身近でしょう。良い気味です」
「今日来た理由は、山賊退治ですよ」
私はこのミーナに、いっそ私達が受けた依頼について一切合切話してしまう事にした。ベレンガリアと目が合い、視線がいくばくかの懸念を訴えていたが、どうせこの魔族は監獄へ放り込まれてしまうのだし、それに事件にあんなに興味があるのだから、馬車が着くまでの間に話を聞かせ続けていれば、そちらに意識が行って万が一の脱走なんかも起きないだろう、という言い訳は十分に立つと思われた。
「先ほどのギャレット・デブナムさんがうちの店に来まして、辺境伯閣下の代わりに依頼をしてきたのです。山賊と目される活動の実態との調査。それが店から私達に差配されたという次第です。怪しい奴は見つけ次第積極的に斬ってくれ、なんて血気盛んなお言葉をいただきましたよ。
話によれば、まあ、根拠らしい根拠は目撃証言だけなのです。崖のそばを歩く怪しい人影。森の奥で密会をしているような話し声。山へ登った近隣住民が、血糊の付いた古い剣を拾っただの。被害らしいものも、今のところは特にこれといって出ていません。しかし、今このボスクーミェにはちょっとした犯罪組織のようなものの残党が未だに跋扈していて、それが山に潜伏している可能性は十分に考えられるのです。それに、一番の目撃証言というのはこういうもので――麓の森や山道を見回りしていると遠くに二、三人の蓑笠姿の男達が、山林の木々に隠れるように獣道を歩いていたのを見た。一目見て怪しかったのでそばの太い木の幹に隠れて様子をうかがっていると、剥き身の剣を振り回して歩くひどく汚れた風体の者達で、明らかに真っ当な者達ではなさそうな胡乱な様相を呈していた、と――これを見たのが、ギャレットさんらしいのですよ。こういう事があったので、震え上がったギャレットさんが閣下を説得して依頼を出す事になった、という話だったのです。ただご当地の憲兵によれば、みだりな入山は控える事になっているはずのボスク山に、何者かが頻繁に出入りしているのは事実らしいそうなのですよ。
辺境伯領の頂点に立っていらっしゃる方ですから、本当であれば兵くらい用意して山狩りもさせられるのですが、色々些末事が重なった結果、少々手が足りなくなってしまったそうで。跡継ぎの用意のごたごたとか、兵をちょっと戦地に送ってる都合とか――あの辺境の小さなボスク山に居座って山賊が及ぼせる被害もたかが知れていますので、外部委託という形になって、私達の店に話が来たわけです」
「なるほど。店、というと?」
「我々冒険者をまとめ上げる上役がいまして、アドベンチャーキーパーというのですが、そこが依頼主をかき集めては我々を斡旋しているんです。私達はその上役がまとめる冒険者斡旋業の店舗に所属している形になっています」
「興味深い業態です。傭兵というよりは何でも屋でしょうか? 我が国にはそのような業種はありません。しかし民間に山賊退治が委託されるとは? 我が国ではそれは水軍の仕事ですよ」
「水軍?」
「我が国では警察能力の広い部分を水軍が担ってるのです。我が国の領土は入り組んだ形状の山谷によって成り立っていますから、この網目状の渓谷を上り下りして警邏するのですよ。それで我が国を流れる河川は全て水軍の目が光ってて、変な奴はまず近づけません。私は実は水軍にいた時期が少しありまして――」
「捕虜はあんまりしゃべるんじゃありません!」
自国の治安維持機能についてミーナが得意げに語ろうとしていたのを、キーヴィエが強引に割り込んで押し黙らせた。
私はその顔を見ていささかぎょっとした。いつでも朗らかで陽気な、踊る村娘の絵そのもののようだったはずの彼女が今、私の横で顔を苛立ちで赤黒く染め、威嚇する狼さながらに鼻筋にしわを寄せて怒鳴っていたのだ。彼女のこのような負の感情をむき出しにした表情を見るのは初めてだった。
「アヴィさん」キーヴィエは今度は私に矛先を向けた。「どうしてそんな楽しそうにしゃべってるんですか?」
「楽しそう、というと?」
「どうしてそんな事出来るんですか!」
彼女は屋根の上でほとんど絶叫するように私を糾弾した。寡黙に御者役を務めていた衛視の彼が驚いて振り返った。いつも冷静なベレンガリアも、一党結成以来私同様に初めて見る彼女の形相に面食らっている。
「アヴィさん、どうしてこんなのに馴れ馴れしくできるんですか? 裕福な上流階級育ちで呑気に暮らしてきて、お金になるなら敵とも仲良しこよししても良いとでも思ってるんじゃないですか?」
「キーヴィエ――」ベレンガリアが彼女を落ち着かせるべく言葉を遮ろうとしたが、ひどく興奮しているキーヴィエは構わず私にまくし立てた。
「都合良く友達付き合い出来るとでも思ってるんじゃないですか? 分かり合えるわけがないじゃないですか、人族が、魔族と! 魔族はあたし達人族を奴隷にした。家畜にした。物扱いし続け、飼ってきた。殺してきた! 言葉の通じない、我々人族を食い物にして下に見る事しか考えてない連中と、同じ屋根の下で一緒にいられるわけないじゃないですか! その歴史を忘れたんですか? あたし達の中で一番そういうお勉強が出来る身分なのに? あなたは最低です! あたし達の国も、あたし達人族そのものも裏切った、愚かで頭の悪くてひどい裏切者です!」
私にはそのようなつもりは毛頭なかった。ただ単に、彼らの文化については良い物は良いと思っただけだし、今まで積み重ねてきた知識とは異なる知見を前にして興味を惹かれただけだった。魔族の奴隷・家畜として虐げられてきた我々人族の歴史を私も十分承知している。そこへ現れたこの気の良いミーナを前にして、私は彼女を黙って亡き者にするよりもおだてて使い続けた方が、国にとって利益になると思ったから、彼女に親しく接していたのだ。売り物に対して弾いた政治的判断だった。
しかし、その事を感情的になっているキーヴィエに説明して、納得してもらえるとも思っていなかった。たしかに私がしていた事は、人類の敵に対して友好的に、甘く、媚びるように見える行為だったのだ。歩み寄りなんてもってのほか、そこに付け入って何をしてくるか分からない。理屈は通じないどころか、それを曲げてくるのが連中なのだ。私は、顔を赤らめて涙目で睨みつけてくるキーヴィエに対して一言も返す言葉が無かった。ただ顔を伏せて恥じ入る事しか出来なかった。
「魔族から解放された奴隷がどんな気持ちで暮らしてきたか分かってるんですか!? あなたは――」
「一旦落ち着け、キーヴィエ」
私達二人の間に割って入ってくれたのは、私達一党のリーダーのベレンガリアだった。揺れる馬車の屋根の上を歩いてキーヴィエの後ろにしゃがみ、肩を叩いた。
「キーヴィエ、アヴィは良くも悪くも学者なんだよ。相手の打算とか悪意や害意には、知識としては周りより詳しい癖に感覚的には鈍いんだ――アヴィ、まあ、その、お前がミーナという魔族にこんなに接近したがるとは思わなかったが……多分、変に束縛しようとして反発されるよりはと思ってああしたんだろ?」
「……すみません。重大な事としてあらかじめ皆さんにオープンに相談するべきでした」
「まあ、使用人殺しにミーナのお守、色々あったおかげで良いタイミングが無かったのは仕方ないと思うがな」
ベレンガリアはまず私を責めて、キーヴィエの味方をして彼女を落ち着けてから、今度は彼女の方に優しく話しかけた。
「でもキーヴィエも分かってやってくれ。知識量や折衝があたし達の仕事での役目だから、知らない知識があればそこに目が惹かれるし、折衝できる相手に相対したらまず折衝で向き合いたくなるんだ。それが出来る事は悪い事じゃない、だろ? キーヴィエは経済とか法律とか分からないだろ。ましてやそれをいじくり回したり、組織が上手く物事をそう決定するように周りに働きかけたり、なんてのはやり方を想像も出来ないはずだ。あいつはあいつなりにそろばんを弾いて、一番あたし達の利益が大きくなるように動こうとした結果なんだ。
キーヴィエ、お前の気持ちも分かる。魔族の脅威を身近に見ながら育った、大多数の庶民の一人だ。だからあたし達の中でも魔族に対して一番、こう、生々しい思いを持ってる。ま、当たり前の事だよな。連中にしてやられてきたから連中の打算も肌で分かるし反発できる。損失が一番小さくなるように動く、良い意味で実利的なんだ。ただ、だからこそ私達はミーナを尋問したし、今こうして取り調べのために監獄へ送ってる。それは、国が敵の事を調べてよく知っておく事が、私達人族のためになるからだ。それで、有用そうで使って大丈夫そうなら情報源、あるいは二重スパイか何かとして使う気なのさ。ミーナにぺらぺらしゃべってもらうには、ミーナがあたし達に協力したいと思ってくれるのが一番なんだ。アヴィがしたのはそういう事なんだよ」
そう諭され、今度はキーヴィエがうつむいたまま黙っている。顔を上げ、潤んだ目で私の顔を覗き込むように尋ねてきた。
「……そうなんですか?」
私は黙ってうなずく事にした。これは私自身に対する戒めを込めての首肯だった。
ベレンガリアは続けた。「対立する属性を持つ者が、何かを被る事は善、何かを得る事は悪だと一律に考えてしまったんじゃ、相手を属性で判断するのに頼りすぎては駄目だ。調査能力は無いのでラベルに頼る、お前は良くも悪くも民衆らしい民衆だよ、キーヴィエ。あたし達は怒る前に一旦よく考えるべきだし、話し合ってから怒るべきだよな」
ベレンガリアは実に彼女らしい言葉で仲裁を締めくくった。許容出来ないものを前にして怒って反発するのは、当たり前の事なのだ。
私は彼女に対する尊敬の念を新たにした。敵の兵器を見て「良い物は良い」と受け取れるのと同時に、相手の打算も自分の打算も考えられる。目的を忘れず、「良い物は良い」が自分に向いた時・自分が持っている時を考えられる、素晴らしい兵法家だった。普段提案する作戦が収支度外視になりがちな点も含めて、良くも悪くも。
そう彼女に伝えようとした時、
「まあ確かに、私はトロールですからねえ。そうと知って私と馴れ合おう商売しようとする奴なんか、碌な奴ではないでしょうからねえ」
茶化すようにも自分を卑下するようにも聞こえる声でキーヴィエを援護射撃する声が、下から聞こえてきた。ミーナは今までずっと余計な口を挟まないようにしていたようだったが、話が落ち着いたと見るや再び私達に絡む事にしたらしい。
「しかし我が国は人族を尊重して暮らす事を決めた魔族の国であり、魔族を受け入れた人族の国。人族国家を脅かす気はありませんし、国是としても決してありえません。ですから自分の事は人族国家を発展させ、守り、他の魔族国家を打倒するのに使えばいいでしょう」
今までとは違う、どこか投げやりな口調だった。自分の命の行く末を思い、彼女も少しは傷ついているのかもしれなかった。
「キーヴィエさん、あなたの気持ちは分かります。しかし私も死ぬわけにはいかないのです。ゴラクリのためにもそうですし、私自身、正直に申し上げて死にたくありません。あなたの事は絶対に守りますから、どうか私が黙ってあなたのそばにいる事を、許してはいただけませんか?」
「……すぐには受け入れられませんよ」
「ではせめて、姓で呼ばせていただけませんか?」
この提案に、キーヴィエは固まった。
私とベレンガリアも瞬時に顔を見合わせた。キーヴィエは自分の事を、ミーナはおろか普段は仕事中は誰に対しても絶対に、姓を名乗らない。その理由を私達は知っているからだ。
「名字で呼ばせればいいではありませんか、私に自分の事を。あなたは私と距離を置きたがっている。魔族に馴れ馴れしくされたくないのなら、どうしてキーヴィエという下の名前だけを名乗っているのです?」
当然ながらキーヴィエは牡蠣のように口を結んで黙っている。彼女の代わりに、私が彼女を守る事にした。
「ミーナさん、キーヴィエさんは名前で呼ばれたいから名前だけを名乗ってるんですよ」
「ではこちらで勝手に姓を付けてお呼びします」
キーヴィエは思わぬ提案にきょとんとしている。
「……人族の言葉の姓を、あたしに付けようと?」
「あなたは人族ですもの。そうですね……黄色いボディスのお着物が素敵なので……〈黄色いボディスの〉キーヴィエさん。キーヴィエ・カヴラフビーさんとお呼びする事にしましょう!」
ミーナの妙にはしゃいだ声が、ガチャリという金属音とともに――おそらく彼女が手錠をはめられた手で人差し指を立てたのだろう――荷台の檻の外に返ってきた。「いかがです?」
「姓として変です。人族の一族の名前なんて、魔族にはつけられないですよ」
キーヴィエはそっけなく却下した。ウンディーネ族の姓は主に主格形か処格形を取るので、ミーナが提案したような属格の形をとる姓はほとんど無い。ただし当然ながらキーヴィエも、それが理由で拒絶したわけではないのに違いない。
ところが――次にミーナが返した言葉は、驚くべきものだった。
「しかし魔族の一族を名乗るよりは、この方が面倒が少ないのではありませんか?」
私達三人は、その返答の意味を理解して瞠目した。
ミーナはキーヴィエの姓がどのようなものかをすでに察していた。信じられなかった。キーヴィエ自身はもちろんの事、同じ一党の仲間である私とベレンガリアも、極力彼女が地方で仕事中に自身の姓を明かされたり察されたりしないで済むよう、上手く手を尽くしてきたつもりだったからだ。
「あなたは魔族の言語に由来する姓を持っている。我々魔族と近しい点があると思われたくないから私にも知られまいとしているし、自分の姓が元で揉め事になった事があるから取引先にも話していない。そうではありませんか?」
その通りだった。まさにミーナが言い当てた理由で、彼女はあまり自分の姓を明かしたがらない。
魔族系言語の姓の持ち主は、都市部でもそう多いものではない。しかし特別に珍しいわけでもない。魔族からの領土奪還などで解放された元人族奴隷達のうち、人族領という新たな環境で暮らす自信が無かった者達の中には、征伐軍の凱旋にカルガモ親子のように追随し、都市部へ流入する者も多かったからだ。
そのため、姓そのものには忌諱感が薄れている都市部で仕事をしている限りは、無用な揉め事にはつながらない。
しかし地方ではそうではない。野良魔族がふらりと現れれれば被害を直接受け、彼らの脅威に脅かされる事が身近な地方では、魔族に対する生々しい反発・敵愾心と共に暮らしている。魔族の仲間や家族と思われる者などは真っ先に排斥された。彼女の実家も、他の村人に気兼ねするように村外れに居を構えていたほどだ。そして都市部へ出て来た後も、衝突を避けるべく誰にでも自分を下の名前で呼ばせてきたのだ。
キーヴィエは険しい顔をして、足の下の鉄格子の窓を暗い目で見つめている。睨みつけているという風ではない。
「……いけませんか?」
「いけなかったら、あなたはさっさと改名をしているでしょう、エステパーナ・カヴラフビー?」
ミーナは大した事でもないように首を横に振った。
〈黄色いボディスの〉キーヴィエさん。呼ばれ慣れない呼び方に、彼女に居心地悪そうに体を揺すった。
「変な方です。私に、変な名前を付けて」
「あなたが我々の文化のせいで不都合を被っているなら、あなたはあなたの文化の土台に立つ言語の姓を名乗るべきですよ。それなりに考えて提案をしたのですが……へ、変でしたか?」
キーヴィエはこれに答えなかった。
「どうして分かったんですか? あたしの姓の事」
「あなたはそこのアヴィさんに、『魔族から解放された後の元奴隷が、どんな気持ちで暮らしてきたか』とおっしゃいましたねえ。分かりやすい奴隷的拘束についてではなく、解放後の話をなさったのが気になったので、現代の社会問題として身近な例があったのかと思ったのですよ。察するに、あなたは解放奴隷の末裔で、先祖のかつての主人の姓をそのまま受け継いでいる、という事なのでしょう。それが、地方では忌諱の対象である、と……魔族の私からは、その、何と言えば良いのか分かりませんが……」
キーヴィエは一言も口を聞かず、黙りこくっている。
「差支えなければ、どのような姓かお聞きしても?」
「……クヴェンシシキ、です。キーヴィエ・クヴェンシシキ」
キーヴィエは絞り出すような声で、自分の姓名を明かした。クヴェンシシキ。彼女の表情は、私が彼女から初めてこの名を明かされた時と同じだった。
ところがこの身を切る告白に、ミーナは失笑で返した。
「いやあ、失礼……申し訳無いのですが、私からすればキーヴィエさんは、あまりにも人族らしいお名前の持ち主ですよ」
思いもかけない反応が当の魔族から飛んできて、キーヴィエも私も、ベレンガリアも私達全員が彼女の言葉の意味を掴みかね、思わず開いた口で聞き返した。「……はい?」
「失礼ですが、キーヴィエさんは女性でいらっしゃいますねえ? 我々魔族領ではあなたの姓は、本来ならクヴェンシシキではなく、女性形のクヴェンシシサに格変化していなくてはいけません。私の姓はセルニャンキサですが、何も無ければセルニャンキキというところを、女性なのでセルニャンキサに変わっているのですよ。女性が男性形のままの姓を名乗っているのは、私からすれば奇妙な事です。あなたの名前は誰がどう聞いても魔族のそれではありません」
ミーナ・セルニャンキサはやれやれという風に肩をすくめた。
「そうそう、人族領では当人の性別によって姓の語形が変わらないのですねえ……そもそもクヴェンシシキという姓はクイーンジッチという人族領の地名が語源だそうですし、そのクイーンジッチという地名も女王の直轄領という意味だそうで、母系・女権制社会に移行した人族国家を強く彷彿とさせますよねえ」
「でもでも、こんなの、どう聞いても魔族の名前じゃないですか。これのせいで、あたし……」
「知らない方が聞けば、確かにそうですねえ。ではやはりあなたは人族の言葉の姓を名乗られては?」
ミーナは茶目っ気たっぷりにウィンクをして見せた。
その顔を、キーヴィエは場違いなものを見るような目でしばらく見つめていたが、やがて顔を上げ、
「……カヴラフビー、かあ……」
ぼんやりとした声で噛みしめるようにつぶやいた。
昼も過ぎて、太陽が傾き始めている。日の光の緩んで何とも言えない涼しさとなった微風の中を、護送馬車を牽く馬は変わらず遅くも速くもない足取りで石畳を蹴り、レンガ造りの平屋の小店が立ち並ぶ、王都に比べれば慎ましい大通りを進み続けている。
いつしかボスクーミェ領の市街地を横切り、街道へ抜ける手前まで到達していた。
そこで急に、御者が馬車の足を緩め始めた。
「失礼、ここで少々用事があるのでね」
御者役の衛視がそう言いながら手綱を引き、馬車を大通りの路肩へ寄せて停めた。
途中でどこかに立ち寄るという話など、私達は聞かされていない。
「用事とは何だ?」
私達を代表して、ベレンガリアが尋ねると、
「拾いたい者がいるのだ。そこのトロール以外にも送致する事になった奴らがいてな、もしかしたら相席という事になるかもしれん。そいつらを受け取るためにこの近くで待ち合わせているのだが……事前に伝えられなくて申し訳無かった。途中で早いところ伝えようとは思っていたのだが、そこのトロールはべらべらずっとしゃべってるわ、ウンディーネのお嬢ちゃんは真剣な話を始めて取り込み中になってしまうわで、どうにも話を差し込む隙が……」
と衛視は太い眉の端を下げて、ばつの悪そうに頭をかいた。
「それで、その待ち合わせているという拾いたい者とは?」
「重ね重ね失礼、神官殿。アーサー・モーストン大尉という方だ」
衛視が述べた名前は、私達の良く知る名前だった。モーストン大尉はご当地の治安を維持する憲兵だ。山賊退治の依頼を受けた私達がボスク山を調査するのに協力してくれたのは彼だった。
彼が指さす方には木立が見えた。ボスク山の山裾に繋がる雑木林は、市街地の境と接している。私達はここから雑木林の林道を通り抜けて入山したのだ。
雑木林の木立の陰から、手を振りながら一人の男が出てきた。日焼けした長身、引き締まった体を包む緑色の軍服、口ひげの豊かな中年のシルフの男。モーストン大尉だ。
彼は見た目通りの陽気な中年親父だ。明るく朗らかながらも、苦み走った顔立ちをしている――と言うと聞こえはいいが、実際には現場仕事と宮仕えの苦労が絶えないだけである。その心労ぶりは目の下を一目見るだけでいつでも見て取れた。
私達が馬車の屋根から飛び降りると、大尉は大袈裟に両腕を広げて笑った。
「やあやあ冒険者諸君! 事情は聞いているとも。大まかにだがな。大変だったなあ! 運命の出会いを果たしたお友達はこの中か?」
「これは大尉……ええ、そうです。全く反抗的な様子を見せませんよ、まるで紳士を乗せてるかのようです。大尉、山賊退治を手伝っていただきながら、このような事があったのに何もお声を掛けられず、失礼を――」
「何を謝る事がある? ちっとも気にしてないぞ。こんな大物を釣り上げちまったんだ、とてもこっちの方までは手が回るめえよ」
大尉はミーナを収めている護送馬車の荷台の檻を手で叩きながら磊落に笑った。大尉の寛大でさっぱりした返答には、私達一同は心の底から安堵するとともに、ありがたさのあまり申し訳無く思うほどだった。
「それで、状況は今どうなってんだ? さすがに山賊退治どころじゃあなかろう。辺境伯様のお屋敷で殺しがあったとなりゃあな。メイドだったか?」
「ええ、大変な事で。おっしゃる通りです、ええ――いや、『お屋敷』というよりは居城ですな」
「事実上、お屋敷だろう? ボスク・キープだったよな。小さい城だが今じゃあご隠居閣下の別邸。別邸って事はお屋敷だ」
「そうとも言えますね――メイド殺しの下手人が屋敷に残っていないか見回って、調べてくれと命じられまして。それに、この魔族の事もありますから……」
「なるほど、そっちの調査中を頼まれたのか。進捗のほどは?」
大尉がこうまで食いついて来るのは、本来ならば自分達が命じられるような事件だからだろう。領主の屋敷内での殺害事件、それも魔族が絡んでいる上に山賊という反社会的勢力による暗殺の可能性も浮かぶとなれば、立派な重大事件だ。
私は、一応閣下から直接調査を任されている以上、答えるべきか迷ってすぐには答えなかった。だが、ベレンガリアはそうは思わなかったようだ。
「屋敷内を見回った後、関係者全員から聞き取りをしました。閣下も含めて」
「ほほう! そりゃあ恐れ多い事だったなあ」
それから大尉はさらに踏み込んだ質問をした。「で? どうだい、実のところ、殺った奴の目星はついてんのかい?」
「まだはっきりとはしないが、あるいは辺境伯閣下が自ら手を下した可能性も考えている」
ベレンガリアは堂々と言い切った。何という事! 私は思わず声を出しそうになった。自らの依頼人にして貴人たるヴィルヘルム・フォン・クラム辺境伯を、あろう事か告発する可能性をにじませたのだ。
「なんだって? 滅多な事を!」
大尉の驚愕の声は、私の覚えた衝撃とほとんど同じものを代弁していた。
「どっ、どういう事ですかあ? ベレンガリアさん」
キーヴィエのがこの場で最もうろたえているように見えた。直前までのミーナとあれだけ突っかかっていたとは思えないほど愕然として、ベレンガリアと私と大尉、とにかく自分以外の誰かの顔をきょろきょろと落ち着き無く見回していた。ミーナはおとなしくしている。
私も私達のリーダー・ベレンガリアの発言にすっかり驚愕していた。しかし彼女は理由も無くこのような事を言い出したりはしない。
「あくまで可能性の話だがな。アヴィとキーヴィエにもちょいと私の推理を聞いてもらおうか。おっほん――」
ベレンガリアはもったいぶった咳払いの後、ここぞとばかりに人差し指を一本立てた。
「料理人のフーゴーの証言から、死亡推定時刻は早くとも死体発見の五分前だ。さらに扉の音の情報――バタンという音が一度だけ聞こえたというアレがある。被害者が洗濯か何かで出入りした音だとしたら、あの重い扉は一度ではなく二度大きな音を立てたはずだ。つまり、あの扉の音は被害者が往復した音じゃない。誰かが勝手口を通らずに外に出て、勝手口から入った音だ。あるいはその逆のな」
「つまり、そのような事をしなくてはならない事情のある人物――犯人の音だと?」
「多分な、アヴィ。根拠ならあるぞ。少なくとも被害者のエデラ・バリモアは事件直前に出入りをしていないという証拠を、我々は掴んでいる」
ベレンガリアは堂々と胸を張った。しかし私は、その証拠とやらに中々思い至るのに時間がかかった。
私が手掛かりの山の中からその証拠を見つけ出すよりも先に、護送馬車の中からミーナに合いの手を入れられてしまった。
「焼却炉、ですねえ。料理人は被害者が使ったと思い込んでいましたが、実際には焼却炉は熱を帯びていなかった」
「その通りだ。私が肘を乗せてもたれかかれるくらいにはな。丸っきり冷めていたよ」ベレンガリアは馬車の方を振り返り、我が意を得たりとばかりに言った。
「仮にフーゴーが犯人なら、こんな嘘をつく意味は無い。現場の真横には階段があるからだ。誰かに罪を擦り付けるためでも、開閉音を立てずに現場を行き来出来る経路があるのに、それ以外の出入りを強調したところで蛇足な矛盾を生むだけだろう。そもそもこういう嘘をつく事自体、そこまで疑いの目を逃れるのに効果的だと思えない。階段を上り下りする足音がしたと言う方が無理が無いはずだ。扉の開閉音が聞こえたという証言は信用していいんだろう」
「とすると、下手人は料理人ではない? それで閣下の仕業だと? 執事のギャレットもいるぞ」
大尉は両眉をひそめたり片眉を上げたりして聞き返した。
「もちろん執事のギャレット氏の可能性もある。だがギャレット氏は、辺境伯から用事を預かって何度も外出していた。一方で閣下はずっと部屋にこもっていたと証言している。ここで考えるべきはわざわざ勝手口から出入りした事だ。自分の犯行を見られうると考え、他の誰かと鉢合わせないために階段を使わなかった。犯人は外壁のレンガに手足をかけ、ヤモリのように壁に貼りついて上り下りし、地上の勝手口と二階の窓の間を登攀して行き来した可能性がある!」
ベレンガリアは両手を前へ上へ突き出して壁をよじ登る身振り手振りをしながら、胸を逸らしてしたり顔で大見得を切って見せた。犯人の思わぬ移動経路、劇的なトリックの登場で「おお」という声が何人かの口から漏れた。
私も彼女の大胆な予想に驚いていた。勝手口を調べている時、私もボスク・キープの外壁を見上げている時に壁をよじ登れる可能性は考えていたが、彼女も私と同じ思い付きをあの焼却炉の前で発想していたのだ。ただし私と異なるのは、その思い付きが推理によって形となり、説得力のある一つの仮説として完成させていた事だ。
「状況から見るにとっさの犯行だろうから、復路での事だろう。我々は普通の動物とは違う。妖精界に住む妖精なのだ。運動不足でも羽を使えば壁の半分くらいは安全に上り下りできる。ギャレットがご主人様から賜った命令をこなす途中でこっそりと、あるいは部下の東奔西走を知っている閣下がギャレットとの鉢合わせを避けるため、こんな真似をしたのだろう」
という推察で、ベレンガリアは自らの推理を締めくくり、自分の言葉に満足げに頷いた。
しかし、
「いや、いや! そんな馬鹿な話は成立しませんよ! その推理は的外れそのものです!」
それまでずっと静かだった護送馬車の中から、急に抗議の声が割って入ってきた。さらにがしゃがしゃと馬車の鉄格子がけたたましく鳴ったので、私達が驚いて馬車の方を見ると、ミーナが手錠のはめられた手で鉄格子を掴んで揺すっていた(手錠の鎖が鉄格子に当たった音だったようだ)。
「穴だらけそのものです。私ならそんな支離滅裂な話をこれぞ真相なりとばかり言いふらして、自ら恥をかくような真似はしませんねえ! その論理が成立しないと言い切れる理由を、私は五つも挙げる事が出来ますよ!」
鉄格子越しにミーナは、大袈裟に肩をすくめて首を横に振って見せた。
「お前達のお友達には不都合なご明察だったようだな」
大尉が歯をむき出しにして笑いながら護送馬車の窓まで近づいていき、鉄格子を乱暴に叩いて威嚇的な音を鳴らした。
「魔族風情が、この神官殿の言葉がおかしいって言うのか? その人食い以外に能の無い口で、人族を論破する気だって? やれるもんなら見せてもらおうか」
「お初にお目にかかります」職務柄魔族には高圧的に接する大尉に対しても、ミーナは律儀に挨拶をした。「ええ、ではお言葉に甘えて、ベレンガリアさんを説得させていただきましょう……その一、閣下も執事殿も、外壁に張り付いてロッククライミングなんか出来る体ではありませんよ!」
あっ、と私はまた声が出そうになった。なんと間抜けな見落としをしていたのだろう。閣下が付いている杖を、私は上流階級のたしなみとして見過ごしていた。しかし死体が発見され事件現場に彼が駆けつけてきた時、彼は脚を引きずっていたではないか。それにギャレット氏に至っては、屋敷に勤めて五十年になると語っていた。それならどれだけ若くとも七十歳は越しているはずだ。若く見えても壁にしがみつくのは困難な行為だろう。
「そもそも、先ほど大尉がおっしゃった通り、閣下の別邸になっているボスク・キープはあくまで小さな城。城塞の窓は我々が拝見した通り、敵兵士が侵入できないよう通り抜け出来ないほど狭くするものです。通れるかどうか分からないし、よしんば通れたとしても幅はギリギリで、そのような行為は運動が得意な者が辛うじて可能な程度と見ました。ましてや、ここの屋敷の者では相当難しいでしょうねえ。第二の穴は、ロッククライミングなどせずとも正面玄関からも出入りが可能な事です。勝手口から正面玄関までぐるりと迂回する事も可能なはずです。ギャレット氏の当時の動きもはっきりしないそうです。ですから外壁を使ったかどうかは現状、検討する意味がありません。その三、執事のギャレット・デブナムが殺したのだとすれば、凶器は何でしょう? 突発的な犯行と見るなら、凶器は用意されていなかった事になりますよ。柄に血の付いたモップなどがあれば、きっとキーヴィエさんが見つけています。閣下だった場合は恐らく杖ですが、なぜあれだけ使い慣れている短剣がとっさに出ず、杖で殴る羽目になったのでしょう? この点に答えが出せていません。告発あるいは弾劾にはまだ不十分です。その四。何より、ベレンガリアさんの推理はレアケースの存在を提示する事しか出来ていません。犯人を絞り込めていないのです。その五は、細かい点ですがフーゴーが仮に犯人だった場合、扉の音を聞いたという嘘を言う必要が無いという主張です。これについて――」
「待った。その、ミーナ。悪いんだが――」
ミーナの立て板に水の反論を、ベレンガリアは気まずそうに遮り、
「最初からその第四の穴なんだ。つまり、可能性を提示しただけなんだが……最初にそう言わなかったか? 辺境伯閣下に軽々と嫌疑を向けるわけにもいかない。見た目以上に難しい事件になるかもしれないという事を憲兵隊に分かってもらう必要があったのであって……」
と困り顔で流した。
「……おっと。そういえばそういう話でした。これは失礼」と、今度は口をすぼめておとぼけ顔になったミーナ。その顔は、つい先ほどまで彼女が指摘の鋭さを見せてきただけに非常に滑稽に見えた。ミーナは肩をすくめ、「事件解決を焦って気が急いたようです。お見苦しい真似をしてしまいました、ベレンガリアさん、それに、ええと――」
「アーサー・モーストンだ。ボスクーミェ辺境伯憲兵隊、大尉」
「アルタルド・モルトーン大尉、これは大変失礼を……このミーナ・セルニャンキサ、捜査に協力を惜しみませんよ」
「アルタルドじゃない、アーサー・モーストンだ――なあ、このお友達、なんで人族の事件にこんなに協力したがってんだ?」
大尉は、護送馬車の中から事件解決を目指す熱意ある議論になぜだか加わったミーナを、まるで使い道の不明な外国製の珍品を眺めるバザーの客のような目で訝って眺めながら首をひねった。
私は彼女について、これまでのあらましを簡単に大尉に説明してやった。聞き終わると彼は長い口笛を吹いて両手を広げた。「信じられない!」
「しかし大尉、見たところ彼女は本当に事件を解決したいと思っているようですよ。祖国では特殊警察のような事をしていたそうですしね。もしもゴラクリという国の兵士が全員ああなのだとしたら――」
「ゴラクリ! オレたちの、きらいな、ヤツ!」
突然私の言葉を遮って、耳障りな甲高いだみ声がたどたどしく響いた。声は大尉の足元からだった。二人の小柄な魔族が、麻縄でぐるぐる巻きに拘束されて地面にへたり込んでいた。
「諸君から身柄を預かってた、ネズミ共さ」
ミーナと会う直前に私達が返り討ちにして捕まえて拘束したボガード達だ。私は連中の事をすっかり忘れていた。
今の今まで彼らはずっと大尉の足元でうなだれた格好のまま黙りこくっていたようだが、どうもゴラクリという言葉に反応して顔を上げたらしい。
「おまえ、これ、ほどけ! はなせ!」
ボガード達はぎゃあぎゃあとわめき出したが、そこへ大尉がすかさず二人の脳天へ拳骨を食らわせたので、再び力無くしょげてしまった。
「護送馬車をちょっと停めてもらったのは、こいつら二人を護送馬車に収容するためのさ。そこのミーナとかいうのと一緒に監獄にぶち込んでやる事にしてね。普段ならそこまでしねえんだが、ほら、お屋敷で殺しなんてただ事じゃねえから、関係あるものはみんな念のためってわけだ」
「つまり大尉、こいつらに何か尋問は、まだやってないわけので?」
ベレンガリアが大尉に、へたり込む魔族二人を横目に見ながら尋ねると、大尉は顔をしかめながら答えた。
「いや、したよ。昨日今日どこにいて何してたかぐらいは聞けた。でもこいつら自分の感情でしかものを考えねえから、意味の無い嘘ばっかりつきやがって、無駄に時間がかけさせるのなんの……それで檻の中で何の情も無く淡々と質問攻めにしてやるか、バリバリに責め抜いてやる方がかえって早いだろう、ってのが本音なのさ」
大尉がしゃべっている途中でボガード達の頭を小突いたので、それが刺激になって彼らは早々に復活し、再び耳障りにわめき始めた。解放しろ、この役立たず! 人族のくせに恥知らずだ! オレ達を見下すなら殺すぞ! お前、きっとゴラクリとかいう畜生の仲間だな! たっぷり謝らせてから食べてやる、餌野郎――あまりにも身勝手であさましく、聞くに堪えない。私も顔をしかめていた。
「ではエステパーノ・モーストン、そこの野良魔族に対する尋問の成果を、簡単に共有願えませんか。この場で済ませてしまえば、あるいは新事実によって私かコイツらのどちらかを護送馬車で送る必要も無くなるかもしれません」
「と言うと?」
「コイツらと一緒に馬車に乗せられるなんて、まっぴら御免です! 絶対に喧嘩を吹っ掛けられると分かっていて、黙って乗せる理由なんかありませんねえ!」
ミーナが無自覚に二人のボガードを挑発したところ、彼らは売り言葉に買い言葉で罵倒をおうむ返しし、勢い余ってそれぞれドレッバ、スタンガと名乗った。
ドレッバとスタンガの暮らしぶり、生態は他の野良魔族と大して変わらなかった。ほとんどの野良魔族は放浪生活を送っている。山の中、森の奥、洞窟のそば、廃屋の陰、人族社会の目の届かない所に身を隠して暮らしていた。弱気をくじき、強きを避けるか、どうしてもやむを得ない時には媚び、欲しい物があれば堪え性無く盗むか奪うかして用をなす。そのような恥ずべき生き物共だ。自ら何かを作ったり、他の集団と信頼関係を築いたりする力はほぼ無い。略奪のみで生きている。たいていは四、五人以上、多い集団では十五、六人の群れで生活する。人族が身をやつしてなる山賊と一見似ている暮らしぶりだが、大きな違いがある。それは、山賊がたいていどこかに拠点を持つのに対し、彼らは定住生活すらなじみが無い事が多いという事だ。
ドレッバとスタンガの二人もその例の一つだったそうな。しかし彼らの場合は、元の群れを何らかの諍いの結果追い出され、現在は二人だけで暮らしているのだった。
ボスク山へたどり着いたのは、事件前日の事らしい。南西の山々からザモクラツケ高地を昇ろうとした時、
「アイツら、かわのうえから、ふねでおりてきた。オレたちをみつけて、でていけ、でていけっていった! 『ゴラクリのすいぐん』っていうなまえの、ひどいやつがいっぱいだった!」
ゴラクリ水軍の警備兵に見つかったのだという。巡視船は事実上の国境にあたるイアルハラン川を巡航中で、水兵達は不法入国者を見つけるとすぐに船を岸に付けて飛び降り、片手槍ターリィカを振り回して彼らを追い回した。おかげで二人はやむなく、踵を返してザモクラツケ高地から撤退する事を余儀なくされた。
「そこのやつ、そのときの『ゴラクリのすいぐん』と、おなじなまえだし、おなじふく、きてる!」
それでドレッバとスタンガの二人は、ミーナの口からゴラクリの国号が出てくるやにわかに目の敵にしだした、そういう事情らしい。
こうしてボスク山へ下りてきたのが、事件前日の深夜の事だった。彼ら野良魔族には、夜行性の種族の群れも多い。夜を主な活動時間帯とする野良魔族は珍しくない。二人がそうだ。
ドレッバとスタンガがボスク山を降りる時、月と星の光が森林の厚い枝葉の層を辛うじてわずかに漏れている程度の明かりしか無く、ほぼ真っ暗といって良かった。しかしボガードもまた、その微細な光を目の中で増幅して感じ取れる、数多くいる夜目の利く種族の一つである。二人は夜の山を歩くのに困りはしない。
その暗闇の中に突然、炎の灯りが木立の隙間から目を射したので、彼らは眩しさで驚かされた。お互いに自信家気取りだがその実とても臆病な彼らは、ほとんど本能的に身を木の陰に隠し、光が揺れる方を覗き見た。
光はレンガの瓦礫の隙間から発せられていた。彼ら曰く、それは人族が作ったぼろぼろの廃墟で、肝心の屋根が落ちており、風雨を凌げそうになかったので、一旦は通り過ぎようとしたらしい。廃墟は、壁の方はまだ崩壊していなかった。風化の著しいところでも低木ほどの高さまでは残っており、高いところでは彼らの矮躯の三倍の高さはあったという。話を聞くに、おそらく二人が見たのはあの防塁要塞の残骸、ムールヒアル線の廃墟の中だろうと私は思った。
そこでドレッバとスタンガが見たのは、ランタンの灯りに照らされた、人族の二人組だった。人族二人はムールヒアル線跡の防壁の陰に隠れるように立っていた。少し離れて立っていたので、ドレッバとスタンガはあまり仲が良くないのではないかと思った。そこで耳をそばだてていれば口喧嘩の一つでも盗み聞き出来るのではないかと思って耳をそばだてていたが、彼らは小声で話をしていたのか、結局何も聞き取る事は出来なかった。種族柄夜目の利くドレッバとスタンガは、暗い中でも彼らの服装をはっきりと目にする事が出来た。片方は、焦げ茶色で丈の長い地味な外套に身を包んでいた。襟を立てた上で帽子も被っていたので、顔までは分からなかった。耳も良く見えなかったが、少なくともリザードマンではないようだ(サラマンダーと言いたいのだろう。サラマンダー族は人族の仲間で、火を操る。直立した大トカゲの姿をしているが、顔が少しドラゴンっぽく、毛も生えている事がある。そもそもリザードマンは魔族だ。)。もう片方の服装については、二人の魔族は上手く説明出来なかった。彼らは腰蓑以外の衣類を知らないので、見慣れない人族の衣服を形容する言葉を持っていなかったからだ。そのため詳しい風体は分からなかった。しかし上下に分かれている事、ジャケットらしきものを着ていた事、染色による派手な水玉模様を見ている事、金属部品のような物々しい意匠は無かった事などから、おそらくは街着の類の上から野伏用の登山蓑を羽織って山を登ったのではないかと思われた。水玉柄の男は登山に向かない格好で山に臨む無謀を犯す一方、登山用の杖を持っているのを二人に見られていた。知識はあるが常識は無い男らしい。魔族の二人は、水玉柄の男が武器を隠し持っているのを種族柄ゆえか目聡く発見していた。柄と刃の長さがほとんど等しく見えた事や、中央に鍔の代わりとして紡錘形の膨らみがあった事から見て、ウンディーネ風ダガーの一種であろう。水玉柄の男は外套の男としばらく小声で何か話していた。その途中で歩み寄って何か薄い物を外套の男から受け取った後、水玉の男が先にムールヒアル線跡を離れた。その際、二人が陰に隠れている樹からやや離れたところを通って、山を下りるように去っていった。外套の男はそれを見届けた後、地面に転がる瓦礫のいくつかを両手でいじくり回すような行動をとった後、ランタンを持って逃げるようにその場を後にしたという。外套の男が去った方向は、水玉柄の男が下りた方向とは全く異なる方向だった。かといってボスク山を登っていくわけでもなかった。
「うえは、ゴラクリのやつ、いっぱいすんでる」そこまで供述した時、二人はゴラクリの水兵に追いかけ回された事を思い出したのか、まるでたった今そうされたかのように怒りを勃発させだし、
「そこのやつが、オレたちをだますために、わざとやまをおりた! オレたち、みた! オレたち、だまされない!」
鉄格子の中のミーナめがけて口汚く罵り出した。これが大尉の言っていた、感情でしかものを考えない結果の意味の無い嘘、という奴なのだろう。ベレンガリアは顔を露骨にしかめていたが、すぐに親身に聞き入っている風の表情を取り繕ってから、
「なるほど。お前達二人が山で夕べ見たのは、どちらも男。そしてその内の一人が、その檻の中の詰襟。そうなんだな?」
「そうだ! そいつがぜんぶわるい! だから、なわ、とけ!」
「檻の中にいるアレはミーナといって、女だ。アイツなものか。お前らの気分と都合だけでものを話すなよ」
一転して、叱りつけるように魔族二人へ言い放ってやったものだった。
自分達の信念を頭ごなしに否定されたドレッバとスタンガはまたもや喚き散らしだしたが、また大尉が今度は二人の首を絞めて黙らせた。
二人は、証人としてはほぼ全く信頼のおけない人物なのは明白だ。しかしその証言の自体は非常に示唆的で、もしも事実だとすればとても価値のある内容だった。
二人の魔族の気持ちなど何ら気にする様子の無い大尉が言った。
「もしかしたらこの魔族共が見たのは、山賊共が取引をしてるまさにその瞬間だったのかもしれないよな」
私達三人は大尉の見解に全く同意見だった。
「それか、例のメイド殺しの方に関わってる話かもしれません」
「そうだな。冒険者諸君、コイツらをふん縛ったのは大正解だぜ、全く。これでも閣下のお屋敷での殺しの重要参考人だからな。こんな木っ端魔族を、監獄までわざわざ連れて行くとはなあ」
そうつぶやきながら大尉は、絞殺されかけて息も絶え絶えのドレッバとスタンガの二人を繋いでいる縄を引っ張って、彼らを無理やりに立たせた。
それを合図にして、今までずっと御者台の上で待機していた衛視が馬車を降り、護送馬車の錠前に鍵を挿して扉を開けた。
「そら、乗れ!」大尉が有無を言わさぬ調子で怒鳴り付け、二人の魔族に護送馬車へ乗るよう促した。
これに動揺したのが護送馬車の中に元からいたミーナだった。彼女の歪めた表情からして、二人と同じ馬車に同乗するのに強い拒否感を覚えているのは明らかだった。
どうしても彼らと一緒にいたくないミーナは体良く食い下がった。「大尉、もう少しだけ送致を待っていただけませんか。私からも彼らに二、三質問したいのです」
無理なお願いだったが大尉はミーナに許可を出し、魔族二人の縄を引っ張って立ち止まらせた。
「感謝します、大尉。では、ドレッバとスタンガといいましたか。あなた方が見た二人の人影というのはどのような姿だったか、体つきについては詳しく覚えていませんか? 例えば……そう、本当に女ではありませんでしたか?」
「ちがう! ゴラクリのやつのいうことは、いつもまちがってる。女じゃなかった! オレたち、みてたから、ちゃんとわかる!」
ドレッバとスタンガはつい先ほどまで自らが主張していた内容も忘れて、まるで最初からそうだったかのように大きく頷いて見せた(言うまでも無く、私達三人と大尉は呆れかえっていた)。
「なるほど…‥何か変なものを持っていたりは? あるいは、お腹が出ていたりは?」
「そんなこと、なかった! おまえ、オレ、うたがうのか?」
「いえいえ、そんなつもりは! とても興味深かったので、ついついいっぱい頼りにしてしまったのですよ。本当にありがとう。
ところで事件とは全く関係無いのですが、ずっと直接言って聞かせてやりたいと思っていたのですがねえ、あなた方は自らの論理の整合性の担保というものを、自らの信念のみに負っている。事実関係というものを全く軽んじるその姿勢は、第三者的・定量的な視座に立っていません。はたから見れば他者を顧みずに動いているようにしか思えないでしょう」
「……なんだ? もしかしておまえ、バカにしてるのか?」
「ええ。身勝手な者には、心底」
ミーナは彼女らしからぬ軽蔑の表情をにじませた微笑みを皮肉ったらしく浴びせた。
おかげでドレッバとスタンガは今までで一番激しく喚き散らし、憎悪という憎悪をこれでもかと発露し、喉が張り裂けんほどに騒ぎだした。大尉はレイピアを抜いて剣の腹でドレッバとスタンガの頭を殴打して三たび黙らせようとしたが、今度は二人の自己中心的な憤怒の炎の方が強く、全く収まる様子を見せなかった。結局彼は二人の縄を引っ張り、言う事を聞かない犬を無理やり犬小屋に繋いで押し込むように護送馬車の檻へ収容せざるを得なかった。
「おまえたち、ゆるさない! おれたちをおいかけまわして、ばかにして、とじこめた! おまえたちも、ころして、くってやる! ぜったいにゆるさない! ころしてやる、ころしてやる!!……」
檻の中に押し込められたドレッバとスタンガは、護送馬車の扉が閉められ、そして走り出してからも、ずっとわめき続けていた。出発した護送馬車が遠く離れて、ようやく彼らのわめき声は聞こえなくなった。
ところで、この時ミーナは、あたかも大尉が二人を護送馬車へ入れる邪魔にならないように脇へどいたふりをして、さり気無く檻の外に降りていた。
大尉が護送馬車の扉を勢い良く閉めて鍵を掛けた時、彼女は体を小さく縮めて私達三人の後ろに隠れており、気付いた時にはすでに御者役の衛視が鞭を振って、護送馬車が街道めがけて走り出してしまっていた。
「――なんで降りてるんだ、お前!? おおい、戻れ! 戻って来おい!」
ベレンガリアと大尉が慌てて手を振って馬車に向かって叫び、すばしっこいキーヴィエが急いで走って馬車を追いかけたものの、距離があまりに離れてしまっていて声も彼女の足も届かず、御者役の衛視は見送りと勘違いして手を振り返してそのまま行ってしまった。
馬車が去った後に風だけが吹いているボスクーミェの町の道路の真ん中で、私達冒険者と憲兵隊の大尉の四人に混ざって、魔族のミーナが平然と立ち、頭を手で押さえたりなどしている。
「やれやれ! ああいう余裕の無い自信家とは情の無い態度で事務的に接するか棒で叩くしかない、とはよく言ったものですねえ。野良魔族は身勝手な事ばかり言う……」
当のミーナは、よほどドレッバとスタンガの二人と一緒に乗りたくなかったのか、間一髪難を逃れたという風にため息をついているので、大尉は彼女の両肩を鷲掴みにして怒鳴った。
「お前え! なっ、何を勝手に馬車から出てるんだあ! 俺はそこの冒険者諸君と違って閣下に仕える憲兵だぞっ、何かあったら俺が牢屋に入れられるんだぞ!」
「気にせず前へ進みしょうよ、大尉。私は悪い事なんかしていませんし。それに、この事件をほったらかしにしてここを後にするなんて、私にはとても――」
「お前の都合も気分も知るか! ただでさえ憲兵隊は領に潜伏中の犯罪組織の捜査でいっぱいいっぱいなんだぞ!」
ミーナがわざとらしく肩をすくめてぬけぬけと言うので、大尉はさらに唾を口角から飛ばして叫んだ。しかしどれだけ彼がミーナの脱走を大声で嘆いたところで、護送馬車はもはや戻ってこないのは明らかだった。大尉はとうとう観念し、目の前で彼女が厚かましく立っている事を受け入れた。
「……まあ、行っちまったものは仕方が無い。この詰襟女は後で俺が責任もって送り届けよう」
「それが良いですな」ミーナはぬけぬけと言った。「その間に捜査を進め、犯人を捕まえなくては――閣下に約束してしまいましたもの! エステパーナ・エデラ・バリモア嬢を殺した下手人を捕らえると! この下手人にはどうあっても、私の司法取引の良い交渉材料になっていただかなくてはいけないのに――」
これが彼女の脱獄の動機だったようだ。おそらく、人族領で起きた事件を自分が解決してみせる事で、人族領の官吏・司法にとって自分が有用で友好的であると思ってもらい、その功績を盾にお目こぼしにあずかろうという腹積もりでこの事件の捜査に臨んでいるのだろう。そう考えれば、もしも仮にこのまま馬車で監獄へ連行されれば最後、そのまま斬首刑なのは目に見えているので、現地の官憲を煙に巻いてでも手柄を立てんと躍起になるのも、法的にはとても褒められた行為でないのはもちろん、心情だけならさもありなんというところだった。
大尉はミーナと、彼女が逃げないように腰紐を握っていた私達に向かって、なげやりな手招きをして付いて来いと言った。大尉は一旦彼女を、憲兵隊の詰所の拘留場に彼女を押し込んでおく事に決めたらしい。その道中は馬車が行ってしまった今、そこまで遠いわけでもないため、徒歩だった。少し歩いた先に、通りと別の道が交差する十字路がある。詰所のそばにあり、通行量の多い日本の道をいっぺんに見張れるようになっているそうだ。もちろん私達はそこまでの道のりの護送のための護衛としての役目を再び果たす事になった。背の高いミーナがトロールらしく巨大化してさらに体を大きくすれば、力づくで大尉から逃げられそうなものだったが、彼女は今度は反抗的な態度を見せる事無く律義に連行されていた。
その道中、両手に手錠のミーナは、脱獄事件など最初からなかったかのように大尉に尋ねた。
「ところで、その犯罪組織というのは? それは山の中で活動する事はあるのですか?」
すまし顔の裏で尻にスパイ防止法という火の付いているミーナには、人族領で耳に入った事なら何でも、それこそ大尉が一瞬口走った言葉でさえ、今回の事件と結びつけて考え、手掛かりになりえるか検討する必要があった。つまり、山賊の正体がその犯罪組織なのではないか。ひいては、その詐取に生前エデラが巻き込まれた。そういう可能性だ。しかし大尉はかぶりを振った。
「――馬車が戻ってくるまでの間、推理ごっこに付き合ってやるとするか――連中がそんな事するとは思えねえなあ。今は首領が詐欺師だしな」
大尉によればその犯罪組織というのは、主に王都で活動しており、かつては恐喝や強盗などの暴力的犯罪を働いていたが、現在では彼らの闇の事業の主軸を詐欺行為に移しているという。
「『おうと』というのは?」とミーナ。
「王都というのは、我がエシッド王国の首都、エシッディアの事だ」
「ああ、なるほど。失礼、それでその犯罪組織の――主に詐欺行為でしたか。その手口とは?」
「詐欺に留まらず、悪い事ならなんでもやる手合いさ」
彼らは目立った活動・主な収入源こそ土地・不動産の空売り、贋作の美術品の制作、実体のない爵位・身分の売買に、嘘の投機の話を持ち掛けたりと言った詐取が主だが、それ以外にも手を出している事業は恐喝・密輸・偽札作り・営利殺人の幇助に至るまで多岐に渡る。一説によれば、彼らは外国系の犯罪組織の後援を受けており、それが経済的基盤や暴力の後ろ盾になっているとも言われている。
「だから連中なら、ケチな山賊なんかしねえんじゃねえかな。今まで通り詐欺をするとか、あるいは山賊なんぞよりももっと儲かる犯罪に手を染めるだろうよ」
それが、大尉が彼らと山賊行為を結び付けない理由であった。
とにかく、そのような危険な組織であるため、王都の治安を守る国家憲兵隊が本腰を入れて摘発に取り組んでいた。そしてそれが功を奏し、少し前に絵画の贋作師をきっかけに大規模な検挙に成功した。さすがに全員を逮捕するまでには至らなかったが、残党達もしばらくの間は恐れをなし、おとなしくしていたらしい。
「ところが最近、残党が息を吹き返してな。また活動を再開しやがったらしい。おそらくはロン・クレイっていう悪党が中心になって、悪辣な香具師共をかき集めてまとめ上げたのだろうと国は見てる」
ロン・クレイという男は王都では有名な詐欺師で、悪い事なら何でも手を出してきた根っからの悪党であるそうだ。あまりに口が上手いために、貴族にも大商人にも大胆に接近し、食い物にしてきた。さり気無く身分を偽って近づき、なんて事無さそうな事を囁いて、金を出させる。しかし気づいた時には奴は大儲けをして消え失せた後で、後はみんな泣き寝入りばかりになってしまうのだという。それでいて今まで尻尾を出してこなかったのは、生来の疑り深さに加え、都合の悪い者は皆その場で殺害してしまうという残忍な一面のおかげでもあり、それがロン・クレイという男が恐れられ、ある種の有名人となっている理由でもあった。悪運も強く、王都での先の捕り物の時も、どうやってかは不明ながら、器用に逃げおおせてきたそうな。
「当然、そのロン・クレイは国家にゃ死ぬほど目を付けられててな。国中の憲兵隊や衛視や領主の騎士団はみんな、目下この悪党だけはとっちめなければっつって目を皿にしてたのさ。おかげでここんところは身動きが取れなかったのか、ずっと目立った動きは無かったんだが……それがこの前、王都の国家憲兵団から早馬があってな。このロン・クレイの顔を、ボスクーミェ行きの乗り合い馬車に乗っているのを見たっていう情報が出てきやがった。あのロン・クレイめがこのボスクーミェに潜伏して、何か悪い儲け話してるらしいっつうのだ。そういう情報共有があったのさ」
もちろんこの情報は、犯罪組織がボスクーミェに拠点を作り、そこで再起を図っている事を意味している。往路の国家憲兵隊によれば、どうもロン・クレイは手口を変えたように思われた。というよりも、今後は表舞台に出る事を避け、裏で他の詐欺師と繋がって何か別の悪事をしようとしているのではないか、という推測がされていた。
「おまけにそいつは詐欺じゃない別の犯罪行為らしい。密輸、組織的窃盗、さっき言った贋金の印刷、あとは前科で言えば営利殺人の幇助だって可能性としちゃああるのだが、具体的にここに来て何をしてるのかはまだ分かってねえ。だから善は急げ、さっさと調べて組織が大きくなる前に叩きたいところだったんだが……」
そこへ私達が請けた山賊退治依頼の手伝いの雑務が挟まり、それがきっかけでミーナという特大の魔族が現れ、その直後に辺境伯領の別邸で殺しまで発生した。これじゃあ調べたくても手が回らねえじゃねえか――大尉の顔にはそうはっきりと書かれていた。
「ただ、山賊退治の依頼を出した途端に閣下のお屋敷でメイドさんが死んだ、ってえのはいただけねえ。こうなると何が関係あるのか分からねえもんな」
それで大尉は、現状事件と何の関連性も見出されていない犯罪組織についての情報を、身分は当然として態度も慇懃無礼で疑わしいミーナも含めた、私達四人に向けて共有してくれたらしい。
大尉の話を聞き終わった後、私はなんだかんだ言って寛容な彼に心の中で感謝しながら、その巧妙な詐欺師の名前を口の中で反芻した。ロン・クレイ。そして彼が残党をまとめ上げ再び蘇らせたという犯罪組織――たった今初めて耳にしたこの一味は、今回の事件に関わっているのだろうか? 残念ながら私には考えがつかなかった。
私はミーナの方を見た。ミーナはロン・クレイの一味の話を聞いてからというものずっと、歩きながら眉間にしわを寄せて黙考していた。時折ぶつぶつと何事かを呟き、固くつぶったまぶたの裏では眼が忙しなく動いているのが見て取れた。
「はたして、ゴラクリの秘密警察様は、無事に事件を解決できるのでしょうか?」
ベレンガリアがミーナの顔を覗き見た時、その横でキーヴィエが少し冗談めかして呟いた。
しかし、ミーナは突如として立ち止まった。そして彼女が顔を上げて私達に向き直った次の瞬間には、その表情には自信と確信にみなぎっていた。
「大尉、それにアヴィさん達も、一晩か二晩ばかり私に付き合っていただけませんか」
「なんだ? お前一応捕囚の身だろう。お前に付き合ってまた逃げられたらごめんだぞ」
「きっと満足させてみせます。大尉が重要な情報を共有して下さったおかげで、私にはこの事件の犯人、いや事件の構造を綺麗に説明がつけられるようになったかもしれません」
ときっぱり言ってのけた。彼女は、今まで雑然と並べられた事柄の中から私達が見出す事の出来なかった、何か確固たる根拠を手に入れていたようだ。
「誰がメイドを殺したというんだ、ミーナ?」
「もちろん山賊ですよ!」ミーナは猛然と振り返り、何をか言わんやという笑顔で人差し指を顔の横にピンと立てた。「しかしそれには確たる証拠が必要です。もしも私の言う通りに調べていただけるのでしたら、私は今この領にはびこっている全ての悩みの種を無くせるかもしれません」
「どこを調べろというんだ?」
「それは全ての始まりの地へ立ち返るのです。我々の出会った場所を見張るのですよ。それか、ある人物を見張って後を尾けるのが確実ですねえ。早ければ今晩にも事件は動き出すでしょう! 次の被害が出るよりも先にこの事件を終わらせなくては! きっと事件の真相はこのようなものだろうと――」
ミーナは私達と大尉に推理を披露し、その証拠をつかむ作戦を提案した。
雲のぬけるように白い曇天の下で、十字路は湿った冷たい風が強く吹いている。私は彼女の話をいくら聞いても、信じられない思いがした。