26 交渉成立
私たちはこれまで固く閉ざされていた鉄扉を抜けて、奥の部屋へと通された。
オブライエン家のアジトは、私がなんとなく頭で想像していたよりも、かなり広い空間だった。部屋に至るまでの通路も長いし、何個も曲がり角があった。
私は記憶力がそこまで悪い方でもないけれど、初見であの道筋を覚えられる人は、なかなか少ないかもしれない。
だから、ここに住んで居れば、どんなに騎士団などが人数を揃えたとしても、土地勘のある彼らが捕らえられる可能性は低い。
それに地下街になんて、大人数揃えて侵入しても、すぐに勘付かれてしまう。裏稼業の住人たちが、協力し合えればもっとだろう。
だから、彼らは『暗殺一家』として有名なのに、アジトだと堂々と公表して地下街に住んでいるという訳なのね。
ふかふかのソファが並ぶ応接室へと座り、向かいには私たちと交渉するためのオブライエン一家側代表として、一人残ったフランツが座った。
「……実は、俺たち、オブライエン一家は、暗殺者を引退したいんです。それは、先代の祖父が先日亡くなってから、家族で話し合って……代々続く稼業だからと、別に続けなくて良いではないかという、話になっていて」
神妙な表情のフランツから想像つきもしなかった、とんでもない事を切り出された。
「え。オブライエン一家が……暗殺稼業を、引退したいと考えているのか……?」
ウィリアムはポカンとした表情で驚き、私の顔を嬉しそうに見たけれど……もしそうならば、彼らには渡りに船のはずの、私たちの護衛の依頼を受けていない理由がわからない。
もしかしたら……彼らには私たちの知らない、何かあるということなのかしら。
「はい。ですが、こういう裏稼業を営むには、それなりに仁義を通さねばならず……裏社会の元締めから足抜け料に、法外な金額を要求されています。ですが、人を殺して金銭を得るような暗殺はもうしたくないというのが、俺たち家族の共通した意見なんです」
やはり、改まって話をするからには何かあると思って居たけれど、彼らが困窮してまで暗殺の仕事を受けられなくなっていたのは、こういう理由があったからだった。
確かに、現代社会でも裏稼業を足抜けする時には小指を……という話があるくらいだもの、彼らだって普通の家族に戻りたいけど戻れないから……だから、暗殺もせずに、飢えていたのね。
「仕事を選んでいた……というのは?」
「とんでもないことをした犯罪者でも、悪どい方法で、罪を逃れる汚い奴らも居ます。そういった奴らを片付ける依頼は受けるようにしています……ですが、そういう依頼の依頼人から、高額な金額は取れません」
暗殺一家でも仕事を選んでいるというのは、そういう事だったのね。
もし、そういう基準で仕事を選んでいたならば、悪役令嬢モニカからの依頼なんて、とんでもないと思うわよね。
ここまで不思議だった事の流れは、納得出来たわ。
「……わかりました。私たちがその金額を用意すれば、王太子ウィリアム様とエレイン様の護衛として雇われてくださる……そういった認識で、よろしいですか?」
「おっ……おいっ。モニカ」
何か言いたそうなウィリアムには、右手を挙げてそれを制し、私はフランツを見つめた。
……おそらく、小説の中ではオブライエン一家はウィリアム一行を襲うために現れるけれど、それは撃退される。
けれど、あの時は激戦になり、ウィリアム側も多くの犠牲も出し、彼らは一定の成果も出した。
それゆえオブライエン一家はダスレイン大臣から、法外な足抜け料を前金で貰っていたとすれば……その後に、フランツがウィリアムの元に現れるのも、わかるわ。
彼はもうあの時に暗殺者ではなかったから、元盗賊と身分を偽りウィリアムと合流したのね……献身的といえるまでのフランツの活躍ぶりには、多少の罪悪感も含まれていたのかもしれない。
ああ……フランツったら、そんな切ない過去を持っていたのね。
「俺たち一家が足抜け出来るような……その金さえあれば、そちらの護衛を引き受ける。しかし、護衛など表の職業だ。俺たちには転職することは、今は……許されないんだ」
フランツはその時、私たちの背後に立つ護衛騎士たちを見た。本来なら彼らはそういう職業に就きたいけれど、裏社会のルールで許されないだけだった。
「それでは、いくら足抜け料が必要なのですか」
私の言葉に暗い表情でぽつりとフランツが返した金額は、途方もないものだった。
……隣のウィリアムも、息を呑んで居たようだ。
裏社会の元締めというのから、オブライエン一家からもみかじめ料のようなものを取っていたということよね。
彼らは腕も良く、依頼料も高額で知られていた。それならば、元締めはこれまでにオブライエン一家から何もせずとも、相当な金額を貰っていたはずだ。
それがなくなるのだから、足抜け料に法外な高額をふっかけてきたというところね。悪党たちのボスは真の悪党なのだわ。
……けれど、前世記憶チートで色々とこの世界のことを知っている私には、出せない金額でもなかった。
「ええ。それでは、その額、前金としてご用意します。お二人の護衛費用については、また期間ごとにお支払いさせて頂きます」
「モニカ!?」
「本当ですか!?」
ウィリアムは非常に驚いた表情で私の名前を呼び、この金額は流石に無理と思っていたのか、諦めムードで暗い表情を浮かべていたフランツは思わず立ち上がっていた。
「落ち着いてください。これは、正式な取引です。私たちはオブライエン一家、つまり、貴方たちの力を必要としています……良いですね?」
フランツははっとした表情になり、恥ずかしそうに、もう一度座り直した。
「もちろんです。それが叶えられたなら、私たちはウィリアム王太子殿下の護衛として……臣下として忠実な働きを見せるとお約束します」
「……わかりました。それでは、またこちらから、ご連絡します」
「はい」
「おい。モニカ……」
「あ……ご確認しておきたいんですけど、フランツさんとの連絡方法って、手紙になりますか……?」
これが、私は良く忘れてしまうのだ。
会社員時代にも、交渉成立! と舞い上がり、握手をして機嫌良く建物を出て自社に戻れば、紹介された担当者の名刺をもらい忘れ、連絡先がわからない……という失敗が過去に良くあった。
ええ。良いことに浮かれて失敗してしまうのは、人の性なのよ。
オブライエン一家との交渉窓口フランツは、王都に懇意の酒場があるらしく、そこのオーナーに待ち合わせの日取りなどの手紙を渡せば伝わるから、お互いに連絡方法は、そこで伝え合おうということになった。