20 営業の極意
「だが、相手は暗殺者だぞ。並大抵の報酬では、納得はすまい」
「ええ。その通りだと思いますわ……多額の金品か、それとも、何か他の価値があるものか……」
ここで私は完全にオブライエン一家を味方に付ける方向性で考えていたのだけど、提案したウィリアム自身は考え込んだ様子で腕を組んでいた。
「何を要求されるかわからないから、危険かもしれない。やはり、これは考え直そうか」
先ほどまでとは真逆の意見を出したウィリアムに、カチンとなった私は半目で問いかけた。
「……ウィリアム様。一度提案して、それを断られたからと言って、貴方はすぐに、自分の考えを諦めてしまうのですか?」
「は……?」
現代社会で長年社畜生活を営んでいた私の気持ちは、仕事依頼を実際に試してもいないのに、事前の危機回避をしておこうというウィリアムの日和った言葉を聞いて、火がついてしまった。
……それは、私が大嫌いなことだったからだ。
「良いですか。ウィリアム様。難しい案だとしても、自分や先方とって、それが良いと思えれば、何度も通って提案し誠意を示すんです。事前に両者が納得が出来ている事案ならば、互いにとって利益のある良い仕事になるはずなんです」
「え? お。おう……」
急に早口でまくし立て始めた私に、ウィリアムは目を見開き、驚いているようだ。
ああ。いけない……妙なスイッチが入ってしまったかもしれない。
けれど、私に言わせると交渉を要する仕事で、一番に大事にしなければならないのは熱意と誠意だ。
それがない彼の話を聞いて、私が十何年も色恋沙汰なんて遠く社畜としての人生を捧げた仕事人としての血が騒いでしまった。
コスト面での折り合いは必ず付けてから仕事を始めるべきだとは思うけれど、一番最初の訪問もなしに『どうせうちでは仕事を受けてもらえないだろう』と、思っていればその通りになる。
そんなネガティブな気持ちで持ち込まれても、誰も仕事なんて受けてくれないと思う。
もし、何回断られたとしても、何回でも提案すれば良い。もう来るなと言われば、他を探せば良い。いくらでも人も店もある。
私はそう思って居た。
あの有名なひとつもとりこぼすことなく仕事を取る営業か、圧倒的な数をこなしてその何割かの成功で勝負する営業か、結局どちらが凄いのかという格言がわかりやすい。
それは数字の上での真実で、営業は打率ではない。
すべてを取れたことを誇るべきではない。最終的に取れた案件の数が、最終的な営業成績になるのだ。
何度も何度も提案して断られても、それは、全く恥ずかしいことではない。
失敗すれば改善点に気が付く。失敗を失敗と恐れなくなる。
断られるのを恐れて、何もしないこと。それこそが、仕事を取る営業としては、一番に恥ずかしいことなのだ。
今の私たちはオブライエン一家に『うちの仕事を引き受けてもらえませんか』と、一回も打診していない段階にある。
こんな風にあれこれ悩む前に連絡を取って、彼らの意向や要求などを確認する方が先だと思う。
「確かに……彼らとて暗殺を生きるための仕事として請け負っています。もし、護衛の仕事で生きていけるのなら、それにこだわる必要はないはずです。どう思って居るのかは、彼ら本人に聞くしかわかりません。とにかく、私たちは護衛の仕事を打診してみましょう」
「わかった……あの、モニカ。お前……たまに、物凄く怖くならないか」
少々怯えた様子のウィリアムに、私はしまったと口に手を当てた。
仕事に関することは情熱的に語り過ぎて、引かれることがままったのだ。
「まあ……そんなことありませんわ。うふふ」
今ここでウィリアムに『多くの人員が歯車となる組織の管理職は、嫌われる覚悟もなく、優しく甘いだけでは務まらない』などと説明する訳にもいかず、私は曖昧に笑うしかなかった。
今、ここに居る私は管理職など務めたこともない、17歳の貴族令嬢なのだから。
◇◆◇
「えっ……ここ、なのか?」
ウィリアムはオブライエン一家の住むという、王都地下へ繋がる通路へ降りる金属製の扉を見ていた。
ちなみに私たちは今回、城の外に出掛けているので、ウィリアムの警護というよりも、お父様が私に付けているラザルス伯爵家の護衛騎士が四人、すぐ近くに仕えていた。
「ええ。オブライエン一家のアジトへ続く地下街への扉は、こちらのようですね……もし良かったら、私が一人で行って来ましょうか……?」
「何を! 俺が言ったのは、恐れをなしたとか、そういう意味ではない。地下に人が住むという事が、俺にとっては理解しづらかっただけだ!」
わかりやすくぷんぷんと怒ったウィリアムは、勢いで重い扉の取っ手を掴み一気に開いた。
頬を撫でる、ひんやりとした空気……ここからは、一歩踏み入れれば、まったく世界が違ってしまうような……そんな予感のする地下道。
「あら……有名な暗殺一家が住む場所としては、それらしい場所ですね。ウィリアム様」
「おい。お前は、大丈夫なのか?」
振り返ったウィリアムは、確認するように私に聞いた。
「ええ。大丈夫ですわ。人が住んでいるということは、それほど危険な生き物も居ないでしょうし。それに、私は複数の優秀な護衛騎士を連れていますので、何かあっても対処出来ますわ」
実はモニカのラザルス伯爵家は、騎士の家系。今回連れてきたラザルス伯爵家に直接仕えている騎士たちも優秀で、私は特に信頼を置いていた。
「そ、そうか……」
「あの、ここで待って居ても、大丈夫ですわ。ウィリアム様。もし良ければ、先に帰っていても……」
「そんな訳あるか! 本当に、いい加減にしろよ!! お前……!!」
私はあまり外に出たことのないウィリアムに気を利かせたつもりだったんだけど、男性のプライドを如何なく刺激してしまったのか、彼は大きな声で叫んだ。
「ふふふ。そんな訳にはいきませんものね……ごめんなさい。冗談ですわ」
「おい。もう一回俺をからかったら、本気で怒るからな」
「しません……ええ。絶対にしません」
私は足音高らかに踏み込んだウィリアムの後に続き、湿っぽい空気がある地下へと入り込んだ。
小さな灯りが無数に取り付けられていて、想像していたように暗くはない。
それに、奥には人の気配もしているので、王都地下に住んで居る人が多いというのも、本当の話なのだろう。
……さて。 こんなにも暗い暗い地下街に住む、暗殺者ファミリーオブライエン一家。
私たちの護衛をしてくれる代わりに、彼らは一体、どんな報酬を要求してくるのかしら?