10 仮縫い
「……モニカ。お前は確か、生粋の貴族令嬢ではなかったのか」
「ええ。私の公式な身分は、ラザレス伯爵令嬢モニカ。仰るとおり、シュレジエン王国貴族でございます。ウィリアム様」
そもそも伯爵位以上の貴族令嬢でなければ、王族に嫁ぐことは許されず、王太子に嫁ぐならば、何代も前から続く『品行方正』な血筋であることが求められる。
王太子ウィリアムの婚約者モニカは、そういった厳しい基準を満たしている、選り抜きの伯爵令嬢ということになる。
ここでウィリアムが何を言いたいかは、理解出来る。社交を仕事とする貴族令嬢は、お茶会や夜会に出て優雅に暮らすのが、いわばお仕事。
今の私のように、お針子の真似事なんて、決してしないものなのである。
私は仮縫いのために持ち込んだ様々な布を当てて、彼の身体に沿うように取り付けていく。何人かで協力するような作業ではあるけれど、一人でも出来るように訓練して来た。
しかし、生けるマネキンとしての役目を果たすウィリアムには、長時間立ったままで居てもらうことになるけれど、これはもう仕方ない。
この離宮に入ることの出来る、正当な理由を持つ婚約者である私は、一人しかない。出来るだけ短時間で、効率良く動くしかない。
無数にある布地を当てて、手際良くまち針を刺していく私に、ウィリアムは小さく息をついた。
「おい。お前。凄すぎないか……このまま、優秀なお針子にもなれそうだ。本当に、仕事が出来るんだな」
「まあ! ありがとうございます。嬉しいですわ。頑張って会得して得た技術を褒められることほど、嬉しいことはありませんわ」
さきほど、突然私に立ったままで居て欲しいと頼まれ、この前の反省を活かし私が持って来た仮縫い中に身につけていても、支障のない薄い下履きを身につけている彼は、呆然としたままでそう呟いた。
思わぬ褒め言葉をもらって笑顔になった私は、ある程度まで縫製されている布を重ね、必要な部分には無数のまち針を刺して、それを幾度となく繰り返す。
長時間かかる単調な作業にも関わらず、言われた通りに動いてくれるウィリアムは、文句の一言も言うこともなく私に付き合ってくれた。
出来るだけ早く終わらせようと考えていた私は、仮縫いの終了間際とんでもないミスをしてしまった。ウィリアムの足に、針を刺してしまっていたのだ。
「……あ! 申し訳ありません。ウィリアム様」
もし、ウィリアムが店にやって来たお客様であれば、お針子である私には絶対に許されないことだ。
これはすぐに謝罪しなければと顔をパッと上げた私に、ウィリアムははあと息をついて首を横に振った。
「気にしなくて良い。それよりも、早くしなければと慌てなくても良い。俺はただ、ここに立って居るだけなのだからな」
とは言っても採寸や仮縫いは、長い時間同じ体勢で居なければならないし、私だって常日頃からドレスを作ってもらうから、疲労を感じるであろうことは理解していた。
もう……優しい。ウィリアム。
「おい。涙目になるな。大したことでもあるまい。俺の身分が気になるのかもしれないが、ここには君と俺しか居ない。俺が良いと言えばそれで良いんだ」
私は彼の優しさに感動して涙ぐんでいたのだけど、失敗をして悲しんでいるという意味だと誤解したウィリアムは、私を励まそうとしてかそう言った。
「はいっ……ありがとうございます」
無言でその後の作業を終え、長かった一人での仮縫いも、これでようやく終えることが出来る。
事前準備として門番に悟られないように布地を小分けにして運んだりと、本当に大変だったけれど……あとは、これを逆に少しずつ運び出して、服を作るメゾンへと送り届けるだけだわ。
「……しかし、最近全然離宮に来なかっただろう。この儀礼服の件が終わったら、元に戻るのだろうな?」
布を整理して片付けていた私に、着替え終わったウィリアムは確認するように言った。
このところ、私はメゾンキャローヒルのマダムとの打ち合わせなどに忙しく、なかなか彼には会えて居なかった。
キャンディスを頑なに拒否するウィリアムには実質話し相手は私しか居ないので、彼もこのところ寂しかったのかもしれない。
「はい。ウィリアム様。そのつもりですよ。私もこのお針子の仕事は楽しかったですが、まだまだ解決せねばならないことがたくさんありますので」
「……そうか。だったら良い」
ウィリアムは素っ気なく言い、私はそんな彼の態度に違和感を抱いた。
何か不満があって、私に言いたいことがある。けれど、言えない。言わない。そんな風に思えたからだ。
……もしかしたら、今回は私が動くしかないけれど、ただ離宮で待って居るだけという生活も、ストレスが溜まっているのかもしれない。
「これが終われば、本格的にエレイン様暗殺防止について対策することになるでしょう。その時はウィリアム様にも、活躍していただきますから……」
「お前。もしかして……俺はまだ自分の役目がないから、いじけているとでも思って居るのか?」
「……違うのですか?」
「そんな訳ないだろ……お前、ほんっとうに……もう良い。急いでいるんだろう。早く行けよ……」
聞き返した私にウィリアムはイラッとした態度で立ち上がりかけ、思い直して静かに腰掛けた。
もう自分に何も話し掛けるなと言わんばかりの態度を見て、私もそれに従うことにした。
豪華な儀礼服の布は重さもあり、すべてを一度に隠し持って出て行くことなど出来ない。
先に作業を進めてもらうためにマダムには事前に相談していて、いくつかにパーツ分けしたひとつをドレスのスカートの下に隠し、足早にウィリアムの離宮を出た。