出会い 3日目
3日目
今日も朝食は雑炊(鶏肉、豆腐、卵、カブの葉っぱ、ご飯、牛乳)。
自分用の味付けはチーズと塩胡椒にした。
あとはカブの酢の物も作った。
ちなみに作り方は、まず皮をむいたカブを半分に切って、平らな面を下にして半球状の上側に碁盤の目のような切込みを半分ぐらいの深さまで入れる。
次にそれらをいちょう切り(十字に包丁を入れて四分の一の大きさ)にする。
切ったものをボウルに入れ、軽く塩もみをする。
すぐに柔らかくなるので、あとは酢と砂糖を混ぜた液に軽く漬ければ完成である。
これは母に教えてもらったレシピなのだが、そんなに手間もかからず、すぐに食べられるし美味しく出来るので重宝している。
犬はこの酢の物に興味を示したが、これは人間用なので気にせず私が全部食べた。
犬にはテレビを見ていてもらって、私は家事をしつつネット検索に勤しんだ。
だがこの日も芳しい情報は得られなかった。
仕方ないので、作業を中断し、早めの昼食を作る。
犬には少量の豚肉をチンしたものを与える。
家庭犬の食事は、基本的には1日2食でいいので、昼に与えるこれはおやつ代わりである。
自分には思い立って、マーガリンを塗ったトーストの上に目玉焼きを乗せたものを作ってみた。
イメージは「ラピュタ」のアレである。
ただ、私は目玉焼きはしょうゆ派なので、黄身にフォークでぷすっと穴を開けたところに少しだけしょうゆを垂らして食べた。
「ふ……やはり私の嗜好を優先させると忠実な再現には至らない、か。……所詮邪道ね」
なぜだか自嘲する私であった。
「それにしても、食後の洗い物がお皿2枚だけ(自分と犬用)って本当に楽だわ。いいえ、どうせならこの世の中から洗い物なんて全部なくなっちゃえばいいのに。そうしたら環境汚染もかなり改善されると思うんだけどなあ」
……環境問題にかこつけたずぼらの切なる願いである。
することがなくなったので、読書をすることにした。
本を読みながら、ふと思う。
(そういえば、せっかくの長期休暇なのに、私ったら何やってんだろう)
休みはまだ4日はあるけれど、この分では長い時間家を空けることはできそうもない。
何よりあと4日で犬の預かり先を見つけなくてはならない。
もし出来なければこの犬は確実に保健所行きだ。
それはなるべくしたくない。
「はあ……、どうしよう」
気付くと、いつの間にか、犬が私に寄り添って座っていた。
ベッドを背もたれにして、足を投げ出して床に座っている私の横に、ちょこんとお座りをしてテレビを見ている。
その横顔はとても凛々しい。
人間で例えたら確実にイケメンの部類には入ると思う。
今の私に彼氏がいたら、休日はきっとこんな感じになるのかな。
「でも、いくら格好良く見えても、犬を彼氏に例えちゃいかんだろう……」
悲しい、悲しすぎるよ自分。
思わずがっくりとうな垂れてしまった。
こんなとき、早く新しい恋でもして、良い相手を見つけなくては、と思うのだが、正直それが面倒くさくもある。
こんな性格なのだが、一応外見は平均女性並みなので、今までにも相手がいないわけではなかった。
一旦打ち解ければ気の合う人は男女を問わないし、一緒に飲みに行く男友達も少なくはない。
でも、それはあくまで「友達」の域を出ない付き合いでしかない。
この歳なので、そういうお酒の流れで相手と寝てみたこともなくはないのだが、そのような付き合いは長くは続かなかったし、今はそれすらも面倒くさくなっている。
私は女として終わっているのだろうか?
正直、束縛の少ない今の生活はとても気楽だ。
ほどほどの収入、ほどほどの生活、ほどほどの自由。
でも、この生活がいつまでも続けられるわけではないということもわかっているつもりだ。
高校や大学時代の友人に会う度に聞く結婚の話。
左手に指輪をする同僚も増えた。
大したキャリアもない私だから、いつかは区切りをつけなければならない。
この先、人生で、きっとこの曖昧な自由時間を懐かしむ日々が訪れるのだろうと思っている。
でも、それまでは、もう少しこのままでいたいのよ……
そんな取り止めのない思考から覚めると、犬はいつの間にか私の太ももに頭を乗せてすやすやと眠っていた。
ちょっと舌を出した、無防備なその姿が以外に可愛かったので、起こさないように犬の体をゆっくりと撫でてあげた。
(まあ、こんな時間も悪くないか)
この日も一緒にお風呂に入る。
今日は浴槽の縁に顎を乗せてじっとこちらを見つめてくる。
髪を洗う姿を見るのがそんなに面白いのか?
でもお行儀は良い。湯を抜いている途中の浴槽の中で私に水がかからないように控えめに水気を飛ばしている。
試しに浴室内のカーテンを引いてあげると、思いっきり水気を飛ばした。
やはり、ちゃんと理解している。
(犬は毛艶も良いし、やはりお金持ちの家で飼われていたのだろう)
――昨日の歯磨きの一件で、根拠はまったくないのだが、なぜだか私には「この犬はもう私のことを絶対に傷つけることはないのだ」という確信めいたものを感じていた。
だが、そういった根拠のない自信を持って動物と接するのは実はとても危険なことである。
ベテランの飼育員が、馴れていたはずの猛獣に咬殺される事件は決して少なくはない。
相手は動物である。
人間よりも、より本能に忠実に生きている生き物なのだ。
単体では脆弱な人間など、隙を見せればあっという間に主導権を握られ、いとも簡単に捻り潰される。
生物の力関係とは本来そういうものであるのだ。
それに漫画や小説ならまだしも、これは現実だ。
それをわかっていてなお、「自分だけは大丈夫」などと感じるのはとても傲慢なことであるとは思う。
ということは、私の思考回路は所謂「お気楽能天気でお花畑」だということなのだろうか。
……おいおい、28歳にもなって、御伽噺の主人公気取りかよ。
まさか自分がそんな奴だなんて思いたくはないのだが、今のところ、この件に関しては確固とした否定ができそうにもない。
……私、結構残念な思考回路の持ち主だったんだな。
そう自嘲しつつ、この日は就寝したのである。