子爵家の異変⑥前編 -恋路のやみ-
「アル!」
アルは縄で縛られてはいるが、大きな怪我をしている様子はない。少し安心しつつ横を確認すると、ルイドも私と同じように床に伏せていた。
「お前、やっぱり日中も動けるのかよ!」
アルが私たちの後ろに向かって声を上げている。上体を起こしながら後ろを振り返ると、そこにはピンクの髪の美しい女性が立っていた。
「あら、おかしいことを言うのね。当たり前でしょ?」
鈴を転がすような美しい声の女性は、ゆっくりとアルの側に立つレオンのもとに歩いていく。レオンは動揺した様子で、女性に詰め寄っていた。
「ベル!なんでメリアがここに……それに、誰この男の人!まさか警察が!?」
「後をつけてきたみたいよ、この子たち。大丈夫、他には誰もいなかったわ」
一体何が起こっているのだろう?レオンは随分とこの女性を頼りにしているように見える。
「アル、一体何が起きているんだ?君の横にいる彼がレオンだよね?そこの女性は?」
横を見ると、ルイドも私と同じように上体を起こして、状況を把握しようとしていた。
「レオンは、こいつと組んでテレンヌ子爵家のご令嬢を誘拐しようとしてるらしい」
「「誘拐!?」」
アルの言葉を受けて、思わずルイドと声が被ってしまう。あのレオンが誘拐?しかもこの綺麗な女性と組んで?どういうことなんだろう?
「誘拐じゃない!駆け落ちだよ駆け落ち!僕とフランソワお嬢様は愛し合っているんだ!」
「君とご令嬢が愛し合ってるだって?相手は本当にテレンヌ子爵家のご令嬢?」
「そうだよ!」
しっかりと頷くレオン。それに対し、ルイドはいぶかし気な顔をしてレオンを見ていた。
「いやそれはおかしいよ。フランソワ様はロワン子爵家のご子息と相思相愛なんだ」
「何を言ってるんだ?そんなわけない!一体君が僕たちの何を知ってるんだ!」
よくわからないが、レオンとルイドのやり取りをしばらく見守ることにする。
「僕はね、商会の下働きをしているんだ。その2人は婚約してからよく商会に来てくれているんだよ。一緒に来ることもあれば別々に来て相手へのプレゼントを買っていくときもある。一緒にいるお2人は、誰がどう見ても愛し合う者同士だったよ」
「そんなわけない!家のために嫌々行っていたんだ!」
首を横にふって、そう叫ぶレオンに、ルイドははあ…とため息をついて、諭すようにレオンに言葉を発した。
「それなら聞くけどさ、君……レオン君?レオン君はフランソワ様から刺繍の入ったハンカチを受け取った事があった?」
「刺繍の入ったハンカチ?いや、いただいたことはないけど、それが何?」
一体何を言われているのかわからないといった様子のレオンが、ルイドに続きを促す。ルイドは、レオンに言い聞かせるように言葉を紡いだ。そう、まるで駄々をこねる子どもに対して、諭すように。
「フランソワ様がこの間、僕にハンカチを見せてくださったんだ。刺繍について、商会の人間から見ても、問題ない出来か意見が聞きたいって。
そのハンカチには緑と青の糸で見事な刺繍が施されていてね。その色は自分と愛する方の瞳の色で、それをプレゼントすることで自分を身近に感じてもらいたいって言ってたんだ。
緑はフランソワ様の瞳の色だよね?レオン、君の瞳の色は?」
ルイドの言葉を聞いて、まじまじとレオンの瞳の色を確認する。
レオンの瞳の色は、黒。
そっと、「黒、だよね……?」と言うと、ルイドはちらりと私に目を向けて、「そうだね」と頷いた。
「ちなみに、ロワン子爵家のご子息の瞳の色は青だよ」
「そんな……そんなばかな!だってお嬢様と僕は両想いのはず」
「そこだ、レオン。お前とフランソワ様が両想いだとわかった出来事って何だったんだ?」
アルがレオンに疑問を投げかけると、未だ混乱している様子のレオンは、ぽつりぽつりと語りだした。
レオンによると、そもそものきっかけはテレンヌ子爵夫人が病気で倒れたことだったらしい。子爵夫人が倒れたことで、屋敷の人事を取り仕切る役を誰かが代理で行う必要が出た。そこで子爵が白羽の矢を立てたのがフランソワ様。ロワン子爵家に嫁ぎ、ゆくゆくはロワン子爵家の人事を取り仕切ることになるフランソワ様の練習にちょうどいい、ということだったようだ。
それを受けたフランソワ様は、気心のしれているレオンに相談した。とはいえ、レオンも人事の取り仕切りなんてやったことがない。それでも、なんとか力になってあげたいと相談した相手がここにいる妖精だったらしい。
「妖精?この女性が妖精ってこと?」
「うん。ベルがね、気が付いてくれたんだ。これはフランソワお嬢様からの僕へのメッセージなんだって」
「えっメッセージ?相談が?」
私が馬鹿なだけなのかな?レオンが何を言ってるのかよくわからない。
「嫁ぐ前の練習として任された人事を自分でやり切ろうとしないで、すぐ僕に相談したのは、本当はロワン家に嫁ぎたくないっていうお嬢様からの僕へのメッセージなんじゃないかって」
「はい?」
「そのメッセージを僕に伝えてきたということは、お嬢様も本当は僕の事が好きで助けてほしいからだって。ベルはそう言ったんだ。そうだよね?ベル」
そうだったのか!ってならない私がおかしいのかな?どうしても、メッセージとは思えないんだけど……。
不安気に話しかけるレオンに対して、妖精?ベルは微笑み返すだけだった。
「おい妖精、お前はレオンとフランソワ様の駆け落ちの協力者を連れて来たと言ってたよな?」
「ええ、それが?」
気のせいか、妖精は少し苛立っているように見える。
「連れて来た協力者は全部で何人いるんだ?」
「10人よ」
「レオン、子爵夫人が倒れたのはいつだ?」
「えっと、ちょうど1週間前だよ」
たった1週間で10人も変わるなんて。
「おかしいと思わないかレオン?1週間のうちに10人も次々に休むなんて」
「それは……。でも偶然だよ?門番のサムさんは熱、庭師のアダムさんは手を怪我して、ベンさんが足を怪我して……」
「ちょ、ちょっと待って!アダムさんとベンさんが怪我ってどういうこと?私が聞いた話と違う!」
「メリア?どうした、落ち着いて話してくれ」
アルが心配そうにこちらを見ている。
「あのね、私昨日市内を歩き回ってアルについて聞き込みをしてたときに、サムさんの奥さんと話をしたんだよ。サムさんの熱がなかなか下がらなくてね、果汁だけでも取らせたいと思って果物を買いに来てたんだって」
果物屋の聞き込みをしている最中、店主と会話している女性がアルから聞いていたサムさんの奥さんだと気づき、声をかけたのだ。
「サムさんの話をしていたら奥さんが教えてくれたんだけど、ベンさんの奥さんがサムさん家に訪ねてきたんだって。ベンさんも急に熱が出たって」
「ベンさんが熱?そんなはずは」
困惑している様子のレオンを尻目に私は聞き出したことを全て伝えることにする。
「それとね、今休んでる使用人、少なくとも6人は同じように熱が出てるんだって。使用人のご家族同士で日頃から情報共有してるみたいなんだけど、そこから少なくとも6人は同じように熱が急に出て下がってないことがわかったらしいよ。アダムさんもその中の1人」
なぜレオンの知っている情報と実情が異なっているのかはわからない。だが実際、少なくとも10人中6人は皆一様に、急に発熱して下がっていないというのだ。
「もしかしたら子爵家で何かの病気が流行ってんじゃないかって話にもなったみたいなんだけど、そもそも最初に熱を出して倒れたのがテレンヌ子爵夫人なんだって。
でも、一番近くにいる子爵やご子息ご令嬢は元気みたいだから、訳がわからないって」
私の言葉を聞いたアルは、「なるほど」と言って、レオンに声をかけた。
「レオン、今の話聞いてどう思った?短期間のうちに感染症でもないのに少なくとも6人、子爵夫人を入れると7人が発熱して下がらないって」
「それは……」
悩むような、迷うような、困惑した表情のレオン。しばらく黙って考えていたようだけど、急にハッとしたように声を上げた。
「神様だ!僕たちの愛のために、神様が協力してくれてるんだ!」
「レオン、いい加減に現実を見ろ。2人の人間のために少なくとも7人を病気にする神様ってなんなんだ?そんなもの神様じゃないだろ。
神様が愛のために何の罪もない他人を病気にするなんて、どう考えてもおかしいだろ!」
アルがそう一喝すると、レオンはひるんだようだった。また黙り込んでしまったレオンに、悲しそうな表情を向けたアルは、小さく息を吐いて、レオンの横へ目を向けた。
「なあ、そうなんだろ?お前の仕業だな?」
その言葉に、ハッと顔を上げたレオンは叫ぶように否定の言葉を発した。
「アル、ベルがみんなの病気に関係あるって言いたいの?そんなわけない!
ベルは本当に優しい妖精なんだ!そうだよね、ベル!」
みんなの視線が妖精に集まる。当の妖精は、先程まで浮かべていた微笑みも消え、無表情でレオンを見下ろしていた。
「ベ、ベル?」
そんな妖精の様子に、戸惑ったようにレオンが名前を呼ぶ。
「あーもうめんどくせえな」
妖精の口から、鈴が転がるような声ではなく、野太いおじさんのような声が聴こえてきた。
え、男の人の声?
びっくりして耳を疑ったら、その瞬間、華奢な身体が服を破きながら太く大きくなっていく。
白い腕は黒くがっしりとした腕に変わり、身体中が黒い毛で覆われていく。頭からピンクの美しい髪は消え去り、代わりに2本の曲がった角が生え、グレーの美しかった瞳は黄色く濁った瞳に。そして、その背中には、見たことがない大きくつるっとした羽根のようなものが生えていた。
その姿に、全身は忌避感を覚えた。これは絶対に妖精なんかじゃない。本能が危険だと私に告げている。
「それがお前の正体か」
アルが顔を歪めながら、様変わりしたソレに話しかけた。
「そうだ。せっかく上手くやってたのに、お前らのせいで台無しだよ。どうしてくれんだよ」
ソレが言葉を発する度に部屋の温度が下がるような気がする。ソレが漏らした息の匂いに鼻が曲がりそうだ。…先程から震えが止まらない。
「ベ、ベル?ベルはどこに行ったんだ?」
「レオン、そいつに近づくな!」
アルは慌てた様子で、縛られたままの手でレオンの服を掴んだ。
「だーかーら、あれはお前を騙すための姿だよ。これが俺の本当の姿!かっこいいだろ?」
ソレは得意げに両腕と背中についた羽?を広げ私達にもその姿を見せつけてくる。
「僕、見たことがある……。以前ある貴族の屋敷に商談に行ったとき、飾ってあった絵画に描かれていた悪魔にそっくりだ」
「悪魔?」
ルイドの言葉に点と点が繋がった気がした。悪魔、神様とはまったく別の…むしろ真逆の存在だ。
「よく知ってるなお前!その通りだよ。俺は病気を司る悪魔だ」
「そ、そんな!嘘だよね?君が、僕の話に涙を流して応援すると言ってくれた君が、悪魔だなんて、嘘だよね!?」
「あーもう。ほんと頭わりぃなお前!俺はな、お前みたいな不幸なやつを幸せにするのが楽しみなんだ」
えっ幸せにするのが楽しみ?なんで?もしかして良い悪魔なのだろうか。
「それだけなわけないよな。幸せにした後、どうするつもりだったんだ?」
「はあ?そんなの決まってんだろ」
アルの言葉に悪魔は口を大きく横に開き、心底嬉しいとでも言うようにニヤーっと笑った。
「絶望を味わせてから喰うんだよ!不幸なやつを喰うより、一度幸せにしてから絶望を味わせた方が、格段に味が良くなるんだ!」
悪魔はご馳走を思い浮かべたような様子で、うっとりしながら口から涎を垂らしている。ぼたぼたと床に涎が落ちる。また異臭が周囲に立ち込めて、思わず息をつめた。
「レオンの駆け落ちを手伝ったのは、そのためか?」
「苦労して手に入れた女をこいつの目の前で喰ったら、こいつは最高の味になるだろう?
女も、愛する婚約者との結婚を夢見てたら、信頼してる従者に裏切られて、結婚できずに悪魔に喰われるなんて……イイ味になるだろうな」
じゅるり、と涎を拭う悪魔は、そのときを想像しているようだ。羽がパタパタと動いている。
「そんな、全部嘘だったの……?
僕たちの愛に感動したって、だから助けてあげたいって言ってくれたのに……」
両目から涙を流しながら、レオンが悪魔に問いかける。そんなレオンに、ふんと悪魔は鼻を鳴らした。
「そもそも、お前の一方通行だったろ。よかったな、一瞬でも夢を見られて」
「そんな……」
膝から崩れ落ちたレオンは、完全に脱力した様子で涙を流しながらぶつぶつ呟いている。レオンを慰めてあげたいけど、レオンのところまで行くのは難しい。緊迫した空気の中で、アルが静かに悪魔に質問を投げた。
「今まで、何人がお前の犠牲になったんだ?」
「さあ?100人超えてからは数えてねえから、わかんねえな」
ということは、100人以上の人間がこの悪魔に食べられてきたんだ。
「子爵家の病気はお前がやったことだな」
「ああ、協力者を入れるためにな。俺頭いいだろ?」
自分の頭を長い爪が生えた人差し指で指しながら得意げに答える。なんでこんなにペラペラと話してくれるのかと思ったけど、自慢話をしたいタイプなのかもしれない。
「まあ、予定とは変わっちまったがこれはこれで悪くはないか。
メインディッシュは最後にとっておくとして」
悪魔はレオンをチラリと見てから、その視線をアル、ルイド、そして私に向けた。
「うん、お前からにするか」
まるでその日履く靴下を選ぶような軽さで、悪魔は私を指差した。