子爵家の異変⑤ -愛の妖精-
時はメリア宛の手紙を書き終えたところまで遡る。
手紙をポケットに入れたレオンに俺は、もう一度疑問を投げかけた。
「レオン、何でこんなことをしたんだ」
「手紙を書いてもらったし、もう話してもいいかな」
そう言って俺の向かい側の椅子に腰掛けたレオン。その顔をロウソクの灯が照らす。
「実はね、僕たちの愛のためなんだ」
「僕たちというのはレオンと、テレンヌ子爵令嬢のこと?」
「うん、そうだよ」
嬉しそうに答えたレオンはそれから2人の愛とやらを語り出した。レオン曰く、テレンヌ子爵令嬢のフランソワ様とは、レオンが子爵家の下男になった4年前から歳も近いことで仲良くさせてもらっていたらしい。
下男のレオンにも優しく接するフランソワ様にいつしか恋心を抱いていたようだ。
そして叶わぬ恋に苦しんでいた時に、ここに住んでいたおじいさんに話を聞いてもらうことがレオンにとって大切な時間になっていたという。だがそんなおじいさんが少し前に亡くなってしまった。
「寂しくて寂しくて、おじいちゃんが亡くなってからもここに来ては家を掃除したり、おじいちゃんが育ててた花の世話をしてたんだ。そんなときにね、現れたんだよ彼女が」
「彼女?」
「うん、信じられないかもしれないけどね、彼女は妖精なんだ。アルにも紹介するよ。
出ておいで、ベル」
するとレオンの後ろに急に誰かが現れた。
「なっ!どこから出てきた?」
「僕の影だよ。影に入っていつも僕を見守ってくれている妖精、ベルだよ」
「こんばんは、私はベル。愛し合う者が結ばれるのを見るのが大好きなの」
月明かりに照らされて現れたその姿は、この世のものとは思えないほど美しかった。ふわふわとたなびくピンクの髪に美しいグレーの瞳。花の妖精と言われても納得してしまうような姿だ。
しかし本当にこいつは妖精なのだろうか?妖精は美しく明るいところが好きだとお父さんから聞いたことがある。だとすると、人の影に潜むというのはお父さんの話していた妖精の特徴とは、かけ離れている気がする。
「驚いた?僕も最初は驚いたよ。まさか僕の目の前に妖精が現れるなんて!
ベルはね、僕のお嬢様への叶わない想いを聞いて泣いてくれたんだ」
叶わぬ恋と諦めていたとは、ある事をきっかけに両想いであることがわかったという。ある事とは一体?気になるが、レオンの語りは続いていて口を挟めない。
「せっかく両想いだとわかったのに、フランソワ様にはすでに婚約者がいる状態だった。そんなとき、僕とお嬢様の駆け落ちが上手くいくようにベルが協力してくれたんだ!」
「協力?いったい、その妖精は何をしたんだ?」
うっとりと語っていたレオンと目が合う。俺を見ているようで見ていない、虚な目にゾッとした。
「私は、レオンに協力してくれる人を探して屋敷に連れて来ただけよ」
レオンの後ろに立っていた妖精が、レオンの頭を優しく撫でながら微笑む。その姿は、子どもを心配する母親のようだった。
「何が目的なんだ?妖精も人間を助けるには対価が必要なはずだ」
「対価?対価は2人の愛を私に示してもらうことよ。私はね、人の感情を操る妖精なの。操ると言っても、ちょっと幸せな気持ちにさせたり、楽しい気持ちにさせたりできるだけ。
でもね、愛は私も操れないの。だからこそ人間の愛に惹かれるのよ。
愛し合うのに結ばれない2人……なんて可哀想なのかしら。力になってあげたいと思うのは当然でしょ?」
まるでいいことのように語っているが、駆け落ちが上手くいくように、協力者を連れてくる妖精?そもそも妖精がどうやって協力者を連れてくるんだよ。
子爵家の人員入れ替わりがこの妖精の仕業だとすると、あの入れ替わってやってきた門番たちが協力者ということだろう。あの不愛想でどう考えても暴力の世界で生きてそうなやつらが、愛の協力者?いや、どう考えてもおかしいだろ。…まあ、見た目で判断するのはダメだが、心優しい人ではないだろう、どう考えても。
……あんなやつらを協力者にするなんて、こいつは、レオンが思っているような良い妖精の類いじゃないとしか思えない。
しまった、手紙でメリアにエクソシストを連れてくるように知らせるべきだった。書く前にもっと上手く聞き出しておけば……いや、あの時は警戒されていたから、結局聞き出せなかった可能性が高い。
「……というわけなんだ。アル、今度また食べ物を持ってくるよ。あと3日経てば解放してあげられるんだ。
大切な友人の君をこんな所に閉じ込めてすまない。
そう……君は僕の大切な友人だ。そんな君になぜ僕はこんなことを?」
突然、レオンが宙を見て小さな声でつぶやいた。うつむいて額に手を当てて、「あれ?」と何度もつぶやくレオン。その様子に、「レオン?」と呼びかけようとしたら、俺の言葉を遮るように妖精が俺とレオンの間にふわりと現れ、レオンの頭を抱きしめた。
「愛のためよ、レオン。レオンとフランソワお嬢様が結ばれるためには仕方ないのよ。
今、あなたが一番守らないといけないのは、だぁれ?」
優しく、優しく囁く妖精。そんな妖精を呆然と見て、レオンがつぶやいた。
「フランソワ、お嬢様……」
「そうよ、あなたは愛するフランソワお嬢様を助けなきゃ」
「フランソワお嬢様は、望まぬ結婚から助けて欲しいって……そうだ、僕に助けてって」
「そうよ、レオン。2人の愛のためには、多少の犠牲は必要よ?」
「うん、そうだ。うん、犠牲は必要なんだ。…そうだよ、犠牲にしなきゃ」
間違いない、こいつはやっぱり良い妖精じゃない。正気に戻りかけたレオンの意識を誘導していた。
それに自分の愛のための犠牲なんて、レオンらしくもない。やっぱり、エクソシストを頼むべきだった…クソっ!
「僕たちの愛のために協力してね、レオン。僕は朝になったらメリアに手紙を渡しにいくよ。それまでここで寝るから。
ほら、レオンもこの毛布使って!風邪を引くといけないからね」
俺を監禁しておきながら風邪の心配をするとは……情緒がかなりおかしなことになっている。だがこの様子だと、とりあえず、すぐ殺されることはなさそうだ。
俺を椅子から立たせて床に置いた毛布のところで寝るように言うと、レオンはさっさと寝てしまった。すると妖精も姿を消した。
レオンが目を覚ましているときしか現れないとか、なにか出現条件でもあるのだろうか?
とりあえず、体力温存のために寝ておこう。明日、レオンが手紙を出しに出かけてからが脱出のチャンスだ。必ず逃げ出してやる。
※※※
翌朝、俺が目を覚ましたときには、レオンとあの妖精の姿はもうなかった。
小屋の中を朝日の光が照らし、小屋内部の全貌が明らかになったと同時に、改めて自分の状況を整理する。
俺は今、手首を前で縛られている状態だ。縄は小屋の柱に繋がれていて、ある程度自由に動き回ることができる。ただ、玄関まではどんなに頑張っても届かなかった。昨日座ったテーブルに近づくと、おじいさんの買い出し用に持って来た果物が置かれている。さすがに果物ナイフは置いてないか。
何か縄を切れる物が見つけられたらと思っていたんだが、俺の届く範囲にそれらしき物を見つけることが出来なかった。
こうなると自力での脱出は難しい。メリアが手紙の暗号に気づいて、レオンの後を追ってここを見つけ出してくれるのを待つしかない。
当然、その時はレオンとあの自称妖精もこの場にいることになる。警察を連れてきてくれる可能性もあるが、メリアが相談しても警察に相手にされないこともあるだろう。
正直なところ、一番この状況に適しているのはエクソシストだ。エクソシストはあらゆる悪を祓う存在である。エクソシストさえ来てくれれば、あの自称妖精を祓ってレオンを正気に戻すことができるのではないだろうか?
問題は、どうやってエクソシストを連れて来させるかだ。
メリアのことだから、ここを見つけ次第、後先考えず突入してこないか不安で仕方ない。それを防ぐために、レオンがここに現れたらすぐメリアにコンタクトを取ろう。
実は、俺たちはある程度の距離にいれば頭の中で会話をすることができる。双子パワーだ。こんなに双子であることを感謝したことはないかもしれない。
レオンが現れたら、すぐにメリアとコンタクトをとるしかない。メリアとコンタクトできたら、突入させずにエクソシストを呼びに行かせよう。
ただ、子どもの言うことだと信じてもらえないかもしれないから、誰か信用できる大人に協力してもらった方がいい。バーベナ姉さんにメリアから事情を説明してエクソシストの元に同行してもらえばいいのではないか?
バーベナ姉さんは俺たちと同じ集合住宅に住む針子のお姉さんだ。18歳で大人たちからも信用されているバーベナ姉さんの話ならエクソシストも耳を傾けてくれるかもしれない。
よし、これでいこう。
そう心に誓う。ただ、今日はたぶんレオンは来ないだろう。2日連続で休みなんて取れないだろうし。決戦は明日以降だな。
そんなことをツラツラと考えたが、下手なそぶりはしないように注意する。もしかしたら、あの自称妖精が姿を隠して俺を見張っているかもしれない。エクソシストを呼ぶ算段をつけていると知られたら、何をされるかわからないし、念には念を入れて、だ。
代り映えのしない小屋の中に目を向けながら、ふう、と息を吐いた。
※※※
次の日、陽が高くなった頃にレオンが現れた。
「お待たせアル!今日はパンを買って来たよ」
レオンの近くに自称妖精の姿がない。あいつはもしかしたら夜しか動けないのではないか?
いや今はレオンの影に隠れているだけの可能性もある。とりあえず今はメリアにコンタクトを取るのが優先だ。
近くにいるであろうメリアにコンタクトをとるため、俺は頭の片隅を集中させた。